SWCC の歴史

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創業 1936年
母体 東京電気(現東芝)から分離
創業地 神奈川県川崎市
創業
1936年5月、東京電気(現・東芝)から電線事業を分離し、資本金100万円で川崎市に昭和電線電纜が設立された。翌1937年8月に裸銅線の製造販売を始め、送配電向けの電線を供給している。1949年4月には大阪販売店と仙台・福岡・名古屋の各出張所を置いて全国へ販売網を敷き、同年5月に東京証券取引所へ上場した。1950年9月からは電気工事も手がけている。ただし古河電工・住友電工・藤倉電線がすでに上位を占めており、自前の鉱山も精錬所も持たない昭和電線は、銅の調達で不利を抱えた第四極として出発した。
決断
二期連続の赤字を、事業ではなく指標の入れ替えで抜けた。2009年3月期に純損失85億円、2010年3月期も25億円の損失を出し、自己資本比率は26.6%、DEレシオは1.5倍まで痛んだ。2011年5月には富通集団への第三者割当増資を決め、中国の富通集団から約60億円を受け入れて筆頭株主が交代する。2018年6月に研究職出身の長谷川隆代氏が第15代社長へ就任し、翌2019年にROICを全事業の指標に据えて汎用電線の販売を古河電工との合弁へ移した。25社あった子会社を統合し、仙台の銅電線生産を茨城へ移管して在庫と物流費を圧縮した。黒字であればよいという利益の許し方を改めたことが、6年で営業利益を2倍に伸ばした。
現況
電線を主力とし、売上の9割近くを国内が占めている。2026年3月期の売上高2,777億円のうち日本が2,457億円で88%を占め、アジアは286億円にとどまる。営業利益は273億円、当期純利益は188億円である。電力と再エネ向けのエネルギー・インフラ事業は売上1,319億円で利益204億円、通信・コンポーネンツ事業は売上1,384億円で利益69億円と、売上で並ぶ二事業の利益は3倍離れた。2023年4月には持株会社体制を解いて商号をSWCCへ変更し、社名から昭和と電線の二語を外している。送配電網の更新で稼いだ利益を光ファイバの増産へ充当する順序が、2030年に営業利益400億円という目標の前提になっている。
競合
上位三社が手放した事業を引き取って、四番手の位置を変えてきた。戦前から古河電工・住友電工・藤倉電線が上位を占め、銅を自前で調達できない昭和電線は第四極にとどまる。増資の相手も国内では得られず、2011年には中国企業を筆頭株主に迎えた。2019年には価格決定力の弱い汎用電線の販売を古河電工との合弁SFCCへ移し、2025年3月には古河電工が光事業への集中のため売却したTOTOKUを約144億円で取得して光ファイバの製造能力を厚くしている。フジクラが米国のデータセンター向け超多心ケーブルへ資源を集めたのに対し、SWCCは国内の送配電と再エネで採算を確保した。地金の価格を三社と同じ条件で買う以上、四番手が採算で並べる場所は、再エネとデータセンター向けという品種の側に絞られた。
SWCC:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

設立ストーリー 第一期:東芝系電線専業として戦後復興を支える (1936年〜)

設立と戦後復興期の全国販売網整備

1936年5月、東京電気(現・東芝)から電線事業が分離されて昭和電線電纜株式会社が川崎市に設立された。資本金100万円[1]、1937年8月に裸銅線製造販売を開始し[2]、1938年には電力ケーブル・通信ケーブルへ品目を広げて電線ケーブル一貫メーカーの体制を整えた。太平洋戦争中は軍需用電線に生産の主力を注いだが戦災を免れ、『企業の歴史 明治百年』(1968)によれば終戦直後には国内電線生産高の5割を製造する局面もあった。戦後の1949年4月に大阪販売店と仙台・福岡・名古屋出張所を設置して全国販売網を整備[3]、同年5月には東京証券取引所に株式上場している[4]。その後、朝鮮戦争を契機とする電線特需で生産は再び拡大し、戦後の電力需要拡大と高度成長期のインフラ建設のなかで事業基盤を固めた。

  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1936年5月 東京電気(現・東芝)から電線事業が分離され昭和電線電纜が川崎市に設立、資本金100万円
    • [2]1937年8月 裸銅線製造販売を開始
    • [3]1949年4月 大阪販売店と仙台・福岡・名古屋出張所を設置
    • [4]1949年5月 東京証券取引所に株式上場

1961年12月に相模原工場を完成[5]させた。同工場は当初通信ケーブル専用工場として発足し、その後送電線路の超高圧化に対応して電力ケーブル工場を増設、電力・通信両分野の主力生産拠点に育っている。1967年11月に本社事務所を東京都港区に開設[6]、1968年5月には三重工場の第一期工事が完了して巻線の本格生産を開始した[7]。三重工場は東芝が自社の三重工場で生産していた巻線部門を継承したもので、東芝グループ内の分業体制をここで確立している。同1968年には川崎工場へ国内初のディップ・フォーミング方式による銅荒引線製造設備の設置を進めるなど生産体制を更新し、1968年4月期の売上高は219億円に達した。

  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1961年12月 相模原工場を完成
    • [6]1967年11月 本社事務所を東京都港区に開設
    • [7]1968年5月 三重工場の第一期工事が完了

1972年8月に仙台工場を加えて全国[8]に生産拠点を置いた。資金調達面では1973年9月に初の転換社債を発行して直接金融による調達を始め[9]、1979年6月に外貨建転換社債[10]、1988年2月に外貨建新株引受権付社債[11]と、当時の電線業界では先端的な資本市場調達を進めている。

  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1972年8月 仙台工場を完成
    • [9]1973年9月 当社初の転換社債を発行
    • [10]1979年6月 外貨建転換社債を発行
    • [11]1988年2月 外貨建新株引受権付社債を発行
  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1936年5月 東京電気(現・東芝)から電線事業が分離され昭和電線電纜が川崎市に設立、資本金100万円
    • [2]1937年8月 裸銅線製造販売を開始
    • [3]1949年4月 大阪販売店と仙台・福岡・名古屋出張所を設置
    • [4]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [5]1961年12月 相模原工場を完成
    • [6]1967年11月 本社事務所を東京都港区に開設
    • [7]1968年5月 三重工場の第一期工事が完了
    • [8]1972年8月 仙台工場を完成
    • [9]1973年9月 当社初の転換社債を発行
    • [10]1979年6月 外貨建転換社債を発行
    • [11]1988年2月 外貨建新株引受権付社債を発行

バブル期の最高益と1990年代の構造改革

1990年4月に海老名工場を完成、これは後の光ファイバ・[12]超電導関連の研究開発拠点に発展する。この時期の電線業界は光通信・エレクトロニクス分野への展開が『昭和維新』と呼ばれるほど活発で、昭和電線電纜も非電線部門のウエイト引き上げを進めた。1992年時点では、相模原で生産能力の限界に達した光ファイバー生産の仙台移転と相模原工場の研究開発専門拠点への転換を計画し、三井銀ソフトウェアなど6社との光LAN(構内情報通信網)専門会社の設立、青森市での電子部品・電力用部品新工場の建設方針と、光・エレクトロニクスへの布石を重ねている。海外生産も米国・欧州・東南アジアに広がっており、同年には1988年から常務を務めた村田薫氏が社長に就任した。

  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1990年4月 海老名工場を完成、後の光ファイバ・超電導関連の研究開発拠点に発展

しかしバブル崩壊後の1990年代は電線業界全体が需要収縮と銅価変動に苦しんだ時期で、昭和電線電纜も売上 2,000億円超の規模を維持しながら利益率は低位で推移した。2002年7月に電力用電線・ケーブル事業を株式会社エクシムへ営業譲渡[13]、構造改革期の象徴的な事業再編を実施している。

  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [13]2002年7月 電力用電線・ケーブル事業を株式会社エクシムへ営業譲渡
  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1990年4月 海老名工場を完成、後の光ファイバ・超電導関連の研究開発拠点に発展
    • [13]2002年7月 電力用電線・ケーブル事業を株式会社エクシムへ営業譲渡

持株会社化とリーマンショック・富通提携

2006年4月、昭和電線電纜は会社分割を実施して持株会社体制へ移行[14]、商号を『昭和電線電纜株式会社』から『昭和電線ホールディングス株式会社』に変更した。事業会社として昭和電線ケーブルシステム株式会社と昭和電線デバイステクノロジー株式会社を設立[15]、既存の昭和ビジネスサポート株式会社を昭和電線ビジネスソリューション株式会社に商号変更している。第12代社長の富井俊夫氏(昭和電線電纜社長 2003-2006、HD[16] 社長 2006-2011)が持株会社化を主導した。

  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [14]2006年4月 会社分割で持株会社体制へ移行、商号を昭和電線電纜から昭和電線ホールディングスへ変更
    • [15]事業会社として昭和電線ケーブルシステム・昭和電線デバイステクノロジーを設立、昭和ビジネスサポートを昭和電線ビジネスソリューションへ商号変更
  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】
    • [16]富井俊夫が社長として持株会社化期(HD社長 2006以降)を率いた

持株会社化直後の2007年3月期は連結売上 2,091億円・経常利益 25億円と一時的に拡大したものの、2008年9月のリーマン・ショックで2009年3月期は売上 1,849億円・経常利益 △46億円・純損失 △85億円と直撃を受けた。翌2010年3月期も売上 1,414億円・純損失 △25億円と二期連続赤字、自己資本比率は急落して財務体質は痛んだ。

2011年5月、相原雅憲氏(第13代社長)期[17]に中国の富通集団有限公司との業務提携契約を締結、同時に富通集団(香港)有限公司を割当先とする第三者割当増資[18]を実施した。当時の財務再建と中国市場アクセスの両立を狙った提携だが、業績推移を見ると2013年3月期は純損失 △64億円と再び赤字に陥っており、提携効果が即時に顕在化したとは言い難い。2015年10月に昭和電線ケーブルシステムがエクシムを吸収合併[19]、2017年4月に同社が昭和電線デバイステクノロジーと昭和電線ビジネスソリューションを吸収合併し[20]、持株会社化で分散した事業会社の統合が進められた。

  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】
    • [17]相原雅憲が第13代社長(2011年期)
  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2011年5月 富通集団有限公司との業務提携契約締結・富通集団(香港)を割当先とする第三者割当増資
    • [19]2015年10月 昭和電線ケーブルシステムがエクシムを吸収合併
    • [20]2017年4月 同社が昭和電線デバイステクノロジーと昭和電線ビジネスソリューションを吸収合併
  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
    • [14]2006年4月 会社分割で持株会社体制へ移行、商号を昭和電線電纜から昭和電線ホールディングスへ変更
    • [15]事業会社として昭和電線ケーブルシステム・昭和電線デバイステクノロジーを設立、昭和ビジネスサポートを昭和電線ビジネスソリューションへ商号変更
    • [18]2011年5月 富通集団有限公司との業務提携契約締結・富通集団(香港)を割当先とする第三者割当増資
    • [19]2015年10月 昭和電線ケーブルシステムがエクシムを吸収合併
    • [20]2017年4月 同社が昭和電線デバイステクノロジーと昭和電線ビジネスソリューションを吸収合併
  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】
    • [16]富井俊夫が社長として持株会社化期(HD社長 2006以降)を率いた
    • [17]相原雅憲が第13代社長(2011年期)

中島社長期の構造改革と業界第四極からの脱却模索

2016年6月、第14代社長として中島文明氏が就任[21]した。2016-2018年度の中期経営計画で『構造改革』と『成長分野(自動車・鉄道・道路・防災減災・医療)への注力』[引用元]を両輪に掲げ、利益目標を2年前倒しで達成したと評価されている。

  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】
    • [21]2016年6月 第14代社長として中島文明が就任

ただし依然として営業利益率は数パーセント台に留まり、業界第四極としての低収益体質は残っていた。2018年6月のトップ交代を経て[22]、財務体質と利益許容文化の根本転換は次期社長へ持ち越された。

  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】
    • [22]2018年6月のトップ交代(中島→長谷川)
  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】
    • [21]2016年6月 第14代社長として中島文明が就任
    • [22]2018年6月のトップ交代(中島→長谷川)

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SWCCの沿革1936〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1936〜2005年第一期:東芝系電線専業として戦後復興を支える東京電気より独立川崎市に設立★★
裸銅線製造販売開始
大阪販売店、仙台・福岡・名古屋出張所設置
東京証券取引所に株式上場
建設業(電気工事)開始★★
札幌販売店設置
広島出張所設置
相模原工場が竣工
本社事務所を開設
三重工場が竣工
電子部工場新設
仙台工場が竣工
初の転換社債を発行
初の外貨建転換社債を発行
決算期を4月30日より3月31日に変更
初の外貨建新株引受権付社債を発行
海老名工場が竣工
愛知工場が竣工
電力用電線・ケーブル事業をエクシムに営業譲渡★★
2006〜2017年第二期:持株会社化・富通提携と漂流富井俊夫会社分割により持株会社体制に移行★★
富井俊夫商号を「昭和電線電纜」から「昭和電線HD」に変更
富井俊夫中国・富通集団との業務・資本提携と、第三者割当増資による筆頭株主の交代

2011年5月13日、昭和電線ホールディングスが中国の富通集団有限公司と業務提携契約を、その100%子会社である富通集団(香港)有限公司と第三者割当増資の株式引受契約をそれぞれ締結した経営判断。同年9月に富通集団(香港)から総額約60億円の払込みを受け、同社が筆頭株主となった。相原雅憲社長のもとでの提携である。

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★★★
相原雅憲昭和電線ケーブルシステムがエクシムを吸収合併★★
中島文明昭和電線ケーブルシステムが昭和電線デバイステクノロジーを吸収合併
中島文明昭和電線ケーブルシステムが昭和電線ビジネスソリューションを吸収合併
2018〜2025年第三期:ROIC 経営による財務改革と SWCC への事業構造転換長谷川隆代ROIC の経営指標化による低資本効率事業の整理と、古河電工との汎用電線販売事業の統合

2019年春、昭和電線ホールディングスの長谷川隆代社長が事業をセグメント制へ改編し、ROIC(投下資本利益率)を経営指標として導入した経営判断。事業別のROICと資本コストを突き合わせ、黒字でも資本コストを下回る事業を縮小・撤退の対象とした。同年6月には古河電気工業と汎用電線の販売事業を統合すると発表している。

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★★★
長谷川隆代純粋持株会社体制の解消と、商号の昭和電線ホールディングスからSWCCへの変更

2022年3月29日、昭和電線ホールディングスが連結子会社の昭和電線ケーブルシステムと昭和電線ユニマックを吸収合併して純粋持株会社から事業会社へ再編し、2023年4月1日付で商号をSWCC株式会社へ変更すると発表した経営判断。長谷川隆代社長のもとで進めてきた経営改革の総仕上げにあたる。

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★★★
長谷川隆代TOTOKUを子会社化★★
出典・参考
  • SWCC 有価証券報告書【沿革】
  • SWCC 有価証券報告書【役員の状況】

免責事項およびポリシー