樹脂とフィルムに設備投資
繊維依存からの脱却が課題となった1970年前後の事業環境
1960年代後半から1970年にかけて、日本の繊維産業は構造的な収益悪化に直面していた。円高方向への為替変動に加え、韓国・台湾などアジア諸国の繊維メーカーが生産能力を拡大したことで、衣料用途を中心に価格競争が激化した。合繊メーカー各社にとって、繊維以外の分野に新たな成長機会を求める多角化は共通の経営課題となっていた。
東レにとっても繊維事業への依存度の高さは経営上の課題であった。ナイロンとポリエステルで国内トップの生産能力を有していたが、市場の成熟化と価格下落によって数量成長と利益率の両面で制約が意識されるようになっていた。事業の多角化は選択肢として検討されていたが、繊維以外の分野で競争力を持てるかどうかは未知数であった。
こうした環境下で、樹脂やフィルムは多角化の有力な候補として浮上した。両分野は合成繊維で蓄積してきた高分子合成・成形・量産の技術と共通性を持ち、最終製品や用途は異なるものの、既存の技術基盤を応用できる領域であった。繊維とは異なる需要構造を持つ工業材料分野に技術を展開することで、事業ポートフォリオの拡張を図る方針が示された。
用途別の専用工場を新設して樹脂・フィルムの量産体制を構築
1970年1月、東レは多角化の一環として樹脂・フィルム分野の設備投資を実行し、複数の生産拠点を新設した。ABS樹脂の量産を目的とした千葉工場、PPフィルムの東海工場、PEフィルムの岐阜工場はいずれも新設工場であり、既存工場への併設ではなく、用途別に専用ラインを構築する形が取られた。
当時の樹脂・フィルム市場は、包装材、工業用途、電機・電子用途を中心に成長が見込まれていた。包装用フィルムは食品・日用品の流通拡大に伴って使用量が増加しており、ABS樹脂は家電製品や自動車部品の素材として採用が広がっていた。これらの用途はいずれも数量ベースでの拡大が想定されており、生産能力の先行確保が競争上重要であった。
設備投資の判断は、短期的な採算性よりも将来の需要増加に対応する供給体制の整備を優先したものであった。繊維事業で培った高分子技術を樹脂・フィルムに転用することで開発コストを抑制しつつ、量産設備を先行して確保する戦略が取られた。繊維以外の分野で量産体制を持つことは、東レにとって事業構造を変える第一歩であった。
プラスチック・フィルム市場の拡大がもたらした売上構造の変化
1980年代に入ると、樹脂・フィルム分野は数量拡大を伴って成長した。フィルム分野ではPET・OPP・PEが包装用途で使用量を伸ばしたほか、家庭用および業務用ビデオテープ向けフィルムの需要が急拡大した。磁気テープ用途では1980年代後半に国内市場のおよそ半分を占める水準に達し、フィルム事業全体の生産量を押し上げる要因となった。
プラスチック分野ではABS樹脂を中心に家電製品や自動車部品向けの採用が進み、製品の小型化・軽量化の流れとともに使用量が増加した。1980年代後半にはフィルム事業単体で年商1000億円規模に達し、樹脂・フィルムを中心とするプラスチック分野は1990年前後には東レ全体売上の約23%を占めるまでに拡大した。
繊維単一であった売上構成は、樹脂・フィルム事業の成長によって変化した。多角化の起点となった1970年の設備投資は、10年以上の時間をかけて事業としての規模を確立し、東レの収益構造に厚みを加えた。一方で、磁気テープ用途は1990年代以降にデジタル化の進展により需要が急減しており、市場の成長を前提とした量産投資が長期的に収益を保証するものではないことも、後に明らかとなった。