オークマ の歴史

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創業 1898年
創業者 大隈栄一
創業地 名古屋市東区
創業 1898年1月、大隈栄一氏が名古屋・石町で大隈麺機商会を創業した。佐賀から出た栄
1898年1月、大隈栄一氏が名古屋・石町で大隈麺機商会を創業した。佐賀から出た栄一氏が岳父から譲られた製麺機3台を売った代金300円を元手にした個人商会で、このとき28歳だった。1904年2月、日露戦争を前に立ち上がった機械需要をとらえて各種工作機械の製造へ参入し、弾丸旋盤や立削盤から始めている。1916年5月に大隈鐵工所へ商号を変更し、1918年7月には愛知銀行頭取の渡辺義郎氏らの出資で株式会社へ改組した。1945年にいったん大隈興業と改めて毛紡績機械へ移り、1949年5月に名古屋・東京・大阪の3市場へ上場、1951年に大隈鐵工所へ戻す。1991年4月、創業から93年で鉄工所の名を外し、オークマ株式会社となった。
決断 外へ出すのが当たり前だった工程を、そのつど社内へ引き戻してきた。1955年10月
外へ出すのが当たり前だった工程を、そのつど社内へ引き戻してきた。1955年10月に大隈鋳造を設けて鋳物を内製し、1963年には自社製のNC装置OSPを開発して機械と制御を一体で設計する体制へ移る。当時の国内では制御を専門メーカーへ委ね、工作機械メーカーは機械本体に専念する分業が広がっており、その外へ出る選択だった。開発は長く採算に乗らず、1973年のオイルショック後は1977年9月期の累積赤字が36億円に達する。1978年2月、30年在任した大隈孝一氏が引責退任し、労働組合の三役を経営会議へ入れたガラス張り経営で立て直した。2013年5月には本社工場へ一貫生産工場ドリームサイト1を建て、2022年6月に鋳物の平坂鋳工、2023年8月に部品の大川製作所を子会社化した。自社の機械と自社の制御で自社の工場を組むところまで内製を進めたことが、機械と制御を切り離せない製品を作る条件を残した。
現況 稼いだ営業利益の2倍の額を、設備へ投じている。2026年3月期の連結売上高2,3
稼いだ営業利益の2倍の額を、設備へ投じている。2026年3月期の連結売上高2,359億円は過去最高で、営業利益155億円、当期純利益126億円だった。同期の設備投資309億円は営業利益の2倍、減価償却費89億円の3.5倍にあたり、うち日本が257億円と前期の116億円から倍増している。所在地別のセグメント利益は日本88億円に対し米州30億円、欧州7億円、アジア・パシフィック9億円で、国内が3分の2を生む。顧客の所在地別では中国向けが530億円と前期比55%増え、国内向け631億円に迫った。生産を国内に集めたまま需要だけが中国へ寄ったことが、通商政策と為替の変動を国内の工場が一手に受ける構成を残した。
競合 機械と制御を同じ会社で作る体制を、60年以上変えていない。1963年に自社製NC
機械と制御を同じ会社で作る体制を、60年以上変えていない。1963年に自社製NC装置を開発したとき、国内では制御を専門メーカーへ委ねる分業が広がっていた。その分業の担い手であるファナックは現在もCNCを外販する側に立ち、価格で追わず生涯保守で選ばれる立場を築いている。国内の工作機械では、量産方式から機械の基本性能を磨く側へ転じたDMG森精機や、CNC小型自動旋盤へ絞って生産を中国へ移したツガミが並ぶ。2026年3月期の売上高営業利益率6.6%は、同じ期に一品目へ絞った後者の28%を大きく下回る。機械と制御を切り離さないことが、機種ごとに両方を合わせ込む自由と引き換えに、開発費と工作機械の市況変動を1社で抱える収益構造を残した。
長期業績の推移 1949〜2026年
オークマ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1997年3月期〜2026年3月期

第1章 1898-1937 (気が向いたら執筆します!) 大隈栄一の大隈麺機商会創業と工作機械への転換、大隈鐵工所への改組

第2章 1938-1977 (気が向いたら執筆します!) 萩野工場への移転と戦後の株式上場、自社製NC装置OSPの開発

第3章 1978-2004 (気が向いたら執筆します!) 大隈孝一の引責退陣と大口工場への集約、米欧生産拠点とオークマへの商号変更

第4章 2005-2026 (気が向いたら執筆します!) 持株会社化と事業会社への復帰、ドリームサイトによる生産方式の刷新

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歴史年表 1898〜2025年

オークマの沿革1898〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1898〜1937年大隈栄一の大隈麺機商会創業と工作機械への転換、大隈鐵工所への改組大隈栄一大隈栄一が名古屋で大隈麺機商会を創業★
大隈栄一工作機械の製造を開始★★
大隈栄一大隈麺機商会を大隈鐵工所に商号変更★
大隈栄一株式會社大隈鐵工所に組織変更★
大隈栄一本社を萩野工場(名古屋市北区辻町)に移転★
1938〜1977年萩野工場への移転と戦後の株式上場、自社製NC装置OSPの開発大隈孝一名古屋・東京・大阪の各証券取引所に上場★
大隈孝一大隈鋳造を設立★
大隈孝一制御装置の内製化による、機械と制御を一体で設計する体制の構築

1963年、大隈鐵工所(現オークマ)が自社製NC装置"OSP"の開発に成功し、工作機械の本体と数値制御装置の双方を自社で設計・製造する体制を構築した経営判断。東京大学で機械工業論を講じた技術畑の大隈孝一社長が主導した。

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★★★
大隈孝一大口工場を新設★
1978〜2004年大隈孝一の引責退陣と大口工場への集約、米欧生産拠点とオークマへの商号変更大隈武雄大隈孝一社長の引責退陣と、大隈武雄社長への交代

1978年2月、大隈鐵工所(現オークマ)で1948年以来30年間社長を務めた大隈孝一氏が経営責任を取って退陣し、妹婿で大隈家の養子であった大隈武雄氏が社長に就任した。武雄社長は労働組合の三役を加えた経営会議を最高意思決定機関に据える"ガラス張り経営"を掲げ、赤字経営の立て直しに入った。

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★★★
大隈武雄大隈武雄氏が社長に就任★
大隈武雄オークママシナリーCorp.を設立★
大隈武雄旧本社工場の主力を大口工場へ移転★
大隈武雄オークママシナリーInc.を合弁設立★
大隈武雄ノースカロライナ州にオークママシンツールスInc.を設立★
松谷昭松谷昭が代表取締役社長に就任(第5代)★
松谷昭西独の2社を子会社化★
松谷昭可児工場に可児第1工場を新設★
前田豊前田豊が代表取締役社長に就任(第6代)★
前田豊株式會社大隈鐵工所をオークマに商号変更★
柏淳郎柏淳郎が代表取締役社長に就任(第7代)★
柏淳郎オークママシナリーInc.とオークママシンツールスInc.を合併★
柏淳郎大同大隈股份有限公司を合弁設立★
柏淳郎中国初の製造拠点、北一大隈(北京)机床を設立★★
2005〜2026年持株会社化と事業会社への復帰、ドリームサイトによる生産方式の刷新柏淳郎持株会社オークマHDに移行★★
花木義麿花木義麿が代表取締役社長に就任(第8代)★
花木義麿持株会社体制を解消し事業会社オークマに復帰★★
花木義麿FY08通期、営業利益120億円・純利益36億円を計上★
花木義麿FY09にリーマン・ショックで過去最大級の赤字★★
花木義麿本社工場敷地内にドリームサイト1(DS1)を新設★
花木義麿可児工場にドリームサイト3(DS3)を新設★
花木義麿大隈(常州)机床有限公司を設立★
家城淳家城淳が代表取締役社長に就任(第9代)★
家城淳FY19、米中摩擦と新型コロナで業績急減★
家城淳群馬工場を新設★
家城淳FY22、過去最高水準の売上2,276億円★
家城淳FY24、中国市況悪化で減益★
出典・参考

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