【筆者所感】 安田善次郎が1880年に興した合本安田銀行を源流とする富士銀行、1902年に特殊銀行として誕生した日本興業銀行、戦後の都市銀行を代表する第一勧業銀行。歴史も性格も顧客基盤も異なる三つの銀行が2000年9月に共同持株会社を設立して経営統合し、みずほフィナンシャルグループが生まれた。だが発足直後の2002年4月には勘定系システムの切替えに伴いATMが全国規模で停止し、二重引落や口座振替遅延が多発する障害が発生、金融庁から業務改善命令を受けた。どの勘定系を主軸に据えるかの一元決定を先送りしたまま出身3行の論理で接続した設計そのものが、発足の瞬間からガバナンス上の弱点として露呈した。
2013年7月にはみずほ銀行とみずほコーポレート銀行の合併でOne Bank化を果たし、3行統合時の積み残しであった勘定系も、4000億円超・延べ35万人月を投じた次期基盤MINORIへの全面移行で19年越しに清算した。しかし稼働からわずか1年半後の2021年2月から再び通年8回に及ぶシステム障害が連発し、金融庁と財務省から業務改善命令が下って経営責任問題に発展した。2022年2月に就任した木原正裕体制のもとで、企業風土・人事・業務プロセスの三位一体改革と米州CIBビジネスの拡大が並行して進み、2025年3月期には経常収益9兆303億円・純利益8854億円の過去最高益圏に到達した。3行併存時代の構造課題に決着をつけながら、銀信証一体のグローバル金融機関として収益基盤を組み替える段階に入っている。
歴史概略
1880年〜1999年安田・興銀・第一勧銀という性格の異なる三つの源流
「公金の富士」と大衆銀行路線への転換
富士銀行の源流は、1864年に江戸日本橋で両替店「安田屋」を開いた安田善次郎が、1880年に貿易商や両替商と共同で設立した合本安田銀行にさかのぼる。明治期には築港や鉄道、電力といった公共事業への積極融資と政府公金の取扱いを通じて「公金の富士」と呼ばれ、全国の官庁・自治体の収納代理を手広く担った。関東大震災後の金融再編期にあたる1923年には、安田銀行・第三銀行・明治商業銀行など安田系11行を合同し、預金量5億4200万円・210店舗を擁する当時日本最大の銀行が誕生した。1943年には日本昼夜銀行、1944年には昭和銀行を吸収してさらに規模を拡大し、国策金融を支える金融統制体制にも深く組み込まれた。
戦後の財閥解体で社名変更を迫られた同行は、1948年に行員アンケートを経て「富士銀行」に改称した。三井・住友・三菱など他の旧財閥系銀行が占領終結後に旧名復帰へ動くなかで、あえて「富士」の名を堅持した判断は、財閥色を脱ぎ捨てて大衆取引を主軸に据える銀行へ生まれ変わるという富士銀行自身の方針表明となった。1959年のコンピュータ導入、1962年の全店テレタイプシステム完成で全国支店間送金を2分で処理できる体制を築いて「為替の富士」と呼ばれ、1964年には都市銀行で先駆けて住宅ローン専業の取扱いを開始した。1984年には米商業金融大手のヘラー社を買収して米国ミドルマーケットの与信業務に参入し、後年の国際商業銀行としての基盤づくりに踏み出した。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
- 有価証券報告書
長期信用銀行としての日本興業銀行
日本興業銀行は1900年公布の日本興業銀行法に基づき、初代総裁の添田寿一のもとで1902年に資本金100万円で発足した特殊銀行である。近代産業が勃興する時期の長期資金需要、海外からの資本導入、国内証券市場の育成という時代要請に応えるため政府が法制度として整備した枠組みであり、民間普通銀行が取り組みにくい長期・大口案件を一手に引き受ける役割を担った。1902年から1913年までの事業債発行高シェアは46%、担保付社債の受託シェアは67%に達し、草創期の社債市場は興銀が実質的に組み立てた。政策金融の担い手として重化学工業や電力・鉄道に長期資金を供給し、戦前の基幹産業を資金面から支えた。
敗戦後は特殊銀行制度の廃止に伴い1950年にいったん普通銀行へ転換し、1952年の長期信用銀行法施行を受けて長期信用銀行として再出発した。戦後復興期から高度成長期にかけて貸出残高の6割前後を製造業が占め、鉄鋼・電力・造船への設備資金供給で日本経済の再建を支えた。1964年には日本共同証券の設立、1965年には山一証券の再建で産業調整の中核を担い、1972年にはドイツ興銀を初の海外現地法人として設立した。だが1991年に発覚した東洋信用金庫事件で料亭経営者尾上縫への巨額融資が明るみに出ると、審査体制への反省から不特定多数の新規開拓を控え既取引先深耕路線への転換を迫られた。1993年には興銀証券を設立して総合金融化に踏み出した。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
- 有価証券報告書
バブル崩壊と長信銀モデル限界が促した3行再編
1990年代の日本経済はバブル崩壊後の不良債権問題に苦しみ、富士銀行は1993年に長期ビジョン「顧客支持トップバンク」を掲げ、担保不動産の売却や与信集中リスクの見直しなど経営体質の改善に追われた。興銀は1993年に興銀証券を設立し、1992年の金融制度改革法で認められた銀行の証券子会社設立を活用して総合金融化へ踏み出した。だが長信銀に特有の資金調達モデルそのものが、金利自由化による調達コスト上昇と金融債需要の縮小で揺らぎ、発行残高も1990年代を通じて伸び悩んだ。普通銀行との機能差が薄れるなかで、長信銀としての収益基盤は細り続け、単独で次の収益源を見つけ出す道筋は立たなくなった。
第一勧業銀行もまた1971年の第一銀行・日本勧業銀行合併で誕生した都銀であり、戦後最大の店舗網と個人預金基盤を誇ったが、1997年の総会屋利益供与事件では経営陣が相次いで辞任しガバナンス危機に直面していた。長引く低成長、日銀のゼロ金利政策に向かう超低金利環境、そして各行が抱える巨額不良債権という3つの重石に加え、1998年に相次いだ日本長期信用銀行・日本債券信用銀行の国有化で長信銀モデルの限界が誰の目にも露わとなり、3行にはそれぞれが単独で生き残る体力が乏しくなった。産業金融の興銀、公金・大衆預金の富士、戦後最大都銀の勧銀という性格の異なる3行をまとめて束ねる世界最大級の統合構想は、このタイミングで初めて現実味のある選択肢として浮上した。
- 日本会社史総覧 1995/11/1
- 有価証券報告書
2000年〜2012年3行統合の誤算と勘定系システム障害の連鎖
世界最大級の統合が直後に露呈したガバナンス欠如
2000年9月、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行は、共同持株会社みずほホールディングスを設立して経営統合した。総資産規模で世界最大級となるメガバンクの誕生は、戦後日本の金融史でも最大規模の再編であり、都銀再編の帰結として国内外の関心を集めた。続く2003年1月には銀行・信託・証券の主要グループ会社を一括で傘下に置く金融持株会社としてみずほフィナンシャルグループが発足し、同年には初代社長に前田晃伸が就任した。前田は3行統合による銀信証一体の経営体制を立ち上げる役割を担い、世界最大級というスケールを活かした総合金融サービスの提供を旗印として掲げた。
しかし統合直後の2002年4月、勘定系システムの切替えに伴いATM停止・二重引落・口座振替遅延が全国規模で発生した。旧勧銀系と旧富士系の既存システムを残したまま相互接続するリレーコンピュータ方式が許容負荷を超えて破綻した結果であり、金融庁は直ちに業務改善命令を出した。統合設計の段階で出身行の論理を優先したため、どの勘定系を主軸に据えるかの一元的な判断を先送りしたことが根本原因となり、結果として持株会社のガバナンス機能の弱さが広く知られた。みずほは発足の瞬間から、3行のカルチャーとシステムを統合しきれない固有の課題を抱える銀行となり、その後もシステムと組織文化の両面で同じ病理が繰り返し顔を出す。
- 有価証券報告書
リーマンショックと2011年再障害で露呈した積年の歪み
2008年9月のリーマンショックは、サブプライム関連の証券化商品に対するエクスポージャーを抱える邦銀を直撃した。みずほでは2009年3月期に信用コストと株式評価損がともに膨らみ、連結で純損失5888億円を計上した。国内メガバンク3行のなかでも自己資本比率の薄さが際立ち、バーゼルIIIに向かう国際的な資本規制強化の流れのなかで、公募増資と優先株発行を繰り返して資本を積み増す必要に迫られた。同年6月には塚本隆史が社長に就任し、業績悪化と国際資本規制という二重の圧力下で危機対応の舵取りを担った。危機対応と同時に3行併存に起因する経営効率の低さをどう解消するかという問いも、このころからみずほ経営陣の宿題として浮かび上がった。
追い打ちをかけたのが、2011年3月の第2次システム障害である。東日本大震災の義援金に関する大量振込処理が特定口座に集中したのをきっかけに、夜間バッチ処理がオーバーフローし、二重引落・ATM停止が全国規模で連鎖した。統合から10年を経ても勘定系基盤の不備が解消されていない実態が露呈し、みずほは再び金融庁から業務改善命令を受けた。同年6月に佐藤康博が社長に就任し、リーマンショック後の業績回復と、3行併存で積み残された経営効率の低さという積年の課題を同時に解く重責を担った。二度の障害を経て、勘定系の全面刷新と法人・個人の2行分離経営の見直しを組み合わせた抜けのない対応策が、経営の最優先課題として浮上した。
- 有価証券報告書
2行分離モデルを清算せざるを得なかった理由
2002年と2011年の二度にわたる障害は、個人向けを担う「みずほ銀行」と大企業向けを担う「みずほコーポレート銀行」を併存させる分離経営モデルが限界に達している実態を、内外に示した。分離構造は旧勧銀・富士系のリテール文化と旧興銀系の法人金融文化を、別法人のままそっくり抱え込む装置として作用しており、勘定系を含むIT投資も二重化して経費効率を押し下げる要因となっていた。顧客側から見ても、同一グループ内で窓口と担当チャネルが分かれる構造は分かりにくく、取引関係の整理や与信の一元管理を複雑にした。統合から10年以上を経てなお同じ構造的な弱さが繰り返されていたため、分離モデルそのものに手を入れる以外の選択肢は残されていなかった。
3行統合以来の懸案だった銀行一本化をさらに先送りすれば、ガバナンス上のリスクは顕在化し続ける。佐藤体制はみずほ銀行とみずほコーポレート銀行を再統合するOne Bank化を最優先課題に据え、合併に合わせて勘定系システムを全面的に刷新する判断を下した。既存システムを部分接続で延命する路線を放棄し、3行統合当初の設計思想そのものを塗り替える決断であり、みずほにとっては発足以来最大の戦略転換となった。佐藤の判断は後の次期勘定系システムMINORIへの投資決定につながり、4000億円超・延べ35万人月級のプロジェクトが動き出した。メガバンクのIT投資としても前例のない案件であり、みずほの経営体力を長期にわたり拘束する投資となった。
- 有価証券報告書
2013年〜2021年One Bank化とMINORIの19年越し清算
みずほ銀行とコーポ銀の合併で始まったOne Mizuho
2013年7月、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併し、3行統合から13年越しの「One Bank化」が成った。旧興銀系の法人金融ビジネスと、旧勧銀・富士系のリテールビジネスを一つの銀行に統合することで、2行分離構造が生んでいたガバナンスとIT投資の二重化を解消する再編となった。同年にはみずほFGが指名委員会等設置会社へ移行し、執行役社長制のもとで取締役会の監督機能と執行機能を分離するガバナンス改革も並行して進めた。銀行・信託・証券の連携を掲げるOne Mizuhoの旗印が組織のうえで初めて本格的に機能し始めたのも2013年であり、法人顧客に対する銀信証一体のソリューション提案が日常業務として定着した。
2015年には英RBS(ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド)から北米貸出債権と人員を一括で受け入れ、後の米州CIBビジネス拡大の足がかりを築いた。この買収を機に、みずほは債券プライマリー・セカンダリー機能とデリバティブ機能を証券子会社に集約する体制を整え、銀行と証券の機能を米州で組み合わせる形を作った。FY22-2Q決算説明会では、2015年のRBS案件以降にデリバティブ機能の証券集約を進め、銀証一体で相乗効果を積み上げてきた経緯が、米州ビジネス成長の背景として説明された。国内リテール事業が人口減少と低金利で頭打ちに向かうなかで、米州CIBは将来の収益を支える主要エンジンの種として、このタイミングで蒔かれた。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY22-2Q
- 東洋経済オンライン 2022/8/14
MINORI稼働と2019年3月期の一括損失処理
3行統合時の積み残しであった勘定系システムは、次期基盤MINORIへの全面移行として再設計された。旧勧銀・旧富士・旧興銀のそれぞれに別々の勘定系が残る分断状態を解消し、SOA(サービス指向アーキテクチャ)を採用して機能単位にサービス分割した新しい基盤に乗せ換える、発足以来最大の技術投資である。4000億円超・延べ35万人月規模の開発を経て、2019年7月に全面稼働を完了し、3行統合から19年越しの勘定系統合が技術面で一区切りとなった。発足時に先送りした勘定系統一の課題が、ようやく形のうえで決着した瞬間であり、みずほが出身3行の分断を越えて単一銀行として動くための土台が、ここで整った。
システム面の清算と並行して、2019年3月期には構造改革費用と有価証券ポートフォリオ再編損失を一度に処理し、親会社株主純利益は965億円と前年比83%減に沈んだ。国内店舗網の削減や人員の再配置など、旧来型の銀行モデルの限界を前提にした損失出しであり、みずほ自身が収益構造の作り替えに正面から取り組むための地均しとなった。2018年4月に就任した坂井辰史は「対症療法ではなく、みずほのビジネスのあり方を根本的に転換する必要がある」(東洋経済オンライン 2022/8)と述べ、金利収入依存型モデルから手数料ビジネスや海外CIBを軸とする収益構造への転換を社内外に訴えた。坂井は人材像についても「ゼネラリストに価値はない。全員がスペシャリストになれ」(東洋経済オンライン 2022/8)と語り、3行併存期の汎用人材重視からの脱却を促した。一括損失処理は、坂井体制が描いた構造転換の助走となった。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY22-2Q
- 東洋経済オンライン 2022/8/14
MINORI稼働直後に連発した2021年の8回の障害
MINORI稼働からわずか1年半後の2021年2月から、みずほ銀行では大規模システム障害が頻発する事態に陥った。障害は通年で8回に及び、ATMが通帳やキャッシュカードを取り込んだまま返却しないままになる事象、店頭・インターネットバンキングでの取引停止、外国為替送金の処理停止などが立て続けに発生し、金融庁と財務省から業務改善命令が下された。19年の年月をかけて完成させた統合勘定系が、稼働からすぐに障害多発の舞台となる皮肉な結果となり、2002年・2011年に続いて3度目の大規模障害としてみずほの歴史に刻まれた。顧客からの信頼失墜の影響は長期に及び、役員報酬返上や経営体制の再点検を含む対応に追われた。
事後の原因分析では、運用切替時のメモリ容量設計ミスや機器障害時のフェイルオーバー不備といった技術面の問題だけでなく、障害発生時に現場から経営層への情報伝達が滞り初動対応が後手に回るという、組織運営上の構造問題も指摘された。システム更改という技術面の完成だけでは、3行併存期から積み残されてきたガバナンス課題は解消されないという現実が、ふたたび露わになった格好である。坂井体制は経営責任を問われて退き、2022年2月にカルチャー変革を掲げた木原正裕が社長に就任した。技術面の統合清算に続く次の難題として、みずほ固有の組織文化そのものの統合、すなわち3行併存期から続く縦割り文化の解体と風通しの良い意思決定の仕組みづくりが、木原体制の最重要アジェンダとなった。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY22-2Q
- 東洋経済オンライン 2022/8/14
直近の動向と展望
カルチャー改革と人事制度〈かなで〉
木原正裕は就任直後から、企業風土・人事・業務プロセスの三位一体改革を最重要課題に掲げ、Group CCuO(Chief Culture Officer)を新設して全社の組織開発を主導させた。社員参加型のワーキンググループ4本には約140人の社員が有志で参加し、自ら論点を整理して経営に提言を提出、少人数で行う社員意見交換会を部門横断で繰り返すなど、トップダウンではなく対話を起点とする手法を採った。FY22決算説明会では「ルールや前例を重んじる風土や年功序列といった枠組みに加え、既存の秩序の中で仕事を進めることに慣れ親しんだ人材が多く、理想と現実のギャップは相当大きい」(決算説明会 FY22)と現状を率直に語り、みずほ自身が抱える体質上の弱さを対外的にも認めた。木原は日経インタビューでも「人事も、組織も、文化も変える」(日本経済新聞 2024/8/30)と踏み込み、改革を一過性の運動で終わらせない姿勢を示した。
2024年には新人事制度〈かなで〉を導入し、銀行・信託・証券などエンティティ間で水準が異なっていた同一職務の給与を、グループ共通の基準に沿ってそろえた。導入にかかる関連コストは約200億円と見込まれ、全額が人件費増として計上された。短期利益を犠牲にしてでも銀信証を貫くOne Mizuhoの人的資本改革を進める姿勢を、経営として対外に示した判断である。木原はダイヤモンド誌で「言いたいことは言えるカルチャーに変えたい」(ダイヤモンド・オンライン 2026/1/27)とも語り、3行併存期から続く縦割り文化への処方箋として、発言の機会と心理的安全性の確保を据えた。2023年5月発表の新中期経営計画ではパーパスとしてともに挑みともに実るという姿勢を掲げ、5カ年の目標として業務純利益1〜1.1兆円、親会社株主純利益7000億円台半ば、サステナブルファイナンス累計100兆円という3つの数値目標を据えた。
- 決算説明会 FY22
- 決算説明会 FY22-2Q
- 決算説明会 FY23
- IR Day FY23
- 有価証券報告書
- 日本経済新聞 2024/8/30
- ダイヤモンド・オンライン 2026/1/27
米州CIB拡大と過去最高益への到達
米金利の上昇と円安進行が外貨建て収益を押し上げ、2023年3月期の経常収益は5兆7788億円と前年比46%増となり、外貨建て資産からの収益寄与がメガバンクの業績を底上げした。2023年には米ブティック系投資銀行のGreenhill社を買収し、約370名のM&A人員を獲得した。米国フィープールの6割弱を占めるとされるM&Aアドバイザリー市場で、シェア拡大を真正面から狙うための体制整備である。買収によりみずほは銀行貸出と社債引受に加え、M&Aアドバイザリーまで自前で完結できる体制を米州で整えた。IR Day FY23では、米国当局から〈みずほ〉がLarge & Complexなカテゴリーの金融機関に区分されているとの説明もあり、米国監督当局の目線に耐えうるグローバル経営基盤の整備が、米州CIBビジネスの拡大と並ぶ経営テーマとして足元で据えられている。
2024年3月期は経常収益8兆7445億円・純利益6790億円、続く2025年3月期は経常収益9兆303億円・純利益8854億円と、みずほにとって過去最高益圏の水準に踏み込んだ。政策保有株式は2015年から削減を続けており、2023年度の実績は売却応諾額を含めて1171億円、3年間で3000億円規模の削減計画に沿って進捗した。サステナブルファイナンスの累計目標は100兆円に引き上げられ、水素分野については単独で2兆円規模のファイナンス実行が外部に宣言された。木原はダイヤモンド誌で「カルチャーを変える中で社員がポジティブになり、収益も上がった。この好循環で良い形になった」(ダイヤモンド・オンライン 2026/1/27)と、就任5年目の時点での手応えを述べた。
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- IR Day FY23
- 有価証券報告書
- 日本経済新聞 2024/8/30
- ダイヤモンド・オンライン 2026/1/27