1926年、倉敷紡績の社長であった大原孫三郎は、化学繊維[1]レーヨンの将来性に着目し、資本金1000万円をもって子会社の倉敷絹織株式会社を設立し、自ら社長を兼務した[2]。[3]フランスからの技術導入と京都大学との共同研究を経て[4]、1928年に倉敷工場でレーヨンの商業生産を開始し、国内市場への供給を本格化した[5]。1936年までに西条・岡山を含む4工場体制を整え[6]、レーヨン専業メーカーとして地歩を固めた。太平洋戦争中は軍需工場へ転換したが[7]、戦後は速やかに化繊生産を再開し、1949年に倉敷レイヨン株式会社へ社名変更して再出発した[8]。大原家が培った倉敷の産業基盤と、創業来の『創造』の精神が、のちの独自技術志向の原点となった。[9]
戦後の同社を特徴づけたのが、国産技術による合成繊維ビニロンの工業化である。石灰石・石炭・水という国産資源を原料とするビニロン[10]は京都大学の桜田一郎らの研究成果を基に開発され、1950年に岡山工場で生産を開始し[11]、日本初の独自技術による合成繊維となった。当初は風合いや染色性の難から市場開拓は困難を極めたが、1954年に高強力タイプの開発に成功[12]すると漁網・ロープ・セメント補強材などの産業資材として用途が広がり、同社の技術力を代表する素材となった。ビニロンの成功は、倉敷レイヨンの企業文化に他社の真似をしない独自技術という価値観を刻み込んだ。
ビニロンへの傾斜は、社外からは冷ややかにも見られていた。1956年当時の業界には、倉敷レイヨンは大原商店であり、社長大原總一郎の道楽に会社ごと引きずり込まれたのだ、という評があった[13]。採算の見通しが立たない国産繊維へ資金を注ぎ続ける経営は、当時の常識では無謀と映った。もっとも總一郎の側には判断の物差しがあり、新しい仕事は十人のうち一人か二人しか賛成しない段階で始めるべきで、五人が賛成したときにはもう遅い、というのがその考え方だった[14]。反対の多さを撤退の理由とせず着手の条件と読み替えるこの発想が、ビニロンからポバールへ続く独自素材の開発方針を支えた。
1960年代、同社は繊維にとどまらない多角化へ方針を変えた。1962年に新潟県中条町で天然ガスを原料とするポバール工場を稼働させ[15]、化学品事業の基盤を築いた。1964年に独自技術による人工皮革『クラリーノ』[16]の生産を開始し、天然皮革に迫る風合いと軽量性で市場を驚かせた。米デュポンなど複数社が競って参入するなか、同社は品質の優位性と積極的[17]なマーケティングで首位を押さえ、ランドセル向けをはじめとする用途で高い市場シェアを獲得した。クラリーノは同社の顔となるブランドに育ち、多角化戦略の軸となった。ポバールとクラリーノの組み合わせは繊維依存を脱する最初の足場で、以降の新素材開発を支える収益源ともなった。
1972年、ポバール技術の応用から生まれたガスバリア樹脂『エバール』の生産を岡山工場で始めた[18]。食品包装材のガス遮断性に革新をもたらすエバールは、のちにクラレ最大の収益源に育つ。同年には鹿島工場でポリイソプレンゴムの製造も始め[19]、イソプレンケミカル分野への本格参入を果たした。ビニロン、クラリーノ、エバール、イソプレンという独自の基幹事業が1960年代から70年代前半にかけて相次いで立ち上がったことが、のちのグローバル機能素材メーカーへの飛躍の礎となった。連続的な新素材開発は、独自技術で市場を切り拓く同社の企業文化を代表する。
事業領域の拡大を踏まえ、同社は1970年に『株式会社クラレ』へ社名を変更した[20]。『倉敷レイヨン』からの決別は、名称変更にとどまらず、繊維メーカーから高機能素材メーカーへの転換を宣言する一手だった。1970年代に同社を襲った二度の石油危機は化合繊業界に深刻な打撃を与えたが[21]、同社はイソプレン誘導品による香料・医農薬中間体などのファインケミカル分野[22]への展開、人工腎臓をはじめとするメディカル製品[23]の事業化で危機を乗り越えた。繊維依存からの脱却が激動の時代に耐え抜いた最大の要因で、1960年代から続けた独自素材の開発が石油危機下の経営を支える盾となった。
1980年代に入ると、1983年にエバールの米国現地生産法人EVAL Company of[24] Americaを設立して海外展開に踏み込んだ。1986年に米国工場が稼働を始め[25]、グローバル供給体制の第一歩を投じたことは、世界展開の原点となった。国内では面ファスナーの日本ベルクロ[26]、メタクリル樹脂の協和ガス化学工業[27]といった関連企業の合併を進め、事業基盤を統合・強化した。1988年に策定した第2次中期経営計画では繊維事業の合理化と非繊維事業の拡大を打ち出し、祖業であるレーヨンの生産縮小が始まった。この構造改革が、のちの本格的な祖業撤退への下地となり、エバール海外生産の立ち上げと合わせて同社のポートフォリオ転換を加速した。
非繊維への転換は、人員の圧縮と表裏で進んだ。1977年6月の時点でクラレは8311人の従業員を抱え、そこからさらに2000人程度を減らす目標を掲げていた[28]。すでに1975年3月からの2年間で約2000人が減っており、追加分は退職者を補充しない自然減と出向社員の増加によって埋め、あわせて既存事業と関連会社の見直しにも手をつける計画だった[29]。工場閉鎖に踏み込まず時間をかけて頭数を落とす手法は、雇用への衝撃を薄める代わりに合理化を長期化させた。石油危機を越えられた背景には、ファインケミカルやメディカルの立ち上げと並んで、この規模の減員があった。
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|---|---|---|---|---|
| 1926〜1989年ビニロンからエバールへ — 独自素材の連続的開発 | 倉敷絹織を設立 | ★ | ||
| 倉敷工場操業開始 | ★ | |||
| 東京・大阪株式取引所に上場 | ★ | |||
| 西条工場操業開始 | ★ | |||
| 岡山工場操業開始 | ★ | |||
| 中国産業を設立 | ★ | |||
| 角一ゴムへ出資 | ★ | |||
| 倉敷レイヨンに商号変更 | ★ | |||
| 証券取引所再開により上場再開 | ★ | |||
| 国産技術による合成繊維ビニロンの企業化と、ポバールからの一貫生産体制の構築 倉敷レイヨンは1949年10月、富山工場の原料ポバールから岡山工場のビニロン繊維までを結ぶ一貫生産設備の建設に着手し、翌1950年11月に工業生産を始めた。京都大学で生まれた国産技術を、社内の多数が賛成しない段階で企業化した大原總一郎社長の判断である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 玉島工場操業開始 | ★ | |||
| 中条工場操業開始 | ★ | |||
| 玉島工場でポリエステルステープル「クラレエステル」の生産開始 | ★ | |||
| 倉敷工場で人工皮革「クラリーノ」の生産開始 | ★★ | |||
| 中央研究所を設立 | ★ | |||
| 西条工場でポリエステルフィラメント「クラベラ」の生産開始 | ★ | |||
| クラレに商号変更 | ★ | |||
| 岡山工場でエバールの生産開始 | ★★ | |||
| Kuraray International Corp.設立 | ★ | |||
| 鹿島工場操業開始 | ★ | |||
| 中条工場でイソプレン誘導品の生産開始 | ★ | |||
| 日本ベルクロを吸収合併 | ★ | |||
| 鹿島工場で光ディスクの生産開始 | ★ | |||
| エバール樹脂の生産開始 | ★ | |||
| クラフレックスを吸収合併 | ★ | |||
| 協和ガス化学工業を吸収合併 | ★★ | |||
| 1990〜2017年グローバル機能素材メーカーへの本格的飛躍 | Kuraray Europe GmbH設立 | ★ | ||
| 非繊維事業への転換「地下茎経営」と、不況に揺るがぬ収益体質づくり クラレは1988年3月期から4年間の第2次中期経営計画を軸に、繊維事業の高収益化と非繊維事業の拡大を進め、一つの基盤技術が地下でつながり複数の製品群へ枝分かれする『地下茎経営』を掲げた。バブル崩壊後の不況下でも合繊9社で最も落ち込みの小さい収益体質を築いた経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 筑波研究所を設立 | ★ | |||
| 西条工場で耐熱性ポリアミド樹脂「ジェネスタ」の生産開始 | ★ | |||
| EVAL Europe N.V.でエバール樹脂の生産開始 | ★ | |||
| 和久井康明 | 祖業レーヨンの生産停止と、クラリアントからのポバール・PVB事業の取得 クラレは2001年2月、1926年の創業以来続けてきたレーヨンの生産を止めた。同じ年の12月には、スイスのクラリアントからポバール(ポリビニルアルコール)およびPVB事業を買い取り、ドイツの生産拠点ごと欧州の基盤を手に入れた。国内で祖業を畳み、海外で寡占素材を買い足した一年である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 和久井康明 | スイスClariant AGからポバール・PVB事業を買収 | ★★ | ||
| 和久井康明 | 経営諮問会議を新設し執行役員制度を導入 | ★ | ||
| 和久井康明 | HT Troplast AGからPVBフィルム事業を買収 | ★★ | ||
| 和久井康明 | RPTV用光学スクリーンから撤退 | ★ | ||
| 伊藤文大 | MonoSol Holdings Inc.・子会社を買収 | ★ | ||
| 伊藤文大 | DuPontからビニルアセテート関連事業を買収 | ★★ | ||
| 伊藤正明 | Plantic Technologies Limited・子会社を買収 | ★ | ||
| 2018〜2022年買収の光と影、米国事故と構造改革の始動 | 伊藤正明 | 米カルゴン・カーボンの取得と、環境ソリューションの第3の柱化 クラレは2017年9月、活性炭の世界最大手である米カルゴン・カーボンを11億700万ドル(約1200億円)で買収すると発表し、2018年3月に手続きを終えた。自社の炭素材料事業と統合し、水処理や大気浄化を担う環境ソリューションを、ビニルアセテート・イソプレンに次ぐ第3の柱に据える構想であった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 伊藤正明 | 米国工場で火災事故・訴訟により巨額賠償 | ★★ | ||
| 川原仁 | 東京証券取引所プライム市場へ移行 | ★ | ||
| 川原仁 | ブタジエン誘導品の生産開始 | ★ | ||
| 川原仁 | イソブチレン誘導品の生産開始 | ★ | ||
| 川原仁 | クラレクラフレックスを吸収合併 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(クラレ)