フジクラ電力ケーブル事業の古河電工との合弁ビスキャスへの切り出しと、15年後の国内事業の振り分け

需要の伸びない祖業の一角を競合と共同で持つか、自前に戻すか——電力用電線の過当競争への向き合い方

時期 2001年
意思決定者(推定) 取締役会 フジクラ
論点 成熟事業の共同運営と再自前化
概要
2001年に古河電気工業と折半出資でビスキャスを設立し、2005年1月に電力事業全般を営業譲渡して製造販売・研究開発まで移した経営判断。国内の電力用電線市場が伸びを欠くなかで、祖業の一角である電力ケーブルを競合との共同運営へ切り出した。15年後の2016年10月には国内事業を両社に振り分け、フジクラは配電線・架空送電線事業を引き取った。
背景
建設用など汎用の電線は品目が重なりやすく、銅価の高騰前から過当競争による販価低下に悩まされていた。同じ時期、ITバブルの崩壊で光ファイバ事業の不稼働資産が減損処理の対象となり、フジクラの連結業績は2003年3月期に56億円の純損失へ転落した。成熟事業と新規事業の両方を単独で抱える余裕は乏しかった。
内容
高圧・超高圧電力ケーブル、送電・配電用電線と関連機器の設計・製造・施工を、古河電工との折半出資会社ビスキャスへ集約した。同じ2005年1月には三菱電線工業と建設・電販の販売合弁フジクラ・ダイヤケーブルを設立し、汎用電線の流通も他社と組む形にした。切り出した資源は情報通信と自動車電装の海外供給体制へ振り向けられた。
含意
東日本大震災のあと国内の送電インフラ投資が伸び悩み、2016年3月に両社は提携を見直した。地中・海底送電線事業は古河電工が、配電線・架空送電線事業はフジクラが引き取り、ビスキャスは持分法適用会社として残った。フジクラは2024年4月に導体事業を分割してフジクラ・ダイヤケーブルへ承継し、銅電線の製造販売を本体から切り離した。
筆者の見解

共同で持つという時間の使い方

折半出資という形は、撤退でも継続でもない中間の答えであった。国内の電力用電線は品目が各社で重なり、単独では販価を維持できない。とはいえ送電網の保守需要が残る事業を畳めば、電力会社との取引そのものを失う。2001年に古河電工と会社を作り、2005年に製造販売と研究開発まで移した判断は、需要の行き先が見えるまで採算を分け合う選択だったとみられる。切り出した資源が北米の光通信拠点と欧州のワイヤハーネス子会社へ向かった事実が、この間に何を優先したかを示している。

ただ、共同で持った15年で国内需要は戻らなかった。東日本大震災のあと送電インフラの設備投資は伸びず、2016年には地中・海底を古河電工、配電線・架空送電をフジクラという製品別の線引きで国内事業が振り分けられた。引き取った銅の電線も2024年4月に導体事業ごとフジクラ・ダイヤケーブルへ移り、本体には残らなかった。合弁は時間を買う手段であって、需要をつくる手段ではない。祖業の一部をどこに置くかという問いは、20年を経ても決着していないといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

汎用電線の過当競争と、寡占化への動き

電力ケーブルは、戦後のフジクラを支えた事業であった。1961年3月期上半期の売上構成では電力ケーブルが21.0%、通信ケーブルが28.8%を占め、電力9社の送電網整備と電電公社の通信網整備が二つの柱を成していた。ところが品目が各社で重なる汎用の電線では、銅価が高騰する前から販価の下落が続いた。週刊東洋経済は建設用について、商慣行の面で価格転嫁がほとんどできない分野だと書いている[1][2]

業界の答えは、大手同士で製造・販売の会社を持ち合うことであった。週刊東洋経済は2005年1月の記事で、大手各社が「プライドをかなぐり捨て、建設用電線の製造合弁を大手同士で共同設立し寡占化を推進」し、販価の下げ止まりに動いたと整理する。銅価の高騰がその流れを速め、汎用電線での合従連衡に拍車がかかった。競合と組む選択は、この時期の電線大手に共通する手であった[3]

ITバブル崩壊と、光ファイバの減損

統合を決めた時期の電線業界は、通信バブルの後始末に追われていた。米国では1990年代後半からの光投資が2001年末までに推定6,400万キロメートルへ膨らんだ一方、実際に使われたのは容量の数%にとどまった。古河電気工業は2001年11月に米ルーセント・テクノロジーの光ファイバ部門を約2,800億円で買収したものの、受注のない状態が続き、2002年度の連結純損失は1,150億円へ拡大する見込みとなった[4]

フジクラも例外ではなかった。同誌は住友電気工業とフジクラも光関連の不稼働資産の減損処理に入り、「業界は持久戦の様相を呈してきた」と記す。連結業績にも表れており、2001年3月期に154億円あった当期純利益は、2003年3月期に56億円の損失、2004年3月期に25億円の損失へ落ち込んだ。売上高も3,597億円から3,169億円へ縮んでいる。成長を託した光と、採算の細る電力を同時に単独で抱える体力は残っていなかった[5][6]

決断

競合と折半出資で電力用電線を持つ

2001年、フジクラは古河電気工業と折半出資で電力用電線の製造販売会社ビスキャスを設立した。2005年1月には電力事業全般をビスキャスへ営業譲渡し、古河電工との事業統合を完了させている。高圧・超高圧の電力ケーブルから送電・配電用電線、関連機器の設計・製造・施工まで、製造販売と研究開発の機能を合弁会社へ移す再編であった。1910年の設立以来の主力事業の一角が、競合との共同運営に置かれた[7][8]

同じ2005年1月には、三菱電線工業と建設・電販事業の販売合弁フジクラ・ダイヤケーブルを設立した。製造をビスキャスに、汎用品の販売を三菱電線との合弁に、それぞれ他社と組む形で預けたことになる。1社では価格を維持できない品目について、相手を変えながら共同運営の枠を重ねた。祖業の電線から手を引いたのではなく、単独で持つ範囲を絞り込む作業であった[9]

切り出した先に置いた資源

電力を合弁へ移した2005年、フジクラは米国にAmerica Fujikura Ltd.とAFL Telecommunications LLCを設立し、北米の光通信市場に生産・販売の拠点を構えた。2008年6月にはスペインのワイヤハーネス製造会社を完全子会社化してFujikura Automotive Europe S.A.U.とし、欧州の自動車メーカーへ直接供給する体制を整えた。連結売上高は2005年3月期の3,607億円から2008年3月期の6,594億円へ伸びた[10][11]

非電線の品目を育てる作業も並行した。週刊東洋経済は2005年1月、電線大手6社の決算がITバブル崩壊後のリストラで回復基調にあると伝え、住友電工の自動車用ワイヤハーネス、古河電工のアルミ素材と並べて、フジクラのフレキシブルプリント配線板を非電線分野での好採算品の例に挙げている。電力を手放した側で、採算の取れる品目を積み増す動きが進んだ[12]

結果

15年後の提携見直しと、国内事業の振り分け

共同運営は15年で組み替えられた。2015年に海外での販売提携を解消したのち、2016年3月29日、両社は電力用電線の提携見直しを発表した。ビスキャスの国内事業を再編し、地中・海底送電線事業を古河電工へ、配電線・架空送電線事業をフジクラへ譲渡する内容である。東日本大震災のあと国内の電力会社の送電インフラ設備投資が伸び悩み、合弁で寡占化を図っても需要そのものが戻らなかった[13]

振り分けは同年秋に実行された。古河電工は2016年10月3日付でビスキャスから地中・海底送電事業を取得し、フジクラは配電線・架空送電線事業を承継した。有価証券報告書の沿革も、2016年10月にビスキャスの再編に伴って配電線・架空送電線事業を本社へ移管したと記す。ビスキャスそのものは残り、2025年3月期時点でもフジクラのエネルギー事業部門の持分法適用会社として関係会社に並んでいる[14][15]

戻ってきた電線事業の置きどころ

引き取った事業は、いったん収益に効いた。エネルギー・情報通信事業部門の売上高は2017年3月期の3,496億円から2018年3月期に3,701億円へ、セグメント利益は203億円から223億円へ増えている。移管の直前にあたる2016年4月には、三菱電線工業との産業用電線事業の製造・販売をフジクラ・ダイヤケーブルへ統合しており、汎用品を合弁に寄せる作業も同時に進んでいた[16][17]

それでも銅の電線は本体から離れていった。2024年4月、フジクラは導体事業を分割してフジクラ・ダイヤケーブルへ承継し、銅電線の製造販売を同社へ集約した。2001年に電力ケーブルを古河電工との合弁へ、2016年に配電線・架空送電線を本社へ、2024年に導体を別の合弁会社へ——20年余りをかけて、銅を素材とする事業の置き場所が三度移った[18]

出典・参考

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