1969年に三菱重工は自動車部門(乗用車・バス・トラック)において、米国の大手自動車メーカーであるクライスラーとの提携を決定。合弁事業として展開する方針を決め、1970年4月に三菱重工の子会社として「三菱自動車株式会社」を設立した。1971年にクライスラーが三菱自動車の株式15%を取得することで、三菱重工とクライスラーの共同事業として経営した。
1970年6月に三菱自動車は、三菱重工の自動車部門を譲り受けて営業を開始した。主要な生産拠点は、水島製作所、名古屋製作所、京都製作所、川崎製作所であった。
三菱自動車発足直後(1972年度)の国内販売シェアは、乗用車6.6%、トラック11.4%、バス22.2%であった。商用車のうち、大型トラックはシェア34.6%、大型バスは37.3%であり、大型商用車でシェアを確保していた。
三菱自動車は合弁相手であるクライスラーと、米国における乗用車販売の契約として「合衆国流通契約」を締結。三菱自動車は米国における乗用車販売について「2ドア車のみ・販売はクライスラーが独占する」ことで無期限で合意した。
この契約により、三菱自動車は米国における乗用車の輸出について制限を課せられ(主力の4ドア車の販売が不能)、販売網に関しても自力での形成ができない状況となった。クライスラーとしては、三菱自動車を「日本進出のため」に活用し、北米においては、クライスラーと三菱自動車が競合しないため、排他的な契約に至った。
しかし、三菱自動車としては北米における経営に制約が課され、主力である4ドアの小型車の輸出が封じられたことから、提携当初からクライスラーとの関係性が悪化する要因となった。このため、合衆国流通契約は「不平等条約」とも形容され、1981年に契約を改定するまで不利な状況が続いた。
僕がこの会社に来た時、両社(注:三菱自動車とクライスラー)はえらく不信の仲でしたね。相互不振は極まるものがありました。その後、提携のメリットを生かそうということに努力し、現在は精神的には極めて良好です。が、一つ問題なのは、北米、アフリカ、中米地区などで、クライスラーが当社の独占販売権を握っていることです。向こうも本気に売るようになり、だいぶ販売量は増えていますが・・・。
というのは米国のメーカーは省エネルギーのため、今後小型車志向に転換せざるを得ない状況にある。すると80年代にはクライスラーが自社の小型車販売に当然力を入れるだろうから、われわれの車の米国市場での売れ行きにひびきかねない。この点、契約変更して、なんとか米国で自社の車を売れるようにしなければと考えています。(略)
非常に縛られるような提携はやめるべきでしょうね。環境が絶えず変わりますから、10年、20年、50年先をみて、ノンエクスクルーシブ(非独占的)な契約を結ぶべきです。いちいち指摘すると差し障りがありますが、率直に言って、三菱グループでも随分、不利な提携がありますよ。(略)
GMは開発などの面でクライスラーより上でしょう。ですから、いすゞがGMと組んで得たメリットは、われわれがクライスラーと提携して得たものより大きかったと思います。
1979年に京都製作所滋賀工場を新設。敷地面積10.5万平方メートル。総工費は140億円。エンジンの量産に従事
1980年代を通じて三菱自動車は海外向けの輸出を強化。クライスラー社との合衆国流通契約については1981年9月に改訂し、同年12月に三菱自動車は米国に現地法人を新設した。
1985年6月に三菱自動車はクライスラーとの合弁基本契約を解消。代わりにクライスラーは三菱自動車の株式5%を追加取得(三菱重工から取得)することで、三菱自動車への出資比率を15%から20%に高めた。
株主名称 | 構成比 | 備考 |
三菱重工業 | 32.6% | 筆頭株主 |
クライスラー | 20.0% | 提携先 |
三菱商事 | 10.0% | 海外販売で提携 |
三菱銀行 | 5.0% | - |
米国法人において女性社員に対するセクシャルハラスメントが発生。被害者が集団訴訟を実施して民事訴訟に至った。
この結果、1998年に三菱自動車は和解金として48億円の支払いを実施。
リコール隠しにより巨額損失を計上。2004年3月末時点で三菱自動車は連結自己資本比率1.4%となり、債務超過寸前の財務状況となった
販売不振により減損損失1179億円(国内6拠点の生産設備)および事業構造改革費用702億円(主に欧州向け新製品の投入凍結など)を計上。そのほかの損失も併せて、特別損失で合計2982億円を計上し、2021年3月期に三菱自動車は3123億円の最終赤字に転落した。