2001年〜 2001年の合併と、配当を守るための持株会社化
三井住友フィナンシャルグループの業績推移:連結
- 2001年 さくら銀行と住友銀行の合併・三井住友銀行の発足(2001年成立) 旧財閥の壁を越えた大手行合併は、なぜ「住友主導」と評されたのか?
- 2002年 三井住友フィナンシャルグループ設立
- 2003年 三井住友銀行とわかしお銀行がわかしお銀行を存続会社として合併
- 2003年 FY02経常損失5157億円、純損失4654億円
- 2005年 FY04純損失2342億円
- 2005年 北山禎介氏が社長に就任
合併の完遂と、1年で終えた勘定系システムの一本化
2001年4月1日、住友銀行とさくら銀行が合併し、三井住友銀行が発足した。旧財閥の枠を越えた大手行どうしの合併は、不良債権処理と情報システム投資の負担が単独で支えきれる水準を超えた末の選択だった。新銀行は約1兆5000億円の公的資金を抱えたまま出発し、初代頭取の西川善文氏は「バランスシートの抜本的強化」と「既成概念にとらわれない徹底的なコスト削減」を掲げた。翌2002年には600億円を投じて両行の勘定系システムを一本化し、一方の銀行のシステムを残してもう一方のデータを移す方式で統合を終えた。みずほフィナンシャルグループが同じ作業に10年以上を費やしたのと比べると、合併から1年余りでの決着は際立って早い。 [1][2][3][4][5]
- [1]2001年4月1日に住友銀行とさくら銀行が合併し三井住友銀行が発足した
- [2]発足時に約1.5兆円の公的資金を抱えていた
- [3]初代頭取の西川善文は「バランスシートの抜本的強化」「既成概念にとらわれない徹底的なコスト削減」を掲げた
- [4]2002年に600億円を投じて旧住友銀行・旧さくら銀行の勘定系システムを統合した
- [5]住友・さくらは一方の銀行のシステムを存続させ他方のデータを移す方式で統合を進めた
2002年12月、三井住友銀行は株式移転により持株会社の三井住友フィナンシャルグループを設立し、初代社長に西川善文氏が就いた。同年7月の発表は「最適グループ経営の実現と戦略事業の抜本的強化を核としたグループ経営改革のため」と説明していたが、持株会社に合流したのは三井住友カード・三井住友銀リース・日本総合研究所の3社にとどまり、住友信託銀行や生損保が加わったわけではない。週刊東洋経済は、真の狙いは配当財源の確保だと書いている。三井住友銀行は2001年度にも臨時株主総会を開いて法定準備金5990億円を剰余金へ振り替えており、前期末の剰余金は約7400億円と邦銀最大規模に達していた。それでも時価会計の下で配当に回せるのは有価証券の含み損を差し引いた額であり、日経平均9000円での株式含み損は1兆2000億円規模と試算されていた。 [6][7][8][9]
- 三井住友フィナンシャルグループ 有価証券報告書【沿革】
- [6]2002年12月に株式移転で三井住友フィナンシャルグループを設立し初代社長に西川善文が就いた
- 週刊東洋経済 2002年10月5日号「大手銀行の焦点 三井住友 持株会社設立も配当問題は未解決」
- [7]持株会社に合流したのは三井住友カード・三井住友銀リース・日本総合研究所の3社のみで、住友信託銀行や生損保は加わらなかった
- [8]2001年度に臨時株主総会を開き法定準備金5990億円を剰余金へ振り替え、前期末剰余金は約7400億円と邦銀最大規模になった
- [9]日経平均9000円での推計株式含み損は1兆2000億円規模と試算された
2003年3月、三井住友銀行は全額出資子会社の第二地方銀行・わかしお銀行に吸収され、わかしお銀行が存続会社として「三井住友銀行」を名乗った。わかしお銀行は、経営破綻した旧太平洋銀行の資産を引き継いだ銀行である。商法上、消滅会社の剰余金は存続会社にそのまま引き継げる一方、資本金と資本準備金は全額を引き継がずに保有株の含み損処理へ充てられる。この合併会計により、三井住友銀行は単体の剰余金7500億円を減らさずに1兆円規模の含み損を一掃した。三井住友FGの奥正之専務は「以前からアイデアとしてはあったが、そこまでやる必要はないと考えていた」と語っている。法定準備金の取り崩し、持株会社化、逆さ合併と1年のうちに三度も会計制度の抜け道を使ったことについて、週刊東洋経済は「節操がない」と書いている。 [10][11][12][13][14]
- 三井住友フィナンシャルグループ 有価証券報告書【沿革】
- [10]2003年3月に三井住友銀行とわかしお銀行が、わかしお銀行を存続会社として合併し商号を三井住友銀行に変更した
- 週刊東洋経済 2003年1月11日号「第二地銀が大銀行を吸収合併 公的資金の配当に汲々とする三井住友銀行の最後の一手」
- [11]わかしお銀行は経営破綻した旧太平洋銀行の資産を引き継いだ三井住友銀行の全額出資子会社だった
- [12]三井住友銀単体の剰余金7500億円を減らさずに資本金・資本準備金で1兆円規模の含み損を一掃できる合併会計だった
- [13]三井住友FGの奥正之専務は「以前からアイデアとしてはあったが、そこまでやる必要はないと考えていた」と述べた
- [14]週刊東洋経済は1年間に配当対策で三度も会計制度の抜け道を利用したとして「節操がない」と評した
- [1]2001年4月1日に住友銀行とさくら銀行が合併し三井住友銀行が発足した
- [2]発足時に約1.5兆円の公的資金を抱えていた
- [3]初代頭取の西川善文は「バランスシートの抜本的強化」「既成概念にとらわれない徹底的なコスト削減」を掲げた
- [4]2002年に600億円を投じて旧住友銀行・旧さくら銀行の勘定系システムを統合した
- [5]住友・さくらは一方の銀行のシステムを存続させ他方のデータを移す方式で統合を進めた
- 三井住友フィナンシャルグループ 有価証券報告書【沿革】
- [6]2002年12月に株式移転で三井住友フィナンシャルグループを設立し初代社長に西川善文が就いた
- [10]2003年3月に三井住友銀行とわかしお銀行が、わかしお銀行を存続会社として合併し商号を三井住友銀行に変更した
- 週刊東洋経済 2002年10月5日号「大手銀行の焦点 三井住友 持株会社設立も配当問題は未解決」
- [7]持株会社に合流したのは三井住友カード・三井住友銀リース・日本総合研究所の3社のみで、住友信託銀行や生損保は加わらなかった
- [8]2001年度に臨時株主総会を開き法定準備金5990億円を剰余金へ振り替え、前期末剰余金は約7400億円と邦銀最大規模になった
- [9]日経平均9000円での推計株式含み損は1兆2000億円規模と試算された
- 週刊東洋経済 2003年1月11日号「第二地銀が大銀行を吸収合併 公的資金の配当に汲々とする三井住友銀行の最後の一手」
- [11]わかしお銀行は経営破綻した旧太平洋銀行の資産を引き継いだ三井住友銀行の全額出資子会社だった
- [12]三井住友銀単体の剰余金7500億円を減らさずに資本金・資本準備金で1兆円規模の含み損を一掃できる合併会計だった
- [13]三井住友FGの奥正之専務は「以前からアイデアとしてはあったが、そこまでやる必要はないと考えていた」と述べた
- [14]週刊東洋経済は1年間に配当対策で三度も会計制度の抜け道を利用したとして「節操がない」と評した
熊谷組処理まで走り抜けた不良債権の最終処理
配当をめぐる綱渡りの裏側で、不良債権の最終処理が続いていた。2003年3月期は経常損失5157億円・純損失4654億円を計上している。準大手ゼネコン熊谷組への金融支援は計7500億円と史上最大規模に達し、三井住友銀行は不良債権処理額を7000億円の計画から1兆700億円へ広げて、300億円の最終黒字予想を4700億円の最終赤字へ修正した。株価下落で7000億円まで膨らんだ有価証券の含み損は、わかしお銀行との合併差益で消した。同じ時期、同行はあおぞら銀行の買収に手を挙げて米サーベラスに敗れ、米ゴールドマン・サックスへ5000億円の優先株を割り当てて資本を積み増している。 [15][16][17][18][19]
- 三井住友フィナンシャルグループ 有価証券報告書
- [15]2003年3月期(FY02)に経常損失5157億円・純損失4654億円を計上した
- 週刊東洋経済 2003年4月26日号「メガバンクの焦点 三井住友 熊谷組を処理だが残るゼネコンリスク」
- [16]熊谷組への金融支援額は計7500億円と史上最大規模に上った
- [17]不良債権処理を7000億円計画から1兆700億円へ拡大し、300億円の最終黒字計画を4700億円の最終赤字へ修正した
- [18]3月の株価下落で7000億円に拡大した有価証券含み損をわかしお銀行との合併差益で一掃した
- [19]あおぞら銀行の買収では米サーベラスに敗れ、米ゴールドマン・サックス向けなど優先株5000億円で資本を増強した
2004年3月期は経常利益3428億円・純利益3304億円と黒字に戻ったものの、2005年3月期には経常損失303億円・純損失2342億円と再び赤字に沈んだ。損失を先送りせず出し切る方針を、発足から4年続けた結果である。2005年6月、西川善文氏は社長を退き、北山禎介氏が後任に就いた。合併から4年にわたる初代社長の任期は、不良債権処理の期間とほぼ重なっている。旧住友銀行と旧さくら銀行の双方から良い方法を採る「ベストプラクティス」の統合思想は、北山氏、宮田孝一氏(2011〜2017)、國部毅氏(2017〜2019)へと引き継がれた。 [20][21][22][23]
- 三井住友フィナンシャルグループ 有価証券報告書
- [20]2004年3月期(FY03)は経常利益3428億円・純利益3304億円だった
- [21]2005年3月期(FY04)は経常損失303億円・純損失2342億円だった
- [22]2005年6月に西川善文から北山禎介へ社長が交代した
- [23]北山禎介(2005〜2011)・宮田孝一(2011〜2017)・國部毅(2017〜2019)が社長を継いだ
- 三井住友フィナンシャルグループ 有価証券報告書
- [15]2003年3月期(FY02)に経常損失5157億円・純損失4654億円を計上した
- [20]2004年3月期(FY03)は経常利益3428億円・純利益3304億円だった
- [21]2005年3月期(FY04)は経常損失303億円・純損失2342億円だった
- [22]2005年6月に西川善文から北山禎介へ社長が交代した
- [23]北山禎介(2005〜2011)・宮田孝一(2011〜2017)・國部毅(2017〜2019)が社長を継いだ
- 週刊東洋経済 2003年4月26日号「メガバンクの焦点 三井住友 熊谷組を処理だが残るゼネコンリスク」
- [16]熊谷組への金融支援額は計7500億円と史上最大規模に上った
- [17]不良債権処理を7000億円計画から1兆700億円へ拡大し、300億円の最終黒字計画を4700億円の最終赤字へ修正した
- [18]3月の株価下落で7000億円に拡大した有価証券含み損をわかしお銀行との合併差益で一掃した
- [19]あおぞら銀行の買収では米サーベラスに敗れ、米ゴールドマン・サックス向けなど優先株5000億円で資本を増強した