1959年〜 母から子へ──相模原の電器店から店頭登録まで35年
- 1959年 野島電気工業社を創設
- 1962年 野島電気商会を設立
- 1982年 野島電気商会に組織変更
- 1991年 ノジマに商号変更
- 1994年 日本証券業協会に株式を店頭登録
1959年の小さな店から始まった創業家事業
ノジマの起源は、1959年8月に野島絹代が神奈川県相模原市に開いた「野島電気工業社」にある。創業者は男性ではなく主婦で、長男・野島廣司は当時8歳の小学生に過ぎなかった。戦後の高度経済成長期、町の電器店が三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を地域に普及させる役割を担っていた時代の典型的な創業形態であった。野島電気工業社は、町工場が集積する相模原で、住宅地と工場地帯の隣接地域に立地した小規模な家電販売店として出発した。創業者が女性であったことは、家電量販業界の創業期において男性中心が標準であった同時代の事例(ヤマダ電機・ビックカメラ等)と比べて際立つ特徴で、後年の野島廣司による「女性活躍」「女性取締役登用」の経営姿勢の原型がここに見える。 [1][2][3]
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1959年8月 野島絹代が神奈川県相模原市に「野島電気工業社」を創業(家電販売)
- [2]創業者は野島絹代(女性・主婦)
- ノジマ 有価証券報告書(役員)
- [3]長男・野島廣司は創業時8歳(廣司の生年は1951年1月12日=1959年時点で8歳と整合)
1962年4月に有限会社野島電気商会として法人化し、1982年6月には株式会社野島電気商会へ組織変更した。1962年の有限会社化から株式会社化まで20年の間隔があり、家族経営の電器店から法人企業への移行は急がれなかった。家電メーカー系列の販売店(パナショップ・ナショナル店等)が地域市場を分け合う構造のなか、ノジマは特定メーカー系列に属さない独立系の地場家電店として運営を続けた。創業の地・神奈川県という、東京都心と工業地帯の接点に立地したことは、首都圏家電量販店としての地理的優位となった。創業地・相模原から横須賀・横浜・川崎へと出店域を広げる首都圏展開の地理的基盤は、創業から20年でほぼ形成された。 [4][5]
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1962年4月 有限会社野島電気商会として法人化
- [5]1982年6月 株式会社野島電気商会へ組織変更(株式会社化)
長男・廣司は1973年に父の店(個人事業)に入社し、1978年に取締役、1991年に専務を経て、1994年に代表取締役社長へ昇格した。1991年4月には商号を「株式会社ノジマ」へ変更し、現在まで続く社名となった。創業者・絹代から長男・廣司への事業承継は、1973年の入社から1994年の社長就任まで21年をかけた移行で、廣司は43歳で経営トップに就いた。家電量販業界には外部からの経営者招聘はほぼ存在せず、ヤマダ電機・ビックカメラ・ケーズホールディングス・エディオン等の同業大手も創業家もしくは生え抜きが社長を務める構造が共通する。ノジマも同じ系譜に属する。 [6][7][8]
- ノジマ 有価証券報告書(役員)
- [6]野島廣司は1973年に父の店(個人事業)へ入社
- [7]野島廣司は1994年に代表取締役社長へ就任(43歳=1951年生まれと整合)
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1991年4月 商号を「株式会社ノジマ」へ変更(現社名)
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1959年8月 野島絹代が神奈川県相模原市に「野島電気工業社」を創業(家電販売)
- [2]創業者は野島絹代(女性・主婦)
- [4]1962年4月 有限会社野島電気商会として法人化
- [5]1982年6月 株式会社野島電気商会へ組織変更(株式会社化)
- [8]1991年4月 商号を「株式会社ノジマ」へ変更(現社名)
- ノジマ 有価証券報告書(役員)
- [3]長男・野島廣司は創業時8歳(廣司の生年は1951年1月12日=1959年時点で8歳と整合)
- [6]野島廣司は1973年に父の店(個人事業)へ入社
- [7]野島廣司は1994年に代表取締役社長へ就任(43歳=1951年生まれと整合)
店頭登録と独立系家電量販としての地歩
1994年12月、ノジマは日本証券業協会に株式を店頭登録した。社長就任からわずか半年後の資本市場アクセスであった。当時、家電量販業界はヤマダ電機(1988年公開)、コジマ(1995年公開)、ベスト電器(1980年代から上場)といった先行各社が郊外型店舗で全国展開を加速する局面にあり、地場の中堅家電店はメーカー系列に属するか独自路線で生き残るかの選別期にあった。野島廣司は独立系の路線を選択し、店頭登録による資本調達で店舗網拡張の足場を作った。創業家集中型の株主構造を維持したまま資本市場へアクセスする戦略は、後の指名委員会等設置会社移行(2003年)・M&A連投と連動する経営の独立性確保の最初の事例となった。 [9][10]
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [9]1994年12月 日本証券業協会に株式を店頭登録
- [10]2003年に指名委員会等設置会社へ移行(本文の後段事実への伏線記述)
1990年代後半、家電量販業界はメーカー希望小売価格制度の崩壊と価格破壊競争の局面に入った。郊外型ロードサイド店の出店競争が激化し、ヤマダ電機の「家電のことならヤマダ電機」のテレビCMが全国の家電販売市場を寡占化した。そのなかでノジマは、神奈川・東京の首都圏に出店域を絞り、メーカー系列に属さない独立系として接客サービスの差別化に活路を見出す方針を取った。野島廣司の発言として後年に整理される「コンサルティングセールス」「ノルマ一切なし」の方針は、価格訴求の安売り合戦に巻き込まれない経営姿勢として、1990年代後半に芽生えた。 [11]
- [11]野島廣司は「ノルマは一切設けない」接客重視の経営方針を掲げた(コンサルティングセールス・ノルマなし)
1998年2月にPC販売会社・株式会社コンプジャパンを設立し、PC事業への参入を始めた。2000年2月には通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロン株式会社を設立し、通信・IT領域への進出を試みた。家電量販事業の中核を維持しつつ、PC・通信という当時の成長領域へ早期に染み出した点が、後の事業ポートフォリオ多角化へつながった。ただし1990年代末から2000年代初頭はM&Aには至らず、自前子会社による試験的な事業展開にとどまった。創業家経営の意思決定速度を生かす形でPC・通信といった隣接領域に試験出店した時期で、後年のM&Aによる外部企業取り込みとは異なる「内製による多角化」の局面が15年弱続いた。 [12][13]
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [12]1998年2月 PC販売会社・株式会社コンプジャパンを設立(PC事業参入)
- [13]2000年2月 通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロン株式会社を設立
- ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
- [9]1994年12月 日本証券業協会に株式を店頭登録
- [10]2003年に指名委員会等設置会社へ移行(本文の後段事実への伏線記述)
- [12]1998年2月 PC販売会社・株式会社コンプジャパンを設立(PC事業参入)
- [13]2000年2月 通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロン株式会社を設立
- [11]野島廣司は「ノルマは一切設けない」接客重視の経営方針を掲げた(コンサルティングセールス・ノルマなし)