東宝 の歴史

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創業 1932年
創業者 小林一三
創業地 東京都
創業 1932年8月、阪急電鉄を興した小林一三氏が、東京・日比谷に株式会社東京宝塚劇場
1932年8月、阪急電鉄を興した小林一三氏が、東京・日比谷に株式会社東京宝塚劇場を設立した。鉄道沿線に劇場と百貨店を置いて乗客を集め、地価と賃料で回収する大阪の仕組みを、自前の鉄道がない東京へ移すことを狙った。1934年元旦に開場すると、浅草と新宿に偏っていた興行街の隙間だった丸の内へ日劇・東宝・日比谷映画を集め、松竹の本拠に隣接する娯楽街を作った。1937年8月には写真化学研究所やJOスタジオなど映画関連4社を統合して東宝映画を設立し、他社に委ねていた製作機能を取り込む。1943年12月に東宝映画と合併して製作・配給・興行・演劇の一貫経営を固め、社名を東宝株式会社へ改めた。
決断 映画の当たり外れを、劇場ではなく賃料で吸収してきた。戦後の1948年4月には1,
映画の当たり外れを、劇場ではなく賃料で吸収してきた。戦後の1948年4月には1,200名の人員整理と撮影所の一時閉鎖に踏み切り、資本金の倍にあたる赤字を処理した。テレビの普及で邦画の年間入場者が1958年の11億人超から落ち続けると、清水雅社長は1958年5月に不動産活用委員会を設置して劇場を不動産として運用し、日比谷・有楽町・新宿の所有ビルで映画館を1〜2階に抑え、総面積の7〜8割を名店街や食堂へ賃貸した。1971年には土地建物の賃貸収入が全収入の11.6%に達している。2003年2月にはヴァージン・シネマズ・ジャパンを約100億円で取得し、シネコン化の遅れを一括で埋めた。
現況 利益の最大は不動産ではなく、ふたたび映画に戻っている。2026年2月期の連結売上
利益の最大は不動産ではなく、ふたたび映画に戻っている。2026年2月期の連結売上高3,606億円は、映画1,826億円、不動産791億円、IP・アニメ752億円、演劇223億円で構成される。セグメント利益は映画373億円が最大で、不動産190億円、IP・アニメ172億円が続く。斜陽期を賃料が支えたのに対し、現在は自社製作と権利の保有が利益を作る。2024年6月から10月にかけてアニメ制作のサイエンスSARUと北米配給のGKIDSを子会社化し、企画から北米配給までを自社に収めた。配給手数料を受け取るのではなく製作費を負担して権利を厚く持つ設計へ移したことが、作品が当たったときに手元へ残る額を変えた。
競合 同じ映画3社でも、不動産を残したか手放したかで斜陽期の明暗が分かれた。1957年
同じ映画3社でも、不動産を残したか手放したかで斜陽期の明暗が分かれた。1957年の直営館の月間収入は東宝2.5億円に対し松竹1.5億円で、館数が松竹49・東宝46と拮抗しながら1館あたりで差がついていた。松竹はのちに大船撮影所を鎌倉女子大学へ譲渡して2000年6月に閉鎖したが、東宝は日比谷・有楽町の一等地を保有したまま賃料で製作費を賄った。現在の競争の焦点は劇場網ではなく作品の権利で、出版発の作品を映像へ広げたKADOKAWAやソニー傘下のアニプレックスと同じ場所で争う。劇場を持つことではなく権利を持つことが、利益の差を決める側へ移った。
長期業績の推移 1933〜2026年
東宝:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1997年2月期〜2026年2月期

第1章 1932-1947 (気が向いたら執筆します!) 小林一三氏の東京宝塚劇場と東宝映画、帝国劇場の合併と東宝の誕生

第2章 1948-1972 (気が向いたら執筆します!) 東宝争議の人員整理と上場、「ゴジラ」と不動産活用委員会

第3章 1973-2002 (気が向いたら執筆します!) 東宝不動産の上場と有楽町マリオン・東宝日比谷ビルの開発

第4章 2003-2026 (気が向いたら執筆します!) ヴァージン・シネマズ買収によるTOHOシネマズと「シン・ゴジラ」、アニメ事業の拡大

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歴史年表 1932〜2024年

東宝の沿革1932〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1932〜1947年小林一三氏の東京宝塚劇場と東宝映画、帝国劇場の合併と東宝の誕生小林一三が東京宝塚劇場を設立★★
東横映画劇場を合併★
東宝映画を設立★★
帝国劇場を合併★★
製作・配給・興行・演劇を一社に束ねる一貫経営体制の確立

1943年12月、株式会社東京宝塚劇場は自らが設立した東宝映画株式会社を合併し、社名を東宝株式会社へ改めた。劇場興行から出発した会社が映画の製作・配給機能を取り込み、製作・配給・興行・演劇を一社で垂直統合する一貫経営体制を固めた合併であった。

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★★★
梅田映画劇場・南街映画劇場を合併★
スバル興業を設立★
1948〜1972年東宝争議の人員整理と上場、「ゴジラ」と不動産活用委員会渡辺銕蔵1,200名の人員整理と撮影所の一時閉鎖

1948年4月、東宝は1,200名に及ぶ人員の整理と撮影所の一時閉鎖を発表した。六代目社長の渡辺鉄蔵氏はこれを『起死回生のために止むを得ず行った大手術』と公表した。発表は第三次東宝争議の引き金となり、同年8月には撮影所へ武装警官と米軍が出動する事態にまで至った。

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★★★
渡辺銕蔵三和興行を設立★
米本卯吉東京・大阪・名古屋証券取引所に上場★
小林一三映画「ゴジラ」第1作を公開★★
小林富佐雄東宝本社ビルが竣工★
清水雅興行の場である劇場を不動産資産として運用する体制への移行

1958年5月1日、東宝は本社に不動産活用委員会を設置した。劇場の内部・屋上・壁面から遊休の空間までを収益源として洗い直し、総合ビルの建設と関係会社の整備を進める常設機関で、清水雅社長の構想によるものであった。映画の斜陽が語られる時期に、興行会社の収益基盤を家賃収入へと組み替えていく出発点の判断であった。

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★★★
清水雅東京・大阪・名古屋証券取引所の各市場第一部に指定★
清水雅千代田土地建物が東宝不動産に商号変更★
松岡辰郎新宿東宝会館完成★
1973〜2002年東宝不動産の上場と有楽町マリオン・東宝日比谷ビルの開発松岡辰郎東宝不動産が東京証券取引所一部に上場★
松岡功有楽町センタービル(有楽町マリオン)完成★
松岡功東宝日比谷ビルが竣工★
石田敏彦東京宝塚ビルが竣工★
2003〜2026年ヴァージン・シネマズ買収によるTOHOシネマズと「シン・ゴジラ」、アニメ事業の拡大高井英幸シネマコンプレックス網の取り込みによる映画興行の自社一元化

2003年、東宝は英ヴァージングループから複合映画館(シネコン)の運営会社ヴァージン・シネマズ・ジャパンの全株式を約100億円で取得し、子会社に収めた。VCJの全国8館・81スクリーンを自社の284スクリーンに加えて興行網は365スクリーンに達し、興行会社として業界首位へ立った。既存館は"東宝プレックス"へ改称し、六本木の新館には"ヴァージン"ブランドを残した。

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★★★
高井英幸東宝本社を東宝日比谷ビルに移転★
高井英幸映画興行部門を会社分割しTOHOシネマズに承継★★
高井英幸コマ・スタジアムを子会社化★
島谷能成島谷能成が代表取締役社長に就任★
島谷能成新宿東宝ビル竣工★
島谷能成映画「シン・ゴジラ」公開★
島谷能成東宝不動産を合併★
島谷能成「TOHO animation」レーベルが「鬼滅の刃」テレビアニメを展開開始★★
松岡宏泰松岡宏泰が代表取締役社長に就任★
松岡宏泰映画「ゴジラ-1.0」公開★
松岡宏泰制作から北米配給までのグループへの取り込み

2024年、東宝はアニメIP事業の上流と下流を相次いでグループに取り込んだ。6月に株式会社サイエンスSARUの株式を取得して連結子会社とし、10月には連結子会社(孫会社)のToho International, Inc.がGKIDS, INC.の株式100%を取得して連結子会社とした。GKIDSの取得原価は19,200百万円、企業結合日は2024年10月17日である。

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★★★
松岡宏泰北米アニメ配給会社GKIDS,Inc.を子会社化★★
出典・参考

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