1958年〜 漁場4年・埋立11年から始まる立地優位の獲得
- 1960年 浦安沖の埋立とオリエンタルランドの設立
- 1962年 千葉県と土地造成・分譲協定を締結
- 1964年 浦安沖の海面埋立造成工事を開始
- 1975年 海面埋立造成工事を完了
- 1979年 三井不動産の反対を退けたディズニー独占ライセンス契約 住宅で早く回収するか、数十年かけてテーマパークに賭けるか——三井不動産の反対を退けた高橋政知の選択
- 1980年 東京ディズニーランドの建設に着工
- 1983年 東京ディズニーランドの開業と「黒船以来」の衝撃 米国式テーマパークを浦安の埋立地へそのまま移す賭けは、日本の遊びと消費のかたちを変えたか
私鉄経営から派生した浦安沖埋立への賭け
1958年、京成電鉄社長の川崎千春氏は渡米してカリフォルニアのディズニーランドを視察[1]し、沿線開発の延長として東京近郊への誘致を構想した。川崎氏は三井不動産社長の江戸英雄氏に協力を求め、1960年7月、京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%[2]の出資で株式会社オリエンタルランドを設立した。資本金は2億5,000万円[3]で、テーマパーク建設の所要額には遠く及ばない規模である。事務所は上野の京成電鉄本社5階に置かれ、机3つ、役職員3人[4]から出発した。定款が掲げた目的は千葉県浦安沖の海面を埋め立て、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設[5]を行うことであり、創業期の実態は集客事業の運営会社ではなく用地造成の交渉組織だった。
- 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
- [1]京成電鉄社長 川崎千春がディズニーランド誘致を構想(創業者)
- [2]設立時の出資比率は京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%
- [4]設立時の事務所は上野の京成電鉄本社5階・机3つ・役職員3人
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [3]1960年7月 資本金2億5,000万円にて株式会社オリエンタルランドを設立
- [5]設立目的は浦安沖の海面埋立、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設
設立直後の最大の課題は、浦安沖の漁場を埋め立てるための漁業補償交渉[6]だった。専務の高橋政知氏が交渉を担い、連日連夜の酒席を重ねて[7]漁業関係者との信頼を築いた。組織の要となる人物を先に説得する手法で4年をかけて合意にこぎつけ、1962年7月に千葉県と『浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定』を締結[8]している。1964年9月に浦安沖の海面埋立造成工事が始まり[9]、完了したのは11年後の1975年11月[10]だった。千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲は1970年3月に開始され[11]、分譲を受けた住宅用地の販売は1972年12月に始まっている[12]。
- 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
- [6]設立直後の最大の課題は浦安沖の漁業補償交渉
- ガバナンスキュー(2023年10月23日)(田中幾太郎)
- [7]高橋政知が漁業補償交渉を担当(のち社長・会長)
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [8]1962年7月 千葉県と「浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定」を締結
- [9]1964年9月 浦安沖の海面埋立造成工事を開始
- [10]1975年11月 浦安沖の海面埋立造成工事が完了
- [11]1970年3月 千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲が開始
- [12]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始
造成された埋立地は、東京都心から電車で約30分[13]の位置にあった。のちに社長となる加賀見俊夫氏はこの立地を成功の第一の理由に挙げ、『半径一〇〇キロメートルの所に三〇〇〇万人以上の人口がいて、しかも可処分所得が非常に高い人が多い』と述べている(週刊東洋経済 2001年5月12日号)。第二パークの構想時に米ディズニー側と交わした議論でも、人口が集積し可処分所得も高い場所は世界に二つ、東京とニューヨークのマンハッタン[14]だという結論になった。加賀見氏は1958年に京成電鉄へ入社し、1972年にオリエンタルランドの不動産事業部次長[15]へ移っている。
- 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
- [13]埋立地は東京都心から電車で約30分の立地
- 週刊東洋経済 2001年5月12日号
- [14]米ディズニーとの議論で、人口集積と高可処分所得を両立する場所は東京とマンハッタンの2か所と結論
- [15]加賀見俊夫 1936年生・1958年京成電鉄入社・1972年オリエンタルランド不動産事業部次長
- 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
- [1]京成電鉄社長 川崎千春がディズニーランド誘致を構想(創業者)
- [2]設立時の出資比率は京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%
- [4]設立時の事務所は上野の京成電鉄本社5階・机3つ・役職員3人
- [6]設立直後の最大の課題は浦安沖の漁業補償交渉
- [13]埋立地は東京都心から電車で約30分の立地
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [3]1960年7月 資本金2億5,000万円にて株式会社オリエンタルランドを設立
- [5]設立目的は浦安沖の海面埋立、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設
- [8]1962年7月 千葉県と「浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定」を締結
- [9]1964年9月 浦安沖の海面埋立造成工事を開始
- [10]1975年11月 浦安沖の海面埋立造成工事が完了
- [11]1970年3月 千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲が開始
- [12]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始
- ガバナンスキュー(2023年10月23日)(田中幾太郎)
- [7]高橋政知が漁業補償交渉を担当(のち社長・会長)
- 週刊東洋経済 2001年5月12日号
- [14]米ディズニーとの議論で、人口集積と高可処分所得を両立する場所は東京とマンハッタンの2か所と結論
- [15]加賀見俊夫 1936年生・1958年京成電鉄入社・1972年オリエンタルランド不動産事業部次長
株主の住宅分譲案を退けた高橋政知氏の超長期投資
1977年、大株主の三井不動産が誘致計画の中止を正式に要請[16]し、埋立地を住宅用地として分譲する方針を主張した。造成地では千葉県から分譲を受けた住宅用地の販売が既に始まっており[17]、分譲による早期の回収は筋の通った選択である。専務の高橋政知氏はこれを退け、テーマパークによる長期の集客に賭ける道[18]を選んだ。高橋氏は1978年に社長へ就いて意思決定権を握り、ディズニー社との交渉を進めている。三井不動産と京成電鉄は現在もオリエンタルランドの大株主であり、2024年2月には米エリオット・マネジメントが三井不動産に対して保有株の売却を要請[19]した。
- ガバナンスキュー(2024年2月6日)(田中幾太郎)
- [16]1977年 三井不動産が誘致計画の中止を要請し、埋立地の住宅用地分譲を主張
- [18]高橋政知が三井不動産の撤回圧力を退け、テーマパークによる長期の集客を選択
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [17]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始
- 日本経済新聞(2024年2月5日)
- [19]2024年2月 米エリオットが三井不動産にオリエンタルランド株の売却を要請
1979年4月、米国法人ウォルト・ディズニー・プロダクションズ[20]との間に、東京ディズニーランドのライセンス、設計、建設および運営に関する業務提携の契約を締結した。オリエンタルランドがロイヤリティを支払う一方でディズニー社は出資せず、利益の大半を自社に残して次の設備へ回せる形をとっている。1980年12月、浦安町舞浜地区[21]において東京ディズニーランドの建設に着工した。総工費は約1,500億円[22]で、当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・規模にして約1,000億円[23]とされ、その市場全体に匹敵する額を単一の施設に投じる異例の投資だった。
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [20]1979年4月 ウォルト・ディズニー・プロダクションズとライセンス・設計・建設・運営に関する業務提携契約を締結
- [21]1980年12月 浦安町舞浜地区で東京ディズニーランドの建設に着工
- 日経ビジネス 1983年3月7日号
- [22]東京ディズニーランドの総工費は約1,500億円
- [23]当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・約1,000億円規模
1983年4月、東京ディズニーランドが開業[24]した。五つのテーマランドと32のアトラクションから、予約制・清掃・『こんにちは』の接客まで、本家をそのまま複製する方針を採り、300冊にのぼる接客マニュアル[25]も持ち込んでいる。開業から9か月半で延べ850万人[26]、初年度の入園者数は993万人[27]に達した。米国流のサービスは『黒船以来の事件』[28]と呼ばれ、清潔・接客・マニュアルという運営様式は外食・小売・接客業へ『宝の山』[29]として移った。アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑[30]を抱えたままの船出であった。
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [24]1983年4月 東京ディズニーランドを開業
- 日経ビジネス 1983年3月7日号
- [25]五つのテーマランドと32のアトラクション、300冊の接客マニュアルまで本家を複製
- [30]アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑を抱えた船出
- 日経ビジネス 1984年2月20日号
- [26]開業9か月半で延べ850万人
- [27]初年度入園者数993万人
- [28]東京ディズニーランド開業は「黒船以来の事件」と呼ばれた
- [29]米国流の清潔・接客・マニュアルは外食・小売・接客業へ「宝の山」として移った
- ガバナンスキュー(2024年2月6日)(田中幾太郎)
- [16]1977年 三井不動産が誘致計画の中止を要請し、埋立地の住宅用地分譲を主張
- [18]高橋政知が三井不動産の撤回圧力を退け、テーマパークによる長期の集客を選択
- 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
- [17]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始
- [20]1979年4月 ウォルト・ディズニー・プロダクションズとライセンス・設計・建設・運営に関する業務提携契約を締結
- [21]1980年12月 浦安町舞浜地区で東京ディズニーランドの建設に着工
- [24]1983年4月 東京ディズニーランドを開業
- 日本経済新聞(2024年2月5日)
- [19]2024年2月 米エリオットが三井不動産にオリエンタルランド株の売却を要請
- 日経ビジネス 1983年3月7日号
- [22]東京ディズニーランドの総工費は約1,500億円
- [23]当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・約1,000億円規模
- [25]五つのテーマランドと32のアトラクション、300冊の接客マニュアルまで本家を複製
- [30]アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑を抱えた船出
- 日経ビジネス 1984年2月20日号
- [26]開業9か月半で延べ850万人
- [27]初年度入園者数993万人
- [28]東京ディズニーランド開業は「黒船以来の事件」と呼ばれた
- [29]米国流の清潔・接客・マニュアルは外食・小売・接客業へ「宝の山」として移った