製造と販売は考え方が異なると考え、大久保社長(日野ヂーゼル工業)は販売部門の独立を決定。全額出資により日野ヂーゼル販売を設立し、日野ヂーゼル工業が製造する大型トラックおよび大型バスの販売を担った。分離には高額商品を販売する上で、金融機関との連携(割賦販売)が必要であり、販売会社が独立していた方が円滑に金融できるという理由もあった。
販路に乏しく不採算であった乗用車の自社開発から撤退。1964年に乗用車「コンテッサ1300」を発表していたが、これらの後継車種の開発を中止し、日野自動車としては商用車に特化する方針を決定した。
1968年3月に羽村工場を新設。当初予定していた乗用車の量産は事業撤退により頓挫したため、提携先であるトヨタ向けに乗用車のOEM生産を開始した。
普通トラックで国内シェア35%を獲得目標とした「D号作戦」を開始しトップシェアを確保。商用車の領域において、それまでトップであったいすゞ自動車を抜き、日野自動車がシェアトップに躍り出た。
なお、いすゞ自動車としては乗用車の量産に投資しており、商用車への投資が不十分になっていたという事情があり、日野自動車としては競合の弱体化のチャンスを見逃さず、シェアを確保した。
日野モータース・マニュファクチャリング・インドネシアを設立
日野モータース マニュファクチャリング U.S.A.株式会社を設立
トラックの国内需要の低迷で最終赤字に転落し、上場後初の無配に転落。1999年内に希望退職制度を実施して300名が退職へ
北米・タイ・インドネシアでの現地生産に投資
2020年までに東京都日野市の本社工場について閉鎖を決定。生産機能を新設予定の古河工場に移転する方針を決定した。これに伴い、旧本社工場の敷地面積は30万平方メートルで随時売却する意向を表明した。
日野市内の本社工場の閉鎖を受けて、日野市長は「大変ショック」という懸念を表明した。
大変ショックであり、身体の一部をもぎとられるような寂しさを感じる。日野という名前を持つ会社の主要工場が日野からなくなる。一つの工場がなくなるということを超えた影響が出てくるのではないか
本社工場の閉鎖に伴い、生産移管先として古河工場の新設を決定。投資予定額は500億円で2011年に着工した。旧本社工場からの機能移転を通じて、古河工場を「マザー工場」として位置付け、完成車および部品の製造に従事。海外に対しては部品の供給拠点として位置付けた。
2017年10月に古河工場における大型・中型車両の組立生産を開始し、本格始動に至った。組み立てラインを集約することで、従来の旧本社工場における生産と比較し、20%の効率向上を図った。
2003年から日野自動車において、商用車における「エンジン認証申請」における不正行為を開始。長らく不正は明るみに出なかったが、2020年に北米においてエンジンの認証申請の不正を確認した。
これを受けて、日野自動車はグローバルで対象車種の出荷停止およびリコールを決定。2021年3月期から2023年3月期にかけて、特別損失として「認証損失」を計上し、3期連続の最終赤字に転落した。
エンジンの認証試験の不正が露呈したことを受けて、日野自動車の親会社であるトヨタ自動車は、日野自動車に対する経営支援の中止を決定した。これにより、日野自動車は単独での存続が困難となり、同業の商用車メーカーとの経営統合・合併を模索した。