重要な意思決定
195910月

元町工場を建設し乗用車の量産体制を確立

背景

乗用車需要は富裕層中心で月産5000台規模にとどまっていた

1950年代を通じて、日本における乗用車は依然として高価な耐久消費財であり、主な顧客は富裕層やタクシー会社に限られていた。トヨタは1955年に初代クラウンを発売して乗用車市場に本格参入し、1957年には米国トヨタ自動車販売を設立して北米への輸出を開始したが、当時の乗用車需要は月産5000台規模にすぎなかった。トラックとの混成ラインが中心であり、乗用車専用の効率的な生産体制は整っていなかった。

決断

旧東海飛行機跡地に23億円を投じ日本初の乗用車専門工場を建設

石田退三社長は旧東海飛行機挙母工場跡地に総工費約23億円を投じ、日本初の乗用車専門工場として元町工場の建設を決定した。生産規模は月産5000台だったが、建屋は将来の月産1万台に対応する設計とされた。当時の販売実績から見れば稼働率低下のリスクを伴う大胆な投資判断であったが、石田の決断により着工からわずか11か月で竣工した。大型プレス機による大規模プレスラインや、ボデー・塗装・組立を一連で結ぶコンベヤーシステムが採用された。

結果

月産1万台を早期に達成し量産拠点を確立

1959年8月に第1号車のクラウンがラインオフし、同年12月には月産1万台を達成した。モータリゼーションの本格化は1966年のカローラ以降であり、この先行投資には約7年の待ちが含まれていた。元町工場の完成は国内メーカーが横並びであった時代にトヨタが一歩抜け出す転機となり、その後のクラウン・コロナの量産と技術蓄積の中核を担う存在となった。需要の確証なき段階で量産能力を用意し、供給側から市場を規定するトヨタの経営姿勢を確立した象徴的な投資である。