決断
同じ機械を数多く作る会社から、機械の種類を数多く持つ会社へ変わった。1958年に繊維機械をやめて高速精密旋盤へ移ると、受注生産が通例だった業界で中型汎用機を月産200台規模の見込み生産に切り替え、1989年3月期には単体の営業利益率24.1%と工作機械業界の首位に立った。その絶頂で森幸男社長は量産方式そのものを問い直し、量から質への転換を宣言した。1999年6月には社長交代を3年前倒しし、海外開拓を担った森雅彦氏が37歳で登板した。2009年3月に独GILDEMEISTER AGと業務・資本提携で合意し、2015年4月に議決権89.6%で連結化する。2024年1月には横中ぐり盤の倉敷機械、2025年2月に研削盤の太陽工機、同年3月に工作機械商社の宮脇機械プラントの全株式を相次いで取得した。量産で得た資金力が、後年に機種と販路を会社ごと取得する原資を作った。
1999年6月 森幸男氏の社長退任と森雅彦氏への継承
1987年 伊賀第2FMS工場の建設と量産からの転換