1991年に株式会社ボイスメディア(現GMOインターネットグループ)を設立。創業者は熊谷正寿氏(当時28歳)であった。
熊谷社長は、創業時から株式上場を目標としており「35歳で上場する」ことを目標に据えた。このため、ビジネスは上場のための手段であり、GMOがコングロマリットを形成する原点となった。
事業としては、ダイヤルキューを活用した音声通信サービスの提供を開始した。当初の用途は電話会議を照準としたが、実際には「公の風紀を乱す用途」でも使用された。このため、GMOの創業期のビジネスについては、詳細が語られることは少ない。
この結果、ダイヤルキューによる事業展開の中止を決定。1996年時点のGMOの従業員数は1名であり、企業としての発展は限定的であった。
1991年5月、28歳で私はGMOインターネットの前身となる会社、ボイスメディアを創業します。いよいよ夢の実現に向けた、第一歩のスタートです。事業内容は、電話とパソコンの技術を組み合わせた、電話会議装置の開発でした。最初は話題となり儲かったのですが、この事業の先行きは明るくないと判断。撤退を決断しました。
ダイヤルキューのサービス提供から撤退し、将来性が期待されつつあったインターネットに着眼。GMOはインターネットの黎明期において「プロバイダー事業(interQ)・レンタルサーバーおよびドメイン登録事業(お名前.com)」に参入した。
いずれも月額利用額が必要な定額ビジネスであり、GMOはwebページを制作および公開したい顧客(個人・法人)に販売することで、経営を安定化させた。競合も存在したが、GMOがシェアを確保できた理由は、プロバイター事業においては「契約からネット設置に至る時間の短縮化」、ドメイン事業においては「月額単価を競合比較で安く設定」した点であり、後発の不利を挽回すべく差別化を図った。
ただし、GMOは解約導線を難解にしており(意図は不明)、この点は解約率の低下に寄与しているものと推定される。
インターネットの存在を知った私は、これまでの情報発信の常識がガラリと変わる、ものすごい産業になっていくと直感。同時に、一ユーザーとして「この回線を通して世界とつながることができるんだ」とすごく感動したんです。この素晴らしいメディアを、ひとりでも多くの方々に体験していただきたいと、インターネット・プロバイダー事業への進出を決断します。
1999年8月にジャスダック市場に株式を上場。インターネットバブルによってネット企業が注目を集めており、GMOにとって追い風となった。
ただし、上場時点における熊谷氏は36歳であり、創業時に掲げていた「35歳での上場」は未達となった。
インターネット広告(メール配信)を手がける連結子会社「まぐクリック」が株式を上場した。以後、GMOは子会社の株式上場を企業成長の手段として活用へ
2000年12月時点でGMOは従業員数138名となり、100名を特化したことを受けて組織体制の整備を実施した。
2001年に商号をインターキューから「グローバルメディアオンライン」に変更し、事業面においてはインターネット関連事業を手がける方針を打ち出した。
組織文化の面では「スピリットベンチャー宣言」を策定し、会議などの場で全員が唱和する風土が形成された。
これらの組織改編によって、熊谷社長としては「2001年以降、当社の組織力は一気に強まったと思っています」と述べる一方、インターネット業界におけるGMOは「特異な会社」というイメージが普及する要因となった。
2001年からは、GMOインターネッ トグループに関わるスタッフに一番大切にしてほしい「考え方」を記した、「スピリットベンチャー宣言」をつくり、グループ全社で共有しています。これは、 グループビジョン、哲学、行動原則などをA4の用紙3枚くらいに書き込んだものです。毎年、「これも入れよう、あれも必要だ」と、スタッフのアイデアも取 り入れた改訂版を発表しているので、どんどん長くなっているんですよ(笑)。これを社内の会議などあらゆる機会に、そこにいる全員が唱和するのです。10 分くらいかかりますが、2001年以降、当社の組織力は一気に強まったと思っています
クレジットカードおよびローン事業に参入するためにオリエント信販を買収。買収価格は270億円であり、推定PERは24.5倍。FY2005におけるオリエント信販は「売上高93億円・経常利益20億円・当期純利益11億円」の高収益企業であった。
ただし、同社は水面下では貸金業法におけるグレーゾーン金利問題を抱えていた。
日本国内でグレーゾーン金利の違法性が認識されると、子会社であるオリエント信販は顧客に対する返金に対応するため、巨額の引当金の計上を決定。
GMOは、FY2006に利息返還損失関連費用として82億円、FY2007に貸倒引当金繰入として56億円を、それぞれ損失として計上した。また、事業が立ち行かなくなたため、金融事業からの撤退を決め、減損損失を47億円(FY2006)および同59億円を計上した。
この結果、FY2006からFY2007にかけて、特別損失を累計284億円を計上した。GMOの自己資本比率は6%台へと低迷し、債務超過寸前の危険水準に至った。