伊賀工場を新設し生産方式を転換(1990年・DMG森精機の決断)

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論点 量産から質への転換
売上高(億円)経常利益率(%)
量産方式の限界に直面した末の、一台ごとに作り込む方式への回帰

量産方式の限界に直面した末の、一台ごとに作り込む方式への回帰

背景

8種の基本ユニットから252種のCNC旋盤を作り分けるブロックビルド方式を1987年までに整え、内製化率ほぼ100%の垂直統合で1989年3月期は営業利益率24.1%と業界首位に立った。量産方式は極致に達していた。

内容

森幸男社長は 『いいものを安く作る時代は終わった』 として、量から質への転進を掲げた。ユーザーの要求がFMSやCIMへ移るなか、基本性能を磨く原点回帰が要るとみて、伊賀に総工費250億円の世界最大・最新鋭工場を建設した。

含意

絶頂期に自らの成功体験を問い直した先見は、バブル崩壊後の需要急減と新工場の設備ミスマッチという代償を伴った。質への転換は、皮肉にも国内でなく欧米の大手向け特注機として実を結んでいった。

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筆者の見解 強みを否定する転換の重さ
筆者の見解

強みを否定する転換の重さ

この経営判断の核心は、業界首位の高収益をあげていた絶頂期に、その収益を生んだ量産方式そのものを自ら問い直した点にある。標準品の量産で御三家に上りつめた森精機が、需要がシステム化へ向かう先を読み、財務にゆとりのあるうちに質への転換へ動いたのは、成功体験に安住しない先見だったと推察される。強みを否定する転換に、好調のうちに手を入れた点で、危機に追われて動く再建とは性格が異なっていた。

もっとも、強みを手放す転換は重い代償を伴った。量産向けに造った新工場が特注生産に合わず、設備の入れ替えと赤字を招いた。国内では量産メーカーのイメージが根強く、質への転換は皮肉にも国内でなく欧米の大手向け特注機として実を結んでいった。宮大工に戻るという理想と、量産で築いた現実の生産体制との間には、埋めるのに数年を要する落差があった。強みを次の強みへどう組み替えるか——森精機の1990年前後の選択は、成功した企業ほど転換の設計に時間と痛みがかかることを示しているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号(日経BP社)
  • 日経ビジネス 1999年1月4日号(日経BP社)
  • 日経ビジネス(1987年11月23日号)

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