1948年〜 繊維機械から工作機械への業態転換と伊賀工場体制の確立
DMG森精機の業績推移:単体
- 1948年 森精機製作所を設立し繊維機械の製造販売を開始
- 1958年 繊維機械の製造を中止し工作機械(高速精密旋盤)の製造販売を開始
- 1962年 本店・本社工場を移転
- 1968年 数値制御装置付旋盤の製造販売を開始
- 1970年 伊賀工場を新設・操業開始
- 1979年 大阪証券取引所市場第二部に上場
- 1981年 立形マシニングセンタの製造販売を開始
森林平氏の創業──大和郡山発・繊維機械メーカー設立と戦後復興期の事業基盤
1948年10月、奈良県大和郡山市で森林平氏が「株式会社森精機製作所」を設立、繊維機械の製造販売を開始した。戦後復興期の日本では繊維工業が外貨獲得の基幹産業として位置付けられ、繊維機械への国内需要が急回復する時期に当たる。森林平氏は紡績関連の繊維機械メーカーとして発足、奈良県大和郡山市という地方都市を本拠地に置く戦後の地場産業型の中小機械メーカーとして起ち上がった。創業から10年は繊維機械専業で歩み、戦後復興期から高度経済成長期前半までの繊維工業需要を取り込む形で事業基盤を作った。 [1][2][3]
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [1]1948年10月 奈良県大和郡山市で株式会社森精機製作所を設立し繊維機械の製造販売を開始
- [2]創業者は森林平
- [3]創業地は奈良県大和郡山市
1962年1月、本店および本社工場を大和郡山市北郡山町106番地に移転、創業地・大和郡山市内での生産機能の整備を完了した。当時の繊維機械メーカーとしては中堅規模の体裁を整え、地方の機械メーカーとして地域内での雇用と取引網を作り上げた段階である。日本の繊維工業は1950年代後半から構造変化期に入り、合成繊維への移行と海外への生産シフトで国内需要は1960年代に減退へ向かい、繊維機械メーカー各社は業態転換を迫られた。森精機製作所は1958年5月の段階で繊維機械の製造中止という業態転換を断行した。 [4][5]
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [4]1962年1月 本店および本社工場を大和郡山市北郡山町106番地に移転
- [5]1958年5月 繊維機械の製造を中止(工作機械への業態転換)
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [1]1948年10月 奈良県大和郡山市で株式会社森精機製作所を設立し繊維機械の製造販売を開始
- [2]創業者は森林平
- [3]創業地は奈良県大和郡山市
- [4]1962年1月 本店および本社工場を大和郡山市北郡山町106番地に移転
- [5]1958年5月 繊維機械の製造を中止(工作機械への業態転換)
工作機械への業態完全転換と、伊賀工場の建設・NC化対応
1958年5月、繊維機械の製造を中止し工作機械(高速精密旋盤)の製造販売を開始、業態の完全転換を実行した。戦後復興期の繊維機械需要のピークアウトを見越し、産業機械の中で最も需要が広がる工作機械──特に高速精密旋盤──への参入を決めた決断である。創業からわずか10年での主力事業転換は、後の同社の事業判断パターン(先見的な業態転換と集中投資)の原型となる経営判断であった。1958年以降、同社は工作機械専業として歩み、繊維機械への回帰は行わず、後の60年超の事業の骨組みを完成させた。 [6]
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [6]1958年5月 繊維機械の製造を中止し工作機械(高速精密旋盤)の製造販売を開始
1968年4月、数値制御装置付旋盤(NC旋盤)の製造販売を開始、NC化への対応を始めた。1960年代後半から1970年代にかけて日本工作機械業界はNC化の波に直面し、NC旋盤・NCマシニングセンタへの移行が業界の生死を分ける時期であった。森精機製作所はNC化の早い段階で参入、後のCNC精密旋盤へつながる事業基盤を整えた。1970年12月、三重県伊賀町に伊賀工場を建設・操業開始、後の中核工場となる伊賀事業所の最初の拠点を設けた。大和郡山市の本社工場に次ぐ第2の生産拠点として伊賀工場を整え、関西圏の工作機械生産能力を拡張する構造である。創業時の繊維機械メーカーから20年で、NC旋盤の専業生産能力を持つ工作機械メーカーへ転身を完了した。 [7][8]
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [7]1968年4月 数値制御装置付旋盤(NC旋盤)の製造販売を開始
- [8]1970年12月 三重県伊賀町に伊賀工場を建設・操業開始
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [6]1958年5月 繊維機械の製造を中止し工作機械(高速精密旋盤)の製造販売を開始
- [7]1968年4月 数値制御装置付旋盤(NC旋盤)の製造販売を開始
- [8]1970年12月 三重県伊賀町に伊賀工場を建設・操業開始
中型旋盤の量産化による躍進と東京・大阪両証取への上場
工作機械への参入は業界では後発だったが、森精機製作所は中型汎用旋盤に機種を絞った量産で先行各社を追い抜いた。受注を受けてから熟練工が1台ずつ仕上げ、不況に備えて設備を控えめに保つのが当時の工作機械メーカーの通例であり、森精機製作所は中型汎用機SL-3を月産200台規模で見込み生産する逆の道を選んだ。低コストと輸出競争力を背景に、単体売上高は1972年1月期の18億円から1979年3月期の185億円へ伸び、無借金経営のまま一株あたり年15円の高率配当を続けた。経営は創業者の森林平社長を中心に、弟の森茂副社長や森幸男専務ら創業家で固めた。森林平社長は、NC工作機械の需要拡大を見越し、同業他社が縮小・撤退・減量に向かう時期に量産合理化設備と人材を逆に増やしたと、後発からの逆転の背景を説明している。 [9][10][11][12]
- 経済展望(53巻7号・1981年4月)
- [9]中型汎用旋盤SL-3を月産200台規模で見込み生産する量産戦略を採った
- [11]無借金経営で一株あたり年15円の高率配当を実施
- [12]経営陣は森林平社長・弟の森茂副社長・森幸男専務ら創業家で構成
- 証券投資(309)
- [10]単体売上高は1972年1月期18億円から1979年3月期185億円へ拡大
1979年11月、大阪証券取引所市場第二部に上場、創業から31年で資本市場へのデビューを果たした。1981年5月、立形マシニングセンタの製造販売を開始、CNC旋盤に続くMC事業への参入で製品ラインを拡張した。同年11月、東京証券取引所市場第二部に上場、東京市場への進出も果たした。創業から33年で東京・大阪両証取への上場を完了し、奈良県大和郡山市発の地場機械メーカーから上場工作機械メーカーへ事業基盤を引き上げる転換を遂げ、後に独DMGとの段階統合に至る資本市場での地位を確立した時期にあたる。 [13][14][15]
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [13]1979年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [14]1981年5月 立形マシニングセンタの製造販売を開始
- [15]1981年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
- 経済展望(53巻7号・1981年4月)
- [9]中型汎用旋盤SL-3を月産200台規模で見込み生産する量産戦略を採った
- [11]無借金経営で一株あたり年15円の高率配当を実施
- [12]経営陣は森林平社長・弟の森茂副社長・森幸男専務ら創業家で構成
- 証券投資(309)
- [10]単体売上高は1972年1月期18億円から1979年3月期185億円へ拡大
- DMG森精機 有価証券報告書【沿革】
- [13]1979年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [14]1981年5月 立形マシニングセンタの製造販売を開始
- [15]1981年11月 東京証券取引所市場第二部に上場