1969年〜 GE合弁の輸入代理店から半導体超純水専業メーカーへの転換38年
野村マイクロ・サイエンスの業績推移:連結
- 1969年 東京都中央区日本橋本石町で設立
- 1972年 GE社と共同でNuclepore Corporation(NPC)を設立しNPC社株式23%を取得
- 1973年 北興化学工業のニュクリポアー部門の人員・資産を統合
- 1974年 米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換と、米アクアメディア社からの技術導入 膜を売るか、膜を組み込んだ装置を売るか——創業5年で売る単位を組み替えた技術導入
- 1974年 超純水製造システム事業に参入
- 1976年 ROによるパイロジェン除去システムを開発し国内製薬会社に納入
- 1983年 韓国三星半導体通信に超純水装置を輸出
米GE製超精密ろ過膜の独占販売権から始まった輸入代理店
1969年4月、米国ゼネラル・エレクトリック社(GE)開発のニュクリポアー・メンブレン(超精密ろ過膜)の日本・極東地区独占販売を目的に、東京都中央区日本橋本石町で野村マイクロ・サイエンス株式会社が設立された。北興化学工業株式会社のニュクリポアー部門が技術面の母体となり、創業時は米GE製ろ過膜の代理店として日本・東アジア市場の独占販売権を持つ輸入商社の形態であった。1972年12月にはGE社と共同でNuclepore Corporation(NPC社)を米国に設立しNPC社株式の23%を取得、上流の製造側に資本参加して販売会社から一歩立ち位置を移した。1973年11月には北興化学工業ニュクリポアー部門の人員・資産を統合し、ニュクリポアー・メンブレンと関連機器の製造販売体制を一体化した。北興化学工業はこの前後から大株主第1位の位置にあり、以後も約10%強を保有する筆頭株主であり続けている。 [1][2][3][4][5]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [1]1969年4月 米GE開発の超精密ろ過膜の日本・極東地区独占販売を目的に東京都中央区日本橋本石町で野村マイクロ・サイエンス㈱を設立
- [2]技術面の母体は北興化学工業のニュクリポアー部門で、創業時は米GE製ろ過膜の輸入商社形態(独占販売権)
- [3]1972年12月 GE社と共同で米国にNuclepore Corporation(NPC社)を設立、NPC社株式の23%を取得
- [4]1973年11月 北興化学工業ニュクリポアー部門の人員・資産を統合(製造販売体制の一体化)
- [5]北興化学工業はFY24時点でも筆頭株主(発行済株式の約11.49%保有)
創業から4年で野村マイクロ・サイエンスは「米GE社の輸入代理店」から「ろ過膜と関連機器を一体製造販売する装置メーカー」へ転換した。だが装置メーカーとしての事業転換点は、1974年1月に米アクアメディア社の超純水技術を導入して超純水製造システム事業に参入した時点である。ニュクリポアー・メンブレンは半導体製造工程の洗浄水・製薬向けろ過水の供給を担う基幹部品で、これを組み込んだ超純水製造装置を一体提供することで、消耗品(フィルター・イオン交換樹脂)の継続販売を伴うシステム事業へ事業構造を移行できた。1976年3月にはRO(逆浸透膜)によるパイロジェン(細菌の菌体成分の一部)除去システムを開発し、国内製薬会社に納入して医薬向け事業の起点も築いた。 [6][7]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [6]1974年1月 米アクアメディア社の超純水技術を導入し超純水製造システム事業に参入
- [7]1976年3月 ROによるパイロジェン除去システムを開発し国内製薬会社に納入(医薬向け事業の起点)
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [1]1969年4月 米GE開発の超精密ろ過膜の日本・極東地区独占販売を目的に東京都中央区日本橋本石町で野村マイクロ・サイエンス㈱を設立
- [2]技術面の母体は北興化学工業のニュクリポアー部門で、創業時は米GE製ろ過膜の輸入商社形態(独占販売権)
- [3]1972年12月 GE社と共同で米国にNuclepore Corporation(NPC社)を設立、NPC社株式の23%を取得
- [4]1973年11月 北興化学工業ニュクリポアー部門の人員・資産を統合(製造販売体制の一体化)
- [5]北興化学工業はFY24時点でも筆頭株主(発行済株式の約11.49%保有)
- [6]1974年1月 米アクアメディア社の超純水技術を導入し超純水製造システム事業に参入
- [7]1976年3月 ROによるパイロジェン除去システムを開発し国内製薬会社に納入(医薬向け事業の起点)
韓国・台湾の半導体顧客との「装置輸出から現地子会社へ」の展開
1980年7月、逆浸透装置の国産化を図るため、日本アクアメディア株式会社(1991年8月に株式会社ナムテックに商号変更)を米アクアメディア・日揮株式会社(現日揮ホールディングス株式会社)・野村マイクロ・サイエンスの3社合弁で設立した(野村マイクロ・サイエンス出資比率33.3%)。RO装置の国産化は、米国メーカーからのライセンス受入を土台に日本市場向けへ製品を現地化する転換点で、輸入販売から国内生産へ供給構造を一段移した。プラントエンジニアリングの日揮を合弁先に取り込んだことは、半導体・化学プラント領域の取引網拡大にもつながり、後にナムテックは2006年1月に野村マイクロ・サイエンスへ吸収合併されグループに一体化した。 [8][9]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [8]1980年7月 日本アクアメディア㈱(後の㈱ナムテック)を米アクアメディア・日揮との3社合弁で設立(出資33.3%)
- [9]ナムテックは2006年1月に野村マイクロ・サイエンスへ吸収合併された
1983年2月、韓国三星半導体通信(当時)に超純水装置を輸出し韓国市場に進出した。三星電子は1980年代以降に半導体DRAM市場で日本メーカーを追い抜く成長を遂げ、その製造工程に必要な超純水装置を野村マイクロ・サイエンスが継続供給する関係が成立した。以後の海外展開は、韓国メーカーの海外進出を追って野村マイクロ・サイエンスが現地法人を設立する構造で動いた。1993年12月には三星電子からのメンテナンス受注のため韓国に合弁会社株式会社野村テクノを設立(出資比率50%、1999年8月に株式会社野村コリアへ商号変更、現在は出資比率100%)し、韓国メンテナンス拠点を整えた。 [10][11]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [10]1983年2月 韓国三星半導体通信(当時)に超純水装置を輸出し韓国市場に進出
- [11]1993年12月 三星電子向けメンテナンス受注のため韓国に合弁会社㈱野村テクノを設立(出資50%)
1996年1月には三星電子の米国進出に伴い米国に100%子会社野村マイクロ・サイエンスUSA, Inc.を、1997年9月には韓国・LG半導体の英国進出に伴い英国に野村マイクロ・サイエンスUK Ltd.を設立した(両社とも後に清算)。1987年7月には台湾・極水股份有限公司に超純水装置を納入して台湾市場に進出、1995年5月に台湾支店を開設(2015年10月閉鎖)した。1991年8月には本社・研究拠点を厚木市岡田に集約し新社屋を建設した。1977年7月に日本橋鍛冶町、1981年2月に東京都千代田区大手町と本社を移した後、厚木への移転で所在地が定着し、創業地・東京都中央区日本橋本石町を離れて装置開発・営業・管理を一拠点に集約した運営体制が整った。神奈川県厚木市の本社所在は現在まで続いている。 [12][13][14][15][16][17]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [12]1996年1月 米国に100%子会社野村マイクロ・サイエンスUSA, Inc.を設立(後に清算)
- [13]1997年9月 英国に100%子会社野村マイクロ・サイエンスUK Ltd.を設立(後に清算)
- [14]1987年7月 台湾・極水股份有限公司に超純水装置を納入し台湾市場に進出
- [15]1995年5月 台湾支店を開設(2015年10月閉鎖)
- [16]1991年8月 本社・研究拠点を厚木市岡田に集約し新社屋を建設
- [17]本社移転の経緯:1977年7月 日本橋鍛冶町/1981年2月 大手町
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [8]1980年7月 日本アクアメディア㈱(後の㈱ナムテック)を米アクアメディア・日揮との3社合弁で設立(出資33.3%)
- [9]ナムテックは2006年1月に野村マイクロ・サイエンスへ吸収合併された
- [10]1983年2月 韓国三星半導体通信(当時)に超純水装置を輸出し韓国市場に進出
- [11]1993年12月 三星電子向けメンテナンス受注のため韓国に合弁会社㈱野村テクノを設立(出資50%)
- [12]1996年1月 米国に100%子会社野村マイクロ・サイエンスUSA, Inc.を設立(後に清算)
- [13]1997年9月 英国に100%子会社野村マイクロ・サイエンスUK Ltd.を設立(後に清算)
- [14]1987年7月 台湾・極水股份有限公司に超純水装置を納入し台湾市場に進出
- [15]1995年5月 台湾支店を開設(2015年10月閉鎖)
- [16]1991年8月 本社・研究拠点を厚木市岡田に集約し新社屋を建設
- [17]本社移転の経緯:1977年7月 日本橋鍛冶町/1981年2月 大手町
中国市場進出とジャスダック上場──輸出装置メーカーへの完成
2001年2月、台湾Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理国際貿易有限公司を設立(野村マイクロ・サイエンス出資比率70%、後にHantech社へ持分譲渡)し、中国市場進出の起点を作った。2006年1月には台湾Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理工程有限公司を設立(出資比率70%、現100%)し、中国生産・施工拠点を整えた。2006年は野村マイクロ・サイエンスの業容拡大が並列的に進行した年で、ナムテックとアグルー・ジャパンを野村マイクロ・サイエンスに吸収合併(グループ再編・事業一体化)、米国に100%子会社野村マイクロ・サイエンスUSA Ltd.,Coを設立(米国再進出)、シンガポールにも100%子会社(後に2008年12月清算)、野村ピュアを吸収合併──と組織再編と国際展開が同時進行した。 [18][19][20][21]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [18]2001年2月 台湾Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理国際貿易有限公司を設立(出資70%)
- [19]上海野村水処理国際貿易有限公司の出資持分は後にHantech社へ譲渡(2006年12月)
- [20]2006年1月 台湾Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理工程有限公司を設立(出資70%・現100%)
- [21]2006年 ナムテック・アグルー・ジャパン吸収合併/米国USA Ltd.,Co設立/シンガポール子会社設立(2008年12月清算)/野村ピュア吸収合併
2007年10月、ジャスダック証券取引所(現東京証券取引所JASDAQスタンダード)に株式を上場した。創業から38年で公開市場入りを果たし、輸入代理店から半導体・FPD・製薬向け超純水装置の専業メーカーへの長い転換がいったん区切りを迎えた。上場時のFY06(2007年3月期)の連結売上高は272億円、FY05(2006年3月期)は185億円で、海外比率を含む装置受注を主軸とした事業構造が固まっていた。米GE製ろ過膜の輸入販売事業から半世紀近くを経て上場装置メーカーへ転換した経路は、戦後日本の輸入技術導入型の独立装置メーカーが歩んだ典型的な軌跡である。 [22][23]
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [22]2007年10月 ジャスダック証券取引所(現東証JASDAQスタンダード)に株式を上場
- [23]創業(1969年)から上場(2007年)まで38年
- 野村マイクロ・サイエンス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
- [18]2001年2月 台湾Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理国際貿易有限公司を設立(出資70%)
- [19]上海野村水処理国際貿易有限公司の出資持分は後にHantech社へ譲渡(2006年12月)
- [20]2006年1月 台湾Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理工程有限公司を設立(出資70%・現100%)
- [21]2006年 ナムテック・アグルー・ジャパン吸収合併/米国USA Ltd.,Co設立/シンガポール子会社設立(2008年12月清算)/野村ピュア吸収合併
- [22]2007年10月 ジャスダック証券取引所(現東証JASDAQスタンダード)に株式を上場
- [23]創業(1969年)から上場(2007年)まで38年