第一次世界大戦によって基礎化学材料の輸入が途絶えたため、岩井財閥の創業者・岩井勝次郎氏は、アンモニア法によるソーダ灰(炭酸ナトリウム = Na2Co3)の国産化を決定。大規模な投資を伴うソーダ工業への参入を決定。1918年2月に岩井商店が出資する形で、日本曹達工業(現トクヤマ)を設立した。
1918年11月には山口県徳山において工場を新設し、1919年2月からソーダ灰の生産を開始した。徳山に工場を設置した理由は、岩井家が経営する「大阪鉄板徳山分工場」に隣接させるためであった。
第一次世界大戦中の好景気の渦中で創業したものの、1919年に世界大戦が終結すると不況に陥ると業界内における競争が激化。英国から輸入される格安ソーダ灰によって、販売価格下落したことで日本曹達工業の経営状況も悪化した。
このため、トクヤマは会社設立から黒字になるまで約15年を要しており、苦難の立ち上げとなった。
ソーダ工業とは、塩化ナトリウム(NaCl)から、水酸化ナトリウム(NaOH)や炭酸ナトリウム(Na2Co3)を生成することであり、化学工業(無機化学)における基礎材料として重要視されきた。
日本におけるソーダ工業は、技術面においては「ルブラン法」から「アンモニア法・電解法」への転換が契機となった。明治時代初頭のソーダ工業は「ルブラン法」が主流であったが、生成過程で塩化水素ガスを発生させることから公害問題を引き起こした。このため、大正時代までに「アンモニア法」と「電解法」が主流となった。このうち、アンモニア法を採用したのが旭化成とトクヤマの2社であり、電解法を採用したのが保谷曹達と大阪曹達の2社であった。
しかし、大正時代の勃興したソーダ工業について、各社とも苦戦した。英国から輸入されるソーダに対して価格優位を持たなかったことや、曹達の用途である工業が未発達なことが影響した。水酸化ナトリウムは主に化学繊維(レーヨン、スフ)の製造に使用され、炭酸ナトリウムは主にガラス製造に使用されたことから、これらの需要が増加するまでソーダ工業も苦境にさらされた。
日本国内でソーダ工業が発展したのは、1930年代を通じて戦時体制のもとで鉱工業が発展し、さらに英国からのソーダの輸入が禁止されたことによる。
創業期のトクヤマの経営が軌道に乗ったのは、1930年代を通じた国内の鉱工業の発展にある。ガラスの製造工程で使用される「ソーダ灰(炭酸ナトリウム = Na2Co3)」や、化学繊維(レーヨン、スフ)の製造工程で使用される「苛性ソーダ(水酸化ナトリウム = NaOH)」の需要が増加し、ソーダ工業も市場拡大の恩恵を受けた。
無機化学領域の需要拡大を受け、1932年に日本曹達工業は苛性ソーダ(NaOH)「400t/日産」の生産を決定。この結果、水酸化ナトリウム(NaOH)と炭酸ナトリウム(Na2CO3)の2つの事業を展開し、ソーダ工業として発展する契機となった。
1984年にシリコンウエハー(半導体)の原料である多結晶シリコンの製造に参入。1985年には120億円を投資して、年間1000tの生産体制を樹立した。
多結晶シリコンの開発においては「金属の塩素化」に関する技術蓄積が生かされ、生産面でも「水素・塩素」をを自給出来ることから優位に立った。
2009年にトクヤマ(幸後和寿氏・代表取締役社長)はマレーシアにおける多結晶シリコンの量産を決定。2009年8月現地法人として完全子会社Tokuyama Malaysia Sdn. Bhd.を資本金1299億円で設立した。
従来は日本国内の徳山製造所の1箇所で「半導体向け・太陽電池向け」の多結晶シリコンの生産に従事してきたが、太陽電池向けの需要増大が予想されることからマレーシアにおける現地生産を決定した。
2009年の時点でトクヤマは多結晶シリコン事業を「戦略的成長事業」と定義し、半導体向け多結晶シリコンの世界シェア20%を維持しつつ、太陽電池向けた化粧シリコンでもシェア10%を確保することを目標に設定した。これは、すでに中国メーカーなどが台頭しており、国内ではなく生産コストが安いマレーシアを選定し、世界シェアの拡大を目論んだ。
最終的な推定投資額は2000〜2100億円であり、2013年に第1期プラント(投資予定額約800億円)、2014年に第2期プラント(投資予定額約1000億円・投資実績1200億円以上)をそれぞれ稼働した。
2011年2月に太陽電池向け多結晶シリコン生産のため、1期工事を開始。年間生産能力6200トン、稼働時の雇用人数約300名(うち現地採用280名)、投資額800億円。2013年9月から第1期プラントを稼働した。
2011年にトクヤマはマレーシアにおける第2期工事の開始を発表。生産能力は13,800トン/年とし、2014年4月から太陽電池向けの多結晶シリコンプラントの製造を予定した。ただし、2期工事においては品質問題が発生し、実際の稼働は半年遅れの2014年10月となった。
第1期プラントを稼働したものん、製造工程における深刻な品質問題が発生し、顧客向けの出荷が難しい状況に陥った。このため、2015年3月期にトクヤマは、マレーシアにおける多結晶シリコン製造設備(第1期プラント)に関して748億円の減損損失を計上した。
第1期プラントの失敗を受けて、トクヤマの代表取締役・幸後和寿氏は辞任を表明。引責辞任する形をとった。
また、2010年代前半を通じて太陽電池向け多結晶シリコンはアジア系企業との価格競争が激化。販売価格の下落により、トクヤマはマレーシアにおける多結晶シリコン生産で採算を取ることが難しい状況に陥った。
このため、2016年3月期には同じく第2期について1238億円の減損損失を計上した。
トクヤマはマレーシアにおける多結晶シリコン製造の新鋭設備について、第1期プラント・第2期プラントの稼働直後に合計1996億円の減損損失を計上。相次ぐ減損によって、2017年3月期時点のマレーシア現地法人の帳簿価額は90億円となった。
2017年にトクヤマはマレーシア現地法人の株式売却を決定して同事業から撤退。売却先は韓国メーカーであり、売却額は98億円であった。このため、約2000億円を投じたマレーシア事業の失敗が確定した。