トヨタ自動車の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

需要を待たずに工場を建設し、量産で原価を下げ、需要のほうを作ってきた。1938年11月、国産乗用車が売れる保証のない時期に、刈谷の約50倍にあたる敷地約200万平方メートルの挙母工場を、大衆車専門の量産一貫工場として先に建てた。1959年8月には日本初の乗用車専門工場となる元町工場を建設する。月産5,000台で着工しながら建屋だけは1万台対応で設計させ、同年12月に月産1万453台へ到達している。日産の追浜工場、いすゞの藤沢工場が完成したのはその3年後である。1966年9月にはカローラ専用の高岡工場へ集中投資し、1工場1車種の集中で原価を切り下げた。カローラが日本のモータリゼーションを本格化させ、乗用車の競争は販売網の広さから設備投資の規模と速度へ移る。1984年にはGMと折半出資でNUMMIを設立し、この量産方式ごと北米へ移した。

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