PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
日本
224億円
中国
538億円
インド
53億円
韓国
17億円
その他
5億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
営業利益
2024/3 | 連結
日本
-9億円
中国
126億円
インド
0億円
韓国
0億円
その他
0億円
調整額
3億円
1926年
津上製作所を創業

東京本所大平町(吾妻橋近く)に住む職人・津上退助がゲージブロックの研究に着手。職人の直感に頼っていた計測を、ゲージブロックを使用することで均質化することを目論んだ。そして、1926年に東京都武蔵小山にて「津上製作所」を個人創業した。

1928年には株式会社津上製作所を設立して国産ゲージブロックの生産を開始。1934年には三井物産の支援を受けて蒲田区下丸子に工場を新設するなど、軍需増大に対応することで業容を拡大した。

1936年
三井物産と対立・創業者が退任

三井物産と創業者の津上退助の間で意見対立が生じたため「旧津上製作所」の経営から退く。その後、旧津上製作所は東洋精機(三井請機・1961年経営破綻)として経営されたため、津上退助は再起を図るために新会社の設立を模索する。

1937年3月
株式会社津上製作所を設立(2代目)

津上退助は再起を図るために、工場を誘致していた新潟県長岡市にて2代目となる「株式会社津上製作所」を設立。翌1938年に本社を東京に移転設置するが、1941年には長岡工場を新設するなど、生産拠点は新潟県に置く判断をしている。

1939年
L型ねじ切りフライス盤および油圧式万能円筒研削盤の生産開始

日本が戦時体制に突入したことを受けて、軍からの依頼で国産フライス盤・国産旋盤の生産を開始。軍需企業として発展を遂げる

1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1961年10月
東洋精機を吸収合併・茨城工場を発足
1961年
10月
東洋精機を吸収合併・茨城工場を発足
1975年
3月
茨城工場を閉鎖
1970年9月
津上総合研究所を新設
1970年11月
商号を株式会社ツガミに変更
1975年
経営再建・大山梅雄が社長就任

1973年のオイルショックによってツガミが経営危機に陥ると、再建のプロ経営者として知られた大山梅雄がツガミの社長に就任。経費節減のために100円以上の経費を社長自らチェックするなど、節約を徹底したため「ケチケチ経営」とも形容された。加えて、茨城工場の閉鎖および売却という決断を下し、バランスシートの改善も試みた。

1978年
CNC複合自動旋盤「マーキュリーシリーズ」を開発

旋盤のコンピューター化の波に合わせて、CNC自動旋盤を開発。経営危機を脱する契機となり、ツガミは自動旋盤メーカーとして復活した。

1991年
米国ウェルドンを買収

米国の工作機械メーカーを買収して北米進出

2003年
津上精密机床(浙江)有限公司を設立して中国に進出

国内の生産体制を新潟に集約する一方で、中国での自動旋盤の生産を開始

決算
ツガミの業績
2004年3月期(連結)
売上高
199
億円
当期純利益
-9
億円
2005年11月
長岡工場と信州工場で新工場棟を竣工
決算
ツガミの業績
2006年3月期(連結)
売上高
340
億円
当期純利益
55
億円
2011年4月
インドに現地法人を新設
決算
ツガミの業績
2012年3月期(連結)
売上高
357
億円
当期純利益
22
億円
2017年9月
津上精密機床(香港)有限公司をを香港市場に上場
決算
ツガミの業績
2018年3月期(連結)
売上収益
567
億円
当期利益
39
億円
2019年
中国向け自動旋盤が好調

自動車およびスマートフォン向けの自動旋盤の受注が好調で、2019年3月期には売上高674億円、当期純利益60億円を計上した。

決算
ツガミの業績
2020年3月期(連結)
売上収益
493
億円
当期利益
20
億円
2023年7月
東南アジアに現地法人を新設
2023年
7月
マレーシアに現地法人を新設
2023年
10月
ベトナムに現地法人を新設
決算
ツガミの業績
2024年3月期(連結)
売上収益
839
億円
当期利益
53
億円
2027年4月
長岡工場第8棟を新設(予)

国内生産体制を拡充するために、2024年11月の取締役会において老朽化した長岡工場8号棟の建て替えを決議。2025年に着工して2027年4月の稼働を予定。投資額は23億円

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