1913年〜 松島炭鉱の創業と海底炭田開発 ─ 長崎沖海底炭から株式上場まで
三井松島ホールディングスの業績推移:単体
- 1913年 松島炭鉱を設立。古賀鉱業の所有する長崎県松島地区の良質石炭鉱区を買収
- 1935年 大島鉱区の開坑に着手
- 1952年 池島坑の開発に着手
- 1952年 50百万円に増資
- 1960年 松島海運を設立
- 1961年 東京証券取引所市場第二部に上場
- 1962年 東京証券取引所市場第一部に上場
古賀鉱業からの鉱区買収と松島炭鉱発足
長崎県西彼杵半島の沖合に浮かぶ松島の石炭は、文書記録の上では1781年(天明元年)に時津村の住人萬右衛門が採掘を始めた[1]のが最初で、1856年(安政3年)にはかなりの規模の採掘事業が営まれていた[2]。明治維新前後にいったん事業が途絶えた後、佐賀県北方村で炭鉱を経営していた古賀善兵衛一族が鉱区を譲り受け、1912年(大正元年)には年間約36万トンの出炭規模に達していた[3]。三井鉱山は三池炭鉱に加えて長崎港経由の積出炭を確保する必要があり、1913年1月[4]、古賀鉱業合資会社が所有する長崎県採掘権登録第326号鉱区を買収して共有とし、古賀一族・三井物産・三井鉱山と関係者の出資により松島炭鉱株式会社[5](資本金200万円[6])を設立した。本店は長崎市常盤町に置き[7]、三井鉱山の傍系会社として発足させた。
- 松島炭鉱五十年史(1962年刊)
- [1]松島の石炭採掘は文書記録上1781年(天明元年)に時津村の萬右衛門が開始
- [2]1856年(安政3年)時点で相当規模の採掘事業
- [7]本店は長崎市常盤町・三井鉱山の傍系会社として発足
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [3]古賀鉱業期の1912年 年間約36万トンの出炭規模
- 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1913年1月 松島炭鉱株式会社設立
- [6]設立時の資本金 200万円
- [5]三井鉱山と古賀鉱業合資が共有する松島鉱区の採掘権を買収して創業
創立時の総株数40,000株は三井系(三井鉱山と三井物産)が24,000株、古賀系が16,000株[8]を保有して発足した。1917年8月の増資では持株1株に対し1.5株を割り当てて総株数を10万株へ増やし、資本金は500万円となった[9]。1920年に三井鉱山と三井物産が個人名義株を法人名義へ書き換えると株主総数は16名に減り、三井系の持株支配が固まった。本社は1923年12月[10]、事業所の所在地である松島村へ移した。古賀鉱業から引き継いだ松島第1〜第3坑では採炭設備の電化とコンプレッサー導入による機械化を進め、出炭量は1917年から1928年までの12年間、年間50万トン前後を保った[11]。
- 松島炭鉱五十年史(1962年刊)
- [8]創立時の総株数40,000株の内訳は三井系24,000株・古賀系16,000株
- [9]1917年8月 資本金を500万円へ増額
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [10]1923年12月 本社を松島村へ移転
- [11]1917年から1928年までの出炭量は年間50万トン前後
- 松島炭鉱五十年史(1962年刊)
- [1]松島の石炭採掘は文書記録上1781年(天明元年)に時津村の萬右衛門が開始
- [2]1856年(安政3年)時点で相当規模の採掘事業
- [7]本店は長崎市常盤町・三井鉱山の傍系会社として発足
- [8]創立時の総株数40,000株の内訳は三井系24,000株・古賀系16,000株
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [3]古賀鉱業期の1912年 年間約36万トンの出炭規模
- [10]1923年12月 本社を松島村へ移転
- [11]1917年から1928年までの出炭量は年間50万トン前後
- 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1913年1月 松島炭鉱株式会社設立
- [6]設立時の資本金 200万円
- [5]三井鉱山と古賀鉱業合資が共有する松島鉱区の採掘権を買収して創業
- [9]1917年8月 資本金を500万円へ増額
大島・池島開発と戦後の傾斜生産方式
松島本鉱は採掘の進行に伴う坑内条件の悪化と数度の水没事故[12]に見舞われ、1935年2月に事業中止を決め、22年の操業を終えた[13]。主力を移した先が同じ西彼杵諸島の大島鉱区で、1917年6月に設立されていた大島炭礦株式会社の三井鉱山持分を買収したうえ[14]、1935年5月から本格開発に着手[15]し、翌1936年5月に採炭を開始した[16]。生産が安定したのは1940年ごろで、戦時期の石炭増産要請が強まる時期と重なった。本社所在地は1936年7月に東京市日本橋室町、戦後の1947年6月に福岡市雁林町、翌1948年5月に同市大名町へと移った[17]。
- [12]松島本鉱の休業要因は1929年6月・1934年11月の水没事故
- [14]1935年 大島鉱区における三井鉱山の持分一切を譲り受け
- [17]1948年5月以降の本店所在地は福岡市大名町(1955年時点の登記も同地)
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [13]1935年2月 松島本鉱の事業中止決定(操業22年)
- [16]1936年5月 大島で採炭開始
- 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
- [15]1935年5月 大島鉱区の本格開発に着手
第2次大戦後、財閥解体により三井本社と三井鉱山が持っていた松島炭鉱の株式は持株会社整理委員会の手で役員・従業員へ分譲され[18]、三井グループから離れた独立会社として再出発した。資材と労働力の調達は一時滞ったが、政府が石炭と鉄鋼の増産を最優先する傾斜生産方式の対象となり、新鋭設備の投入もあって1956年の出炭量は約53万トンへ達し[19]、戦前のピークを超えた。1952年3月には池島鉱区の開発に着手して1959年2月に営業を開始し[20]、出炭量は1969年に大島鉱を上回った。両事業所を合算した年間出炭量も1969年に181万トンの過去最高へ達した[21]。池島は西彼杵郡外海町(現・長崎市)の沖合に位置する海底炭鉱[22]で、海底の地下を掘り進む長期戦の鉱区であった。
- [18]財閥解体で三井本社・三井鉱山の持株が持株会社整理委員会により役員・従業員へ分譲
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [19]1956年の出炭量 約53万トン(戦前ピーク超え)
- [20]1952年3月 池島鉱区の開発着手・1959年2月 営業開始
- [21]1969年 両事業所合算の年間出炭量 181万トン(過去最高)
- [22]池島は西彼杵郡外海町(現・長崎市)沖合の海底炭鉱
- [12]松島本鉱の休業要因は1929年6月・1934年11月の水没事故
- [14]1935年 大島鉱区における三井鉱山の持分一切を譲り受け
- [17]1948年5月以降の本店所在地は福岡市大名町(1955年時点の登記も同地)
- [18]財閥解体で三井本社・三井鉱山の持株が持株会社整理委員会により役員・従業員へ分譲
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [13]1935年2月 松島本鉱の事業中止決定(操業22年)
- [16]1936年5月 大島で採炭開始
- [19]1956年の出炭量 約53万トン(戦前ピーク超え)
- [20]1952年3月 池島鉱区の開発着手・1959年2月 営業開始
- [21]1969年 両事業所合算の年間出炭量 181万トン(過去最高)
- [22]池島は西彼杵郡外海町(現・長崎市)沖合の海底炭鉱
- 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
- [15]1935年5月 大島鉱区の本格開発に着手
株式上場と大島閉山、エネルギー革命
業績の好転を受けて1961年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場し[23]、翌1962年2月に市場第一部へ指定替え、同年4月に福岡証券取引所[24]、1963年9月には大阪証券取引所第一部へも上場した[25]。石炭部門を抱える炭鉱会社が三大取引所すべてに株式を置いた例は少なく[26]、信用力と設備投資資金の調達基盤を得た。1952年に池島坑の開鑿へ着手して以降[27]、設備投資の中心は大島地区の近代化・増強から池島鉱区の開発へ移った。1968年3月[28]には土木建築総合請負工事業の松島建設工業株式会社(現・連結子会社)を設立し、炭鉱周辺の土木需要を取り込む関連事業の枠組みを敷いた。
- 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
- [23]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [24]1962年2月 東証一部へ指定替え・同年4月 福岡証券取引所へ上場
- 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
- [25]1963年9月 大阪証券取引所第一市場へ上場
- [26]炭鉱会社として三大取引所すべてに上場した数少ない事例
- [28]1968年3月 松島建設工業株式会社を設立
- [27]1952年 休業中の松島鉱区で池島坑の開鑿作業に着手
しかし1960年代後半から石油への一次エネルギー転換(エネルギー革命)が進み、国内炭は価格と公害の両面で輸入炭・石油に対して劣勢へ立った[29]。1969年9月には石炭鉱業再建整備会社の指定を受け、業界全体が縮小均衡へ向かった。大島鉱業所は採掘条件の悪化もあって1970年5月に閉山し[30]、戦中・戦後を通じて出炭の中核を担った大島事業は35年で終わった。政府の第三次から第四次にかけての石炭政策は石炭部門と兼業部門の区分経理と企業体制の整備を求め[31]、採掘部門を別会社へ切り出して本体は商業・建材・不動産で利益を確保する生き残り策が、業界共通の課題となった。
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [29]1960年代後半のエネルギー革命で国内炭は価格・公害の両面で劣勢
- [30]1970年5月 大島鉱業所閉山(大島事業35年)
- [31]第四次石炭答申は石炭部門と兼業部門の区分経理・企業体制整備を要請
- 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
- [23]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [24]1962年2月 東証一部へ指定替え・同年4月 福岡証券取引所へ上場
- 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
- [25]1963年9月 大阪証券取引所第一市場へ上場
- [26]炭鉱会社として三大取引所すべてに上場した数少ない事例
- [28]1968年3月 松島建設工業株式会社を設立
- [27]1952年 休業中の松島鉱区で池島坑の開鑿作業に着手
- 日本会社史総覧(1995年刊)
- [29]1960年代後半のエネルギー革命で国内炭は価格・公害の両面で劣勢
- [30]1970年5月 大島鉱業所閉山(大島事業35年)
- [31]第四次石炭答申は石炭部門と兼業部門の区分経理・企業体制整備を要請