1936年〜 第一期:東芝系電線専業として戦後復興を支える
SWCCの業績推移:単体
- 1936年 東京電気より独立川崎市に設立
- 1937年 裸銅線製造販売開始
- 1949年 大阪販売店、仙台・福岡・名古屋出張所設置
- 1949年 東京証券取引所に株式上場
- 1950年 建設業(電気工事)開始
- 1951年 札幌販売店設置
- 2002年 電力用電線・ケーブル事業をエクシムに営業譲渡
設立と戦後復興期の全国販売網整備
1936年5月、東京電気(現・東芝)から電線事業が分離されて昭和電線電纜株式会社が川崎市に設立された。資本金100万円、1937年8月に裸銅線製造販売を開始し、1938年には電力ケーブル・通信ケーブルへ品目を広げて電線ケーブル一貫メーカーの体制を整えた。太平洋戦争中は軍需用電線に生産の主力を注いだが戦災を免れ、『企業の歴史 明治百年』(1968)によれば終戦直後には国内電線生産高の5割を製造する局面もあった。戦後の1949年4月に大阪販売店と仙台・福岡・名古屋出張所を設置して全国販売網を整備、同年5月には東京証券取引所に株式上場している。その後、朝鮮戦争を契機とする電線特需で生産は再び拡大し、古河電工・住友電工・藤倉電線に次ぐ電線業界第四極の地位を、戦後の電力需要拡大と高度成長期のインフラ建設で固めた。 [1][2][3][4][5]
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [1]1936年5月 東京電気(現・東芝)から電線事業が分離され昭和電線電纜が川崎市に設立、資本金100万円
- [2]1937年8月 裸銅線製造販売を開始
- [3]1949年4月 大阪販売店と仙台・福岡・名古屋出張所を設置
- [4]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
- [5]古河電工・住友電工・藤倉電線に次ぐ電線業界第四極の地位
1961年12月に相模原工場を完成させた。同工場は当初通信ケーブル専用工場として発足し、その後送電線路の超高圧化に対応して電力ケーブル工場を増設、電力・通信両分野の主力生産拠点に育っている。1967年11月に本社事務所を東京都港区に開設、1968年5月には三重工場の第一期工事が完了して巻線の本格生産を開始した。三重工場は東芝が自社の三重工場で生産していた巻線部門を継承したもので、東芝グループ内の分業体制をここで確立している。同1968年には川崎工場へ国内初のディップ・フォーミング方式による銅荒引線製造設備の設置を進めるなど生産体制を更新し、1968年4月期の売上高は219億円に達した。 [6][7][8]
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [6]1961年12月 相模原工場を完成
- [7]1967年11月 本社事務所を東京都港区に開設
- [8]1968年5月 三重工場の第一期工事が完了
1972年8月に仙台工場を加えて全国に生産拠点を置いた。資金調達面では1973年9月に初の転換社債を発行して直接金融による調達を始め、1979年6月に外貨建転換社債、1988年2月に外貨建新株引受権付社債と、当時の電線業界では先端的な資本市場調達を進めている。 [9][10][11][12]
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [9]1972年8月 仙台工場を完成
- [10]1973年9月 当社初の転換社債を発行
- [11]1979年6月 外貨建転換社債を発行
- [12]1988年2月 外貨建新株引受権付社債を発行
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [1]1936年5月 東京電気(現・東芝)から電線事業が分離され昭和電線電纜が川崎市に設立、資本金100万円
- [2]1937年8月 裸銅線製造販売を開始
- [3]1949年4月 大阪販売店と仙台・福岡・名古屋出張所を設置
- [4]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
- [5]古河電工・住友電工・藤倉電線に次ぐ電線業界第四極の地位
- [6]1961年12月 相模原工場を完成
- [7]1967年11月 本社事務所を東京都港区に開設
- [8]1968年5月 三重工場の第一期工事が完了
- [9]1972年8月 仙台工場を完成
- [10]1973年9月 当社初の転換社債を発行
- [11]1979年6月 外貨建転換社債を発行
- [12]1988年2月 外貨建新株引受権付社債を発行
バブル期の最高益と1990年代の構造改革
1990年4月に海老名工場を完成、これは後の光ファイバ・超電導関連の研究開発拠点に発展する。この時期の電線業界は光通信・エレクトロニクス分野への展開が「昭和維新」と呼ばれるほど活発で、昭和電線電纜も非電線部門のウエイト引き上げを進めた。1992年時点では、相模原で生産能力の限界に達した光ファイバー生産の仙台移転と相模原工場の研究開発専門拠点への転換を計画し、三井銀ソフトウェアなど6社との光LAN(構内情報通信網)専門会社の設立、青森市での電子部品・電力用部品新工場の建設方針と、光・エレクトロニクスへの布石を重ねている。海外生産も米国・欧州・東南アジアに広がっており、同年には1988年から常務を務めた村田薫氏が社長に就任した。 [13]
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [13]1990年4月 海老名工場を完成、後の光ファイバ・超電導関連の研究開発拠点に発展
しかしバブル崩壊後の1990年代は電線業界全体が需要収縮と銅価変動に苦しんだ時期で、昭和電線電纜も売上 2,000億円超の規模を維持しながら利益率は低位で推移した。2002年7月に電力用電線・ケーブル事業を株式会社エクシムへ営業譲渡、構造改革期の象徴的な事業再編を実施している。 [14]
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [14]2002年7月 電力用電線・ケーブル事業を株式会社エクシムへ営業譲渡
- SWCC 有価証券報告書【沿革】
- [13]1990年4月 海老名工場を完成、後の光ファイバ・超電導関連の研究開発拠点に発展
- [14]2002年7月 電力用電線・ケーブル事業を株式会社エクシムへ営業譲渡