クラレクラリアントから事業取得:祖業レーヨンの生産停止と、ポバール・PVB事業への軸足の移し替え
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- 概要
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クラレは2001年2月、1926年の創業以来続けてきたレーヨンの生産を止めた。同じ年の12月には、スイスのクラリアントからポバール(ポリビニルアルコール)およびPVB事業を買い取り、ドイツの生産拠点ごと欧州の基盤を手に入れた。国内で祖業を畳み、海外で寡占素材を買い足した一年である。
- 背景
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1990年代末の繊維業界は供給過剰に沈み、週刊東洋経済は"食う会社・食われる会社"の題で合繊各社の再編を論じていた。前社長の松尾博人氏は、世界で上位3位に入れない市場では戦わない、規模は小さくともその中では負けない商売がよい、という基準を掲げていた。
- 内容
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2000年6月に社長へ就いた和久井康明氏は、2001年2月にレーヨンの生産を停止し、4月には倉敷工場と玉島工場を統合した。7月にクラリアントとの事業取得で合意し(取引条件は非開示)、12月からドイツのKuraray Specialities Europe GmbHが運営を開始した。買収は2004年のHTトロプラスト、2005年のセラニーズへと続いた。
- 含意
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ポバールフィルムは世界シェア90%超、エバールは同70%に達し、2005年には特殊化成品・樹脂と機能材料が売上高の7割、収益の8割を占めた。繊維メーカーから機能素材メーカーへの看板の掛け替えが完了する一方、収益がポバール系に集中する構造も同時に生まれた。
基準を祖業に当てたということ
世界で上位3位に入れない市場では戦わない——松尾博人氏が1998年に述べたこの物差しは、それ自体は多くの会社が口にする類のものといえる。クラレが他社と違ったのは、その物差しを1926年から続けてきた自社の創業事業に当てて、そのまま実行した点にある。和久井康明氏は人事畑を35年歩いた社長で、繊維の現場の情理を最もよく知る立場にいたはずであった。それでも2001年2月に生産を止められたのは、退出の理屈が前任者の代にすでに社内の言葉として定着しており、判断が個人の決断ではなく会社の基準の適用として運べたからだとみられる。
ただ、この判断は同時に次の課題も作っている。祖業を畳んで化成品へ集中した結果、2012年にはポバール関連商品が営業利益の9割を稼ぐところまで偏った。作りにくさが参入障壁になる分野は、裏を返せば市場が大きく育たない分野でもある。ニッチで世界一を取る型は不況には強いものの、稼ぎ手が一系列に寄れば、次の柱は自前の地下茎からではなく外から買ってくるほかなくなる。2004年のHTトロプラスト、2005年のセラニーズと続いた取得は、その入口に当たっていたとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
同じ問いに直面した会社
- 日経ビジネス 1998年9月14日号
- 日経ビジネス 2004年2月16日号
- クラレ ニュースリリース 2001年7月9日「Kuraray Co., Ltd. Acquires Clariant's Polyvinyl Alcohol and Polyvinyl Butyral Businesses」
- クラレ 有価証券報告書【沿革】
- クラレ 有価証券報告書(2002年3月期・連結)