結果

オークマの長期業績

1950年〜2024年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
2,279億円
売上高:2024/3
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
8.4%
利益率:2024/3
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
日本
全生産高の約90%を国内生産
999億円
米州
うち米国向け580億円
706億円
欧州
現地代理店の買収で拡張
413億円
アジア・パシフィック
うち中国向け312億円
160億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント利益
2024/3 | 連結
日本
国内製造業の好調で、高収益を確保
151億円
米州
-
54億円
欧州
-
29億円
アジア・パシフィック
中国経済の不調で長期低迷
13億円
1898
1月

大隈麺機商会を創業

明治31年(1898年)に大隈栄一氏は自身で発明した「製麺機械」を事業化するために、名古屋市東区石町3丁目にて「大隈麺機商会」を個人創業した。このためオークマの祖業は製麺機械であった。

創業期における転機は、1904年に陸軍から工作機械を受注したことに始まる。日露戦争の勃発を受けて、日本陸軍はオークマに対して旋盤製造を要請。陸軍から送られてきた図面を参考に、弾丸信管用の旋盤の製造を開始した。当時、工作機械は輸入品が主流であり、オークマは工作機械の国産化で先発企業となった。

以後、オークマは陸軍向けの工作機メーカーとして業容を拡大。旋盤、形削盤、ボール盤、フライス盤、研磨盤などの工作機械の製造に従事した。工作機械の拡充を受けて、1916年5月には屋号を「大隈製麺商会」から「大隈鐵工所」に変更。1918年には株式会社に組織変更した。

1898年
1月
製麺機の製造を開始
1904年
2月
旋盤の製造を開始
1916年
5月
大隈鐵工所に商号変更
1919年
専売局向けタバコ製造機の製造開始
1920年
毛織機の製造開始
出所
参考文献
会社銀行八十年史, 1955年
1918年7月
株式会社大隈鐵工所に組織変更
1934年5月
萩野工場を新設・乗用車製造に参入

自動車の普及を見据えて、乗用車の参入を決定。名古屋市内に萩野工場を新設した。

1938年6月
上飯田工場を新設

名古屋市内に上飯田工場を新設。研磨盤の生産に従事

1948年8月
大隈孝一氏が社長就任(創業家)
1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1950年
毛紡織機械の海外輸出に注力
1952年
工作機械の開発投資
1952年
ベアリング製造用自動旋盤を開発
1953年
油圧操作式ラジアルボール盤を開発
1955年
平面研削盤を開発
1966年
独自NCによる「OSP」を発表

工作機械の位置決めをおこなう数値制御(Numeric Control)をオークマは自社開発してOSPとして発表。日本国内では富士通(ファナック)が工作機械を手掛けないNCの専門メーカーであったのに対し、オークマは工作機械とNCを両方手がけるメーカーとしてのポジションを確保する。

1969年8月
大口工場を新設

名古屋市内の工場を移転する目的で、愛知県丹羽郡大口町に大口工場を新設。

また、生産の合理化のために、1980年に新設した大口工場に本社機能を移転。以後、オークマは国内工場に投資することにより、海外進出よリモ国内生産によってグローバルで競争する道を進めた。

1969年
8月
大口工場を新設
1982年
2月
本社を大口工場に移転
1976年
希望退職者を募集

オイルショックによる経済不況によってオークマの業績が悪化。経営再建のために、終戦直後から社長を務めた大隈孝一が社長を退任し、娘婿の大隈武雄が社長に就任した。固定費削減のために従業員の20%にあたる380名の希望退職者の募集、名古屋市内の工場式の一部売却などを実施。

また、社長が個人所有していた高級車・ベンツの売却など、リストラによる財務体質の削減に邁進した。なお、業界内では「オークマはいつ倒産してもおかしくない」(1980/4/21日経ビジネス)と言われたという。

決算
オークマの業績
1977年3月期(単体)
売上高
133
億円
当期純利益
0.5
億円
1979年9月
米国にオークママシナリーCorp.を設立

工作機械の北米輸出およびアフターサービス(メンテナンス)の強化のため、米国に現地法人を新設

1979年
9月
米国にオークママシナリーCorp.を設立(販売)
1987年
2月
米国にオークママシンツールスInc.を設立(現地生産)
1995年
7月
米国現法2社を合併・Okuma America Corporationを発足
決算
オークマの業績
1980年3月期(単体)
売上高
378
億円
当期純利益
36
億円
1980年
過去最高の経常利益55億円を計上。経営再建を完了

オイルショックの布教が一段落すると、1978年ごろから日本の製造業は生産性の高いNC工作機を導入。オークマのOSPを搭載したNC工作機械の需要が高まったことを受けて、オークマは業績を回復。1980年には過去最高の経常利益55億円を計上し、経営再建を成し遂げた。

決算
オークマの業績
1981年3月期(単体)
売上高
533
億円
当期純利益
40
億円
1988年1月
欧州の現地法人2社を買収
1988年10月
可児工場を新設

円高ドル安の進行によって、日本の製造業が相次いで東南アジアでの工場投資を進める中、オークマは日本国内への投資を継続。岐阜県に可児工場を新設し、1997年には可児工場にマシニングセンタ専用組立工場を新設するなど、国内での生産投資を続け、海外市場には現地にサービス拠点を設けて輸出する体制を整える。

1988年
10月
可児第1工場を新設
1991年
2月
可児第2工場を新設
1991年4月
商号をオークマ株式会社に変更
1994
1月

希望退職者を募集・定年引下げは撤回

リストラと定年引き下げを同時発表

業績改善のために1993年から1994年にかけてオークマは合計約500名の希望退職者を募集。まずは1993年末に管理職132名(部長・課長クラス)が退職し、続いて1994年内に一般社員544名が退職した。この結果、合計676名の社員がオークマを退職し、希望退職の想定人数500名を超過した。

また、希望退職者の募集と同時に定年を60歳から56歳に引き下げる方針を打ち出した。この方針は労使(経営および労働組合)が合意した内容であったが、日本企業として「定年引き下げ」を実施することは珍しく、前例のない措置として注目を浴びた。

労働省が問題視・定年引き下げを撤回

1994年1月11日に労働省(坂口労相)はオークマの定年制の引き下げを問題視して、オークマの前田社長に説明を要請。労働省がメーカーの社長に説明を要請するのは異例のことで、労働省はオークマに対して定年引き下げに難色を示した。

この結果、オークマは人員削減は継続するものの定年の引き下げは撤回し、日本企業における「定年の引き下げ」はタブーとなった。

メディア報道によって経営混乱・社長退陣へ

定年制で混乱を巻き起こしたのはメディア報道であった。各種メディアは日本的な雇用慣行を重視し、オークマの定年制引き下げに対して批判的な論調を展開。加えて、メディアは誤った言説を流布(オークマはバブル期に過剰投資をした等)したことで、オークマの経営に対する心象操作を行った。

この結果、オークマでは経営の混乱を受けて、1994年2月にオークマの前田豊氏(元社長・相談役)が社長を引責退任した。社長退任後、前田氏は「皆さんの記憶から消える日を静かに待ちたいというのが、率直な気持ちです」と複雑な心境を吐露している。

このため、オークマにとって人員削減の遂行が、経営上のトラウマとなって記憶されている。

1993年
12月
管理職を対象に希望退職者を募集
希望退職募集数 120
1994年
1月
一般社員を対象に希望退職者を募集
希望退職募集数 380
1994年
1月
定年制引き下げを発表
引下後の定年 56
1994年
1月
労働省とメディアがオークマを批判
1994年
1月
定年制引き下げを撤回
1994年
3月
前田豊氏が社長を引責辞任
証言
前田豊(オークマ・相談役)

定年引き下げは労使双方にとって、文字通り苦渋の決断でした。なのに、これを軽々しく扱ったマスコミがあることは、残念でなりません。著名な評論家、一流と言われる経済誌が、よく調べもせずに、いろんなことを言ったり、書いたりする。一般論として批判する間は正当性がありますが、オークマ固有の事情については誤った指摘がずいぶんありました。権威ある第三者の発言は大きな影響力があるのですから、少なくとも最低限の取材をした上で、ものを言って欲しかったと思います。

私が的外れだと思う報道には、まず、私自身の経営に対する批判があります。「前田社長はバブル景気に踊って過剰な設備投資をし、そのツケを従業員に回した」。こう言う人がいますが、どこをどう見ると、こんな批判ができるのでしょうか。私は、むしろ、設備投資にブレーキをかけた人間ですから、過剰投資の張本人のように言われるのは、非常に心外です。(略)

それほど人員削減のマイナスイメージは大きいんですね。特に定年引き下げで騒がれたことは、会社に計り知れないダメージを与えたと反省しています。とにかく、雇用維持が大切な日本の経営風土の中では、こんなことをトップバッターでやってはいけない。これが、今回の失敗を通じて学んだ教訓です。当社は、いわば実験台になったようなもので、これからは、人員削減手段に定年引き下げを採用する会社は、まず出てこないと思います。

人員削減については、どう説明しても、会社にとって、あまり良い話でないことに変わりはありません。言えば言うほど、誤解を持たれる懸念があります。このうえは、皆さんの記憶から消える日を静かに待ちたいというのが、率直な気持ちです。

1994/4/11 日経ビジネス
決算
オークマの業績
1994年3月期(連結)
売上高
550
億円
当期純利益
-133
億円
出所
参考文献
日経ビジネス, 1994/4/11
2000年2月
アジア地域の販売強化・組織再編を実施
2000年
2月
シンガポール支店を拡張
2000年
2月
タイに現地法人を設立
2005年
4月
ニュージーランドに現地法人を設立
2007年
3月
インドに現地法人を設立
2011年
6月
インドネシアに現地法人を設立
2014年
1月
ベトナムに現地法人を設立
2001年3月
中国展開を本格化
2001年
3月
大隈机床(上海)有限公司を設立(販売)
2002年
7月
北一大隈(北京)机床有限公司を合弁設立(現地生産)
2017年
6月
広州テクニカルセンターを新設
2019年
5月
大隈(常州)机床有限公司を設立(現地生産)
2023年
9月
寧波テクニカルセンターを新設
2005年10月
オークマHDを発足・持株会社に移行
2005年
10月
株式会社オークマホールディングスに商号変更
2006年
17月
株式会社オークマに商号変更(子会社3社を吸収合併)
2006年3月
可児工場の増設投資

2000年代から2010年代にかけても、オークマは主力製品の国内生産を継続。2007年には可児に第5工場を新設し、マシニングセンタ・大型工作機械の一貫生産体制を構築。

1997年
10月
可児第3工場を新設(MC専用組立工場)
2006年
3月
可児第4工場を新設(MC向け主軸ユニットの生産)
2007年
2月
可児第5工場を新設
決算
オークマの業績
2006年3月期(連結)
売上高
1513
億円
当期純利益
121
億円
従業員数
2535
営業CF
116
億円
投資CF
-92
億円
財務CF
93
億円
2007年10月
欧州で販売拠点を拡充
2007年
10月
オーストリアに東欧テクノロジーセンターを新設
2009年
4月
トルコに販売・サービス拠点を新設
2019年
9月
ドイツの現地販売代理店を買収・販売サービス拠点を拡充
2020年
5月
ベネルクス3国に販売サービス拠点を新設
2017年3月
本社新工場を新設
2018年4月
国内中堅企業を買収
2018年
4月
神代鉄工所を買収
2022年
6月
平坂鋳工を買収
2023年
8月
大川製作所を買収
2019年5月
可児新工場を新設
2023年1月
群馬工場を新設

半導体および自動車向けを中心とした「マシニングセンタ」の増産のため、群馬工場(群馬県太田市)を新設。金型メーカー「オギハラ」の工場跡地を取得し、2023年より生産を開始した。2024年3月末時点の投下資本(帳簿価額)は17億円。

決算
オークマの業績
2023年3月期(連結)
売上高
2276
億円
当期純利益
191
億円
従業員数
3969
営業CF
160
億円
投資CF
-65
億円
財務CF
-76
億円
2023年7月
江南工場の設備更新

国内生産増強のため、江南工場の刷新を決定。2023年7月〜2025年12月にかけて累計140億円を投資して「エンジニアリングセンター」「イノベーションセンター」の新設を予定

決算
オークマの業績
2024年3月期(連結)
売上高
2279
億円
当期純利益
193
億円
従業員数
4012
営業CF
52
億円
投資CF
-125
億円
財務CF
-107
億円
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