クラレ米カルゴン・カーボンの取得と、環境ソリューションの第3の柱化

稼ぎ頭が強すぎることは弱点か——1200億円を借入で賄った事業構成の組み替え

時期 2017年9月
意思決定者(推定) 伊藤正明 社長
論点 収益源の偏りの是正と第3の柱の獲得
概要
クラレは2017年9月、活性炭の世界最大手である米カルゴン・カーボンを11億700万ドル(約1200億円)で買収すると発表し、2018年3月に手続きを終えた。自社の炭素材料事業と統合し、水処理や大気浄化を担う環境ソリューションを、ビニルアセテート・イソプレンに次ぐ第3の柱に据える構想であった。
背景
2017年12月期はビニルアセテートが売上高の45%を占め、セグメント利益616億円と全社営業利益の8割超を稼いでいた。稼ぎ頭が強すぎることが弱点で、伊藤正明社長は自前の技術だけで柱を増やすのは難しく、少しM&Aが必要だと語っていた。
内容
買収額は直近株価を6割上回る水準で、借入金の肩代わりを含む総額は12億9700万ドル(約1370億円)に達した。取得原価は約1234億円で、資金の大半は借入に依った。市場は割高とみて発表翌日の株価は一時4%下がり、EV/EBITDA倍率22倍という評価も出た。
含意
機能材料の売上高は2018年12月期に1120億円と前年の3倍近くに伸びた一方、有利子負債は600億円から2166億円へ膨らみ、自己資本比率は71.7%から58.6%へ下がった。買収完了の2か月後には米国子会社の工場で火災が起き、訴訟関連損失が2期で738億円に達した。
筆者の見解

半歩の代金

独自技術だけでは難しいので少しM&Aが必要だ、主力の技術を保ったまま新たな技術分野へ半歩踏み出す——伊藤正明社長が2015年に述べたこの半歩の代金が、1234億円と自己資本比率13ポイントであった。デュポンには2002年から声をかけ続け、2014年にようやく成立させた人の言葉としては、カルゴン・カーボンの決断はいかにも速い。2017年1月にクラレケミカルを吸収して炭素材料事業部を新設し、その年の9月に世界最大手を買っている。好球必打を掲げる打者が、EV/EBITDA倍率22倍という高い球に手を出した点に、ビニルアセテートが全社営業利益の8割を稼ぐ構造への焦りがうかがえる。

誤算は買った事業の側ではなく、既存の事業の側から来た。2018年5月に火災を起こしたのは、買収したばかりの活性炭工場ではなく、長年運営してきた米国のエバール工場であった。訴訟関連損失は2期で738億円に達し、買収と同じ規模の金額が、買収とは無関係の理由で流出したことになる。借入で財務の余裕を使い切った直後にこれが重なった点が、この判断の最も痛いところであったとみることができる。活性炭は環境ソリューションとして北米で根を張り、柱としては立った。それでも、余裕のない状態で不測の事態を迎えるという経験のほうが、その後のクラレには長く残ったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

稼ぎ頭が強すぎるという弱点

2017年12月期のクラレは、連結売上高5184億円・営業利益764億円と過去最高圏にあった。その内訳が問題であった。ビニルアセテートの売上高は2347億円で全社の45%を占め、セグメント利益616億円は全社営業利益の8割を超えていた。ポバールとエバールを軸とする一つの系列が会社を支える構造で、その系列が傷めば会社ごと傾く。強さと脆さが同じ場所にあった[1]

伊藤正明社長は、この構造を早い段階から口にしていた。2015年の時点で、ビニルアセテートはコア中のコアだが未来永劫そうなのかはわからない、と述べている。事業の入れ替えについても、苦労して苦労して事業の縮小撤退を進め会社の中身を入れ替えてきた、キャッシュフローが赤字やROAがマイナスの事業は「体質改善事業」として改善策を検討する、と語り、撤退の側の仕組みはすでに整えていた。足りないのは、入れ替えて据える側の新しい柱であった[2][3]

独自技術だけでは足りないという認識

柱を外から買うという構えは、この社長のもとで言葉になっていた。伊藤正明氏は2015年、今までのように独自技術だけでは難しいので少しM&Aが必要だと述べ、新技術は既存技術と地下茎でつながっているのが望ましいが、初めからそれにこだわりすぎるのもしんどい、主力の技術を保ったまま新たな技術分野へ半歩踏み出すことも必要ではないか、と語っている。創業以来の自前主義を、半歩ぶんだけ緩める宣言であった[4]

もっとも、その半歩は時間をかけて踏むものと考えられていた。2014年に完了したデュポンからのビニルアセテート事業の取得について、伊藤正明氏は2002年ごろに先方へ事業を売らないかと言いに行ったことがあるらしい、2005年から2006年ごろには逆に打診があったがこちらのタイミングが合わなかった、と振り返っている。いい案件、いい会社、いいタイミングが揃うことが大事で「好球必打」と言っている、というのが本人の説明であった。土台の側では、2017年1月にクラレケミカルを吸収合併して炭素材料事業部を新設し、活性炭を自社の中に置き直していた[5][6]

決断

水と環境を戦略領域に置く

2017年9月21日、クラレは活性炭世界最大手の米カルゴン・カーボンを11億700万ドル(約1200億円)で買収すると発表した。1株21.5ドルで全株式を取得する形で、対象はニューヨーク証券取引所に上場し、石炭や木材由来の活性炭に強く、世界7カ国に生産拠点を持つ会社であった。2016年12月期の連結売上高は5億1400万ドル(565億円)、純利益は1300万ドルである。狙いは、水・環境を戦略領域として一段上を狙う点に置かれた[7]

市場の受け止めは冷ややかであった。買収額は直近株価を6割上回る水準で、借入金の肩代わり分を含めると13億2900万ドル(約1490億円)に及ぶ。翌22日の東京株式市場でクラレ株は一時75円安の2025円まで下げた。野村証券の岡崎茂樹氏はEV/EBITDA倍率は22倍で投資回収までには時間がかかる印象だと述べ、投資家は割高とみて売りに回った。買収資金の大半は借入で賄われた[8]

3つめの柱という構想

手続きは2018年3月12日に完了し、借入金を含めた買収総額は12億9700万ドル(約1370億円)、有価証券報告書に記載された取得原価は約1234億円となった。同年4月にはカルゴン・カーボン事業部が新設され、国内で保有していた炭素材料事業と統合されている。原料炭の調達から活性炭の製造、使用済み炭の再生処理までを一つの体制に収める構図であった[9][10]

買収の狙いは、同年6月の事業説明会で伊藤正明社長自身が語っている。炭素材料などの機能材料を、ビニルアセテートやイソプレンに次ぐ3つめの柱にする、という言葉であった。両社の炭素材料事業の2017年度売上高は合わせて843億円で、2020年度に950億円、2025年度には相乗効果を利益で100億円積み上げる目標を掲げた。クラレがアジアに強くカルゴンが欧米を中心とするため、地域の重なりが小さい点も統合の理由に挙げられた[11]

結果

売上は3倍、財務の余裕は半減

数字は構想どおりに動いた。機能材料セグメントの売上高は2018年12月期に1120億円と前年の3倍近くに膨らみ、セグメント資産は517億円から2265億円へ増えた。連結売上高は6030億円、総資産は9471億円に達している。柱をもう一本立てるという意味では、買収は目に見える形で効いた[12][13]

代償は財務に現れた。買収資金の多くを借入で賄ったため、有利子負債は2017年12月期の600億円から2018年12月期には2166億円へ膨らみ、自己資本比率は71.7%から58.6%へ13ポイント下がった。財務の優等生と呼ばれてきた会社が、手元の余裕を一度に使い切った形となる。営業利益も658億円と前期の764億円から後退した[14]

買収の2か月後に起きたこと

財務の余裕を使い切った直後に、別の場所でリスクが表に出た。買収完了から2か月後の2018年5月、米国子会社の工場で外部委託業者の作業員が負傷する火災事故が発生し、損害賠償を求める民事訴訟が提起された。クラレは2019年12月期に訴訟関連損失506億円、2020年12月期にも232億円を特別損失として計上している。2019年12月期は19億円の純損失となり、買収の翌々期に赤字へ落ちた[15][16]

訴訟は長引いたのち収束した。2023年4月、訴え却下の申立てが認められる見込みの1名を除く係争中のすべての原告と和解が成立し、その1名についても同年7月に申立てが認められて本件は解決している。一方、買った事業のほうは環境ソリューションとして根を張った。2023年の時点で、北米の飲料水用途や工業用途で需要が増え活性炭の販売は堅調に推移している。柱としては立ったといえる[17][18]

出典・参考

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