三菱UFJフィナンシャル・グループ の歴史

三菱銀行・三和銀行・東海銀行の統合

更新:

創業

1870年

創業者

※東京三菱銀行+三菱信託銀行+日本信託銀行

創業地

東京都千代田区

直近売上高(2026/3)

146,208億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ昭和初期から平成にかけて、三菱と三和は出自の異なる銀行を合併で束ね直し続けたのか
A 銀行業は預金と貸出の量がそのまま資金力・信用力に直結するため、規模の確保が競争上の生命線となる。大阪を地盤とする鴻池・山口・三十四の3行は、地盤を共有するがゆえに過当競争を避ける必要があり、1933年12月に合併して三和銀行となり、第1回決算で預金高10億円を超えて国内普通銀行の首位に立った。三菱の系譜も1929年の森村銀行から1943年の第百銀行まで買収を重ね、関東大震災と金融恐慌で罹災銀行を救済して信用を高めた。前頭取の田実渉氏は「大きくなればコストも安くなるから、お客さんに対して本当のサービスができる」と規模追求の必要を説いており、合併で量を積み上げる経営は両系譜に共通するDNAだった
Q なぜ1996年に三菱銀行は、外国為替専門の東京銀行を合併相手に選んだのか
A 三菱銀行は三菱グループの優良企業を取引先に抱えて国内法人取引と預金量に厚みがある一方、海外業務には相対的に弱みがあった。逆に東京銀行は横浜正金銀行以来の国際業務に精通しながら国内基盤が薄く、外国為替銀行法による業務制約も抱えていた。両者は国内のボリュームと国際ネットワークという互いの欠落を補い合う関係にあり、銀行業の自由化が進むなかでフルライン銀行を目指す合理性があった。1969年に第一銀行との合併交渉が破談していた三菱銀行は、27年を経た1996年4月、合併比率10対8・存続会社を三菱銀として東京銀行と合併し、東京三菱銀行として資金量で世界最大規模に立った
Q なぜ2020年代に入って、合併で量を積み上げてきたMUFGは政策保有株式の削減と株主還元へ向かったのか
A 政策保有株式の売却益と低金利下の量的優位だけでは資本効率が上がらず、合併で膨らませた資本を収益の質へ転換する圧力が高まったためである。亀澤宏規CEOのもと、MUFGは政策保有株式の売却目標を当初の3,500億円から7,000億円へ倍増させ、2024年3月末の簿価を半減させる削減を前倒しした。並行して総額2,500億円を上限とする自己株式取得を決議し、配当性向40%程度を軸に1株当たり配当の安定的・持続的な増加を方針とする。中長期ROE目標を12%程度に置くにあたり、同社は政策保有株式の売却益がなくなる状況を前提とすると説明しており、解消益の先細る政策株に頼らない資本構成へ移している

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1870年〜 海運から分かれた金融と、二つの危機で得た信用

  1. 1870年 岩崎弥太郎氏が海運業を創業
  2. 1877年 第十三国立銀行を創設
  3. 1880年 為替局を分離して三菱為換店を開設
  4. 1885年 第百十九国立銀行の経営を継承
  5. 1895年 銀行部を新設
  6. 1919年 三菱銀行を設立
  7. 1927年 金融恐慌下で同業銀行の救済に応需

為替局から株式会社三菱銀行への分離独立

三菱の金融業は海運業から分かれて生まれ、1870年に岩崎弥太郎氏が興した海運業[1]が、のちの郵便汽船三菱会社となった[2]。本業は海運だが、1876年には大阪に為替局を置き[3]、回漕する貨物を担保に荷主へ荷為替を貸し付けて[4]荷主の便宜を図っている。1880年には為替局を分離して三菱為換店を開設し、普通銀行業務と倉庫業を兼営[5]した。ただし三菱為換店はその後いったん廃止され[6]、金融業務は途切れた。1885年5月、郵便汽船三菱会社は第百十九国立銀行の経営を引き受け[7]、同行を子会社として本格的な銀行業務に乗り出した。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [1]1870年 岩崎弥太郎氏が海運業を創始
    • [2]郵便汽船三菱会社
    • [3]1876年 大阪に為替局を設置
    • [4]回漕貨物を担保とする荷為替貸付
    • [5]1880年 三菱為換店を開設 普通銀行業務と倉庫業を兼営
    • [6]三菱為換店の廃止
    • [7]1885年5月 郵便汽船三菱会社が第百十九国立銀行の経営を引受

1893年に三菱合資会社が設立される[8]と、1895年、同社は資本金500万円のうち100万円をさいて銀行部を新設[9]し、第百十九国立銀行の業務を継承した。当時の営業拠点は東京1、大阪2、神戸1にすぎなかった[10]。第一次世界大戦による好況で業績は伸び、1915年以降の4年間に上海など5支店を増設[11]している。三菱合資会社が諸事業を独立させる方針をとったのに従い、1919年8月25日、銀行部の業務一切を継承して[12]株式会社三菱銀行が資本金5,000万円で創立された[13]。初代会長には岩崎小弥太氏[14]が就いている。創立の翌1920年にはロンドンとニューヨークに支店を開いて[15]海外業務の足場を作り、1922年には本店営業所を新築して同年5月から営業を始めた[16]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [8]1893年 三菱合資会社の設立
    • [9]1895年 資本金500万円のうち100万円で銀行部を新設
    • [10]銀行部発足時の拠点 東京1・大阪2・神戸1
    • [11]第一次世界大戦の好況と1915年以降4年間の5支店増設
    • [12]1919年8月25日 株式会社三菱銀行の創立
    • [13]創立時資本金 5,000万円
    • [14]初代会長 岩崎小弥太氏
    • [15]1920年 ロンドン・ニューヨーク支店の開設
    • [16]1922年 本店営業所の新築 同年5月営業開始
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [1]1870年 岩崎弥太郎氏が海運業を創始
    • [2]郵便汽船三菱会社
    • [3]1876年 大阪に為替局を設置
    • [4]回漕貨物を担保とする荷為替貸付
    • [5]1880年 三菱為換店を開設 普通銀行業務と倉庫業を兼営
    • [6]三菱為換店の廃止
    • [7]1885年5月 郵便汽船三菱会社が第百十九国立銀行の経営を引受
    • [8]1893年 三菱合資会社の設立
    • [9]1895年 資本金500万円のうち100万円で銀行部を新設
    • [10]銀行部発足時の拠点 東京1・大阪2・神戸1
    • [11]第一次世界大戦の好況と1915年以降4年間の5支店増設
    • [12]1919年8月25日 株式会社三菱銀行の創立
    • [13]創立時資本金 5,000万円
    • [14]初代会長 岩崎小弥太氏
    • [15]1920年 ロンドン・ニューヨーク支店の開設
    • [16]1922年 本店営業所の新築 同年5月営業開始

関東大震災と金融恐慌で開いた信用の差

1923年9月の関東大震災では、東京に本店を置く銀行の大半が本店を焼失した[17]なかで、三菱銀行の本館は無事に残った[18]。前年に完成した本店営業所は堅牢な設計で[19]、震災下の業務継続を支えている。同行は他行に先駆けて預金の支払いを始め[20]、本店金庫を開放して被災した諸銀行の業務に供した[21]。罹災した銀行が業務を続けられるよう下支えした動きは、同行の信用を一段と高めた[22]。1927年3月の金融恐慌[23]でも、全国各地で多数の銀行が取り付けにあうなか[24]、三菱銀行は無事で、同業銀行の救済に努めている[25]。二度の危機に対応した結果として信用が高まり、預金はかえって激増した[26]

  • 日本会社史総覧 三菱銀行(東洋経済新報社, 1995)
    • [17]1923年9月 関東大震災 東京の銀行の大半が本店焼失
    • [18]三菱銀行本館は焼失を免れる
    • [19]1922年完成の本店営業所は堅牢で震災下の業務継続を支える
    • [20]他行に先駆けた預金支払い
    • [21]本店金庫の開放と罹災銀行への業務供与
    • [22]罹災銀行の業務継続を下支えし信用が向上
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [23]1927年3月 金融恐慌
    • [24]金融恐慌下で多数の銀行が取付にあうなか三菱銀行は無事
    • [25]同業銀行の救済
    • [26]信用の向上と預金の激増

恐慌をしのいだ三菱銀行は規模を積み増し、1929年5月に取引の深かった森村銀行を買収[27]したうえ、同年6月には資本金を1億円へ増資[28]した。関東大震災と金融恐慌が生んだ信用の差は、中小銀行から大銀行へ預金が移る流れ[29]を生み、三菱銀行はその受け皿の一つとなった[30]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [27]1929年5月 森村銀行の買収
    • [28]1929年6月 資本金1億円へ増資
    • [29]金融恐慌以降 預金が大銀行に集中
    • [30]三菱銀行が預金集中の受け皿となる
  • 日本会社史総覧 三菱銀行(東洋経済新報社, 1995)
    • [17]1923年9月 関東大震災 東京の銀行の大半が本店焼失
    • [18]三菱銀行本館は焼失を免れる
    • [19]1922年完成の本店営業所は堅牢で震災下の業務継続を支える
    • [20]他行に先駆けた預金支払い
    • [21]本店金庫の開放と罹災銀行への業務供与
    • [22]罹災銀行の業務継続を下支えし信用が向上
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [23]1927年3月 金融恐慌
    • [24]金融恐慌下で多数の銀行が取付にあうなか三菱銀行は無事
    • [25]同業銀行の救済
    • [26]信用の向上と預金の激増
    • [27]1929年5月 森村銀行の買収
    • [28]1929年6月 資本金1億円へ増資
    • [29]金融恐慌以降 預金が大銀行に集中
    • [30]三菱銀行が預金集中の受け皿となる

1933年〜 三和の創立、戦時統合、そして再出発

  1. 1933年 三和銀行を設立
  2. 1941年 東海銀行を設立
  3. 1943年 三菱銀行が第百銀行と合併
  4. 1945年 三和銀行が三和信託・大同銀行を吸収合併
  5. 1945年 東海銀行が岡崎・稲沢・大野の3行を合併
  6. 1946年 東京銀行を設立
  7. 1948年 三菱銀行が千代田銀行に商号変更

大阪三行の合同による三和銀行の創立

もう一つの源流は大阪にあり、鴻池家は明暦年間にあたる1656年[31]に初代鴻池善右衛門氏が大阪で両替店を開いて以来の両替商で、1877年に大阪最初の国立銀行である第十三国立銀行を創設[32]したのち、1897年に個人経営の鴻池銀行がその業務を継承[33]した。三十四銀行は1878年に岡橋治助氏ら大阪財界の有力者が創設した第三十四国立銀行[34]を母体とし、1897年に普通銀行へ改組[35]している。山口銀行も徳川幕府時代の両替商にさかのぼり[36]、1879年に山口家を中心として第百四十八国立銀行が設立[37]された。いずれも本店を大阪に置き、古い歴史と伝統をもって発展した有力銀行[38]であった。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [31]鴻池家は明暦年間から両替商
    • [32]1877年 大阪最初の国立銀行 第十三国立銀行の創設
    • [33]1897年 個人経営の鴻池銀行が業務を継承
    • [34]1878年 岡橋治助氏らによる第三十四国立銀行の創設
    • [35]1897年 三十四銀行が普通銀行へ改組
    • [36]山口銀行の源は徳川幕府時代の両替商
    • [37]1879年 第百四十八国立銀行の設立
    • [38]三行はいずれも本店を大阪に置く古い歴史と伝統をもつ有力銀行

1933年12月、この三行が合同して三和銀行が創立[39]された。頭取には中根貞彦氏が就き[40]、資本金は1億720万円[41]、合同時の預金総額は10億2,500万円[42]に達した。合同当時の預金は三十四銀行が4億2,800万円[43]、山口銀行が3億8,900万円、鴻池銀行が1億7,500万円[44]で、三行はいずれも大阪財界の要望を背景に発達していた。営業地盤が重なる三行の自発的な動意による合同[45]で、創立後の数年間は内部諸制度の改善と店舗の改廃に努めて[46]いる。日華事変の前後から大陸交易が伸びると業績は伸長し、1941年末には預金が30億円台に乗った[47]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [39]1933年12月 三行合同による三和銀行の創立
    • [40]初代頭取 中根貞彦氏
    • [41]創立時資本金 1億720万円
    • [42]合同時の預金総額 10億2,500万円
    • [43]合同当時の預金 三十四銀行4億2,800万円
    • [44]合同当時の預金 山口銀行3億8,900万円・鴻池銀行1億7,500万円
    • [45]三行の自発的動意による合同
    • [46]創立後数年は内部諸制度の改善と店舗の改廃
    • [47]1941年末 預金30億円台
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [31]鴻池家は明暦年間から両替商
    • [32]1877年 大阪最初の国立銀行 第十三国立銀行の創設
    • [33]1897年 個人経営の鴻池銀行が業務を継承
    • [34]1878年 岡橋治助氏らによる第三十四国立銀行の創設
    • [35]1897年 三十四銀行が普通銀行へ改組
    • [36]山口銀行の源は徳川幕府時代の両替商
    • [37]1879年 第百四十八国立銀行の設立
    • [38]三行はいずれも本店を大阪に置く古い歴史と伝統をもつ有力銀行
    • [39]1933年12月 三行合同による三和銀行の創立
    • [40]初代頭取 中根貞彦氏
    • [41]創立時資本金 1億720万円
    • [42]合同時の預金総額 10億2,500万円
    • [43]合同当時の預金 三十四銀行4億2,800万円
    • [44]合同当時の預金 山口銀行3億8,900万円・鴻池銀行1億7,500万円
    • [45]三行の自発的動意による合同
    • [46]創立後数年は内部諸制度の改善と店舗の改廃
    • [47]1941年末 預金30億円台

戦時の銀行集中政策と店舗網の拡大

戦時の銀行集中政策は両行の規模を一段と押し上げ、三菱銀行は1940年に金原銀行、1942年に東京中野銀行を[48]買収継承して民間預金の吸収に努め、1943年4月には当時七大銀行の一つであった第百銀行と合併[49]した。これにより資本金は1億3,500万円となり[50]、店舗は112店増えて177店、預金は20億円増えて48億円[51]に達している。三和銀行も店舗配置の適正化と経営の効率化を図って1942年以降に辻林・更池・河泉などの営業を譲り受け[52]、1945年5月には三和信託と大同銀行を吸収合併して信託業を兼営[53]し、同年10月に大和田銀行を吸収合併[54]した。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [48]1940年 金原銀行 1942年 東京中野銀行の買収継承
    • [49]1943年4月 七大銀行の一つ第百銀行との合併
    • [50]第百銀行合併後 資本金1億3,500万円
    • [51]第百銀行合併後 店舗177店・預金48億円
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [52]三和銀行が1942年以降 辻林・更池・河泉などの営業を譲受
    • [53]1945年5月 三和信託・大同銀行の吸収合併と信託業兼営
    • [54]1945年10月 大和田銀行の吸収合併

同じ時期、のちにUFJの一翼を担う東海銀行も生まれ、1941年6月、名古屋を地盤とする愛知・名古屋・伊藤の三銀行が[55]合併して資本金3,760万円で設立された[56]。愛知は1896年4月、名古屋は1882年7月、伊藤は1881年9月の創立[57]で、いずれも古い歴史をもっていた。同行は1945年9月に岡崎・稲沢・大野の三銀行を合併して愛知県下唯一の本店銀行となり[58]、営業所は187店を数えた[59]。一方、戦局の激化は店舗を直撃し、三菱銀行は1945年3月の日本橋支店ほか11店の被災[60]を皮切りに、終戦までにさらに29店が相次いで罹災し、25店の廃止[61]に至った。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東海銀行」の項
    • [55]1941年6月 愛知・名古屋・伊藤の三銀行合併による東海銀行設立
    • [56]東海銀行設立時資本金 3,760万円
    • [57]愛知1896年4月・名古屋1882年7月・伊藤1881年9月の創立
    • [58]1945年9月 岡崎・稲沢・大野の三銀行合併 愛知県下唯一の本店銀行
    • [59]合併後の営業所 187店
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [60]1945年3月 日本橋支店ほか11店被災
    • [61]終戦までに29店罹災 25店廃止
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [48]1940年 金原銀行 1942年 東京中野銀行の買収継承
    • [49]1943年4月 七大銀行の一つ第百銀行との合併
    • [50]第百銀行合併後 資本金1億3,500万円
    • [51]第百銀行合併後 店舗177店・預金48億円
    • [60]1945年3月 日本橋支店ほか11店被災
    • [61]終戦までに29店罹災 25店廃止
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [52]三和銀行が1942年以降 辻林・更池・河泉などの営業を譲受
    • [53]1945年5月 三和信託・大同銀行の吸収合併と信託業兼営
    • [54]1945年10月 大和田銀行の吸収合併
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東海銀行」の項
    • [55]1941年6月 愛知・名古屋・伊藤の三銀行合併による東海銀行設立
    • [56]東海銀行設立時資本金 3,760万円
    • [57]愛知1896年4月・名古屋1882年7月・伊藤1881年9月の創立
    • [58]1945年9月 岡崎・稲沢・大野の三銀行合併 愛知県下唯一の本店銀行
    • [59]合併後の営業所 187店

財閥解体、再建整備を経ての再出発

敗戦後の三菱銀行は分割の危機に直面し、過度経済力集中排除法が出たころ、行内には分割に備える極秘の委員会が置かれ[62]、調査部長の宇佐美洵氏をキャップに三種類の分割案[63]が作成された。中村俊男氏はそのメンバーの一人[64]で、昼は資料を集め、夜に宇佐美氏の自宅を訪ねて相談している[65]。結局「金融機関まで分割したら日本経済は混乱する。それは対ソ政策から好ましくない」というGHQの判断で、銀行は分割を免れた。三菱商事や三井物産が解散させられた[67]のに対し、戦時中に合併した東京中野銀行と第百銀行の店舗網はそのまま残った[68][66]

  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「グループの中核──三菱銀行」中村俊男氏談
    • [62]過度経済力集中排除法を受けた分割備えの極秘委員会
    • [63]調査部長 宇佐美洵氏をキャップに三種類の分割案
    • [64]中村俊男氏が委員会メンバー
    • [65]昼に資料収集 夜に宇佐美氏宅で相談
    • [66]GHQ判断「金融機関まで分割したら日本経済は混乱する。それは対ソ政策から好ましくない」
    • [67]三菱商事・三井物産は解散、銀行は分割を免れる
    • [68]東京中野銀行・第百銀行の店舗網が戦後も存続

分割は免れたが再建整備の負担は重く、戦時の軍需融資制度で国の保証のもと軍需指定会社へ貸し出した分は、保証の打ち切りによって大部分が回収不能となり、資本金の九割九分が飛んだ[69]。1948年3月、三菱銀行は金融機関再建整備法に基づく最終処理を終え、資本金1億3,500万円を93%切り捨て[70]ている。同年10月には財閥解体で三菱の名称使用を禁じられて千代田銀行と改称し[71]、あわせて11億円へ増資して新発足[72]した。当時の預金は332億円、店舗は161店[73]で、増資により株式が預金者・従業員・地方居住者へ分散[74]した。

  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「グループの中核──三菱銀行」中村俊男氏談
    • [69]軍需融資の政府保証打切りで資本金の99%が消失
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [70]1948年3月 金融機関再建整備法による最終処理 資本金を93%切捨
    • [71]1948年10月 財閥解体により千代田銀行へ改称
    • [72]1948年10月 11億円へ増資
    • [73]改称時の預金332億円・店舗161店
    • [74]増資により株式が預金者・従業員・地方居住者へ分散

三和銀行も1948年10月に再建整備計画を終え、資本金10億円で新発足[75]した。東海銀行は特別損失3億8,200万円を預金の切り捨てと九割減資などで埋め[76]、1948年3月に最終処理を終えている。翌1949年5月、三菱銀行と三和銀行は東京・大阪の両証券取引所に株式を上場[77]した。戦後の復興とともに預金は伸び、三菱銀行は1953年3月末に預金1,597億円・貸出1,402億円[78]へ達し、同年4月に27億5,000万円へ増資して国内の普通銀行で最大の資本金[79]を擁するに至った。同年7月、海外で馴染みの薄い千代田銀行の商号は不利であるとして[80]、三菱銀行の旧名に復帰している。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [75]1948年10月 三和銀行の再建整備完了 資本金10億円で新発足
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東海銀行」の項
    • [76]東海銀行の特別損失3億8,200万円と九割減資 1948年3月最終処理
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [77]1949年5月 東京・大阪両証券取引所へ上場
    • [78]1953年3月末 預金1,597億円・貸出1,402億円
    • [79]1953年4月 資本金27億5,000万円へ増資 普通銀行中最大
    • [80]1953年7月 三菱銀行へ商号復帰 千代田銀行は海外で馴染みが薄い
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「グループの中核──三菱銀行」中村俊男氏談
    • [62]過度経済力集中排除法を受けた分割備えの極秘委員会
    • [63]調査部長 宇佐美洵氏をキャップに三種類の分割案
    • [64]中村俊男氏が委員会メンバー
    • [65]昼に資料収集 夜に宇佐美氏宅で相談
    • [66]GHQ判断「金融機関まで分割したら日本経済は混乱する。それは対ソ政策から好ましくない」
    • [67]三菱商事・三井物産は解散、銀行は分割を免れる
    • [68]東京中野銀行・第百銀行の店舗網が戦後も存続
    • [69]軍需融資の政府保証打切りで資本金の99%が消失
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [70]1948年3月 金融機関再建整備法による最終処理 資本金を93%切捨
    • [71]1948年10月 財閥解体により千代田銀行へ改称
    • [72]1948年10月 11億円へ増資
    • [73]改称時の預金332億円・店舗161店
    • [74]増資により株式が預金者・従業員・地方居住者へ分散
    • [77]1949年5月 東京・大阪両証券取引所へ上場
    • [78]1953年3月末 預金1,597億円・貸出1,402億円
    • [79]1953年4月 資本金27億5,000万円へ増資 普通銀行中最大
    • [80]1953年7月 三菱銀行へ商号復帰 千代田銀行は海外で馴染みが薄い
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [75]1948年10月 三和銀行の再建整備完了 資本金10億円で新発足
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東海銀行」の項
    • [76]東海銀行の特別損失3億8,200万円と九割減資 1948年3月最終処理

1954年〜 国際化とユニバーサルバンクをめぐる二系譜の競争

三菱UFJフィナンシャル・グループの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1954年 東京銀行が外国為替銀行に改組
  2. 1969年 第一銀行との合併構想が白紙化
  3. 1972年 加州三菱銀行を設立
  4. 1979年 三和銀行が「ピープルズバンク」構想を公表
  5. 1984年 三菱銀行がバンク・オブ・カリフォルニアを子会社化
  6. 1992年 三和銀行が業務純益・経常利益・当期利益で首位
  7. 1992年 三和銀行が東洋信用金庫を救済合併

海外再進出と、外為専門銀行という制度

講和条約の発効とともに両行は海外へ戻り、三菱銀行は1950年4月にアメリカの銀行などとコルレス契約を結んで[81]、1952年10月にニューヨーク支店を開設[82]した。終戦後の初代支店長には、戦前にロンドン支店へ勤務した中村俊男氏が就いた[83]。三和銀行は1949年11月に甲種外国為替銀行の指定を受け[84]、1953年1月にサンフランシスコ支店を開設、同年8月に台北駐在事務所[85]を置いた。1955年3月末の三和銀行は預金2,255億円・貸出1,960億円、本支店187[86]を擁し、財閥色のない大銀行として伸びていた。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [81]1950年4月 アメリカの銀行等とコルレス契約
    • [82]1952年10月 ニューヨーク支店の開設
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「三菱銀行の国際化路線」中村俊男氏談
    • [83]戦後初代のニューヨーク支店長 中村俊男氏 戦前はロンドン支店勤務
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [84]1949年11月 三和銀行が甲種外国為替銀行の指定
    • [85]1953年1月 サンフランシスコ支店 同年8月 台北駐在事務所
    • [86]1955年3月末 三和銀行 預金2,255億円・貸出1,960億円・本支店187

のちに三菱銀行と合併する東京銀行は、この時期に特異な制度のうえに立てられた。すなわち同行は1946年12月17日に資本金5,000万円で設立され、翌1947年1月から普通銀行として営業を始めており[88]、横浜正金銀行の資産と負債のうち国内関係分[89]を金融機関再建整備法に従って譲り受け、人員の過半も継承している[90]。1954年4月に外国為替銀行法が制定されると、同年8月に外国為替銀行へ改組[91]し、国内45店のうち21店を三井・第一・大和・京都・大分の各銀行へ譲渡[92]した。 [87]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東京銀行」の項
    • [87]1946年12月17日 東京銀行の設立 資本金5,000万円
    • [88]1947年1月 普通銀行として営業開始
    • [89]横浜正金銀行の国内関係分を承継 人員の過半も継承
    • [90]人員の過半を継承
    • [91]1954年4月 外国為替銀行法の制定 同年8月 外国為替銀行へ改組
    • [92]国内45店のうち21店を三井・第一・大和・京都・大分へ譲渡

この改組には金融界がこぞって反対[93]した。長短金融の分離をある程度は認める向きもあったなかで、外国為替に特化した専業銀行の設立には猛烈な反発[94]が出ている。東京銀行は他の普通銀行と違って金融債を発行できたが、三年物以上は発行できないという制約[95]を課された。これは反対を受けた妥協の産物[96]であった。一方で政府のドル預金はすべて同行へ預託される[97]ことになり、そのほかの便益もあわせて、他の外国為替銀行より優先して基盤が固められた[98]

  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)松沢卓二著「問題含みの外為専門銀行」
    • [93]外為専門銀行の設立に金融界がこぞって反対
    • [94]長短金融分離は一部容認も外為専業化には猛烈な反発
    • [95]金融債は三年物以上を発行できない制約
    • [96]制約は反対を受けた妥協の産物
    • [97]政府のドル預金は東京銀行へ預託
    • [98]便益により他の外為銀行より優先して基盤が固まる
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
    • [81]1950年4月 アメリカの銀行等とコルレス契約
    • [82]1952年10月 ニューヨーク支店の開設
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「三菱銀行の国際化路線」中村俊男氏談
    • [83]戦後初代のニューヨーク支店長 中村俊男氏 戦前はロンドン支店勤務
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
    • [84]1949年11月 三和銀行が甲種外国為替銀行の指定
    • [85]1953年1月 サンフランシスコ支店 同年8月 台北駐在事務所
    • [86]1955年3月末 三和銀行 預金2,255億円・貸出1,960億円・本支店187
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東京銀行」の項
    • [87]1946年12月17日 東京銀行の設立 資本金5,000万円
    • [88]1947年1月 普通銀行として営業開始
    • [89]横浜正金銀行の国内関係分を承継 人員の過半も継承
    • [90]人員の過半を継承
    • [91]1954年4月 外国為替銀行法の制定 同年8月 外国為替銀行へ改組
    • [92]国内45店のうち21店を三井・第一・大和・京都・大分へ譲渡
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)松沢卓二著「問題含みの外為専門銀行」
    • [93]外為専門銀行の設立に金融界がこぞって反対
    • [94]長短金融分離は一部容認も外為専業化には猛烈な反発
    • [95]金融債は三年物以上を発行できない制約
    • [96]制約は反対を受けた妥協の産物
    • [97]政府のドル預金は東京銀行へ預託
    • [98]便益により他の外為銀行より優先して基盤が固まる

流産した第一銀行との合併と、大衆化の並走

高度成長期の三菱銀行は金融行政との距離をはかる場面に何度も立ち、1963年3月に通商産業省の主導で特定産業の振興に関する臨時措置法案が起案[99]されると、委員会の審議を通った案件へ銀行が無条件で貸すという内容[100]に、当時の銀行協会会長で三菱銀行頭取の宇佐美洵[101]は「そんなバカなことできないよ。融資するかどうかはそれぞれ取引銀行の頭取が最終的に決めること[102]で、それを銀行協会の会長が『よかろう』なんていえるわけがない」と強く反対した。1964年からの証券不況では田中角栄大蔵大臣から株の買い支えを再三要請[103]され、各行が協同して基金を設ける日本共同証券の設立につながっている[104]

  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「グループの中核──三菱銀行」中村俊男氏談
    • [99]1963年3月 特定産業の振興に関する臨時措置法案の起案
    • [100]委員会を通った案件へ銀行が無条件で貸す内容
    • [101]銀行協会会長 三菱銀行頭取 宇佐美洵氏
    • [102]宇佐美洵氏の特振法案への反対発言
    • [103]1964年からの証券不況 田中角栄大蔵大臣が買い支えを要請
    • [104]各行協同の基金として日本共同証券を設立

1968年10月ごろ、第一銀行の長谷川重三郎頭取は井上薫氏に三菱銀行との合併話を打ち明けた[105]。井上氏は即座に反対している[106]。戦時中に三井銀行と合併して帝国銀行となった経験[107]があり、合併時の支店長は第一銀行84名に対し三井銀行45名[108]だったものが、4年後には第一系62名・三井系68名と逆転[109]していたからであった。取引先も反対に回り、あらゆる業界にまたがる三菱グループには第一銀行系企業と競合する会社が多く[110]、合併銀行の上位株主に三菱系が並べば自主性を失う恐れ[111]があったためである。

  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)「証言 第一勧業銀行成立の舞台裏」井上薫氏
    • [105]1968年10月ごろ 長谷川重三郎頭取が井上薫氏へ合併話を打診
    • [106]井上薫氏は即座に反対
    • [107]戦時中の三井銀行との合併で帝国銀行となった経験
    • [108]合併時の支店長 第一84名・三井45名 4年後 第一系62名・三井系68名
    • [109]4年後に第一系62名・三井系68名へ逆転
    • [110]取引先が反対 三菱グループと第一銀行系企業の競合
    • [111]上位株主に三菱系が並べば自主性を失う恐れ

1968年の暮れ、井上氏は三菱銀行の田実渉頭取を訪ね、これ以上は合併話を進めないよう申し入れた[112]。ところが明けて1969年1月1日の朝、読売新聞が「三菱、第一の大合併」を報じた[113]。スクープからわずか2週間で白紙還元が決まり、長谷川頭取以下数人の役員が辞任[114]した。合併に反対した井上氏が頭取へ復帰[115]し、第一銀行は2年後の1971年3月に日本勧業銀行との合併を発表[116]した。井上氏は合併そのものに反対だったわけではなく、行内の意見を聞いたうえで非財閥系の中位行を相手に選んで[117]いる。

  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)「証言 第一勧業銀行成立の舞台裏」井上薫氏
    • [112]1968年暮れ 井上薫氏が三菱銀行の田実渉頭取を訪問し中止を申入れ
    • [113]1969年1月1日 読売新聞が「三菱、第一の大合併」を報道
    • [115]井上薫氏が頭取へ復帰
    • [117]井上薫氏は合併自体には反対せず非財閥系の中位行を相手に選ぶ
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)松沢卓二著「大型合併の衝撃」
    • [114]スクープから2週間で白紙還元 長谷川頭取以下数人の役員が辞任
    • [116]1971年3月 第一銀行と日本勧業銀行の合併発表
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「グループの中核──三菱銀行」中村俊男氏談
    • [99]1963年3月 特定産業の振興に関する臨時措置法案の起案
    • [100]委員会を通った案件へ銀行が無条件で貸す内容
    • [101]銀行協会会長 三菱銀行頭取 宇佐美洵氏
    • [102]宇佐美洵氏の特振法案への反対発言
    • [103]1964年からの証券不況 田中角栄大蔵大臣が買い支えを要請
    • [104]各行協同の基金として日本共同証券を設立
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)「証言 第一勧業銀行成立の舞台裏」井上薫氏
    • [105]1968年10月ごろ 長谷川重三郎頭取が井上薫氏へ合併話を打診
    • [106]井上薫氏は即座に反対
    • [107]戦時中の三井銀行との合併で帝国銀行となった経験
    • [108]合併時の支店長 第一84名・三井45名 4年後 第一系62名・三井系68名
    • [109]4年後に第一系62名・三井系68名へ逆転
    • [110]取引先が反対 三菱グループと第一銀行系企業の競合
    • [111]上位株主に三菱系が並べば自主性を失う恐れ
    • [112]1968年暮れ 井上薫氏が三菱銀行の田実渉頭取を訪問し中止を申入れ
    • [113]1969年1月1日 読売新聞が「三菱、第一の大合併」を報道
    • [115]井上薫氏が頭取へ復帰
    • [117]井上薫氏は合併自体には反対せず非財閥系の中位行を相手に選ぶ
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)松沢卓二著「大型合併の衝撃」
    • [114]スクープから2週間で白紙還元 長谷川頭取以下数人の役員が辞任
    • [116]1971年3月 第一銀行と日本勧業銀行の合併発表

国際化路線と、バブル期に迎えた頂点

1970年10月に頭取となった中村俊男[118]は、第二次三カ年計画の最重点施策に国際化を掲げた[119]。1971年4月の支店長会議では「わが国経済の急速かつ本格的な国際化に対処して、当行の国際化路線を一層強化する必要がある。国際業務は都市銀行の主要業務として、今後真剣に取り組んでいかねばならない」と述べている。これは従来の外国為替業務にとどまらず、海外での貸出業務や証券取引業務へ進出すること[121]を指していた。1972年1月には初の海外現地法人となる加州三菱銀行をロサンゼルスに設立[122]し、同年5月にはオライオン・グループへ参加した。 [120]

  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「三菱銀行の国際化路線」中村俊男氏談
    • [118]1970年10月 中村俊男氏が頭取に就任
    • [119]第二次三カ年計画の最重点施策に国際化
    • [120]1971年4月 支店長会議での中村俊男氏の国際化路線の表明
    • [121]外国為替業務にとどまらず海外貸出・証券取引業務へ進出
    • [122]1972年1月 初の海外現地法人 加州三菱銀行をロサンゼルスに設立

1984年6月、三菱銀行は米西海岸の名門バンク・オブ・カリフォルニアを買収[123]した。10年前にも同行を買わないかという話があったが、社内に人材が育っていないとして見送っていた[124]。買収の途中ではカリフォルニアの地場銀行から横取りの話も出て、トップ交渉に持ち込まれた[125]。1986年1月には豪州に商業銀行を設け、三菱銀行77.5%、シティ・ミューチュアル生命保険12.5%[126]、ハワード・スミス10%の共同出資とした。認可をめぐって日本から12〜13社が競合し[127]、三菱銀行のほか興銀と東京銀行が取得している。1988年10月にはロンドン証券取引所へ、1989年2月にはスイスの三取引所とパリ・ニューヨークへ株式を上場した。

  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「深まる外資との関係」中村俊男氏談
    • [123]1984年6月 バンク・オブ・カリフォルニアの買収
    • [124]10年前の打診は人材不足を理由に見送り
    • [125]地場銀行の横取り話とトップ交渉
    • [126]1986年1月 豪州商業銀行 三菱77.5%・シティミューチュアル12.5%・ハワードスミス10%
    • [127]豪州認可に日本から12〜13社が競合 三菱・興銀・東京銀行が取得

一方の三和銀行は大衆取引を軸に伸び、1979年には「ピープルズバンク」を掲げて[128]他行との違いを打ち出している。1982年に頭取となった川勝堅二氏は国際化と証券化に業務を振り向け[129]、1988年に就いた渡辺滉氏は「最新にして最強、世界のユニバーサルバンクを目指そう[130]」と唱えた。1992年、三和銀行は業務純益・経常利益・当期利益の三部門で首位に立ち[131]、同年10月には料亭経営者の尾上縫氏が起こした架空預金証書事件[132]で経営難に陥った東洋信用金庫を救済合併[133]している。1993年3月には国内拠点が1,000店を超えた[134]。三菱銀行も1994年11月に日本信託銀行の株式68%を取得し、証券子会社の三菱ダイヤモンド証券を設立[135]した。

  • 日経ビジネス 1979年11月5日号「三和銀行。“ひと味違う”ピープルズバンクに挑む」
    • [128]1979年 三和銀行がピープルズバンクを掲げる
  • 日本会社史総覧 三和銀行(東洋経済新報社, 1995)
    • [129]1982年 川勝堅二氏が頭取に就任 国際化と証券化
    • [130]渡辺滉氏「最新にして最強、世界のユニバーサルバンクを目指そう」
    • [131]1992年 業務純益・経常利益・当期利益の三部門で首位
    • [132]料亭経営者 尾上縫氏の架空預金証書事件
    • [133]1992年10月 東洋信用金庫の救済合併
    • [134]1993年3月 国内拠点1,000店超
  • 日本会社史総覧 三菱銀行(東洋経済新報社, 1995)
    • [135]1994年11月 日本信託銀行の株式68%取得と三菱ダイヤモンド証券の設立
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「三菱銀行の国際化路線」中村俊男氏談
    • [118]1970年10月 中村俊男氏が頭取に就任
    • [119]第二次三カ年計画の最重点施策に国際化
    • [120]1971年4月 支店長会議での中村俊男氏の国際化路線の表明
    • [121]外国為替業務にとどまらず海外貸出・証券取引業務へ進出
    • [122]1972年1月 初の海外現地法人 加州三菱銀行をロサンゼルスに設立
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「深まる外資との関係」中村俊男氏談
    • [123]1984年6月 バンク・オブ・カリフォルニアの買収
    • [124]10年前の打診は人材不足を理由に見送り
    • [125]地場銀行の横取り話とトップ交渉
    • [126]1986年1月 豪州商業銀行 三菱77.5%・シティミューチュアル12.5%・ハワードスミス10%
    • [127]豪州認可に日本から12〜13社が競合 三菱・興銀・東京銀行が取得
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号「三和銀行。“ひと味違う”ピープルズバンクに挑む」
    • [128]1979年 三和銀行がピープルズバンクを掲げる
  • 日本会社史総覧 三和銀行(東洋経済新報社, 1995)
    • [129]1982年 川勝堅二氏が頭取に就任 国際化と証券化
    • [130]渡辺滉氏「最新にして最強、世界のユニバーサルバンクを目指そう」
    • [131]1992年 業務純益・経常利益・当期利益の三部門で首位
    • [132]料亭経営者 尾上縫氏の架空預金証書事件
    • [133]1992年10月 東洋信用金庫の救済合併
    • [134]1993年3月 国内拠点1,000店超
  • 日本会社史総覧 三菱銀行(東洋経済新報社, 1995)
    • [135]1994年11月 日本信託銀行の株式68%取得と三菱ダイヤモンド証券の設立

1996年〜 平成金融再編とMUFG、そして海外への傾斜

三菱UFJフィナンシャル・グループの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1996年 三菱銀行と東京銀行の合併・東京三菱銀行の発足(1996年成立) 金融ビッグバン前夜、財閥系の三菱銀行と外国為替専門の東京銀行はなぜ合併し、当時世界最大の銀行となったのか?
  2. 2005年 三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスの経営統合(2005年成立・MUFG発足) UFJの経営難を起点に、住友信託との争奪を制して国内最大の金融グループはいかに生まれたのか?
  3. 2008年 リーマン危機下のモルガン・スタンレーへの90億ドル出資 危機の底で沈む米証券大手へ、なぜ日本の銀行は祝日に90億ドルの小切手を差し出したのか
  4. 2010年 三菱UFJモルガン・スタンレー証券の設立——米投資銀行との日本証券合弁 90億ドルを投じた米投資銀行と、なぜ国内の証券事業を2つの合弁へ組み替えたのか
  5. 2013年 タイ・アユタヤ銀行(クルンシィ)のTOB買収——アジア商業銀行基盤の獲得 国内で稼ぐ力が細る銀行が、なぜ約5,360億円を投じてタイ第5位の銀行を買い、自前のバンコク支店までそこへ明け渡したのか
  6. 2019年 インドネシア・バンクダナモンの段階取得と94%子会社化 国内で利ざやが細る大手銀行は、なぜ純資産の約2倍を払ってインドネシアの銀行を段階的に丸ごと抱え込んだのか
  7. 2022年 MUFGユニオンバンク売却——米西海岸リテールからの撤退と法人取引への集中 西海岸に根を張った米商業銀行を、なぜ約80億ドルで売り、法人取引へ絞ったのか
  8. 2025年 三菱UFJ銀行・貸金庫窃取事件への対応と内部管理の立て直し なぜ長期の窃取を見抜けなかったか——信頼を根幹とするメガバンクが問われたガバナンス

東京銀行との合併と、四行の集約まで

1996年4月1日、三菱銀行と東京銀行が合併し、東京三菱銀行が発足[136]した。総資産は約72兆円に達し、当時世界最大の銀行[137]となった。国内の店舗網に厚い三菱銀行と、海外拠点および外国為替に強い東京銀行は事業の重なりが小さく[138]、補完性が合併の理由であった。三菱銀行を存続会社とし、合併比率は1対0.8[139]、初代頭取には旧東京銀行出身の高垣佑[140]が就いている。救済型の再編が相次いだその後の銀行再編と違い、相対的に健全な二行が補完性を狙って結んだ統合[141]であった。

  • MUFG Bank「The Origins of Our Bank」(https://www.bk.mufg.jp/global/aboutus/origins/index.html)
    • [136]1996年4月1日 三菱銀行と東京銀行が合併し東京三菱銀行が発足
    • [139]存続会社は三菱銀行 合併比率1対0.8
  • 日経ビジネス 1995年4月10日号(No.785)「東銀・三菱銀合併で変わる企業の銀行取引——『ザ・バンク』の誕生が加速する企業メーンバンク制の崩壊」
    • [137]合併後の総資産 約72兆円 当時世界最大の銀行
    • [138]国内店舗網の三菱と海外拠点・外為の東京銀行で事業の重なりが小さい
    • [141]相対的に健全な二行が補完性を狙った統合
  • 日経ビジネス 1995年9月4日号(No.804)編集長インタビュー「若井恒雄[三菱銀行頭取]・高垣佑[東京銀行頭取]——合併は『ザ・バンク』への道標」
    • [140]初代頭取 旧東京銀行出身の高垣佑氏

合併から間もない1999年後半から2000年初頭にかけて、東京三菱銀行はのちにUFJの中核となる三和銀行と水面下で経営統合交渉を進めて[142]いる。交渉の過程で両行は理想的な補完関係を築けるという認識を共有[143]し、2000年1月にはトップ会談が行われる寸前まで進んだ[144]が、結局この統合は実現しなかった。2000年4月、東京三菱銀行・三菱信託銀行・日本信託銀行の三行が持株会社の設立を通じた経営統合に基本合意[145]し、同年7月には三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行の三行も同じ形で基本合意[146]した。

  • 週刊東洋経済 2004年7月24日号「全内幕 三菱東京、UFJ経営統合 Part1 三菱東京は相互補完に魅力 UFJはなぜ助けを求めたか」
    • [142]1999年後半〜2000年初頭 東京三菱銀行と三和銀行が水面下で統合交渉
    • [143]交渉過程で理想的な補完関係の認識を共有
    • [144]2000年1月 トップ会談の寸前まで進むも統合は不成立
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [145]2000年4月 東京三菱・三菱信託・日本信託が持株会社による統合に基本合意
    • [146]2000年7月 三和・東海・東洋信託が基本合意

2001年4月、東京三菱銀行・三菱信託銀行・日本信託銀行は株式移転により三菱東京フィナンシャル・グループを設立[147]し、株式を東京・大阪・ニューヨーク・ロンドンの各証券取引所へ上場[148]した。同じ月、三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行も株式移転によりUFJホールディングスを設立[149]している。2001年10月には三菱信託銀行が日本信託銀行と東京信託銀行を合併[150]した。2002年1月、大阪と名古屋を地盤とする三和銀行と東海銀行が合併してUFJ銀行へ商号を変更[151]し、東洋信託銀行はUFJ信託銀行となった[152]

  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [147]2001年4月 株式移転により三菱東京フィナンシャル・グループを設立
    • [148]東京・大阪・ニューヨーク・ロンドンの各証券取引所へ上場
    • [149]2001年4月 株式移転によりUFJホールディングスを設立
    • [150]2001年10月 三菱信託銀行が日本信託銀行・東京信託銀行を合併
    • [151]2002年1月 三和銀行と東海銀行が合併しUFJ銀行へ商号変更
    • [152]2002年1月 東洋信託銀行がUFJ信託銀行へ商号変更
  • MUFG Bank「The Origins of Our Bank」(https://www.bk.mufg.jp/global/aboutus/origins/index.html)
    • [136]1996年4月1日 三菱銀行と東京銀行が合併し東京三菱銀行が発足
    • [139]存続会社は三菱銀行 合併比率1対0.8
  • 日経ビジネス 1995年4月10日号(No.785)「東銀・三菱銀合併で変わる企業の銀行取引——『ザ・バンク』の誕生が加速する企業メーンバンク制の崩壊」
    • [137]合併後の総資産 約72兆円 当時世界最大の銀行
    • [138]国内店舗網の三菱と海外拠点・外為の東京銀行で事業の重なりが小さい
    • [141]相対的に健全な二行が補完性を狙った統合
  • 日経ビジネス 1995年9月4日号(No.804)編集長インタビュー「若井恒雄[三菱銀行頭取]・高垣佑[東京銀行頭取]——合併は『ザ・バンク』への道標」
    • [140]初代頭取 旧東京銀行出身の高垣佑氏
  • 週刊東洋経済 2004年7月24日号「全内幕 三菱東京、UFJ経営統合 Part1 三菱東京は相互補完に魅力 UFJはなぜ助けを求めたか」
    • [142]1999年後半〜2000年初頭 東京三菱銀行と三和銀行が水面下で統合交渉
    • [143]交渉過程で理想的な補完関係の認識を共有
    • [144]2000年1月 トップ会談の寸前まで進むも統合は不成立
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [145]2000年4月 東京三菱・三菱信託・日本信託が持株会社による統合に基本合意
    • [146]2000年7月 三和・東海・東洋信託が基本合意
    • [147]2001年4月 株式移転により三菱東京フィナンシャル・グループを設立
    • [148]東京・大阪・ニューヨーク・ロンドンの各証券取引所へ上場
    • [149]2001年4月 株式移転によりUFJホールディングスを設立
    • [150]2001年10月 三菱信託銀行が日本信託銀行・東京信託銀行を合併
    • [151]2002年1月 三和銀行と東海銀行が合併しUFJ銀行へ商号変更
    • [152]2002年1月 東洋信託銀行がUFJ信託銀行へ商号変更

UFJ争奪戦と、190兆円規模の統合

不良債権処理が進むなかでUFJホールディングスは対応が遅れ、2004年3月期に4,028億円の純損失を計上[153]した。資本増強のためUFJ信託銀行の売却を検討し、2004年5月に住友信託銀行と基本合意[154]している。だが金融庁検査で引き当て不足が露呈した[155]。5月には寺西正司頭取が辞任し[156]、銀行法違反を理由とする業務改善命令を受けて人事と組織の大刷新[157]が続いた。5月24日の就任会見で沖原隆宗頭取[158]は、9月末までに大口融資先の不良債権残高を5,000億円まで減らす方針[159]を打ち出している。大口先はダイエー・大京・アプラス・双日などで、融資総額は1兆8,000億円に達していた[160]

  • 週刊東洋経済 2025年11月1日号「21世紀の証言 その2 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 三菱UFJ誕生秘話 統合の陰に親友の鑑定意見」
    • [153]UFJホールディングス 2004年3月期に純損失4,028億円
    • [154]2004年5月 UFJ信託銀行の売却で住友信託銀行と基本合意
    • [155]金融庁検査で引き当て不足が露呈
  • 週刊東洋経済 2004年7月24日号「全内幕 三菱東京、UFJ経営統合 Part1 三菱東京は相互補完に魅力 UFJはなぜ助けを求めたか」
    • [156]2004年5月 寺西正司頭取の辞任と業務改善命令
    • [157]銀行法違反を理由とする業務改善命令と人事・組織の大刷新
    • [158]2004年5月24日 沖原隆宗頭取の就任会見
    • [159]9月末までに大口先の不良債権残高を5,000億円まで削減する方針
    • [160]大口先はダイエー・大京・アプラス・双日 融資総額1兆8,000億円

2004年7月13日、UFJは住友信託へ信託売却の白紙撤回を告げ[161]、翌14日の臨時取締役会で三菱東京フィナンシャル・グループとの[162]経営統合交渉に入ることを決めた。住友信託はこれを契約違反として交渉差し止めの仮処分を東京地裁へ申し立て[163]、7月27日、東京地裁は住友信託の訴えを認めて[164]いる。三菱東京側は東京大学の岩原紳作氏に鑑定意見を依頼[165]し、同氏は基本合意が最終契約ほどの拘束力を持たず仮処分は取り消されるべきだ[166]と結論づけた。鑑定意見は8月10日に提出され、翌日の東京高裁決定はUFJを支持[167]、8月末には最高裁も住友信託の抗告を棄却[168]した。

  • 週刊東洋経済 2004年7月24日号「全内幕 三菱東京、UFJ経営統合 Part1 三菱東京は相互補完に魅力 UFJはなぜ助けを求めたか」
    • [161]2004年7月13日 住友信託へ信託売却の白紙撤回を通告
    • [162]2004年7月14日 臨時取締役会で三菱東京FGとの統合交渉入りを決定
  • 週刊東洋経済 2025年11月1日号「21世紀の証言 その2 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 三菱UFJ誕生秘話 統合の陰に親友の鑑定意見」
    • [163]住友信託が契約違反として交渉差止の仮処分を申立て
    • [164]2004年7月27日 東京地裁が住友信託の訴えを認容
    • [165]東京大学 岩原紳作氏への鑑定意見の依頼
    • [166]岩原紳作氏の鑑定意見 基本合意は最終契約ほどの拘束力を持たない
    • [167]2004年8月10日 鑑定意見の提出 翌日 東京高裁がUFJを支持
    • [168]2004年8月末 最高裁が住友信託の抗告を棄却

三井住友フィナンシャルグループも対等統合と巨額増資を提案して争奪戦[169]となったが、UFJは三菱東京を選んだ。2005年2月、合併比率はUFJホールディングス1株に対し三菱東京フィナンシャル・グループ0.62株[170]と合意されている。2005年10月1日、両持株会社が合併して三菱UFJフィナンシャル・グループが発足[171]し、総資産は約190兆円に達した[172]。同時に三菱信託銀行とUFJ信託銀行、三菱証券とUFJつばさ証券もそれぞれ合併[173]した。銀行の合併はシステム統合の準備から3か月延期[174]され、2006年1月に三菱東京UFJ銀行が発足[175]している。住友信託との訴訟は2006年11月に25億円で和解[176]した。

  • 公正取引委員会(平成17年度:事例13)「株式会社三菱東京フィナンシャル・グループと株式会社UFJホールディングスの経営統合について」
    • [169]三井住友FGが対等統合と巨額増資を提案し争奪戦
    • [172]発足時の総資産 約190兆円
  • 株式会社UFJホールディングス 適時開示(2005年2月18日)「三菱東京フィナンシャル・グループとの合併比率の合意について」
    • [170]2005年2月 合併比率 UFJHD1株に三菱東京FG0.62株
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [171]2005年10月1日 両持株会社の合併により三菱UFJフィナンシャル・グループが発足
    • [173]三菱信託とUFJ信託 三菱証券とUFJつばさ証券もそれぞれ合併
    • [175]2006年1月 三菱東京UFJ銀行の発足
  • 株式会社東京三菱銀行 ニュースリリース(2005年8月12日)「東京三菱銀行とUFJ銀行の合併予定日の変更について」
    • [174]銀行合併はシステム統合準備で3か月延期
  • 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ プレスリリース(2006年11月21日)「住友信託銀行株式会社との訴訟上の和解成立について」
    • [176]2006年11月 住友信託との訴訟が25億円で和解
  • 週刊東洋経済 2025年11月1日号「21世紀の証言 その2 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 三菱UFJ誕生秘話 統合の陰に親友の鑑定意見」
    • [153]UFJホールディングス 2004年3月期に純損失4,028億円
    • [154]2004年5月 UFJ信託銀行の売却で住友信託銀行と基本合意
    • [155]金融庁検査で引き当て不足が露呈
    • [163]住友信託が契約違反として交渉差止の仮処分を申立て
    • [164]2004年7月27日 東京地裁が住友信託の訴えを認容
    • [165]東京大学 岩原紳作氏への鑑定意見の依頼
    • [166]岩原紳作氏の鑑定意見 基本合意は最終契約ほどの拘束力を持たない
    • [167]2004年8月10日 鑑定意見の提出 翌日 東京高裁がUFJを支持
    • [168]2004年8月末 最高裁が住友信託の抗告を棄却
  • 週刊東洋経済 2004年7月24日号「全内幕 三菱東京、UFJ経営統合 Part1 三菱東京は相互補完に魅力 UFJはなぜ助けを求めたか」
    • [156]2004年5月 寺西正司頭取の辞任と業務改善命令
    • [157]銀行法違反を理由とする業務改善命令と人事・組織の大刷新
    • [158]2004年5月24日 沖原隆宗頭取の就任会見
    • [159]9月末までに大口先の不良債権残高を5,000億円まで削減する方針
    • [160]大口先はダイエー・大京・アプラス・双日 融資総額1兆8,000億円
    • [161]2004年7月13日 住友信託へ信託売却の白紙撤回を通告
    • [162]2004年7月14日 臨時取締役会で三菱東京FGとの統合交渉入りを決定
  • 公正取引委員会(平成17年度:事例13)「株式会社三菱東京フィナンシャル・グループと株式会社UFJホールディングスの経営統合について」
    • [169]三井住友FGが対等統合と巨額増資を提案し争奪戦
    • [172]発足時の総資産 約190兆円
  • 株式会社UFJホールディングス 適時開示(2005年2月18日)「三菱東京フィナンシャル・グループとの合併比率の合意について」
    • [170]2005年2月 合併比率 UFJHD1株に三菱東京FG0.62株
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [171]2005年10月1日 両持株会社の合併により三菱UFJフィナンシャル・グループが発足
    • [173]三菱信託とUFJ信託 三菱証券とUFJつばさ証券もそれぞれ合併
    • [175]2006年1月 三菱東京UFJ銀行の発足
  • 株式会社東京三菱銀行 ニュースリリース(2005年8月12日)「東京三菱銀行とUFJ銀行の合併予定日の変更について」
    • [174]銀行合併はシステム統合準備で3か月延期
  • 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ プレスリリース(2006年11月21日)「住友信託銀行株式会社との訴訟上の和解成立について」
    • [176]2006年11月 住友信託との訴訟が25億円で和解

金融危機下の出資と、海外への傾斜

モルガン・スタンレーへの出資には7年前の下地があり、2000年ごろに銀行グループとして投資銀行業務を本格化する戦略を議論した三菱側は、当時は実力不足で海外大手との提携が不可欠だとの結論[177]に至り、良好な関係にあったモルガン・スタンレーとの提携計画を立ち上げた[178]。担当役員の山田匡通氏と企画担当部長の田中正明氏[179]が中心となって交渉を進め、契約書の原案まで作成している[180]。最終協議をパリで行うことになり、モルガン・スタンレーのフィリップ・パーセル会長と三菱東京フィナンシャル・グループの[181]三木繁光社長が会談する日時も決まった。だがその直前の2001年9月11日に同時多発テロが起き、提携構想は無期限延期[182]となった。

  • 週刊東洋経済 2025年11月15日号「21世紀の証言 その4 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 幻の「提携構想」が導いた モルスタへの90億ドル出資」
    • [177]2000年ごろ 投資銀行業務の戦略議論と海外大手提携の結論
    • [178]モルガン・スタンレーとの提携計画の立上げ
    • [179]担当役員 山田匡通氏と企画担当部長 田中正明氏
    • [180]契約書の原案まで作成
    • [181]パーセル会長と三木繁光社長の会談日時が確定
    • [182]2001年9月11日 同時多発テロにより提携構想が無期限延期

2008年9月の金融危機で、独立系投資銀行として残ったモルガン・スタンレーの株価は連鎖破綻の懸念[183]にさらされた。同年10月、MUFGは同社へ90億ドルを出資し、完全希薄化ベースで約21%[184]を握っている。当初の普通株30億ドルと転換権付優先株60億ドルという組み立て[185]は、株価急落を受けて全額優先株へ組み替えられ、送金網が止まる10月13日の祝日には90億ドルの小切手を手渡して払い込みを済ませた[186]。2001年に作った資料が交渉を支えており[187]、引き継いだ石塚勝彦氏は「すでに戦略の骨格が出来上がっていた。あの資料がなかったら、これだけ迅速に決断するのは無理だった」と語っている。同じ危機の年、2008年11月にはUnionBanCal Corporationを完全子会社化[189]して米西海岸の商業銀行も抱え込み、2009年3月期には2,570億円の親会社株主純損失[190]を計上した。 [188]

  • モルガン・スタンレー(2008年9月29日)「Mitsubishi UFJ Financial Group to Invest $9 Billion in Morgan Stanley」
    • [183]2008年9月 金融危機でモルガン・スタンレーの株価が連鎖破綻懸念にさらされる
  • モルガン・スタンレー(2008年10月13日)「Mitsubishi UFJ Financial Group Closes $9 Billion Equity Investment in Morgan Stanley as Part of Global Strategic Alliance」
    • [184]2008年10月 モルガン・スタンレーへ90億ドル出資 完全希薄化ベースで約21%
    • [185]当初案は普通株30億ドルと転換権付優先株60億ドル 株価急落で全額優先株へ組替
    • [186]10月13日の祝日に90億ドルの小切手を手渡して払込
  • 週刊東洋経済 2025年11月15日号「21世紀の証言 その4 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 幻の「提携構想」が導いた モルスタへの90億ドル出資」
    • [187]2001年の提携資料が2008年の交渉を支える
    • [188]石塚勝彦氏「すでに戦略の骨格が出来上がっていた」
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [189]2008年11月 UnionBanCal Corporationの完全子会社化
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2009年3月期)
    • [190]FY2008 親会社株主純損失2,570億円 MUFG発足後初の赤字

2010年5月、MUFGはモルガン・スタンレーと日本の証券事業を合弁化[191]し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券が発足した[192]。海外の商業銀行はその後アジアへ移り、平野信行氏のもとで[193]2013年12月にタイのアユタヤ銀行[194]の株式約72%を約5,360億円で取得[195]して連結子会社とし、2019年4月にはインドネシアのバンクダナモンを連結子会社[196]とした。2015年6月には指名委員会等設置会社へ移行[197]している。2020年4月に代表執行役社長へ就いた亀澤宏規[198]のもと、2022年12月、三菱UFJ銀行はMUFGユニオンバンクをUSバンコープへ売却[199]し、対価は現金55億ドルとUSバンコープ株式約2.9%、総額はおよそ80億ドル[200]であった。2024年11月には元行員による貸金庫からの窃取が明らかになり[201]、2025年1月に再発防止策と半沢淳一頭取ら関係役員5名の処分を公表[202]した。同じ2025年3月期に、MUFGは過去最高の純利益を計上している[203]

  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [191]2010年5月 モルガン・スタンレーとの日本証券事業の合弁化
    • [194]2013年12月 アユタヤ銀行の連結子会社化
    • [196]2019年4月 バンクダナモンの連結子会社化
    • [197]2015年6月 指名委員会等設置会社へ移行
    • [199]2022年12月 MUFGユニオンバンクをUSバンコープへ売却
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ/Morgan Stanley ニュースリリース(2009年11月18日)「株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループとモルガン・スタンレーの日本における証券会社の統合について」
    • [192]三菱UFJモルガン・スタンレー証券の発足
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ/三菱東京UFJ銀行 プレスリリース(2013年12月18日)「Results of a Voluntary Tender Offer by BTMU to Krungsri」
    • [193]アユタヤ銀行買収時のMUFG社長 平野信行氏
    • [195]アユタヤ銀行 株式約72%を約5,360億円で取得
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2025年3月期)
    • [198]2020年4月 亀澤宏規氏が代表執行役社長に就任
    • [203]2025年3月期に過去最高の純利益
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ(2021年9月21日)「MUFG Union Bank 株式の譲渡契約締結および U.S. Bancorp 株式の取得について」
    • [200]売却対価 現金55億ドルとUSバンコープ株式約2.9% 総額約80億ドル
  • 日本経済新聞(2024年12月16日)「金融庁、三菱UFJ銀行に報告徴求命令 貸金庫から盗難で」
    • [201]2024年11月 元行員による貸金庫窃取の公表
  • 株式会社三菱UFJ銀行「元行員の不祥事に関する対応状況・再発防止策等について」(2025年1月16日)
    • [202]2025年1月 再発防止策と半沢淳一頭取ら関係役員5名の処分を公表
  • 週刊東洋経済 2025年11月15日号「21世紀の証言 その4 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 幻の「提携構想」が導いた モルスタへの90億ドル出資」
    • [177]2000年ごろ 投資銀行業務の戦略議論と海外大手提携の結論
    • [178]モルガン・スタンレーとの提携計画の立上げ
    • [179]担当役員 山田匡通氏と企画担当部長 田中正明氏
    • [180]契約書の原案まで作成
    • [181]パーセル会長と三木繁光社長の会談日時が確定
    • [182]2001年9月11日 同時多発テロにより提携構想が無期限延期
    • [187]2001年の提携資料が2008年の交渉を支える
    • [188]石塚勝彦氏「すでに戦略の骨格が出来上がっていた」
  • モルガン・スタンレー(2008年9月29日)「Mitsubishi UFJ Financial Group to Invest $9 Billion in Morgan Stanley」
    • [183]2008年9月 金融危機でモルガン・スタンレーの株価が連鎖破綻懸念にさらされる
  • モルガン・スタンレー(2008年10月13日)「Mitsubishi UFJ Financial Group Closes $9 Billion Equity Investment in Morgan Stanley as Part of Global Strategic Alliance」
    • [184]2008年10月 モルガン・スタンレーへ90億ドル出資 完全希薄化ベースで約21%
    • [185]当初案は普通株30億ドルと転換権付優先株60億ドル 株価急落で全額優先株へ組替
    • [186]10月13日の祝日に90億ドルの小切手を手渡して払込
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [189]2008年11月 UnionBanCal Corporationの完全子会社化
    • [191]2010年5月 モルガン・スタンレーとの日本証券事業の合弁化
    • [194]2013年12月 アユタヤ銀行の連結子会社化
    • [196]2019年4月 バンクダナモンの連結子会社化
    • [197]2015年6月 指名委員会等設置会社へ移行
    • [199]2022年12月 MUFGユニオンバンクをUSバンコープへ売却
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2009年3月期)
    • [190]FY2008 親会社株主純損失2,570億円 MUFG発足後初の赤字
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ/Morgan Stanley ニュースリリース(2009年11月18日)「株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループとモルガン・スタンレーの日本における証券会社の統合について」
    • [192]三菱UFJモルガン・スタンレー証券の発足
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ/三菱東京UFJ銀行 プレスリリース(2013年12月18日)「Results of a Voluntary Tender Offer by BTMU to Krungsri」
    • [193]アユタヤ銀行買収時のMUFG社長 平野信行氏
    • [195]アユタヤ銀行 株式約72%を約5,360億円で取得
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2025年3月期)
    • [198]2020年4月 亀澤宏規氏が代表執行役社長に就任
    • [203]2025年3月期に過去最高の純利益
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ(2021年9月21日)「MUFG Union Bank 株式の譲渡契約締結および U.S. Bancorp 株式の取得について」
    • [200]売却対価 現金55億ドルとUSバンコープ株式約2.9% 総額約80億ドル
  • 日本経済新聞(2024年12月16日)「金融庁、三菱UFJ銀行に報告徴求命令 貸金庫から盗難で」
    • [201]2024年11月 元行員による貸金庫窃取の公表
  • 株式会社三菱UFJ銀行「元行員の不祥事に関する対応状況・再発防止策等について」(2025年1月16日)
    • [202]2025年1月 再発防止策と半沢淳一頭取ら関係役員5名の処分を公表

三菱UFJフィナンシャル・グループの沿革1656〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
初代鴻池善右衛門が両替店を開業
岩崎弥太郎氏が海運業を創業
第十三国立銀行を創設
第三十四国立銀行を創設
第百四十八国立銀行を設立
為替局を分離して三菱為換店を開設★★
横浜正金銀行を設立
第百十九国立銀行の経営を継承★★
銀行部を新設★★
三菱銀行を設立★★
ロンドン支店を開設
ニューヨーク支店を開設
三菱信託を設立
金融恐慌下で同業銀行の救済に応需★★
三和銀行を設立★★
東海銀行を設立★★
三菱銀行が第百銀行と合併★★
三和銀行が三和信託・大同銀行を吸収合併
東海銀行が岡崎・稲沢・大野の3行を合併
東京銀行を設立★★
千金良宗三郎三菱銀行が千代田銀行に商号変更
千金良宗三郎三菱銀行・三和銀行が東京・大阪の各証券取引所に上場
千金良宗三郎三和銀行が甲種外国為替銀行の指定を取得
千金良宗三郎三菱銀行がニューヨーク支店を開設
千金良宗三郎三和銀行がサンフランシスコ支店を開設
千金良宗三郎千代田銀行が三菱銀行に商号変更
小笠原光雄東京銀行が外国為替銀行に改組★★
中谷一雄東洋信託銀行を設立
宇佐美洵東海銀行がロンドン支店を開設
宇佐美洵三和銀行がニューヨーク支店を開設
田実渉日本共同証券の設立に参加
田実渉三菱銀行がオンラインシステムを稼働
田実渉第一銀行との合併構想が白紙化★★
中村俊男加州三菱銀行を設立★★
山田春三和銀行が「ピープルズバンク」構想を公表★★
山田春三菱銀行がバンク・オブ・カリフォルニアを子会社化★★
伊夫伎一雄三菱銀行が商業銀行を設立
伊夫伎一雄三菱銀行がロンドン証券取引所に上場
伊夫伎一雄三菱銀行がスイス3取引所・パリ・ニューヨークに上場
若井恒雄三和銀行が業務純益・経常利益・当期利益で首位★★
若井恒雄三和銀行が東洋信用金庫を救済合併★★
若井恒雄三和銀行の国内拠点が1000店を突破
若井恒雄三菱銀行が日本信託銀行を子会社化
高垣佑三菱銀行と東京銀行の合併・東京三菱銀行の発足(1996年成立)金融ビッグバン前夜、財閥系の三菱銀行と外国為替専門の東京銀行はなぜ合併し、当時世界最大の銀行となったのか? 詳細を読む★★★
三木繁光三和銀行との経営統合交渉が不成立★★
三木繁光株式移転により三菱東京フィナンシャル・グループを設立★★
三木繁光三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行がUFJHDを設立
三木繁光三和銀行と東海銀行が合併しUFJ銀行を設立★★
三木繁光東京三菱証券・国際証券などが合併し三菱証券を設立
畔柳信雄UFJHDが住友信託銀行への信託売却を白紙撤回★★
畔柳信雄三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスの経営統合(2005年成立・MUFG発足)UFJの経営難を起点に、住友信託との争奪を制して国内最大の金融グループはいかに生まれたのか? 詳細を読む★★★
畔柳信雄公的資金を完済★★
畔柳信雄東京三菱銀行とUFJ銀行が合併し三菱東京UFJ銀行を設立★★
畔柳信雄住友信託銀行との訴訟が和解
畔柳信雄UFJニコスとディーシーカードが合併し三菱UFJニコスを設立
畔柳信雄リーマン危機下のモルガン・スタンレーへの90億ドル出資危機の底で沈む米証券大手へ、なぜ日本の銀行は祝日に90億ドルの小切手を差し出したのか 詳細を読む★★★
畔柳信雄UnionBanCal Corporationを完全子会社化★★
畔柳信雄アコムを子会社化
畔柳信雄親会社株主に帰属する当期純損失2570億円を計上
永易克典三菱UFJモルガン・スタンレー証券の設立——米投資銀行との日本証券合弁90億ドルを投じた米投資銀行と、なぜ国内の証券事業を2つの合弁へ組み替えたのか 詳細を読む★★★
平野信行ヴィエティンバンクと資本業務提携
平野信行タイ・アユタヤ銀行(クルンシィ)のTOB買収——アジア商業銀行基盤の獲得国内で稼ぐ力が細る銀行が、なぜ約5,360億円を投じてタイ第5位の銀行を買い、自前のバンコク支店までそこへ明け渡したのか 詳細を読む★★★
平野信行指名委員会等設置会社に移行
平野信行セキュリティバンクと資本業務提携
平野信行三菱東京UFJ銀行が三菱UFJ銀行に商号変更
三毛兼承First Sentier Investorsを子会社化★★
三毛兼承インドネシア・バンクダナモンの段階取得と94%子会社化国内で利ざやが細る大手銀行は、なぜ純資産の約2倍を払ってインドネシアの銀行を段階的に丸ごと抱え込んだのか 詳細を読む★★★
亀澤宏規亀澤宏規氏が社長に就任
亀澤宏規プライム市場に移行
亀澤宏規MUFGユニオンバンク売却——米西海岸リテールからの撤退と法人取引への集中西海岸に根を張った米商業銀行を、なぜ約80億ドルで売り、法人取引へ絞ったのか 詳細を読む★★★
亀澤宏規元行員による貸金庫からの窃取を公表★★
亀澤宏規三菱UFJ銀行・貸金庫窃取事件への対応と内部管理の立て直しなぜ長期の窃取を見抜けなかったか——信頼を根幹とするメガバンクが問われたガバナンス 詳細を読む★★★
亀澤宏規親会社株主に帰属する当期純利益1兆8629億円を計上
出典・参考
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱銀行」の項
  • 日本会社史総覧 三菱銀行(東洋経済新報社, 1995)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三和銀行」の項
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東海銀行」の項
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「グループの中核──三菱銀行」中村俊男氏談
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「三菱銀行の国際化路線」中村俊男氏談
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「東京銀行」の項
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)松沢卓二著「問題含みの外為専門銀行」
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)「証言 第一勧業銀行成立の舞台裏」井上薫氏
  • 私の銀行昭和史(東洋経済新報社、1985年)松沢卓二著「大型合併の衝撃」
  • 私の三菱昭和史(東洋経済新報社、1987年)「深まる外資との関係」中村俊男氏談
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号「三和銀行。“ひと味違う”ピープルズバンクに挑む」
  • 日本会社史総覧 三和銀行(東洋経済新報社, 1995)
  • MUFG Bank「The Origins of Our Bank」(https://www.bk.mufg.jp/global/aboutus/origins/index.html)
  • 日経ビジネス 1995年4月10日号(No.785)「東銀・三菱銀合併で変わる企業の銀行取引——『ザ・バンク』の誕生が加速する企業メーンバンク制の崩壊」
  • 日経ビジネス 1995年9月4日号(No.804)編集長インタビュー「若井恒雄[三菱銀行頭取]・高垣佑[東京銀行頭取]——合併は『ザ・バンク』への道標」
  • 週刊東洋経済 2004年7月24日号「全内幕 三菱東京、UFJ経営統合 Part1 三菱東京は相互補完に魅力 UFJはなぜ助けを求めたか」
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 2025年11月1日号「21世紀の証言 その2 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 三菱UFJ誕生秘話 統合の陰に親友の鑑定意見」
  • 公正取引委員会(平成17年度:事例13)「株式会社三菱東京フィナンシャル・グループと株式会社UFJホールディングスの経営統合について」
  • 株式会社UFJホールディングス 適時開示(2005年2月18日)「三菱東京フィナンシャル・グループとの合併比率の合意について」
  • 株式会社東京三菱銀行 ニュースリリース(2005年8月12日)「東京三菱銀行とUFJ銀行の合併予定日の変更について」
  • 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ プレスリリース(2006年11月21日)「住友信託銀行株式会社との訴訟上の和解成立について」
  • 週刊東洋経済 2025年11月15日号「21世紀の証言 その4 三菱UFJフィナンシャル・グループ元副社長 田中正明 幻の「提携構想」が導いた モルスタへの90億ドル出資」
  • モルガン・スタンレー(2008年9月29日)「Mitsubishi UFJ Financial Group to Invest $9 Billion in Morgan Stanley」
  • モルガン・スタンレー(2008年10月13日)「Mitsubishi UFJ Financial Group Closes $9 Billion Equity Investment in Morgan Stanley as Part of Global Strategic Alliance」
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2009年3月期)
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ/Morgan Stanley ニュースリリース(2009年11月18日)「株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループとモルガン・スタンレーの日本における証券会社の統合について」
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ/三菱東京UFJ銀行 プレスリリース(2013年12月18日)「Results of a Voluntary Tender Offer by BTMU to Krungsri」
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2025年3月期)
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ(2021年9月21日)「MUFG Union Bank 株式の譲渡契約締結および U.S. Bancorp 株式の取得について」
  • 日本経済新聞(2024年12月16日)「金融庁、三菱UFJ銀行に報告徴求命令 貸金庫から盗難で」
  • 株式会社三菱UFJ銀行「元行員の不祥事に関する対応状況・再発防止策等について」(2025年1月16日)

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