光ファイバと融着接続機への投資(1980年・フジクラの決断)

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論点共同研究の外に自社の製品を持つか
フジクラ:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
共同研究のファイバ技術とは別の、接続装置の自社開発

何をなぜ決めたか:共同研究のファイバ技術とは別の、接続装置の自社開発

概要

1980年、藤倉電線はシングルモード光ファイバ同士を熱で溶かしてつなぐ融着接続機を開発した。前年の1979年には、シングルモードファイバで1kmあたりの伝送損失0.27dBを達成している。光ファイバの母材の製造法を検討し始めた1974年から6年で、ファイバ本体とその接続装置の両方を自社で手がける体制ができた。決めた時期の社長は、1976年に就任した河村勝夫氏である。

光ファイバの研究は、電電公社との共同研究の枠で進んだ。1975年に電電公社・古河電気工業・住友電気工業と光ファイバの共同研究協定を締結し、1976年には電電公社と長波長の極低損失光ファイバを共同開発した。1982年に佐倉工場へ光工場を完成させ、1983年から日本列島を縦断する幹線用の光ファイバの納入と布設に入った。

背景

電線の採算は銅の相場に左右された。銅建値は1969年1月のトン当たり45万2,000円から1970年4月に63万円まで上がり、同年12月には38万5,000円へ下げた。設備投資の手控えで電線の需要が減少したところへ銅価の急落が重なり、年末にかけて受注は激減した。1973年の時点で、藤倉電線はすでに光通信ケーブルの研究に着手していた。

決断の前の単体業績も安定しなかった。1976年3月期は売上高783億円に対して経常損失16億円を計上し、1979年3月期に経常利益60億円まで戻したあと、1980年3月期は27億円へ半減した。光ファイバの量産を担う佐倉工場は、1965年に電電公社向け通信ケーブルの専用工場として操業を開始していた。

内容

ファイバの製法は、大手3社が電電公社と提携して固めた。電電公社と住友電工・古河電工・藤倉電線の3社は、米コーニング社の光ファイバ製法特許を避けるため、VAD法(気相軸付け法)を共同で開発している。藤倉電線は1977年に高抗張力線入りのユニット型ファイバを開発し、1981年には送電線の架空地線に光ファイバを組み込んだ製品を日本で初めて開発した。

接続装置では、シングルモード用に続く改良を重ねた。1985年に世界初のコア直視型、1988年に世界初の多心型の光ファイバ融着接続機を開発した。研究の拠点も整え、1987年に佐倉工場へ光エレクトロニクス研究所を完成させた。

含意

1984年度の時点で、光ファイバの市場の9割を住友電工・古河電工・藤倉電線の3社が占め、電電公社向けを分け合っていた。ただし共同研究と開発の負担は重く、各社とも黒字に到達するかどうかの段階であった。藤倉電線の光部門の売上高は1984年度に140億円の見通しで、1988年3月期には光関連の売上高が210億円となった。同じ時期、光ファイバのシェアは20%、コア直視型の融着装置の世界シェアは40〜50%に達している。

融着接続機での上位の地位はその後も続いた。1999年3月期には、光ファイバ融着接続機の市場で首位級のシェアを持っていた。2026年3月期には情報通信事業部門の売上高が6,530億円、営業利益が1,527億円となり、全社の売上高11,824億円の5割強、営業利益1,887億円の8割を占めた。

いつ何が起きたか12件
考察:つなぐ装置で残した自社の差
考察

考察:つなぐ装置で残した自社の差

なぜ融着接続機だったのか。光ファイバ本体は、電電公社と大手3社の共同研究から生まれた。VAD法も3社の共同開発で、ファイバの技術そのものでは他の2社と差が付きにくい。藤倉電線が自社だけの製品を持てたのは、ファイバを現場でつなぐ装置である。ファイバは公社の仕様で作る量産品で、銅電線と同じく価格で比べられやすい。接続機は工事の現場で性能を比べて選ばれる。共同研究に参加しながら装置を自前で開発したのは、公社の発注と横並びの価格から一部の収益を切り離す選択だったと思われる。

もっとも、光への投資はすぐには利益を生まなかった。1984年度になっても、光ファイバの3社は黒字に到達するかどうかの段階にあった。藤倉電線の単体の売上高は伸びたが、経常利益は1979年3月期の60億円を一度も超えていない。研究と設備を先に積み、需要の時期は電電公社の幹線計画が決めた。ファイバ本体の需要が公社に左右される構図は銅電線と変わらず、接続機が収益を支えるまでには時間を要したのだろう。

決断から40年余りたった到達点からみれば、この投資は成功である。1988年3月期に光関連の売上高は210億円となり、コア直視型の融着装置は世界シェア40〜50%を占めた。融着接続機での上位の地位は1999年3月期にも続いた。2026年3月期には情報通信事業部門の営業利益が1,527億円と全社の8割を占め、光が会社の中心の事業になった。ファイバ本体と接続装置の両方を持つ体制が、データセンタ向けの需要を取り込む土台になった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
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図と表

フジクラ:単体の売上高と経常利益の推移

売上高(億円)経常利益率(%)

売上高は10年で約1.9倍になり、経常利益は赤字から60億円まで振れた

フジクラ:単体の売上高と経常利益の推移
(億円)売上高経常利益備考
1975年3月期864.96△20.33半期決算の上期(1974年9月期)と下期(1975年3月期)の合計。経常損失
1976年3月期783.16△16.46経常損失。銅電線の需要が減少した期
1977年3月期917.423.73
1978年3月期1,043.4633.81
1979年3月期1,077.0460.26シングルモードファイバで損失0.27dB/kmを達成した年
1980年3月期1,208.8627.54シングルモード用融着接続機を開発した1980年を含む期
1981年3月期1,373.887.66
1982年3月期1,452.1150.68佐倉工場に光工場が完成した年
1983年3月期1,462.2242.41
1984年3月期1,592.6231.59日本列島縦貫用光ファイバの布設を始めた年度
1985年3月期1,622.96−経常利益は手元の年鑑の写しで照合できていない
出所:会社年鑑 1977年版〜1985年版(藤倉電線・最近の業績) / 帝国銀行会社年鑑 第66版(1986年)別冊(藤倉電線・売上高)
出所:会社年鑑 1977年版〜1985年版(藤倉電線・最近の業績) / 帝国銀行会社年鑑 第66版(1986年)別冊(藤倉電線・売上高)
参考文献

参考文献

参考
  • 藤倉電線社史(1973年)「銅価変動の波浪」
  • 藤倉電線社史(1973年)
  • 会社年鑑 1977年版・1980年版・1981年版(藤倉電線・最近の業績)
  • 証券調査 222号(1989年3月)工場見学記「藤倉電線 佐倉工場」
  • 日経ビジネス 1984年12月10日号
  • フジクラ アニュアルレポート 1999(製品開発)
  • フジクラ 有価証券報告書 第178期(2026年3月期)【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】
  • フジクラ 有価証券報告書 第178期(2026年3月期)【研究開発活動】
  • 会社年鑑 1977年版〜1985年版(藤倉電線・最近の業績)
  • 帝国銀行会社年鑑 第66版(1986年)別冊(藤倉電線・売上高)
  • フジクラ 公式サイト「沿革」
  • フジクラ アニュアルレポート「Annual Report 1999(製品開発)」
  • フジクラ 有価証券報告書「第178期(2026年3月期)【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】【研究開発活動】」

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