クラレ の歴史

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創業 1926年
創業者 大原孫三郎
創業地 岡山県倉敷市
創業
1926年6月、倉敷紡績の社長であった大原孫三郎氏が資本金1,000万円で子会社の倉敷絹織を設立し、自ら社長を兼ねた。レーヨンの企業化を目的とし、フランスからの技術導入と京都大学との共同研究を経て、1928年5月に倉敷工場で商業生産に入っている。1933年11月に東京・大阪の両株式取引所へ上場し、1936年までに西条と岡山を加えた4工場でレーヨン専業の地歩を固めた。太平洋戦争中は軍需工場へ転じたが、戦後は速やかに化繊生産を再開し、1949年4月に倉敷レイヨンへ商号を改めて再出発した。
決断
賛成が多い事業には着手しない、という基準で新しい仕事を選んできた。第2代社長の大原總一郎氏は、新しい仕事は十人のうち一人か二人しか賛成しない段階で始めるべきで、五人が賛成したときにはもう遅い、と述べていた。1950年11月に国産技術の合成繊維ビニロンを企業化した。当初は風合いと染色性で市場が開けず、1954年の高強力タイプでようやく漁網・ロープ・セメント補強材へ用途が広がる。1956年の業界にはなお社長の道楽という評があった。1962年に天然ガス法のポバール、1964年に人工皮革クラリーノ、1972年にガスバリア樹脂エバールと自社研究の素材が続き、2001年2月にはレーヨンの生産停止と同時にクラリアントからポバール・PVB事業を取得し、75年続けた祖業を止めた年に欧州の生産拠点を得ている。
現況
一つのセグメントの利益が、全社の営業利益を上回っている。2025年12月期の連結売上高8,084億円のうちビニルアセテートは3,871億円で、セグメント利益625億円は全社営業利益588億円を超えた。ポバールから派生したエバール・水溶性フィルム・PVBがここに入る。2018年の米カルゴン・カーボンの買収で加わった機能材料は売上2,022億円・利益108億円、合成ゴムのイソプレンは中国勢の増設と市況の軟化で48億円の損失を出し、繊維は売上562億円・利益26億円にとどまる。一事業の利益が他の3事業の損失と低採算を吸収する構造は、2017年12月期から変わっていない。
競合
市場の大きさではなく、原料まで自製できるかで事業を選んできた。1957年に英ICIの特許で衣料用ポリエステルの量産へ向かった東レと帝人に対し、倉敷レイヨンは石灰石・石炭・水を原料とする自社技術のビニロンを産業資材へ広げた。東レが炭素繊維トレカを事業化して約40年の赤字を引き継いだのとは逆に、クラレはポバール樹脂を自社のフィルム工場で加工する形をとり、水溶性フィルムでも合わせガラス中間膜でも世界首位を占める。1994年には汎用繊維で規模を競わない多角化を掲げた。原料から自製する連鎖で狭い市場の首位を重ねた一方、第3の収益源は1,234億円を投じて外から買収した。
クラレ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

創業ストーリー ビニロンからエバールへ — 独自素材の連続的開発 (1926年〜)

倉敷紡績から生まれた化学繊維メーカー

1926年、倉敷紡績の社長であった大原孫三郎は、化学繊維[1]レーヨンの将来性に着目し、資本金1000万円をもって子会社の倉敷絹織株式会社を設立し、自ら社長を兼務した[2][3]フランスからの技術導入と京都大学との共同研究を経て[4]、1928年に倉敷工場でレーヨンの商業生産を開始し、国内市場への供給を本格化した[5]。1936年までに西条・岡山を含む4工場体制を整え[6]、レーヨン専業メーカーとして地歩を固めた。太平洋戦争中は軍需工場へ転換したが[7]、戦後は速やかに化繊生産を再開し、1949年に倉敷レイヨン株式会社へ社名変更して再出発した[8]。大原家が培った倉敷の産業基盤と、創業来の『創造』の精神が、のちの独自技術志向の原点となった。[9]

  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1926年6月 化学繊維レーヨンの企業化を目的に倉敷絹織株式会社を設立(社長 大原孫三郎)
    • [5]1928年5月 倉敷工場操業開始(レーヨン生産)。同年11月に製品を市販(会社銀行八十年史)
    • [8]1949年4月 倉敷レイヨン株式会社に社名変更
    • [2]大原孫三郎は倉敷紡績社長で倉敷絹織の社長を兼務。倉敷絹織は倉敷紡績の子会社として設立(総覧「倉敷紡績の子会社倉敷絹織㈱として設立された」)
    • [4]1926年7月 フランスのエミール・ブロンネル博士の人絹技術並びに機械を導入(会社銀行八十年史)
    • [7]太平洋戦争中、1943年に倉敷・岡山工場の化繊生産を停止し軍需工場へ転換、同年12月に倉敷航空化工へ改称(会社銀行八十年史)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]1926年資本金1000万円をもって倉敷絹織を設立、社長は大原孫三郎が兼務(明治百年「大正一五年資本金一〇〇〇万円をもって倉敷絹織(株)を設立…社長は大原孫三郎氏が兼務した」)
    • [9]創業来の「創造」の精神を継承し新分野の開拓を進めてきた(明治百年「創業来の『創造』の精神を継承し、着々と新しい分野の開拓をすすめつつある」)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [6]1936年までに倉敷・新居浜・西条・岡山の4工場体制(総覧「36年までに新居浜、西条、岡山各工場が順次操業を始め、4工場体制を敷いた」・八十年史「ここに新鋭の四工場を有することになった」)

戦後の同社を特徴づけたのが、国産技術による合成繊維ビニロンの工業化である。石灰石・石炭・水という国産資源を原料とするビニロン[10]は京都大学の桜田一郎らの研究成果を基に開発され、1950年に岡山工場で生産を開始し[11]、日本初の独自技術による合成繊維となった。当初は風合いや染色性の難から市場開拓は困難を極めたが、1954年に高強力タイプの開発に成功[12]すると漁網・ロープ・セメント補強材などの産業資材として用途が広がり、同社の技術力を代表する素材となった。ビニロンの成功は、倉敷レイヨンの企業文化に他社の真似をしない独自技術という価値観を刻み込んだ。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [10]ビニロンは国産資源(石炭・石灰石・水)を原料とするポリビニルアルコール系合成繊維(日本会社史総覧)
    • [12]1954年に高強力タイプの開発に成功し急速に発展、産業資材用途が拡大(日本会社史総覧)
  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [11]1950年11月 岡山工場でビニロンの生産開始

ビニロンへの傾斜は、社外からは冷ややかにも見られていた。1956年当時の業界には、倉敷レイヨンは大原商店であり、社長大原總一郎の道楽に会社ごと引きずり込まれたのだ、という評があった[13]。採算の見通しが立たない国産繊維へ資金を注ぎ続ける経営は、当時の常識では無謀と映った。もっとも總一郎の側には判断の物差しがあり、新しい仕事は十人のうち一人か二人しか賛成しない段階で始めるべきで、五人が賛成したときにはもう遅い、というのがその考え方だった[14]。反対の多さを撤退の理由とせず着手の条件と読み替えるこの発想が、ビニロンからポバールへ続く独自素材の開発方針を支えた。

  • ダイヤモンド 1956年5月26日号
    • [13]ダイヤモンド誌は、倉敷レイヨンは大原商店であり社長大原總一郎の道楽に引きずり込まれた、という業界の見方を紹介(ダイヤモンド 1956年5月26日号「化繊」)
    • [14]新しい仕事は十人のうち一人か二人が賛成するときに始めるべきで、五人が賛成したらもう遅く、七、八人が賛成する頃には手遅れという新事業観(ダイヤモンド 1956年5月26日号「化繊」)
  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1926年6月 化学繊維レーヨンの企業化を目的に倉敷絹織株式会社を設立(社長 大原孫三郎)
    • [5]1928年5月 倉敷工場操業開始(レーヨン生産)。同年11月に製品を市販(会社銀行八十年史)
    • [8]1949年4月 倉敷レイヨン株式会社に社名変更
    • [11]1950年11月 岡山工場でビニロンの生産開始
    • [2]大原孫三郎は倉敷紡績社長で倉敷絹織の社長を兼務。倉敷絹織は倉敷紡績の子会社として設立(総覧「倉敷紡績の子会社倉敷絹織㈱として設立された」)
    • [4]1926年7月 フランスのエミール・ブロンネル博士の人絹技術並びに機械を導入(会社銀行八十年史)
    • [7]太平洋戦争中、1943年に倉敷・岡山工場の化繊生産を停止し軍需工場へ転換、同年12月に倉敷航空化工へ改称(会社銀行八十年史)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]1926年資本金1000万円をもって倉敷絹織を設立、社長は大原孫三郎が兼務(明治百年「大正一五年資本金一〇〇〇万円をもって倉敷絹織(株)を設立…社長は大原孫三郎氏が兼務した」)
    • [9]創業来の「創造」の精神を継承し新分野の開拓を進めてきた(明治百年「創業来の『創造』の精神を継承し、着々と新しい分野の開拓をすすめつつある」)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [6]1936年までに倉敷・新居浜・西条・岡山の4工場体制(総覧「36年までに新居浜、西条、岡山各工場が順次操業を始め、4工場体制を敷いた」・八十年史「ここに新鋭の四工場を有することになった」)
    • [10]ビニロンは国産資源(石炭・石灰石・水)を原料とするポリビニルアルコール系合成繊維(日本会社史総覧)
    • [12]1954年に高強力タイプの開発に成功し急速に発展、産業資材用途が拡大(日本会社史総覧)
  • ダイヤモンド 1956年5月26日号
    • [13]ダイヤモンド誌は、倉敷レイヨンは大原商店であり社長大原總一郎の道楽に引きずり込まれた、という業界の見方を紹介(ダイヤモンド 1956年5月26日号「化繊」)
    • [14]新しい仕事は十人のうち一人か二人が賛成するときに始めるべきで、五人が賛成したらもう遅く、七、八人が賛成する頃には手遅れという新事業観(ダイヤモンド 1956年5月26日号「化繊」)

基幹事業の確立 — クラリーノ・エバール・イソプレン

1960年代、同社は繊維にとどまらない多角化へ方針を変えた。1962年に新潟県中条町で天然ガスを原料とするポバール工場を稼働させ[15]、化学品事業の基盤を築いた。1964年に独自技術による人工皮革『クラリーノ』[16]の生産を開始し、天然皮革に迫る風合いと軽量性で市場を驚かせた。米デュポンなど複数社が競って参入するなか、同社は品質の優位性と積極的[17]なマーケティングで首位を押さえ、ランドセル向けをはじめとする用途で高い市場シェアを獲得した。クラリーノは同社の顔となるブランドに育ち、多角化戦略の軸となった。ポバールとクラリーノの組み合わせは繊維依存を脱する最初の足場で、以降の新素材開発を支える収益源ともなった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1962年5月 新潟県中条町(中条工場・現新潟事業所)で天然ガスを原料とするポバール工場が操業開始
    • [17]人工皮革分野には米デュポンほか数社が参入したが、品質の優位性と積極的なマーケティングでトップの地位を確立(日本会社史総覧)
  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]1964年11月 倉敷工場で人工皮革「クラリーノ」の生産開始(基礎技術は1963年に自社開発=独自技術)

1972年、ポバール技術の応用から生まれたガスバリア樹脂『エバール』の生産を岡山工場で始めた[18]。食品包装材のガス遮断性に革新をもたらすエバールは、のちにクラレ最大の収益源に育つ。同年には鹿島工場でポリイソプレンゴムの製造も始め[19]、イソプレンケミカル分野への本格参入を果たした。ビニロン、クラリーノ、エバール、イソプレンという独自の基幹事業が1960年代から70年代前半にかけて相次いで立ち上がったことが、のちのグローバル機能素材メーカーへの飛躍の礎となった。連続的な新素材開発は、独自技術で市場を切り拓く同社の企業文化を代表する。

  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [18]1972年5月 岡山工場でエバール(エチレン・ビニルアルコール共重合体)の生産開始。ポバールの技術応用・ガスバリア性(総覧)
    • [19]1972年12月 鹿島工場操業開始(ポリイソプレンゴム「クラプレン」の生産)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1962年5月 新潟県中条町(中条工場・現新潟事業所)で天然ガスを原料とするポバール工場が操業開始
    • [17]人工皮革分野には米デュポンほか数社が参入したが、品質の優位性と積極的なマーケティングでトップの地位を確立(日本会社史総覧)
  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]1964年11月 倉敷工場で人工皮革「クラリーノ」の生産開始(基礎技術は1963年に自社開発=独自技術)
    • [18]1972年5月 岡山工場でエバール(エチレン・ビニルアルコール共重合体)の生産開始。ポバールの技術応用・ガスバリア性(総覧)
    • [19]1972年12月 鹿島工場操業開始(ポリイソプレンゴム「クラプレン」の生産)

繊維専業からの脱却と社名変更の実行

事業領域の拡大を踏まえ、同社は1970年に『株式会社クラレ』へ社名を変更した[20]。『倉敷レイヨン』からの決別は、名称変更にとどまらず、繊維メーカーから高機能素材メーカーへの転換を宣言する一手だった。1970年代に同社を襲った二度の石油危機は化合繊業界に深刻な打撃を与えたが[21]、同社はイソプレン誘導品による香料・医農薬中間体などのファインケミカル分野[22]への展開、人工腎臓をはじめとするメディカル製品[23]の事業化で危機を乗り越えた。繊維依存からの脱却が激動の時代に耐え抜いた最大の要因で、1960年代から続けた独自素材の開発が石油危機下の経営を支える盾となった。

  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [20]1970年6月 株式会社クラレに社名変更
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [21]2度にわたる石油危機が化合繊業界に深刻な影響を及ぼした(日本会社史総覧)
    • [22]イソプレンケミカル分野で香料・医薬・農薬中間体など誘導品の合成技術を確立し1976年から操業開始、ファインケミカル分野へ本格参入
    • [23]1978年に「エバール」系中空糸を用いた人工腎臓を発売し人工臓器分野へ進出(日本会社史総覧)

1980年代に入ると、1983年にエバールの米国現地生産法人EVAL Company of[24] Americaを設立して海外展開に踏み込んだ。1986年に米国工場が稼働を始め[25]、グローバル供給体制の第一歩を投じたことは、世界展開の原点となった。国内では面ファスナーの日本ベルクロ[26]、メタクリル樹脂の協和ガス化学工業[27]といった関連企業の合併を進め、事業基盤を統合・強化した。1988年に策定した第2次中期経営計画では繊維事業の合理化と非繊維事業の拡大を打ち出し、祖業であるレーヨンの生産縮小が始まった。この構造改革が、のちの本格的な祖業撤退への下地となり、エバール海外生産の立ち上げと合わせて同社のポートフォリオ転換を加速した。

  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [24]1983年10月 米国にエバール生産の現地法人EVAL Company of Americaを設立
    • [25]1986年12月 米国EVAL Company of Americaでエバール樹脂の生産開始
    • [26]1984年12月 日本ベルクロ株式会社を吸収合併(総覧では面ファスナー「マジックテープ」の製造販売会社)
    • [27]1989年10月 協和ガス化学工業株式会社を吸収合併(総覧では「メタクリル樹脂製造販売の協和ガス化学工業」)

非繊維への転換は、人員の圧縮と表裏で進んだ。1977年6月の時点でクラレは8311人の従業員を抱え、そこからさらに2000人程度を減らす目標を掲げていた[28]。すでに1975年3月からの2年間で約2000人が減っており、追加分は退職者を補充しない自然減と出向社員の増加によって埋め、あわせて既存事業と関連会社の見直しにも手をつける計画だった[29]。工場閉鎖に踏み込まず時間をかけて頭数を落とす手法は、雇用への衝撃を薄める代わりに合理化を長期化させた。石油危機を越えられた背景には、ファインケミカルやメディカルの立ち上げと並んで、この規模の減員があった。

  • 読売新聞(1977年6月1日)
    • [28]1977年6月時点で従業員8311人、今後2000人程度の減員を目標としていた(読売新聞 1977年6月1日)
    • [29]1975年3月から2年間で約2000人減少。以後は退職者の不補充による自然減・出向社員の増加で進め、既存事業と関連会社の見直しも行う方針(読売新聞 1977年6月1日)
  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
    • [20]1970年6月 株式会社クラレに社名変更
    • [24]1983年10月 米国にエバール生産の現地法人EVAL Company of Americaを設立
    • [25]1986年12月 米国EVAL Company of Americaでエバール樹脂の生産開始
    • [26]1984年12月 日本ベルクロ株式会社を吸収合併(総覧では面ファスナー「マジックテープ」の製造販売会社)
    • [27]1989年10月 協和ガス化学工業株式会社を吸収合併(総覧では「メタクリル樹脂製造販売の協和ガス化学工業」)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [21]2度にわたる石油危機が化合繊業界に深刻な影響を及ぼした(日本会社史総覧)
    • [22]イソプレンケミカル分野で香料・医薬・農薬中間体など誘導品の合成技術を確立し1976年から操業開始、ファインケミカル分野へ本格参入
    • [23]1978年に「エバール」系中空糸を用いた人工腎臓を発売し人工臓器分野へ進出(日本会社史総覧)
  • 読売新聞(1977年6月1日)
    • [28]1977年6月時点で従業員8311人、今後2000人程度の減員を目標としていた(読売新聞 1977年6月1日)
    • [29]1975年3月から2年間で約2000人減少。以後は退職者の不補充による自然減・出向社員の増加で進め、既存事業と関連会社の見直しも行う方針(読売新聞 1977年6月1日)

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クラレの沿革1926〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1926〜1989年ビニロンからエバールへ — 独自素材の連続的開発倉敷絹織を設立
倉敷工場操業開始
東京・大阪株式取引所に上場
西条工場操業開始
岡山工場操業開始
中国産業を設立
角一ゴムへ出資
倉敷レイヨンに商号変更
証券取引所再開により上場再開
国産技術による合成繊維ビニロンの企業化と、ポバールからの一貫生産体制の構築

倉敷レイヨンは1949年10月、富山工場の原料ポバールから岡山工場のビニロン繊維までを結ぶ一貫生産設備の建設に着手し、翌1950年11月に工業生産を始めた。京都大学で生まれた国産技術を、社内の多数が賛成しない段階で企業化した大原總一郎社長の判断である。

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★★★
玉島工場操業開始
中条工場操業開始
玉島工場でポリエステルステープル「クラレエステル」の生産開始
倉敷工場で人工皮革「クラリーノ」の生産開始★★
中央研究所を設立
西条工場でポリエステルフィラメント「クラベラ」の生産開始
クラレに商号変更
岡山工場でエバールの生産開始★★
Kuraray International Corp.設立
鹿島工場操業開始
中条工場でイソプレン誘導品の生産開始
日本ベルクロを吸収合併
鹿島工場で光ディスクの生産開始
エバール樹脂の生産開始
クラフレックスを吸収合併
協和ガス化学工業を吸収合併★★
1990〜2017年グローバル機能素材メーカーへの本格的飛躍Kuraray Europe GmbH設立
非繊維事業への転換「地下茎経営」と、不況に揺るがぬ収益体質づくり

クラレは1988年3月期から4年間の第2次中期経営計画を軸に、繊維事業の高収益化と非繊維事業の拡大を進め、一つの基盤技術が地下でつながり複数の製品群へ枝分かれする『地下茎経営』を掲げた。バブル崩壊後の不況下でも合繊9社で最も落ち込みの小さい収益体質を築いた経営判断である。

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★★★
筑波研究所を設立
西条工場で耐熱性ポリアミド樹脂「ジェネスタ」の生産開始
EVAL Europe N.V.でエバール樹脂の生産開始
和久井康明祖業レーヨンの生産停止と、クラリアントからのポバール・PVB事業の取得

クラレは2001年2月、1926年の創業以来続けてきたレーヨンの生産を止めた。同じ年の12月には、スイスのクラリアントからポバール(ポリビニルアルコール)およびPVB事業を買い取り、ドイツの生産拠点ごと欧州の基盤を手に入れた。国内で祖業を畳み、海外で寡占素材を買い足した一年である。

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★★★
和久井康明スイスClariant AGからポバール・PVB事業を買収★★
和久井康明経営諮問会議を新設し執行役員制度を導入
和久井康明HT Troplast AGからPVBフィルム事業を買収★★
和久井康明RPTV用光学スクリーンから撤退
伊藤文大MonoSol Holdings Inc.・子会社を買収
伊藤文大DuPontからビニルアセテート関連事業を買収★★
伊藤正明Plantic Technologies Limited・子会社を買収
2018〜2022年買収の光と影、米国事故と構造改革の始動伊藤正明米カルゴン・カーボンの取得と、環境ソリューションの第3の柱化

クラレは2017年9月、活性炭の世界最大手である米カルゴン・カーボンを11億700万ドル(約1200億円)で買収すると発表し、2018年3月に手続きを終えた。自社の炭素材料事業と統合し、水処理や大気浄化を担う環境ソリューションを、ビニルアセテート・イソプレンに次ぐ第3の柱に据える構想であった。

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★★★
伊藤正明米国工場で火災事故・訴訟により巨額賠償★★
川原仁東京証券取引所プライム市場へ移行
川原仁ブタジエン誘導品の生産開始
川原仁イソブチレン誘導品の生産開始
川原仁クラレクラフレックスを吸収合併
出典・参考
  • クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)【沿革】
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • ダイヤモンド 1956年5月26日号
  • 読売新聞(1977年6月1日)

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