1970年10月にGEと北興化学工業が掲げた開発目標は、純水製造装置・廃液処理装置・アルコール類のろ過殺菌装置・空気浄化装置の4つであった。並んでいるのは膜ではなく、どれも膜を組み込んだ装置である。極東10カ国の独占販売権を持ちながら売る単位を部品から一式へ移したのは、膜の性能を値段に換えられるのが装置を組む側だったからだとみられる。1972年のNPC社への出資も、1973年の部門統合も、その一式を自前で組むための順序であったといえる。
ただ、1974年の超純水技術は自前の開発ではなく、GEに続く二度目の借り物であった。1981年に栗田工業の中村貞夫社長が超純水装置の市場を語った講演に同社の名はなく、装置メーカーになってからも10年近く、業界のなかでは小さな存在にとどまっていた。転換がすぐ実を結んだわけではない。それでも、売る単位を装置へ移していたからこそ、韓国で9社に断られた末にサムスン電子と取引が始まったとき、装置の後ろに保守と消耗品が積み上がる関係を築くことができた。