ダイハツ工業の歴史

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沿革

1907年に大阪市で設立された発動機製造株式会社が起源。

1930年にダイハツ号三輪一号車を完成させ、1994年にはマレーシアの第二国民車カンチルの生産を開始した。スズキと国内の軽自動車の首位を争ったメーカーで、2016年にトヨタの完全子会社となった。

1907年1951年1966年/1968年1981年1998年2026年発動機製造1907年内燃機関で設立ダイハツ工業1951年商号変更ダイハツ自動車販売1968年販売部門を分離ダイハツディーゼル1966年ディーゼル分離ダイハツ工業1981年販売会社を合併ダイハツ工業1998年トヨタの子会社にトヨタ自動車1998年株式取得
ダイハツ工業
歴代社長と長期業績(敬称略)
2016年3月期
連結
売上高
16,903億円
売上高純利益率
2.5%
出所:有価証券報告書
竹崎小石伊瀬大原箕浦伊奈三井
売上高110億円売上高720億円売上高1,544億円売上高13,480億円売上高16,903億円純利益率7.1%純利益率1.7%純利益率2.5%純利益率2.5%1952/31956/31961/31966/31971/31976/31981/31986/31991/31996/32001/32006/32011/32016/32021/32026/3
  1. 内燃機関の製作と販売を目的に発動機製造を設立[3]
  2. 国産吸入ガス発動機の第一号機(6馬力機関)を試運転[4]
  3. 50馬力吸入ガス発動機が完成[1]
  4. 新宮水電から受注した発電用100馬力吸入ガス機関を引き渡し[1]
  5. 飽の浦航船事務所の新造船2隻に船舶用吸入ガス発動機を搭載[1]
  6. 新若松丸に40馬力船舶用吸入ガス発動機を搭載[1]
  7. ダイハツ1号車HA型の完成[3]
  8. 差動装置付きシャフト・ドライブ式を三輪自動車に初めて採用[1]
  9. 東京出張所を開設[3]
  10. 小型四輪自動車を発売[3]
  11. 池田工場の建設に着手[5]
  12. 池田第一工場の操業開始[3]
  13. 終戦により各分工場を閉鎖[4]
  14. 連合軍総司令部が月間1,500台のトラック生産を許可[1]
  15. 過度経済力集中排除法の指定を受ける[1]
  16. 企業再建整備計画を完了[5]
  17. 社名をダイハツ工業に商号変更[3]
  18. 延生産台数10万台を突破[5]
  19. 2トン積みキャブオーバー型小型四輪トラックの設計に着手[1]
  20. 昭和自動車工業の土地建物・機械を継承して旭工業が発足[6]
売上高営業利益率
  • 売上高
  • 営業利益率
ダイハツ工業1956年4月期売上高109.96億円売上高営業利益率n/a
就任年社長氏名役職名
1947年竹崎瑞夫取締役社長
歴史詳細を読む発動機製造の設立と国産三輪自動車への進出

筆者所見

1930年のダイハツ1号車で得た三輪自動車の首位は、戦後に航空機の技術を持つ大手が参入しても崩れなかった。池田工場への生産集中と設備の合理化を受け、新三菱重工や三井精機工業などが三輪自動車の製造に相次いで着手した[1]。それでも1955年には三輪貨物車の全国保有台数の32%を供給していた[2]。先行の利は、技術より量産と販売網を先に固めた順番から生まれている。首位が三輪の枠内にとどまったことは、四輪への移行で優位を築き直す負担になった。

  1. [1]ダイハツ工業『六十年史』(1967年)
  2. [2]会社銀行八十年史(1955年)「ダイハツ工業」
  1. 創立50周年[4]
  2. 軽三輪自動車を発売[3]
  3. 小型四輪車FPO型ベスタの生産を開始[1]
  4. 小型貨物車を発売[3]
  5. 21億4,100万円の設備計画を決定[1]
  6. 2トン積み小型四輪トラックDV200を発表[1]
  7. ダイハツ前橋製作所を設立[3]
  8. 軽貨物車を発売[3]
  9. 池田第二工場の操業開始[3]
  10. 商用車コンパーノバンを発売[4]
  11. 教育センターを設立[8]
  12. 大衆乗用車を発売[3]
  13. 本社事務所を池田市に新築[3]
  14. 電気自動車研究に着手[8]
  15. ディーゼル機関部門を分離しダイハツディーゼルを設立[3]
  16. 軽乗用車を発売[3]
  17. 滋賀テストコースが完成[8]
  18. トヨタとの業務提携[3]
  19. 電気自動車を発売[9]
  20. 販売・サービス部門を分離しダイハツ自動車販売を設立[3]
  21. 万国博覧会用電気自動車275台を納入[8]
  22. 旭工業を合併し資本金183億円へ[3]
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
ダイハツ工業1970年4月期売上高990.9億円売上高当期純利益率4.1%
歴史詳細を読む四輪車への転換とトヨタとの業務提携

筆者所見

ミゼットの狙いは、新車の利益よりも、三輪車の商売に根付いた取引条件を改めることにあった。小石雄治社長はミゼットで利潤を第一とせず、代金回収の改善を目的に据えた[7]。定価22万円と月賦の条件を定め、下取り査定の熟練を要しない販売方式にした[7]。値引きと査定の駆け引きを定価で封じれば、販売店の与信の質がそろう。この方式は軽の貨物で効いたが、乗用車の後れを埋める手段にはならず、1967年のトヨタとの業務提携に至った。

  1. [7]野田経済(1959年)「アフターサービスのいらない車を」ダイハツ工業社長 小石雄治
  1. 通産省大型プロジェクトのEV研究開発に参画[8]
  2. 多田工場を工機専門工場として操業開始[3]
  3. 京都工場を大衆乗用車専門工場として操業開始[3]
  4. 滋賀(竜王)工場の操業開始[3]
  5. ブリュッセルに欧州駐在員事務所を開設[8]
  6. インドネシアで海外生産工場の操業開始[3]
  7. ダイハツ信販を設立[3]
  8. ダイハツ自動車販売を合併[3]
  9. インドネシアでエンジン工場の操業開始[3]
  10. ダイハツ・アメリカ(DAI)を設立[8]
  11. 米国ブリッグス&ストラットンとの合弁でディー・ビー・エスを設立[8]
  12. ダイハツ・ドイツを設立[8]
  13. 滋賀新工場の操業開始[3]
  14. タイにダイハツ・プラナコーンモーターを設立[8]
  15. インドネシアの現地3社を統合しアストラ・ダイハツ・モーターへ[3]
  16. EV専用工場「城南工場」が稼働[8]
  17. イタリアのP&D社でハイゼットの生産を開始[8]
  18. マレーシア第二国民車カンチルの生産・販売を開始[8]
  19. トヨタ自動車が338億円を出資し持株比率を引き上げ[12]
  20. ベトナムで「ハイゼット」の生産を開始[8]
  21. 中国柳州市で商用車の生産を開始[8]
  22. 技術開発の新会社ダイハツテクナーを設立[8]
  23. 京都工場のISO14001認証を取得[3]
  24. トヨタ自動車が株式取得により子会社化[13]
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
ダイハツ工業1984年6月期売上高4,699.5億円売上高経常利益率2.2%
歴史詳細を読むインドネシアでの海外生産と軽自動車への経営資源の集中

筆者所見

1990年代前半の赤字は、販売の失速より、バブル期の設備の竣工が景気の反転と重なった時期のずれから生じた。増強した設備の大半は1992〜93年に竣工して重い償却負担を残し、1994年3月期にはダイハツを含む5社の赤字が予想された[10]。需要の山に合わせて能力を積む投資は、円高の局面で固定費の重さに転じる。1995年10月、トヨタはダイハツへ338億円を投じた[11]。設備の負担をトヨタの資本で補う構図が、1998年の子会社化の下地になった。

  1. [10]日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「自動車-バブルが崩壊して苦難の道」
  2. [11]日経ビジネス 1995年10月2日号「トヨタがダイハツに338億円投じた「価値」」
転換期

2000年〜インドネシア・マレーシアの低価格車とトヨタ完全子会社化

  1. 本社(池田)工場のISO14001認証を取得[8]
  2. 滋賀(竜王)工場のISO14001認証を取得[8]
  3. パキスタンでクオーレの生産・販売を開始[8]
  4. デザインセンターを新設[8]
  5. ベネズエラでテリオスの生産を開始[8]
  6. マレーシアでの持株会社新設のためプロドゥアと合弁契約を締結[8]
  7. マレーシアの持株会社プロドゥアが業務開始[3]
  8. インドネシアのアストラ・ダイハツ・モーターへ増資して子会社化[8]
  9. 中国の一汽華利汽車でテリオスの生産を開始[9]
  10. インドネシアでトヨタとの共同開発車セニア・アバンザの生産を開始[3]
  11. マレーシアで「トヨタ・アバンザ」の生産を開始[8]
  12. ダイハツ車体の大分(中津)工場が操業開始[3]
  13. 創立100周年を機に新たなグループ理念を制定[8]
  14. インドネシアで小型商用車「グランマックス」を発売[8]
  15. ダイハツ九州の久留米工場が操業開始[3]
  16. マレーシアにオートマチックトランスミッション生産会社を設立[8]
  17. アストラ・ダイハツ・モーターのカラワン工場が操業開始[3]
  18. プロドゥア・グローバル・マニュファクチャリングを設立[3]
  19. インドネシアのLCGC政策に対応したアイラ・アギアの生産を開始[3]
  20. マレーシアのEEV政策に対応したアジアの生産を開始[3]
  21. トヨタ自動車との株式交換契約を締結[3]
  22. トヨタの完全子会社化[14]
  23. 認証試験で174件の不正が判明し全28車種で出荷停止[14]
売上高経常利益率
  • 売上高
  • 経常利益率
ダイハツ工業2016年3月期売上高16,903億円売上高経常利益率5.4%

筆者所見

2016年のトヨタの完全子会社化は、救済ではなく、新興国の小型車でダイハツが積んだ開発力をトヨタが取り込む判断だった。2003年12月にはインドネシアでトヨタとの共同開発車セニア・アバンザの生産を開始している[3]。2013年9月には同国のLCGC政策に対応したアイラ・アギアの生産を開始した[3]。政策が定める価格と仕様に車を合わせる力は、軽自動車の規格で磨いた設計の延長にある。上場子会社の関係では、両社の意思決定を一本化する余地が限られていた。

  1. [3]有価証券報告書(2016年6月29日)
出典・参考14件
出典・参考
  • [1]ダイハツ工業『六十年史』(1967年)
  • [2]会社銀行八十年史(1955年)「ダイハツ工業」
  • [3]有価証券報告書(2016年6月29日)
  • [4]企業の歴史:明治百年「ダイハツ工業」(1968年)
  • [5]会社銀行八十年史「ダイハツ工業」(1955年)
  • [6]野田経済「アフターサービスのいらない車を」ダイハツ工業社長 小石雄治(1959年)
  • [7]野田経済(1959年)「アフターサービスのいらない車を」ダイハツ工業社長 小石雄治
  • [8]ダイハツ工業 公式サイト「沿革」(2026年10月)
  • [9]有価証券報告書
  • [10]日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「自動車-バブルが崩壊して苦難の道」
  • [11]日経ビジネス 1995年10月2日号「トヨタがダイハツに338億円投じた「価値」」
  • [12]日経ビジネス 1995年10月2日号
  • [13]豊田英二「私の履歴書」(日本経済新聞社『昭和の経営者群像8』)(1992年)
  • [14]ダイハツ工業 有価証券報告書(2016年3月期・連結)(2016年3月)

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