1982年にスズキはインド政府からの要請を受けて、まだ市場としては未発達であったインドで軽自動車を生産する方針を決断した。資本金200億円の合弁会社を設立し、スズキが26%出資(インドで拒否権を行使できる比率が26%〜)して、残りがインド政府が出資した。だが、当時は誰も成功するとは信じなかったため、鈴木修(スズキ・代表取締役社長)は「お金ドブに捨てるつもりで進出した」と考えたほどでだった。
だが、当時の乗用車業界の話題はアメリカ進出や、欧米における小型乗用車の販売であり、トヨタや日産のような大規模メーカーはインドに進出する経営体力が残されていなかった。一方で、スズキは未開拓のインドであればトップを目指せるとポジティブに捉え、当時は誰も見向きをしなかったインドへの投資を決めた。なお、欧米の自動車メーカーもインドに進出を見送っており、グローバルではスズキだけがインド市場に注目した。
1980年代から1990年代にかかて、スズキはインド向けに生産技術を工場に移転し、インド国内ではアルトをもとにした軽自動車を生産し、自動車の整備拠点と販売拠点をインド全土に充実させた。加えて、自動車製品に必要な部品は、日本から輸出するなど、多少のコストがかかっても現地生産にこだわった。
この結果、1995年までにスズキはインドにおける乗用車のシェア75%を確保し、市場をほぼ独占した。加えて、インド国内では「スズキ」という名前が乗用車の代名詞となるなど、スズキはインドに溶け込んだ自動車メーカーへと成長した。