三井松島ホールディングス の歴史

創業

1913年

創業者

※三井財閥

創業地

長崎県西彼杵郡松島

直近売上高(2026/3)

654億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1913年に三井鉱山は古賀鉱業から松島の海底炭田を買収したのか
A 三井鉱山が松島を欲したのは、三池炭鉱だけでは賄えない長崎港経由の石炭船を確保するためである。石炭が一次エネルギーの主役だった1913年1月、三井鉱山は古賀鉱業合資の長崎県採掘権登録第326号鉱区を買収して松島炭鉱株式会社(資本金200万円)を設立し、採れた炭は三井物産が引き取って電力会社などへ販売した。三井鉱山の傍系会社として発足したこの炭鉱が、後の池島・豪州リデルへ続く石炭事業の出発である
Q なぜ1973年に三井松島は「掘る会社」と「売る会社」を分離したのか
A 1960年代後半のエネルギー革命で国内炭が石油・輸入炭に価格で敗れ、政府の第五次石炭政策が炭鉱に経営安定責任体制を求めたためである。1973年4月、松島興産(旧松島炭鉱)は石炭生産部門を新設の池島炭鉱株式会社(資本金3億円、同年松島炭鉱へ商号変更)へ営業譲渡し、本体は商社・建材・不動産で稼ぐ兼業会社へ再編した。掘る機能を別会社に隔離して本体の利益を石炭から切り離すこの分離が、2001年の池島閉山と祖業転換を生き延びる土台になった。
Q なぜ2018年以降に三井松島は石炭からニッチ市場のM&Aを連発する投資会社へ転換したのか
A 祖業の石炭が遺した潤沢な現預金を眠らせれば、過剰資本を狙う投資家に資本効率の改善を迫られると読んだためである。2018年10月に持株会社へ移行し、J.P.モルガン出身の吉岡泰士氏ら買収を遂行できる経営陣のもとで、「安定収益・ニッチ市場・分かりやすさ」を基準に後継者難の事業承継企業を相次いで取り込んだ。それでも旧村上ファンド系4社が約37%を握ると、三井松島は累進配当の導入と200億円・発行済株式の約31%に及ぶ自己株取得で株主還元を厚くし、過剰現金の使い道を示した

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1913年〜 松島炭鉱の創業と海底炭田開発 ─ 長崎沖海底炭から株式上場まで

三井松島ホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1913年 松島炭鉱を設立。古賀鉱業の所有する長崎県松島地区の良質石炭鉱区を買収
  2. 1935年 大島鉱区の開坑に着手
  3. 1952年 池島坑の開発に着手
  4. 1952年 50百万円に増資
  5. 1960年 松島海運を設立
  6. 1961年 東京証券取引所市場第二部に上場
  7. 1962年 東京証券取引所市場第一部に上場

古賀鉱業からの鉱区買収と松島炭鉱発足

長崎県西彼杵半島の沖合に浮かぶ松島の石炭は、文書記録の上では1781年(天明元年)に時津村の住人萬右衛門が採掘を始めた[1]のが最初で、1856年(安政3年)にはかなりの規模の採掘事業が営まれていた[2]。明治維新前後にいったん事業が途絶えた後、佐賀県北方村で炭鉱を経営していた古賀善兵衛一族が鉱区を譲り受け、1912年(大正元年)には年間約36万トンの出炭規模に達していた[3]。三井鉱山は三池炭鉱に加えて長崎港経由の積出炭を確保する必要があり、1913年1月[4]、古賀鉱業合資会社が所有する長崎県採掘権登録第326号鉱区を買収して共有とし、古賀一族・三井物産・三井鉱山と関係者の出資により松島炭鉱株式会社[5](資本金200万円[6])を設立した。本店は長崎市常盤町に置き[7]、三井鉱山の傍系会社として発足させた。

  • 松島炭鉱五十年史(1962年刊)
    • [1]松島の石炭採掘は文書記録上1781年(天明元年)に時津村の萬右衛門が開始
    • [2]1856年(安政3年)時点で相当規模の採掘事業
    • [7]本店は長崎市常盤町・三井鉱山の傍系会社として発足
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [3]古賀鉱業期の1912年 年間約36万トンの出炭規模
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1913年1月 松島炭鉱株式会社設立
    • [6]設立時の資本金 200万円
    • [5]三井鉱山と古賀鉱業合資が共有する松島鉱区の採掘権を買収して創業

創立時の総株数40,000株は三井系(三井鉱山と三井物産)が24,000株、古賀系が16,000株[8]を保有して発足した。1917年8月の増資では持株1株に対し1.5株を割り当てて総株数を10万株へ増やし、資本金は500万円となった[9]。1920年に三井鉱山と三井物産が個人名義株を法人名義へ書き換えると株主総数は16名に減り、三井系の持株支配が固まった。本社は1923年12月[10]、事業所の所在地である松島村へ移した。古賀鉱業から引き継いだ松島第1〜第3坑では採炭設備の電化とコンプレッサー導入による機械化を進め、出炭量は1917年から1928年までの12年間、年間50万トン前後を保った[11]

  • 松島炭鉱五十年史(1962年刊)
    • [1]松島の石炭採掘は文書記録上1781年(天明元年)に時津村の萬右衛門が開始
    • [2]1856年(安政3年)時点で相当規模の採掘事業
    • [7]本店は長崎市常盤町・三井鉱山の傍系会社として発足
    • [8]創立時の総株数40,000株の内訳は三井系24,000株・古賀系16,000株
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [3]古賀鉱業期の1912年 年間約36万トンの出炭規模
    • [10]1923年12月 本社を松島村へ移転
    • [11]1917年から1928年までの出炭量は年間50万トン前後
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1913年1月 松島炭鉱株式会社設立
    • [6]設立時の資本金 200万円
    • [5]三井鉱山と古賀鉱業合資が共有する松島鉱区の採掘権を買収して創業
    • [9]1917年8月 資本金を500万円へ増額

大島・池島開発と戦後の傾斜生産方式

松島本鉱は採掘の進行に伴う坑内条件の悪化と数度の水没事故[12]に見舞われ、1935年2月に事業中止を決め、22年の操業を終えた[13]。主力を移した先が同じ西彼杵諸島の大島鉱区で、1917年6月に設立されていた大島炭礦株式会社の三井鉱山持分を買収したうえ[14]、1935年5月から本格開発に着手[15]し、翌1936年5月に採炭を開始した[16]。生産が安定したのは1940年ごろで、戦時期の石炭増産要請が強まる時期と重なった。本社所在地は1936年7月に東京市日本橋室町、戦後の1947年6月に福岡市雁林町、翌1948年5月に同市大名町へと移った[17]

    • [12]松島本鉱の休業要因は1929年6月・1934年11月の水没事故
    • [14]1935年 大島鉱区における三井鉱山の持分一切を譲り受け
    • [17]1948年5月以降の本店所在地は福岡市大名町(1955年時点の登記も同地)
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [13]1935年2月 松島本鉱の事業中止決定(操業22年)
    • [16]1936年5月 大島で採炭開始
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1935年5月 大島鉱区の本格開発に着手

第2次大戦後、財閥解体により三井本社と三井鉱山が持っていた松島炭鉱の株式は持株会社整理委員会の手で役員・従業員へ分譲され[18]、三井グループから離れた独立会社として再出発した。資材と労働力の調達は一時滞ったが、政府が石炭と鉄鋼の増産を最優先する傾斜生産方式の対象となり、新鋭設備の投入もあって1956年の出炭量は約53万トンへ達し[19]、戦前のピークを超えた。1952年3月には池島鉱区の開発に着手して1959年2月に営業を開始し[20]、出炭量は1969年に大島鉱を上回った。両事業所を合算した年間出炭量も1969年に181万トンの過去最高へ達した[21]。池島は西彼杵郡外海町(現・長崎市)の沖合に位置する海底炭鉱[22]で、海底の地下を掘り進む長期戦の鉱区であった。

    • [18]財閥解体で三井本社・三井鉱山の持株が持株会社整理委員会により役員・従業員へ分譲
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [19]1956年の出炭量 約53万トン(戦前ピーク超え)
    • [20]1952年3月 池島鉱区の開発着手・1959年2月 営業開始
    • [21]1969年 両事業所合算の年間出炭量 181万トン(過去最高)
    • [22]池島は西彼杵郡外海町(現・長崎市)沖合の海底炭鉱
    • [12]松島本鉱の休業要因は1929年6月・1934年11月の水没事故
    • [14]1935年 大島鉱区における三井鉱山の持分一切を譲り受け
    • [17]1948年5月以降の本店所在地は福岡市大名町(1955年時点の登記も同地)
    • [18]財閥解体で三井本社・三井鉱山の持株が持株会社整理委員会により役員・従業員へ分譲
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [13]1935年2月 松島本鉱の事業中止決定(操業22年)
    • [16]1936年5月 大島で採炭開始
    • [19]1956年の出炭量 約53万トン(戦前ピーク超え)
    • [20]1952年3月 池島鉱区の開発着手・1959年2月 営業開始
    • [21]1969年 両事業所合算の年間出炭量 181万トン(過去最高)
    • [22]池島は西彼杵郡外海町(現・長崎市)沖合の海底炭鉱
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1935年5月 大島鉱区の本格開発に着手

株式上場と大島閉山、エネルギー革命

業績の好転を受けて1961年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場し[23]、翌1962年2月に市場第一部へ指定替え、同年4月に福岡証券取引所[24]、1963年9月には大阪証券取引所第一部へも上場した[25]。石炭部門を抱える炭鉱会社が三大取引所すべてに株式を置いた例は少なく[26]、信用力と設備投資資金の調達基盤を得た。1952年に池島坑の開鑿へ着手して以降[27]、設備投資の中心は大島地区の近代化・増強から池島鉱区の開発へ移った。1968年3月[28]には土木建築総合請負工事業の松島建設工業株式会社(現・連結子会社)を設立し、炭鉱周辺の土木需要を取り込む関連事業の枠組みを敷いた。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [24]1962年2月 東証一部へ指定替え・同年4月 福岡証券取引所へ上場
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [25]1963年9月 大阪証券取引所第一市場へ上場
    • [26]炭鉱会社として三大取引所すべてに上場した数少ない事例
    • [28]1968年3月 松島建設工業株式会社を設立
    • [27]1952年 休業中の松島鉱区で池島坑の開鑿作業に着手

しかし1960年代後半から石油への一次エネルギー転換(エネルギー革命)が進み、国内炭は価格と公害の両面で輸入炭・石油に対して劣勢へ立った[29]。1969年9月には石炭鉱業再建整備会社の指定を受け、業界全体が縮小均衡へ向かった。大島鉱業所は採掘条件の悪化もあって1970年5月に閉山し[30]、戦中・戦後を通じて出炭の中核を担った大島事業は35年で終わった。政府の第三次から第四次にかけての石炭政策は石炭部門と兼業部門の区分経理と企業体制の整備を求め[31]、採掘部門を別会社へ切り出して本体は商業・建材・不動産で利益を確保する生き残り策が、業界共通の課題となった。

  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [29]1960年代後半のエネルギー革命で国内炭は価格・公害の両面で劣勢
    • [30]1970年5月 大島鉱業所閉山(大島事業35年)
    • [31]第四次石炭答申は石炭部門と兼業部門の区分経理・企業体制整備を要請
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1961年10月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [24]1962年2月 東証一部へ指定替え・同年4月 福岡証券取引所へ上場
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [25]1963年9月 大阪証券取引所第一市場へ上場
    • [26]炭鉱会社として三大取引所すべてに上場した数少ない事例
    • [28]1968年3月 松島建設工業株式会社を設立
    • [27]1952年 休業中の松島鉱区で池島坑の開鑿作業に着手
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [29]1960年代後半のエネルギー革命で国内炭は価格・公害の両面で劣勢
    • [30]1970年5月 大島鉱業所閉山(大島事業35年)
    • [31]第四次石炭答申は石炭部門と兼業部門の区分経理・企業体制整備を要請

1973年〜 三井松島産業の時代 ─ 政策転換から海外シフト、池島閉山と多角化試行

三井松島ホールディングスの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1973年 池島炭鉱を設立
  2. 1973年 石炭生産部門の分離と兼業会社への転換 ― 松島炭鉱から松島興産へ エネルギー革命と石炭政策のもとで、祖業の「掘る部門」をどう切り離し、何で食いつなごうとしたか
  3. 1973年 松島興産に商号変更
  4. 1973年 池島炭鉱が松島炭鉱に商号変更
  5. 1983年 三井鉱山建材販売を吸収合併
  6. 1991年 NSW州リデル炭鉱のジョイント・ベンチャーに参入
  7. 2001年 松島炭鉱が経営する池島炭鉱を閉山

第五次石炭政策と松島興産化、武富・本吉時代

1973年4月、政府の第五次石炭政策(経営安定責任体制の要請)[32]を受けて事業構造を組み替えた。1969年6月設立の松島第一商事を吸収合併すると同時に商号を「松島興産株式会社」へ変更し[33]、石炭生産部門は1973年2月に新設した池島炭鉱株式会社(資本金3億円)[34]へ営業譲渡した。新設の池島炭鉱は同年4月に商号を「松島炭鉱株式会社」へ変更し[35]、石炭生産の専業会社として再出発した。「掘る会社」と「売る会社」を分け、本体を商社機能と建材を主柱とする兼業会社へ位置づけ直す構造改革で、1960年12月設立の松島海運[36]をはじめとする関連会社群を通じて多角化を進める方針を採った。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]1973年4月 第五次石炭政策による経営安定責任体制の要請
    • [33]1973年4月 商号を松島興産株式会社へ変更
    • [35]新設池島炭鉱は1973年4月に松島炭鉱株式会社へ商号変更
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [34]1973年2月 池島炭鉱株式会社(資本金3億円)を新設し石炭生産部門を営業譲渡
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [36]松島海運は1960年12月設立

1977年の社長・武富氏[37]は京都大学経済学部を出て三井鉱山の労務畑(山野・芦別鉱業所、三池争議期の対応)を歩み、1958年に三井鉱山の先輩である川上亀郎元松島炭鉱社長に招かれて松島炭鉱へ入社した労務の専門家である。武富社長の在任中に同社は10年ぶりの黒字へ転換し、「武富の松島にならえ」と評された[38]。本体の松島興産は石炭と炭鉱資材の販売を軸に、不動産・スーパー・観光へ事業を広げた[39]。日本アルプス麓の土地や福岡市郊外の観光施設も取得して多角経営へ踏み出し、本体が石炭以外で利益を稼ぎ、池島炭鉱を別会社として温存する事業ポートフォリオがこの時期に定まった。

  • 日本の経営者 昭和52年版(1977年2月)
    • [37]1977年当時の社長は武富氏
    • [38]「武富の松島にならえ」との同時代の評
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [39]松島興産は石炭・炭鉱資材の販売を軸に不動産・スーパーへ多角化

1979年に本吉節治氏が社長へ就任した[40]。東京大学経済学部を1944年に出て1946年に松島炭鉱へ入った現場の叩き上げである。1979年8月、本吉節治氏(社長)のもとで「松島海外石炭開発株式会社」を立ち上げ、豪州NSW州の鉱区認可を足がかりに海外炭の輸入開発へ着手した。1983年4月には三井鉱山建材販売株式会社を[41]吸収合併し、商号を「三井松島産業株式会社」へ変更してセメント・生コンなどの建材販売を本体へ取り込み、この合併で資本金は33億24百万円となった[42]。石炭の販売に建材を重ねたことで、事業構成は総合商社に近づいた[43]。本吉節治氏(社長)は次のように語っている[44]

  • 日本の経営者 昭和58年版(1982年8月)
    • [40]本吉節治は三井松島産業の社長
    • [44]三井松島産業社長の本吉節治氏による発言
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [41]1983年4月 三井鉱山建材販売を吸収合併し三井松島産業株式会社へ商号変更
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [42]1983年4月の合併後の資本金 33億24百万円
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [43]建材販売の取り込みで事業構成が総合商社に近づいた
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]1973年4月 第五次石炭政策による経営安定責任体制の要請
    • [33]1973年4月 商号を松島興産株式会社へ変更
    • [35]新設池島炭鉱は1973年4月に松島炭鉱株式会社へ商号変更
    • [41]1983年4月 三井鉱山建材販売を吸収合併し三井松島産業株式会社へ商号変更
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [34]1973年2月 池島炭鉱株式会社(資本金3億円)を新設し石炭生産部門を営業譲渡
    • [42]1983年4月の合併後の資本金 33億24百万円
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [36]松島海運は1960年12月設立
  • 日本の経営者 昭和52年版(1977年2月)
    • [37]1977年当時の社長は武富氏
    • [38]「武富の松島にならえ」との同時代の評
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [39]松島興産は石炭・炭鉱資材の販売を軸に不動産・スーパーへ多角化
    • [43]建材販売の取り込みで事業構成が総合商社に近づいた
  • 日本の経営者 昭和58年版(1982年8月)
    • [40]本吉節治は三井松島産業の社長
    • [44]三井松島産業社長の本吉節治氏による発言

海外資源シフトと豪州リデル参入、池島閉山

1990年11月にMITSUI MATSUSHIMA AUSTRALIA PTY.LTD.(現・連結子会社)を豪州へ設立し[45]、翌1991年4月に豪州NSW州リデル炭鉱のジョイント・ベンチャーへ[46]参入した。のちに33年続く海外石炭事業の主軸[47]となる案件である。1992年時点の社長・渡辺公弘氏[48]は炭鉱19年・東京営業18年の叩き上げで、「わが社には営業に強い人が少ないので、交渉手腕が評価されたのでは」(『日本の経営者 平成5年版』1992/10)と語った。当時の売上に占める石炭比率は約40%[49]で、池島炭鉱の生産コストを抑えて年産120万トン体制を保ちつつ、不足する80〜100万トンを海外から輸入する構図を描いた。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [45]1990年11月 豪州MITSUI MATSUSHIMA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立
    • [46]1991年4月 豪州NSW州リデル炭鉱のジョイント・ベンチャーへ参入
    • [47]リデルを主軸とする海外石炭事業は33年継続
  • 日本の経営者 平成5年版(1992年10月)
    • [48]1992年時点の社長は渡辺公弘
    • [49]1992年の売上石炭比率 約40%・池島120万トン体制+海外輸入80〜100万トン

1985年の池島鉱の出炭量は158万トン[50]に達し、当時の国内炭鉱では屈指の効率を保った。しかし1987年以降の第8次石炭政策・新石炭政策のもとで、生産規模は1987年の158万トンから1992年の年産120万トン体制へ縮んだ。1997年4月[51]には三井松島リソーシス株式会社(現・連結子会社)を設立し、海外炭鉱の経営を含む石炭資源の調査・技術協力・コンサルティング機能を社内へ取り込んだ。1999年4月には連結子会社の松島海運を吸収合併して[52]販売・輸送の一貫化による流通経費の削減を図り、2001年4月には松島ハイプレシジョンも本体へ吸収合併して[53]財務体質の強化を狙った連結再編を終えた。

  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [50]1985年 池島鉱の出炭量 158万トン
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [51]1997年4月 三井松島リソーシス株式会社を設立
    • [52]1999年4月 連結子会社の松島海運を吸収合併
    • [53]2001年4月 松島ハイプレシジョンを吸収合併

2001年11月、子会社の松島炭鉱株式会社が経営する池島炭鉱を閉山した[54]。1952年の開発着手から49年[55]、国内最後の本格炭鉱の一つが終わった。閉山に伴って1,200名規模の人員整理[56]が発生し、長崎県西彼杵郡外海町(現・長崎市)の地域経済にも影響が及んだ。2002年6月にはMITSUI MATSUSHIMA INTERNATIONAL PTY.LTD.(現・連結子会社)を豪州へ設立し[57]、石炭関連の海外子会社の統括・管理機能を集約した。豪州リデルを中心とする海外石炭事業は残しつつ[58]、国内で「掘る」機能は手放した。2003年3月には大阪証券取引所市場第一部の上場を廃止し[59]、3取引所体制を東証・福証の2取引所へ整理した。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [54]2001年11月 子会社の松島炭鉱が経営する池島炭鉱を閉山
    • [55]池島炭鉱は1952年の開発着手から49年で終焉
    • [57]2002年6月 豪州MITSUI MATSUSHIMA INTERNATIONAL PTY.LTD.を設立
    • [58]池島閉山後も豪州リデルを中心とする海外石炭事業は継続
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [56]池島閉山に伴う人員整理 1,200名規模
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [59]2003年3月 大阪証券取引所市場第一部の上場を廃止し2取引所体制へ整理
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [45]1990年11月 豪州MITSUI MATSUSHIMA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立
    • [46]1991年4月 豪州NSW州リデル炭鉱のジョイント・ベンチャーへ参入
    • [47]リデルを主軸とする海外石炭事業は33年継続
    • [54]2001年11月 子会社の松島炭鉱が経営する池島炭鉱を閉山
    • [55]池島炭鉱は1952年の開発着手から49年で終焉
    • [57]2002年6月 豪州MITSUI MATSUSHIMA INTERNATIONAL PTY.LTD.を設立
    • [58]池島閉山後も豪州リデルを中心とする海外石炭事業は継続
  • 日本の経営者 平成5年版(1992年10月)
    • [48]1992年時点の社長は渡辺公弘
    • [49]1992年の売上石炭比率 約40%・池島120万トン体制+海外輸入80〜100万トン
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
    • [50]1985年 池島鉱の出炭量 158万トン
    • [56]池島閉山に伴う人員整理 1,200名規模
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
    • [51]1997年4月 三井松島リソーシス株式会社を設立
    • [52]1999年4月 連結子会社の松島海運を吸収合併
    • [53]2001年4月 松島ハイプレシジョンを吸収合併
    • [59]2003年3月 大阪証券取引所市場第一部の上場を廃止し2取引所体制へ整理

多角化試行とマスクブランクス事業(2005〜2017)

池島閉山後の財務再建を担ったのは、2008年10月に代表取締役社長へ就任した串間新一郎[60]である。三井銀行から2005年6月に三井松島産業へ入り[61]、3年余りで社長へ登用された金融畑で、生え抜きが不在のなかで本体の財務再建と多角化を任された。会社は2007年2月[62]に池島炭鉱の跡地をリサイクル・合金鉄製造の場へ転用する池島アーバンマイン株式会社を設立し、2009年1月[63]には海外石炭の技術機能を分離してMMIコールテック株式会社を設けた。リーマン・ショック後の2009年12月には公募と第三者割当で新株式を発行し、資本金は85億71百万円となった[64]

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [60]2008年10月 串間新一郎が代表取締役社長へ就任
  • 三井松島ホールディングス IR資料(決算説明資料・経営者インタビュー)
    • [61]串間新一郎は三井銀行出身・2005年6月入社の金融畑
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第155期(2011年3月期)【沿革】
    • [62]2007年2月 池島アーバンマイン株式会社を設立
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [63]2009年1月 MMIコールテック株式会社を設立
    • [64]2009年12月の公募・第三者割当による新株発行後の資本金 85億71百万円

2014年6月には天野常雄氏が代表取締役社長へ就任した[65]。川鉄商事(現JFE商事)出身の商社・燃料エネルギー営業畑[66]で、2008年8月に三井松島産業へ入った中途登用者である。就任をはさむ2012年から2015年にかけては、選別エンジニアリング・インドネシア石炭権益・宿泊運営・再生可能エネルギー・高齢者向け住宅介護・プラスチック包装・アパレルと、多分野で計7件の多角化を並行して試した[67](下表)。建機材事業の譲渡(2014年2月)と池島アーバンマインのリサイクル事業からの撤退(2014年12月)[68]も同じ時期に重なり、事業の入れ替えが短い期間に進んだ。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [65]2014年6月 天野常雄が代表取締役社長へ就任
    • [66]天野常雄は1981年4月川鉄商事(現JFE商事)入社・2008年8月に三井松島産業へ入社
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [67]2012年から2015年にかけて多分野で計7件の多角化を実行
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [68]2014年2月 建機材事業の譲渡・2014年12月 池島アーバンマインのリサイクル事業から撤退

2015年10月[69]には紳士服・婦人服・ワイシャツの企画から生産までを担う花菱縫製株式会社を買収し、衣料分野へ踏み込んだ。2017年2月[70]にはマスクブランクス(液晶パネル・有機EL・電子部品向けフォトマスク基板)を製造するクリーンサアフェイス技術株式会社(現CST株式会社、現・連結子会社)を買収し、のちに産業用製品セグメントの利益柱となる案件[71]を手に入れた。同年4月には永田エンジニアリングがMMIコールテックを吸収してMM Nagata Coal Techへ改称し[72]、グループ内の技術機能を集約した。同年6月には福岡県大牟田市の歴史遺産「三井港倶楽部」の所有権を取得し[73]、旧三井財閥の関連施設の管理運営を始めた。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [69]2015年10月 花菱縫製株式会社を買収・子会社化
    • [72]2017年4月 永田エンジニアリングがMMIコールテックを吸収しMM Nagata Coal Techへ改称
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [70]2017年2月 クリーンサアフェイス技術株式会社(現CST)を買収・子会社化
    • [73]2017年6月 「三井港倶楽部」の所有権を取得し管理運営を開始
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [71]CSTはのちに産業用製品セグメントの利益柱
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [60]2008年10月 串間新一郎が代表取締役社長へ就任
    • [65]2014年6月 天野常雄が代表取締役社長へ就任
    • [66]天野常雄は1981年4月川鉄商事(現JFE商事)入社・2008年8月に三井松島産業へ入社
  • 三井松島ホールディングス IR資料(決算説明資料・経営者インタビュー)
    • [61]串間新一郎は三井銀行出身・2005年6月入社の金融畑
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第155期(2011年3月期)【沿革】
    • [62]2007年2月 池島アーバンマイン株式会社を設立
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [63]2009年1月 MMIコールテック株式会社を設立
    • [64]2009年12月の公募・第三者割当による新株発行後の資本金 85億71百万円
    • [67]2012年から2015年にかけて多分野で計7件の多角化を実行
    • [69]2015年10月 花菱縫製株式会社を買収・子会社化
    • [72]2017年4月 永田エンジニアリングがMMIコールテックを吸収しMM Nagata Coal Techへ改称
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [68]2014年2月 建機材事業の譲渡・2014年12月 池島アーバンマインのリサイクル事業から撤退
    • [70]2017年2月 クリーンサアフェイス技術株式会社(現CST)を買収・子会社化
    • [73]2017年6月 「三井港倶楽部」の所有権を取得し管理運営を開始
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [71]CSTはのちに産業用製品セグメントの利益柱

2018年〜 三井松島ホールディングスへ ─ 連続M&Aと110年祖業終焉

三井松島ホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2018年 三井松島HDに商号変更
  2. 2019年 明光商会を買収、子会社化
  3. 2021年 システックキョーワを買収、子会社化。併せてTHAI SYSTECH KYOWA CO.,LTD.を子会社化
  4. 2023年 ジャパン・チェーン・HDを買収、子会社化
  5. 2024年 Saunders & Associates, LLCを買収、子会社化
  6. 2024年 連続M&Aによる脱石炭転換と、111年続いた石炭事業からの撤退 潤沢な現預金と旧村上系株主の視線のもとで、吉岡泰士社長は祖業をどう畳み、何を買い集めたか

持株会社移行と「投資する会社」への転換

2018年10月[74]、純粋持株会社体制へ移行した。商号を「三井松島ホールディングス株式会社」へ変更し、新設分割で石炭販売事業を新設の三井松島産業株式会社(現・連結子会社)へ承継した[75]。持株会社の傘下には石炭販売・石炭生産・再生可能エネルギーからなるエネルギー事業と、電子部品や飲食用資材などの生活関連事業[76]を並べ、本体は事業ポートフォリオの組み替えを決める機能に絞った。石炭事業の分離は1973年の生産分離と2018年の販売分離の2回[77]で、いずれも本体を石炭から切り離す方向に働いた。移行の翌年度末には、子会社17社と持分法適用関連会社1社[78]を抱えるグループ構成となった。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [74]2018年10月 純粋持株会社体制へ移行
    • [75]商号を三井松島ホールディングス株式会社へ変更し石炭販売事業を新設分割で承継
    • [77]石炭事業の分離は1973年の生産分離と2018年の販売分離の2回
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第163期(2019年3月期)【事業の内容】
    • [76]移行直後のセグメントはエネルギー事業(石炭販売・石炭生産・再生可能エネルギー)と生活関連事業の2区分
    • [78]2019年3月期末のグループは子会社17社・持分法適用関連会社1社で構成

2019年4月にはシュレッダーを中心に事務用設備の製造・販売・保守を手がける株式会社明光商会[79](現・連結子会社)を買収し、生活関連事業の中核ブランドを得た。2020年4月にはMM Nagata Coal Tech株式会社が新設分割で永田エンジニアリングを設立して[80]資源処理事業を承継させ、その全株式を譲渡したうえで、本体はMM Coal Tech株式会社へ商号を変更して海外石炭技術の専業へ移った。同月にはペットフード・ペット用品の輸入販売を営む株式会社ケイエムテイと、水晶デバイス用計測機器・生産設備を製造販売する三生電子株式会社[81](ともに現・連結子会社)を同時に取得し、生活関連と電子部品計測の両セグメントを並行して広げた。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [79]2019年4月 株式会社明光商会を買収・子会社化
    • [81]2020年4月 株式会社ケイエムテイと三生電子株式会社を同時取得
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [80]2020年4月 MM Nagata Coal Techが永田エンジニアリングを新設分割・全株式譲渡し、MM Coal Techへ商号変更

2020年6月には吉岡泰士氏が代表取締役社長へ就任した[82]。J.P.モルガン証券・GCA株式会社(現フーリハン・ローキー)など外資系の投資銀行とFAアドバイザリーを渡り歩いたのち、2013年7月に三井松島産業へ入り[83]、海外業務部・経営企画部を経て経営企画部長から社長へ昇格した。串間氏は商業銀行、天野氏は商社、吉岡氏は投資銀行と、生え抜きが不在のまま3代続けて社外出身者が社長に就き[84]、M&Aを遂行する力が経営陣に置かれた。吉岡社長は事業構想オンライン(2021年9月号)で次のように振り返っている[85]

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [82]2020年6月 吉岡泰士が代表取締役社長へ就任
    • [84]串間・天野・吉岡と3代続けて社外出身者が社長に就任
  • 事業構想オンライン(2021年9月号)
    • [83]吉岡泰士はJ.P.モルガン証券・GCA等を経て2013年7月に入社し経営企画部長から社長へ昇格
    • [85]三井松島ホールディングス社長の吉岡泰士氏による発言
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [74]2018年10月 純粋持株会社体制へ移行
    • [75]商号を三井松島ホールディングス株式会社へ変更し石炭販売事業を新設分割で承継
    • [77]石炭事業の分離は1973年の生産分離と2018年の販売分離の2回
    • [79]2019年4月 株式会社明光商会を買収・子会社化
    • [81]2020年4月 株式会社ケイエムテイと三生電子株式会社を同時取得
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第163期(2019年3月期)【事業の内容】
    • [76]移行直後のセグメントはエネルギー事業(石炭販売・石炭生産・再生可能エネルギー)と生活関連事業の2区分
    • [78]2019年3月期末のグループは子会社17社・持分法適用関連会社1社で構成
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
    • [80]2020年4月 MM Nagata Coal Techが永田エンジニアリングを新設分割・全株式譲渡し、MM Coal Techへ商号変更
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [82]2020年6月 吉岡泰士が代表取締役社長へ就任
    • [84]串間・天野・吉岡と3代続けて社外出身者が社長に就任
  • 事業構想オンライン(2021年9月号)
    • [83]吉岡泰士はJ.P.モルガン証券・GCA等を経て2013年7月に入社し経営企画部長から社長へ昇格
    • [85]三井松島ホールディングス社長の吉岡泰士氏による発言

連続M&A攻勢と石炭価格高騰特需(2021〜2023)

2021年2月以降[86]、生活関連と産業用製品の両セグメントを補強する買収を続けた(下表)。タイに拠点を持つシステックキョーワで海外の生産網を広げ、2022年4月には東京証券取引所プライム市場へ移り[87]、翌5月に送変電用架線金具の日本カタンを買収して[88]電力インフラ向けの製品を加えた。2023年には丸紅オフィス・サプライ(MOSへ商号変更)・プラスワンテクノ・カツマタの感熱紙事業・ジャパン・チェーン・ホールディングスと4件の買収を立て続けに実行し[89]、産業用製品セグメントの売上をFY23の150億円台からFY24の296億円[90]へ伸ばした。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [86]2021年2月 システックキョーワとタイ子会社を買収・子会社化
    • [87]2022年4月 東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [88]2022年5月 日本カタン株式会社を買収・子会社化
    • [89]2023年 MOS・プラスワンテクノ・カツマタ感熱紙事業・ジャパンチェーンHDの4件を買収
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [90]産業用製品セグメントの売上 FY24 296億円

財務面では、2022年度に営業利益35,789百万円・経常利益35,933百万円[91]と、同社の最高水準の利益を記録した。ロシアのウクライナ侵攻に伴う一般炭価格の急騰で石炭生産分野が増収増益となり、前年に子会社化した日本カタンの寄与も重なった[92]ためである。前期FY21の営業利益は8,417百万円、後期FY23は25,170百万円[93]で、石炭事業からの利益貢献はこの2期に限って大きく膨らんだ。2024年1月には米国に新設したSansei America, Inc.[94]を通じて水晶デバイス計測装置のSaunders & Associates, LLCを取得し、計測機器事業を北米へ広げた。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第167期(2023年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [91]FY22 営業利益35,789百万円・経常利益35,933百万円(同社最高水準)
  • 三井松島ホールディングス FY22決算説明資料
    • [92]FY22の増益要因は石炭生産分野の石炭価格上昇と日本カタンの子会社化
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [93]FY21の営業利益8,417百万円・FY23の営業利益25,170百万円
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [94]2024年1月 米Sansei America経由でSaunders & Associates, LLCを取得
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [86]2021年2月 システックキョーワとタイ子会社を買収・子会社化
    • [87]2022年4月 東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [88]2022年5月 日本カタン株式会社を買収・子会社化
    • [89]2023年 MOS・プラスワンテクノ・カツマタ感熱紙事業・ジャパンチェーンHDの4件を買収
    • [94]2024年1月 米Sansei America経由でSaunders & Associates, LLCを取得
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [90]産業用製品セグメントの売上 FY24 296億円
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第167期(2023年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [91]FY22 営業利益35,789百万円・経常利益35,933百万円(同社最高水準)
  • 三井松島ホールディングス FY22決算説明資料
    • [92]FY22の増益要因は石炭生産分野の石炭価格上昇と日本カタンの子会社化
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [93]FY21の営業利益8,417百万円・FY23の営業利益25,170百万円

リデル炭鉱終掘と110年祖業終焉、アクティビスト介入

2024年3月、豪州NSW州リデル炭鉱の終掘により石炭生産・販売事業を終えた[95]。1991年の参入から33年、創業した1913年から数えれば111年続いた[96]石炭事業からの撤退である。翌4月には株式会社花菱(現・持分法適用関連会社)の株式持分66%を株式会社吉村へ譲渡し[97]、生活関連の事業を整理した。2024年7月には事業者向け不動産担保融資などを手がける株式会社エム・アール・エフを買収して[98]子会社とし、金融サービスへ新たに参入した。2024年8月にはMM Investments株式会社が株式投資事業を開始し[99]、グループの余剰資金を運用して投資収益を取り込む試みを始めた。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [95]2024年3月 リデル炭鉱の終掘により石炭生産・販売事業が終了
    • [96]リデルは1991年参入から33年・創業1913年から111年続いた石炭事業
    • [97]2024年4月 株式会社花菱の株式持分66%を株式会社吉村へ譲渡
    • [98]2024年7月 株式会社エム・アール・エフを買収・子会社化し金融サービスへ参入
    • [99]2024年8月 MM Investments株式会社が株式投資事業を開始

2024年度に大株主の構成は1期で入れ替わり、FY24の上位株主には株式会社南青山不動産(10.30%)・株式会社フォルティス(9.42%)・株式会社シティインデックスイレブンス(8.96%)・株式会社エスグラントコーポレーション(8.88%)[100]と、旧村上ファンド系(村上世彰氏の関連)の法人が一斉に並んで4社で37.56%を保有した。野村絢氏(4.32%)を加えれば上位5名で約42%を占め[101]、信託銀行・地銀・メガバンクが分散して持つ従来の構成は消えた。背景には、FY22からFY23にかけて300億円規模まで膨らんだネットキャッシュ[102]と上場株式、旧池島炭鉱跡地などの含み資産が時価総額に比べて過大と見られ、資本効率の改善を求める圧力を招きやすい状態があった。

  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【大株主の状況】
    • [100]FY24上位株主は旧村上系4社(南青山不動産10.30%・フォルティス9.42%・シティインデックスイレブンス8.96%・エスグラントコーポレーション8.88%)で合計37.56%
    • [101]野村絢氏(4.32%)を加えた上位5名で約42%
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [102]ネットキャッシュはFY22に307億円・FY23末に299億円

吉岡社長はM&Aによる新規事業投資でグループ全体の収益を拡大する方針を示し、2027年3月期をめどに利益50億円以上へ到達する目標[103]を掲げた。FY24の連結売上高は60,574百万円で前期比22%減、営業利益は7,615百万円で同70%減[104]と、石炭事業の終了を受けて利益の水準は一段下がった。同年度は連続買収に加えて自己株式を26億円取得し、エム・アール・エフの買収で営業貸付金35,254百万円を計上した[105]ため、ネットキャッシュはFY23末の299億円から145億円へ減った[106]。2024年度からは生活消費財・産業用製品・金融その他の3セグメント体制[107]へ移り、1781年に松島で始まった採掘から数えて2世紀余り続いた石炭との関わりは、ここで途切れた。

  • 日本経済新聞 2024年5月13日
    • [103]2027年3月期をめどにM&Aで利益50億円以上へ到達する目標
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [104]FY24の連結売上高60,574百万円(前期比22%減)・営業利益7,615百万円(同70%減)
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [105]FY24の自己株式取得26億円とエム・アール・エフ買収に伴う営業貸付金35,254百万円の計上
    • [106]ネットキャッシュはFY23末の299億円からFY24の145億円へ減少
    • [107]2024年度から生活消費財・産業用製品・金融その他の3セグメント体制
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
    • [95]2024年3月 リデル炭鉱の終掘により石炭生産・販売事業が終了
    • [96]リデルは1991年参入から33年・創業1913年から111年続いた石炭事業
    • [97]2024年4月 株式会社花菱の株式持分66%を株式会社吉村へ譲渡
    • [98]2024年7月 株式会社エム・アール・エフを買収・子会社化し金融サービスへ参入
    • [99]2024年8月 MM Investments株式会社が株式投資事業を開始
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【大株主の状況】
    • [100]FY24上位株主は旧村上系4社(南青山不動産10.30%・フォルティス9.42%・シティインデックスイレブンス8.96%・エスグラントコーポレーション8.88%)で合計37.56%
    • [101]野村絢氏(4.32%)を加えた上位5名で約42%
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
    • [102]ネットキャッシュはFY22に307億円・FY23末に299億円
    • [105]FY24の自己株式取得26億円とエム・アール・エフ買収に伴う営業貸付金35,254百万円の計上
    • [106]ネットキャッシュはFY23末の299億円からFY24の145億円へ減少
    • [107]2024年度から生活消費財・産業用製品・金融その他の3セグメント体制
  • 日本経済新聞 2024年5月13日
    • [103]2027年3月期をめどにM&Aで利益50億円以上へ到達する目標
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [104]FY24の連結売上高60,574百万円(前期比22%減)・営業利益7,615百万円(同70%減)

三井松島ホールディングスの沿革1913〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
松島炭鉱を設立。古賀鉱業の所有する長崎県松島地区の良質石炭鉱区を買収
大島鉱区の開坑に着手
50百万円に増資
池島坑の開発に着手★★
松島海運を設立
東京証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第一部に上場
池島炭鉱を設立
石炭生産部門の分離と兼業会社への転換 ― 松島炭鉱から松島興産へエネルギー革命と石炭政策のもとで、祖業の「掘る部門」をどう切り離し、何で食いつなごうとしたか 詳細を読む★★★
松島興産に商号変更
池島炭鉱が松島炭鉱に商号変更
三井鉱山建材販売を吸収合併
三井松島産業に商号変更
MITSUI MATSUSHIMA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立
NSW州リデル炭鉱のジョイント・ベンチャーに参入★★
三井松島リソーシスを設立
連結子会社松島海運を吸収合併
松島炭鉱が経営する池島炭鉱を閉山★★
米澤祥一郎第1回無担保転換社債型新株予約権付社債を発行
米澤祥一郎光コンポーネント事業から撤退
米澤祥一郎池島アーバンマインを設立
串間新一郎公募・第三者割当により新株式を発行
串間新一郎松島炭鉱を解散
串間新一郎永田エンジニアリングを買収、子会社化
天野常雄池島アーバンマインのリサイクル事業から撤退
天野常雄三井松島HDに商号変更
吉岡泰士明光商会を買収、子会社化★★
吉岡泰士システックキョーワを買収、子会社化。併せてTHAI SYSTECH KYOWA CO.,LTD.を子会社化
吉岡泰士ジャパン・チェーン・HDを買収、子会社化
吉岡泰士Saunders & Associates, LLCを買収、子会社化
吉岡泰士連続M&Aによる脱石炭転換と、111年続いた石炭事業からの撤退潤沢な現預金と旧村上系株主の視線のもとで、吉岡泰士社長は祖業をどう畳み、何を買い集めたか 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 松島炭鉱五十年史(1962年刊)
  • 日本会社史総覧(1995年刊)
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【沿革】
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「松島炭鉱」の項
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第150期(2006年3月期)【沿革】
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第165期(2021年3月期)【沿革】
  • 日本の経営者 昭和52年版(1977年2月)
  • 日本の経営者 昭和58年版(1982年8月)
  • 日本の経営者 平成5年版(1992年10月)
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
  • 三井松島ホールディングス IR資料(決算説明資料・経営者インタビュー)
  • 三井松島産業 有価証券報告書 第155期(2011年3月期)【沿革】
  • 三井松島ホールディングス FY24決算説明資料
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第163期(2019年3月期)【事業の内容】
  • 事業構想オンライン(2021年9月号)
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第167期(2023年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 三井松島ホールディングス FY22決算説明資料
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 三井松島ホールディングス 有価証券報告書 第169期(2025年3月期)【大株主の状況】
  • 日本経済新聞 2024年5月13日

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