東レ の歴史

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創業 1926年
母体 三井物産の出資
創業地 滋賀県大津市
創業
1926年1月に三井物産の出資により資本金1,000万円で東洋レーヨンが設立された。大正時代において、当時の先端技術であった人造絹糸(レーヨン)は有望な成長市場だったが、量産に成功する保証がなく、三井物産は自らの内部事業とせず別会社を興し、社名からも「三井」を外してリスク管理した。翌1927年8月、滋賀県石山の滋賀工場でビスコース法によるレーヨン糸の生産を始めて量産に成功。終戦後の1949年に東京証券取引所へ上場し、社名を東レへ改めたのち、ナイロンとポリエステルで合成繊維メーカーへ転じた。
決断
繊維産業が斜陽化する中で、あえて先端投資を続けた点が特異であった。1951年6月、米デュポンとナイロンの技術提携を結んだ。資本金の1.5倍の前払金を投じて得たのは特許の実施許諾が中心で、量産は名古屋工場の試行錯誤に委ねられた。自前で立ち上げた経験はここで刻まれ、1971年8月には炭素繊維「トレカ」を世界で最初に量産した。用途はゴルフシャフトや釣り竿にとどまり、赤字はおよそ40年続いた。1975年9月、繊維各社が非繊維へ多角化する不況期に藤吉次英社長は「脱繊維」を否定して繊維に残ると決めた。1987年就任の前田勝之助氏は自社を「大企業病」と診断して評論家的な社員の入れ替えに踏み切り、繊維と先端材料へ資源を集めた。赤字の年数を撤退の理由にしなかったことが、現在ボーイング787の機体へ炭素繊維を供給する立場を残した。
現況
現在も最大の主力事業は、先端材料の炭素繊維ではなく、創業以来の繊維である。2026年3月期の売上収益2兆5,851億円のうち繊維事業が1兆511億円と4割を占め、セグメント利益も680億円で5事業の首位に立つ。斜陽とされた繊維をここまで戻したのは、2006年にユニクロと企画から物流までを一本に結んだことである。対する炭素繊維複合材料は売上3,001億円・利益176億円にとどまり、2014年に米ゾルテックを買収して広げた産業用途では風力発電向けの需要が戻らず、2024年3月期に193億円の減損損失を計上した。全社の営業利益は972億円で、売上収益に対する比率は4%に達しない。規模を保つことを優先して積み上げた事業群がそのまま資本効率を押し下げ、2024年からは赤字の事業と会社を名指しして構造改革にかけている。
競合
同じ技術を同じ相手から同時に買った帝人とは、繊維に残るかどうかで道が分かれた。1957年2月、ポリエステルの独占を諦める代わりに競合の帝人と2社同資格で英ICIの実施許諾を受け、商標「テトロン」まで共通にした。その帝人は1968年に未来事業本部を発足させて多角化へ動き、医薬品を新しい収益源に育て、東洋紡も1982年に創業100年を機に非繊維へ広げた。東レだけが繊維に人と資本を残し、ユニクロとの連携を経て2024年度に繊維事業の売上収益が初めて1兆円を超えた。炭素繊維では東レが世界首位を占めるが、先に広げた産業用途は買い手の産業が育たず、投じた資本を減損で戻すことになった。素材の優劣ではなく、その素材を買う産業が伸びたかどうかが優劣を分け、現在の東レはアパレルと航空機という育った顧客産業に支えられている。

設立ストーリー 三井物産の投資から始まる東洋レーヨンの設立と合成繊維メーカーへの転身 (1926年〜)

水質が立地を決めた技術文化の原点

レーヨン(人造絹糸)が日本に商品として初めて輸入[1]されたのは1905年で、以後、天然の生糸を補う新素材として国内の需要が増え、輸入量も伸び続けた。この市場の広がりを背景に、三井物産はみずからレーヨン製造会社を興す計画を立て[2]、ビスコース法によるレーヨン糸工場を滋賀県の琵琶湖畔に建てることを決めた。1926年1月に東京日本橋の三井物産社内で開かれた創立総会では、創立に尽力した安川雄之助氏が議長に推された[3]。東洋レーヨンはこの三井物産の事業計画から生まれた会社であり、世界の最高水準をめざすレーヨン糸工場を一から興すことを出発点に据えた(企業の歴史:明治百年 1968)。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]人造絹糸(レーヨン)が日本に商品として初めて輸入されたのは1905年(明治38年)
    • [2]三井物産がレーヨン製造会社の創設計画を立て、滋賀県琵琶湖畔にビスコース法によるレーヨン糸工場を建設することにした(沿革1927年8月「滋賀県石山に滋賀工場を設立しレーヨン糸の生産を開始」とも整合)
    • [3]1926年1月(1926年1月)の創立総会で、創立に尽力した安川雄之助氏が議長に推された

1926年1月、東洋レーヨンは三井物産の子会社として資本金1,000万円[4]で設立された。第一次世界大戦期に蓄積された三井物産の利益の投資先として化学繊維事業を選び、天然繊維を補う新素材として需要が見込まれた。工場用地の選定では国内20か所以上で水質調査を実施し、琵琶湖水系の水質が製造工程に最も適合するとの判断から、滋賀県大津を生産拠点に定めた。社名を『東洋』としたのは、前田勝之助の回想によれば「『東洋』の名を頭につけることになったのは、大正末期の創業期には人絹生産がかなりリスクのある事業と思われ、失敗した場合に三井家に迷惑をかけることを予想して、あらかじめそれを避けようとしたからだ。つまり東レは今でいうベンチャービジネスだったんですよ」(日経ビジネス 1984/8/6)というものだった。のちに築く技術重視の経営文化の原点が、創業期に形作られた。

  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1926年1月12日 三井物産㈱の出資により資本金10,000千円(1,000万円)で東洋レーヨン㈱を設立

1927年8月には滋賀工場で最初のレーヨン糸を紡出し[5]、翌1928年から紡糸機40台を用いた本格的な量産に入った。1931年にはレーヨン分野で国内有数のシェアに到達し、1938年には瀬田工場を新設して生産能力を拡げ[6]、1941年には国内3社を合併して[7]生産基盤を全国規模へ広げた。レーヨンは当時の天然繊維の代替素材として安定した需要を持ち、世界恐慌や戦時統制という厳しい経済環境下でも一定の販路を維持できた。東レの創業期における収益基盤だっただけでなく、のちの合成繊維参入や多角化へ向けた利益剰余金の蓄積源にもなり、経営資源として長期にわたり重要な位置を占めた。1962年には『レーヨン撤退戦でも東洋レーヨンが独走』[引用元]と評されるまでに、レーヨン分野での業界地位を築き上げていた。

  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1927年8月 滋賀工場(滋賀県石山)でビスコース法によるレーヨン糸の生産を開始
    • [6]1938年2月 瀬田工場を新設(レーヨンステープルの紡織一貫工場として完成)
    • [7]1941年7月 戦時下の企業統合で東洋絹織㈱・庄内川レーヨン㈱・㈱庄内川染工所の3社を吸収合併(有報沿革の記載)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]人造絹糸(レーヨン)が日本に商品として初めて輸入されたのは1905年(明治38年)
    • [2]三井物産がレーヨン製造会社の創設計画を立て、滋賀県琵琶湖畔にビスコース法によるレーヨン糸工場を建設することにした(沿革1927年8月「滋賀県石山に滋賀工場を設立しレーヨン糸の生産を開始」とも整合)
    • [3]1926年1月(1926年1月)の創立総会で、創立に尽力した安川雄之助氏が議長に推された
  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1926年1月12日 三井物産㈱の出資により資本金10,000千円(1,000万円)で東洋レーヨン㈱を設立
    • [5]1927年8月 滋賀工場(滋賀県石山)でビスコース法によるレーヨン糸の生産を開始
    • [6]1938年2月 瀬田工場を新設(レーヨンステープルの紡織一貫工場として完成)
    • [7]1941年7月 戦時下の企業統合で東洋絹織㈱・庄内川レーヨン㈱・㈱庄内川染工所の3社を吸収合併(有報沿革の記載)

特許だけを買ったゆえに育った自前技術の源流

1951年6月、自社は米国デュポン社とナイロンの技術提携契約を締結[8]した。ロイヤルティ前払い金として300万ドル、当時の為替レートで10.8億円という規模の資金を支払う決断であり、当時の資本金7.5億円を上回る規模の投資だった。契約は特許実施権の取得を中心に品質向上とコスト引き下げに向けた技術援助も含んでいたが[9]、量産の技術そのものは自力で立ち上げる部分が大きく、実際の生産立ち上げには試行錯誤と現場エンジニアの工夫を要した。翌1952年の社内向け記事ではアミラン繊維[10]の成否が会社の浮沈を左右するという率直な危機感が語られ、技術援助を得てもなお技術を自力で立ち上げるという原型が、ナイロン国産化期に刻まれた(産業と産業人 1952/1)。この困難な経験が東レで独自に技術を確立する経営方針として根付き、のちに技術蓄積の源泉となり、炭素繊維で40年にわたる忍耐強い技術投資を支える組織文化の原点となった。

  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1951年6月 米国DuPont社とナイロンの技術提携契約を締結
  • 産業と産業人(1952年1月)
    • [9]当時の社内向け記事(産業と産業人 1952年1月)は「ナイロンの特許権を獲得すると共に、技術援助を受けて、品質の向上とコストの引き下げを計ることになった」と記述しており、本文はこれに合わせて技術援助を受けた旨を明記
    • [10]1952年の社内向け記事に「結局このアミラン繊維の成果如何が、当社の浮沈に影響するところも大きい」という危機感の記述があり、本文の引用内容と一致

1951年4月には名古屋工場でナイロン生産が本格稼働し[11]、レーヨンに次ぐ第二の事業の柱を築いた。1953年には国産ナイロン製品の店頭価格[12]がブラウス1枚あたり4,000円から2,000円へ半減し、純絹のクレープデシンと同価格帯にまで下がって市場普及期に入った(読売新聞 1953/6/2)。1957年には英国ICI社からポリエステル繊維の技術[13]を導入し、帝人との業界共同事業として『テトロン』の商標のもとで販売を開始する体制を整えた。[14]ナイロンとポリエステルという合成繊維の二つの柱を手に入れ、創業期のレーヨンメーカーから戦後日本を代表する合成繊維メーカーへ事業構造を転換し、高度経済成長期の衣料需要拡大の波に乗って事業を拡大した。1962年には基礎研究所を新設し[15]、研究開発を組織的に進める経営体制が整い、技術を長期にわたり育てる東レ独自の経営スタイルが制度として根付いた。

  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1951年4月 ナイロン工業化のため名古屋工場を建設し、ナイロンの本格生産を開始
    • [13]有報沿革は1957年2月「英国ICI社とポリエステル繊維の技術提携契約を締結」と記載(timelineも「英国ICI社ポリエステルに関する技術提携契約」、decisions/polyester-ici-alliance-1957.yamlも「ポリエステル繊維」で統一)。本文はこれに合わせて「ポリエステル繊維の技術」と記載
    • [14]ポリエステル繊維「テトロン」の生産開始(1958年4月 三島工場完成・東レテトロンの生産開始)
    • [15]1962年9月 基礎研究活動促進のため基礎研究所(現基礎研究センター)を開設
  • 読売新聞(1953年6月2日)
    • [12]1953年に国産ナイロン製品の価格が前年の半値に下がったことは読売新聞の記事(「下着類など去年の半分のお値段に下がっている」)と整合
  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1951年6月 米国DuPont社とナイロンの技術提携契約を締結
    • [11]1951年4月 ナイロン工業化のため名古屋工場を建設し、ナイロンの本格生産を開始
    • [13]有報沿革は1957年2月「英国ICI社とポリエステル繊維の技術提携契約を締結」と記載(timelineも「英国ICI社ポリエステルに関する技術提携契約」、decisions/polyester-ici-alliance-1957.yamlも「ポリエステル繊維」で統一)。本文はこれに合わせて「ポリエステル繊維の技術」と記載
    • [14]ポリエステル繊維「テトロン」の生産開始(1958年4月 三島工場完成・東レテトロンの生産開始)
    • [15]1962年9月 基礎研究活動促進のため基礎研究所(現基礎研究センター)を開設
  • 産業と産業人(1952年1月)
    • [9]当時の社内向け記事(産業と産業人 1952年1月)は「ナイロンの特許権を獲得すると共に、技術援助を受けて、品質の向上とコストの引き下げを計ることになった」と記述しており、本文はこれに合わせて技術援助を受けた旨を明記
    • [10]1952年の社内向け記事に「結局このアミラン繊維の成果如何が、当社の浮沈に影響するところも大きい」という危機感の記述があり、本文の引用内容と一致
  • 読売新聞(1953年6月2日)
    • [12]1953年に国産ナイロン製品の価格が前年の半値に下がったことは読売新聞の記事(「下着類など去年の半分のお値段に下がっている」)と整合

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東レの沿革1926〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1926〜1969年三井物産の投資から始まる東洋レーヨンの設立と合成繊維メーカーへの転身三井物産による人絹事業への出資と、「三井」を冠さない東洋レーヨンの設立

1926年1月、三井物産は資本金1000万円の東洋レーヨンを設立した。物産にとって初めての製造事業でありながら、社名に『三井』を冠さず、工場は琵琶湖畔の石山に置いた。設備・技術・原料をいずれも欧州から集め、人造絹糸の国産化を図った創業の判断。

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★★★
レーヨンで国内シェア確保
瀬田工場を新設
国内3社を合併
東京証券取引所に株式上場
米デュポンとのナイロン技術提携

1951年、レーヨン専業の大手だった東洋レーヨンが、会長・田代茂樹氏の主導で米デュポンとナイロンの特許使用許諾契約を結んだ経営判断。前払金300万ドル(約10億8000万円)は資本金7億5000万円のほぼ1.5倍にあたり、社内向け記事が『浮沈に影響する』と書いた社運の技術導入だった。

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★★★
英ICIからのポリエステル繊維技術の導入と、帝国人造絹絲との共同導入

1957年2月、東洋レーヨンが英ICIとポリエステル繊維の技術提携契約に調印した経営判断。同じ技術を求めていた競合の帝国人造絹絲(帝人)と2社同資格でライセンスを受け、ライセンス料もロイヤルティも両社合算とし、商標『テトロン』まで共通にした。会長の田代茂樹氏は交渉に先立ち、他社首脳に『東レは独占の意思は毛頭ない』と伝えていた。

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★★★
三島工場が竣工、ポリエステル繊維「テトロン」生産開始★★
ポリエステルフィルム「ルミラー」本格生産開始
PNC法でプロラクタムの生産開始
基礎研究所を新設
タイでの合弁2社の設立と、海外現地生産の開始

1963年3月、東洋レーヨン(現・東レ)が現地資本との合弁でタイ東レ・テクスタイル・ミルズ(TTTM)を設立し、翌1964年4月に操業を始めた経営判断。同じ年に魚網用ナイロンの東レナイロンタイ(TNT)も設立しており、同社にとって初の海外合弁会社はこの2社であった。

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★★★
1970〜2013年藤吉次英社長の「繊維に残る」宣言と炭素繊維40年の赤字を抱えた技術投資商号を東レに変更
樹脂とフィルムに設備投資
炭素繊維「トレカ」の事業化と、黒字化まで約40年におよぶ赤字事業の継続

1971年8月、東レは世界に先駆けてPAN系炭素繊維の量産にこぎつけ、『トレカ』の名で売り出した。ただし用途はスポーツ用品にとどまり、事業は約40年にわたり赤字を続けた。撤退を選ばず研究開発と設備投資を継ぎ足し、2000年代の航空機採用でようやく収益化した経営判断。

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★★★
石川工場を新設
藤吉次英社長による「脱繊維」の否定と繊維への残留

1975年、石油危機後の繊維不況のなかで繊維各社が非繊維分野へ多角化するなか、東レの藤吉次英社長が編集長インタビューで安易な『脱繊維』を明確に否定し、繊維と、そこから派生する先端材料に事業の中心を据え続けると表明した経営判断。

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★★★
インターフェロン-β製剤の製造承認を取得
繊維部門の人員配置転換
前田勝之助前田勝之助氏が「大企業病」を自己診断した経営改革

1987年、ナイロンやテトロンで急成長した優等生・東レが、社長に就いた前田勝之助氏の主導で、社内の『大企業病』を自己診断し、評論家的な社員の入れ替えと繊維・先端材料への集中で経営を立て直した経営判断。前田は自社の病を『糖尿病』と『急性肺炎』にたとえ、風土そのものの改革に取り組んだ。

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★★★
前田勝之助B777向け炭素繊維を納入
前田勝之助長期経営ビジョンAP-G2000を策定
前田勝之助カラーフィルターの量産開始
前田勝之助現地生産開始
平井克彦長期経営ビジョンNew AP-G2000を策定
平井克彦最終赤字に転落★★
平井克彦中期経営課題NT21を策定
榊原定征蝶理を子会社化
榊原定征B787向け炭素繊維を納入★★
榊原定征ファーストリテイリングとの戦略的パートナーシップとヒートテックの共同開発

2006年、繊維を斜陽産業とみなす風潮のなかで繊維事業への投資を続けた東レが、榊原定征社長のもとでファーストリテイリング(ユニクロ)と戦略的パートナーシップを締結した経営判断。素材の企画・開発から生産・物流までを両社が一貫して結び、その中身をヒートテックの共同開発が象徴した。

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★★★
榊原定征2期連続の最終赤字に転落
2014〜2023年先端材料メーカーへの進化とDプロによる資本効率経営への転換日覺昭廣米ゾルテックの買収による産業用炭素繊維への参入

2014年、炭素繊維で世界首位の東レが、技術を自前で育てる従来の路線を転換し、初めての大型M&Aで米ゾルテックを買収した経営判断。約580億円(有価証券報告書の取得支出は913億円)でラージトウ炭素繊維に参入したが、狙った風力発電向けの需要が想定どおりには伸びず、2024年3月期にのれんなどで192億円を減損した。

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★★★
日覺昭廣蘭テンカーテ・アドバンスト・コンポジットの買収による熱可塑性複合材料への参入

2018年3月14日、炭素繊維で世界首位の東レが、オランダの炭素繊維複合材料メーカー、テンカーテ・アドバンスト・コンポジット(TCAC)の全株式取得で親会社と合意した経営判断。負債の肩代わりを含む総費用は約1230億円で、当時の東レとして過去最大の買収であった。同年7月17日に取得を完了した。

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★★★
日覺昭廣人員解雇
日覺昭廣中期経営課題PJ「AP-2025」を開始
大矢光雄構造改革「Dプロ」の開始★★
大矢光雄政策保有株式の順次売却を公表
出典・参考
  • 東レ 有価証券報告書 第144期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 読売新聞(1953年6月2日)
  • 産業と産業人(1952年1月)

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