第一ライフグループ の歴史

更新:

創業

1902年

創業者

矢野恒太

創業地

東京都千代田区

直近売上高(2026/3)

113,083億円

長期業績と転換点(2008/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1902年に、保険業法の立案者自身が日本初の相互会社を設立したのか
A 明治期の生保は加入者への保険金不払いや会社の倒産が頻発し、業界の信頼そのものが揺らいでいた。倒産会社からの加入者保護を目的に保険業法が立案されると、その立案に農商務省側で関わり初代保険課長を務めた矢野恒太氏が退官し、1902年9月、池田謙三氏や岡野敬次郎氏の後援のもと第一生命保険相互会社を基金20万円で設立した。利益を株主でなく加入者へ配分する相互組織と、代理店を置かず営業費を削る合理的経営は、業法立案者が把握した構造的な信頼問題への一つの回答だった
Q なぜ2010年に、108年続いた相互会社をやめて株式会社へ転換し上場したのか
A 国内市場が少子高齢化で縮小に向かう一方、成長は海外の新興国や買収先にあり、相互会社のままでは大型M&Aに必要な資本を市場から集められなかった。そこで第一生命は1902年の設立以来108年続いた相互会社形態を解き、2010年4月に株式会社へ移って東証一部に上場した。当時の経営陣は優先株と普通株で合計1兆円規模のM&A資金を資本市場から調達しうる枠組みを得たと説明している。この調達力があったからこそ、相互会社のままでは届かなかった2015年2月の米Protective Life完全子会社化に踏み込めた
Q なぜ2024年に、生保が福利厚生代行のベネフィット・ワンを買収したのか
A 少子高齢化で死亡保障・医療保険の国内市場が縮小し、保険商品を売り続けるだけでは成長の天井が見えていた。そこで第一生命ホールディングスは保険業から保険サービス業への進化を掲げ、保険の外に顧客接点とキャッシュフローを取りに動いた。2024年3月、福利厚生代行で最大手のベネフィット・ワンを株式公開買付けで買収し、同年5月に子会社化した。第一生命の販売網へ福利厚生サービスを乗せて法人接点を広げ、成長性と資本効率の高い非保険領域の比率を上げて市場評価を高める狙いがある。買収した会社の事業が保険から周辺サービスへ広がった点に、菊田徹也社長体制の特徴が表れている

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1902年〜 保険業法立案者の合理主義と戦前の業界2位ポジション

  1. 1902年 第一生命保険相互会社を設立
  2. 1912年 地方部(後の支部)の設置を本格化
  3. 1921年 業界5大生保入り
  4. 1932年 保有契約高10億円で業界第2位確保
  5. 1934年 結核予防の剰余金100万円を基金に保生会(後の結核予防会母体)を設立
  6. 1938年 第一生命館完成
  7. 1944年 保有契約高100億円到達

保険業法の立案者が作った相互会社

1900年の保険業法制定には、のちに第一生命を創設する矢野恒太氏が立案者側で参画した。矢野氏は同法公布後、農商務省の初代保険課長として保険監督の実務を担い、退官して1902年9月、池田謙三氏(第百銀行頭取)や岡野敬次郎氏(のちの文部大臣)の後援のもと、第一生命保険相互会社を設立した。初代社長には伯爵の柳沢保恵氏が就任し、基金20万円で発足した。明治期の生保業界では加入者の保険金不払いが頻発しており、倒産会社からの加入者保護を目的とした業法と、その立案者自身による相互会社の新規設立は、業界の構造的な信頼問題への一つの回答という色合いを帯びていた。 [1][2][3][4]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]第一生命を創設したのは矢野恒太氏
    • [2]1902年9月 第一生命保険相互会社を設立
    • [3]初代社長は伯爵の柳沢保恵氏
    • [4]発足時の基金は20万円

第一生命が当初掲げた経営方針は、養老保険の高料高配(高い保険料で多く配当する)主義と、代理店を置かずに営業コストを削減する合理的経営だった。これは矢野氏が業法立案の過程で把握した業界の収益構造の課題に、相互会社という組織形態で答える設計でもあった。1912年から地方への進出を本格化し、主要都市に地方部(のちの支部)を順次設けた。1921年には5大生保の一角に並び、1932年8月には保有契約高10億円で業界第2位を確保し、以後この地位を長期にわたり維持した。合理主義を掲げた後発会社が相互会社形態で獲得した業界第2位の序列は、第二次大戦による業界再編まで動かなかった安定ポジションだった。 [5][6][7]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1912年から地方への進出を本格化し、主要都市に地方部(後の支部)を設置
    • [6]1921年に5大生保の一角に並ぶ(業界5大生保入り)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [7]1932年8月 保有契約高10億円で業界第2位を確保
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]第一生命を創設したのは矢野恒太氏
    • [2]1902年9月 第一生命保険相互会社を設立
    • [3]初代社長は伯爵の柳沢保恵氏
    • [4]発足時の基金は20万円
    • [7]1932年8月 保有契約高10億円で業界第2位を確保
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1912年から地方への進出を本格化し、主要都市に地方部(後の支部)を設置
    • [6]1921年に5大生保の一角に並ぶ(業界5大生保入り)

日比谷の第一生命館と戦後のGHQ接収

1938年11月、東京日比谷に現在の本社にあたる第一生命館が完成した。戦時期の1944年には保有契約高100億円に到達し、業容は拡大した。しかし1945年9月、敗戦とともに本社社屋がGHQ連合国軍総司令部の庁舎として接収され、戦時資産の損害拡大とインフレの進行が重なり、生命保険の募集は困難をきわめた。1934年には結核予防のため剰余金100万円を基金として保生会(のちの結核予防会の母体)を設立するなど、戦前から社会貢献活動を続けていたが、戦時下ではその種の活動も一時中断した。戦前に積み上げた業界第2位のポジションも、社屋接収と資産毀損で、ゼロに近い水準から再起を迫られる立場に追い込まれた。 [8][9][10][11]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1938年11月 東京日比谷に第一生命館(現本社)が完成
    • [10]1945年9月 本社社屋がGHQ連合国軍総司令部の庁舎として接収
    • [11]1934年 剰余金100万円を基金として保生会(のちの結核予防会の母体)を設立
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [9]1944年 保有契約高100億円に到達

戦後はこども保険・団体定期保険などを新発売し、1949年には中止していた契約者配当を再開した。1950年には保健文化賞を創設し、1951年には保有契約高が1兆円に到達した。創業以来の社会貢献の系譜は、戦後も保健文化賞(1950〜)、心臓血管研究所(1959〜)、緑のデザイン賞(1990〜)と引き継がれ、一貫した姿勢として第一生命のブランドに組み込まれた。相互会社として剰余金を社会へ還元する動きが、戦前戦後を通じて続いた点は、のちの株式会社転換時にも参照される経営文化として残った。戦後の保有契約高1兆円到達で、戦前に得た業界第2位ポジションを戦災を挟んで取り戻し、業界での同社の位置を内外に示した。 [12][13][14]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年 保健文化賞を創設
    • [14]心臓血管研究所を1959年に設立
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [13]1951年 保有契約高が1兆円に到達
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1938年11月 東京日比谷に第一生命館(現本社)が完成
    • [10]1945年9月 本社社屋がGHQ連合国軍総司令部の庁舎として接収
    • [11]1934年 剰余金100万円を基金として保生会(のちの結核予防会の母体)を設立
    • [12]1950年 保健文化賞を創設
    • [14]心臓血管研究所を1959年に設立
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [9]1944年 保有契約高100億円に到達
    • [13]1951年 保有契約高が1兆円に到達

1946年〜 世界ベストテン到達から相互会社の株式会社化まで

第一ライフグループの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1950年 保健文化賞を創設
  2. 1963年 企業年金保険・終身年金保険を発売
  3. 2006年 第一フロンティア生命保険を設立
  4. 2007年 ベトナムBao Minh CMG Lifeを買収、Dai-ichi Life Vietnamとして子会社化
  5. 2010年 108年続いた相互会社を解いて株式会社へ、東証一部に上場する 加入者のものだった会社を株主のものへ組み替えた選択に、第一生命は何を託したか
  6. 2011年 TAL Groupを完全子会社化
  7. 2015年 上場で得た資本力で、米プロテクティブ生命を完全子会社化する 相互会社を解いた5年後、第一生命はなぜ約5,800億円を投じて米プロテクティブ生命を丸ごと買えたのか

オンライン化と一生涯のパートナー

1963年に第一生命は企業年金保険・終身年金保険を発売し、個人保険一本槍から年金商品市場へ早期参入した。1968年4月、将来の事務量増大とコンピュータ化に備え、神奈川県大井町に本社機構の一部を移転した。1975年1月には本社のメインフレーム電子計算機と全国支社を結ぶオンラインシステムを稼働させ、生保大手としてのIT基盤を整えた。1970年には保有契約高10兆円に到達し、世界の生保ランキングでベストテン入りを果たした。業法立案者が起こした合理主義の会社が、戦後の高度成長と企業年金市場の立ち上がりに乗り、国内だけでなく世界の生保上位に並ぶ規模にまで到達した時期である。事務オンライン化と年金商品の投入が、この後の契約高拡大を裏で支えた。 [15][16][17][18]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1963年 企業年金保険・終身年金保険を発売
    • [16]1968年4月 神奈川県大井町に本社機構の一部を移転
    • [17]1975年1月 全国支社オンラインシステムを稼働
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [18]1970年 保有契約高10兆円に到達、世界の生保ランキングでベストテン入り

1972年10月には創立70周年として米ジョン・ハンコック生命と国際団体保険制度で業務提携し、第一生命として初の海外提携を実行した。1974年4月には「新制度」として営業組織・販売制度を改め、営業力の強化と契約者サービスの充実を同時に行った。1982年の創立80周年には「一生涯のパートナー」というコーポレートメッセージを掲げ、1986年にはライフデザインショップ(業界初の来店型店舗)、1987年にはファイナンシャル・プランナー制度、1988年にはライフデザイン研究所と、生活設計全般への接点を広げる施策が相次いだ。1990年7月には米リンカーン・ナショナル保険にも資本参加した。資産面でも1986年12月に総資産10兆円、1991年には20兆円を突破した。 [19][20][21][22][23][24][25]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1972年10月 創立70周年として米ジョン・ハンコック生命と国際団体保険制度で業務提携
    • [20]1974年4月 「新制度」として営業組織・販売制度を改革
    • [21]1982年の創立80周年に「一生涯のパートナー」というコーポレートメッセージを制定
    • [22]1986年 ライフデザインショップ(業界初の来店型店舗)を開設
    • [23]1988年 ライフデザイン研究所を設立
    • [24]1990年7月 米リンカーン・ナショナル保険に資本参加
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [25]1986年12月 総資産10兆円、1991年に総資産20兆円を突破
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1963年 企業年金保険・終身年金保険を発売
    • [16]1968年4月 神奈川県大井町に本社機構の一部を移転
    • [17]1975年1月 全国支社オンラインシステムを稼働
    • [19]1972年10月 創立70周年として米ジョン・ハンコック生命と国際団体保険制度で業務提携
    • [20]1974年4月 「新制度」として営業組織・販売制度を改革
    • [21]1982年の創立80周年に「一生涯のパートナー」というコーポレートメッセージを制定
    • [22]1986年 ライフデザインショップ(業界初の来店型店舗)を開設
    • [23]1988年 ライフデザイン研究所を設立
    • [24]1990年7月 米リンカーン・ナショナル保険に資本参加
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [18]1970年 保有契約高10兆円に到達、世界の生保ランキングでベストテン入り
    • [25]1986年12月 総資産10兆円、1991年に総資産20兆円を突破

108年目の株式会社化と米プロテクティブ買収

2006年12月に第一フロンティア生命(銀行窓販向け貯蓄性商品の受け皿)を設立し、2007年以降はベトナム(2007年1月)、インド(2007年12月)、オーストラリアのTower Australia(2008年8月、後のTAL)と海外保険拠点を順次開いた。そして2010年4月、1902年の設立以来108年続いた相互会社形態を解き、株式会社へ組織変更したうえで東京証券取引所市場第一部に上場した。当時の国内生保における相互会社株式会社化としては業界最大級で、資本市場から直接成長資金を調達する枠組みを得た。加入者への割当配分を含む株式会社化のスキームは、のちの日本郵政・かんぽ生命の株式上場や他の生保の資本政策議論にも参照された。 [26][27][28][29][30]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [26]2006年12月 第一フロンティア生命を設立
    • [27]2007年1月 ベトナム拠点を開設(Dai-ichi Life Vietnamとして子会社化)
    • [28]2007年12月 インドのStar Union Dai-ichi Lifeへ出資
    • [29]2008年8月 オーストラリアのTower Australia(後のTAL)へ出資・業務提携
    • [30]2010年4月 相互会社から株式会社へ組織変更し東証市場第一部に上場(設立1902年から108年)

2011年5月にはTAL Groupの全株を取得して完全子会社化し、2014年3月には第一フロンティア生命も完全子会社化した。最大の一手は2015年2月、米Protective Life Corporation(PLC)の完全子会社化である。上場後に得た資本市場の調達力を活かし、当時の国内生保による米国保険会社買収としては最大級の取引を実行した。PLCの取り込みが、国内保険収益の成熟を海外収益で補う事業ポートフォリオ戦略の起点になった。国内で業界第2位の地位を長く保った会社が、資本調達力を武器に海外生保へ軸足を広げる転換であり、相互会社のままでは踏み込めなかった投資規模だった点でも、株式会社化の効果が端的に表れた一手だった。 [31][32][33]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]2011年5月 TAL Groupの全株を取得して完全子会社化
    • [32]2014年3月 第一フロンティア生命を完全子会社化
    • [33]2015年2月 米Protective Life Corporation(PLC)を完全子会社化
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [26]2006年12月 第一フロンティア生命を設立
    • [27]2007年1月 ベトナム拠点を開設(Dai-ichi Life Vietnamとして子会社化)
    • [28]2007年12月 インドのStar Union Dai-ichi Lifeへ出資
    • [29]2008年8月 オーストラリアのTower Australia(後のTAL)へ出資・業務提携
    • [30]2010年4月 相互会社から株式会社へ組織変更し東証市場第一部に上場(設立1902年から108年)
    • [31]2011年5月 TAL Groupの全株を取得して完全子会社化
    • [32]2014年3月 第一フロンティア生命を完全子会社化
    • [33]2015年2月 米Protective Life Corporation(PLC)を完全子会社化

2016年〜 持株会社体制への移行と非保険サービスへの拡張

第一ライフグループの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2016年 稲垣精二氏が社長に就任
  2. 2016年 保険本業を事業子会社に移し、持株会社でグループを束ねる 上場で広がったグループを、渡邉光一郎社長はなぜ持株会社体制に組み替えたか
  3. 2023年 アイペットHDを株式公開買付けで子会社化
  4. 2023年 菊田徹也が代表取締役社長CEOに就任
  5. 2024年 エムスリーの先行TOBに対抗し、福利厚生最大手を買収する なぜ第一生命は、エムスリーが先に仕掛けたTOBに異例の対抗をしてまで、福利厚生代行のベネフィット・ワンを約2,920億円で買収したのか

持株会社移行と稲垣体制の販売品質問題

2016年10月、第一生命保険は商号を第一生命ホールディングスに変更し、持株会社体制に移行した。国内生命保険事業、海外保険事業、アセットマネジメント事業といった複数の事業領域を並列で運営する構造が、グループ全体の制度として整った。稲垣精二社長体制では、2018年から2021年にかけて表面化した営業職員による金銭詐取事件などの不祥事対応が最大の経営課題となり、稲垣社長は信頼される営業職員であり続けるための前提としてコンプライアンスと販売品質の徹底を掲げ、販売チャネルの質的改革を対外発信した。国内の対面販売チャネルで積み上げた信頼こそが同社の競争優位の源泉だっただけに、不祥事は経営の軸足を販売品質の再構築へと向けさせた。 [34][35]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2016年10月 商号を第一生命ホールディングスに変更し持株会社体制へ移行
    • [35]稲垣精二氏が社長

業績面では、経常収益は2018年3月期の7兆378億円から2020年3月期の7兆1,141億円と停滞したが、2019年3月期には純利益2,250億円、2021年3月期には3,637億円と、運用環境の変動を挟みながらも収益基盤は維持された。2020年3月期には新型コロナウイルスの感染拡大と運用環境の急変により純利益は324億円まで落ち込んだが、翌期には回復した。2018年3月にはカンボジア、2019年5月にはミャンマー、2020年12月には英領バミューダに保険・再保険拠点を設置するなど、海外子会社網の拡張は持株会社体制への移行後も続いた。国内販売チャネルの信頼再建と、海外と非保険領域への布石の両方が、稲垣社長在任中に並行して進んだ構図である。 [36][37][38]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2018年3月 カンボジアに保険拠点(Dai-ichi Life Cambodia)を設置
    • [37]2019年5月 ミャンマーに保険拠点(Dai-ichi Life Myanmar)を設置
    • [38]2020年12月 英領バミューダに再保険拠点(Dai-ichi Life Reinsurance Bermuda)を設置
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2016年10月 商号を第一生命ホールディングスに変更し持株会社体制へ移行
    • [35]稲垣精二氏が社長
    • [36]2018年3月 カンボジアに保険拠点(Dai-ichi Life Cambodia)を設置
    • [37]2019年5月 ミャンマーに保険拠点(Dai-ichi Life Myanmar)を設置
    • [38]2020年12月 英領バミューダに再保険拠点(Dai-ichi Life Reinsurance Bermuda)を設置

ベネフィット・ワン買収と菊田体制のポートフォリオ改革

2023年に菊田徹也氏が代表取締役社長CEOに就任した。2022年11月にはニュージーランドのPartners Group Holdingsを子会社化し、2023年1月にはアイペット損害保険を公開買付けで子会社化してペット保険に参入した。2024年3月、第一生命HDは株式公開買付けでベネフィット・ワンを買収し、同年5月に子会社化した。福利厚生代行業界最大手を取り込むこの案件は、国内保険事業の成長天井を非保険サービスで超える構造転換の旗印となった。相互会社として生命保険の相互扶助で出発した企業が、株式会社化・持株会社化に続く第3段として、保険以外の領域で顧客接点とキャッシュフローを取りに行く道筋に踏み込んだ手でもある。 [39][40][41][42][43]

  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2023年4月に菊田徹也氏が代表取締役社長CEOに就任(グループCEOへの改称は2025年4月)
    • [40]2022年11月 ニュージーランドのPartners Group Holdingsを子会社化
    • [41]2023年1月 アイペット損害保険を公開買付けで子会社化しペット保険に参入
    • [42]2024年3月 ベネフィット・ワンを株式公開買付けで買収、同年5月に子会社化
    • [43]ベネフィット・ワンは福利厚生代行業界最大手

ベネフィット・ワンは単体ベースで約50億円の利益を計上していたが、2030年までに修正利益ベース約200億円弱まで成長させる計画が示された。DL(第一生命)チャネルを通じて新たな顧客接点が生まれ、契約単価や解約率は買収当初の想定よりも良好に推移しており、中小企業を含む法人への導入も進み、システム投資完了後は利益貢献が加速する見通しである。この買収を含む一連のM&Aで、保険・アセットマネジメント・非保険サービスという3本柱の構造がグループの対外説明軸となり、従来の国内生保モデルから距離を置く事業ポートフォリオへの転換が進んだ。マジョリティ買収で取り込む会社の事業分野が、保険から周辺サービスにまで広がった点に、菊田社長体制の特徴が表れている。 [44][45]

  • 第一生命ホールディングス 決算説明会(2025年3月期)
    • [44]ベネフィット・ワンは単体ベースで約50億円の利益を計上
    • [45]2030年までに修正利益ベース約200億円弱まで成長させる計画
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2023年4月に菊田徹也氏が代表取締役社長CEOに就任(グループCEOへの改称は2025年4月)
    • [40]2022年11月 ニュージーランドのPartners Group Holdingsを子会社化
    • [41]2023年1月 アイペット損害保険を公開買付けで子会社化しペット保険に参入
    • [42]2024年3月 ベネフィット・ワンを株式公開買付けで買収、同年5月に子会社化
    • [43]ベネフィット・ワンは福利厚生代行業界最大手
  • 第一生命ホールディングス 決算説明会(2025年3月期)
    • [44]ベネフィット・ワンは単体ベースで約50億円の利益を計上
    • [45]2030年までに修正利益ベース約200億円弱まで成長させる計画

第一ライフグループの沿革1902〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
第一生命保険相互会社を設立
地方部(後の支部)の設置を本格化
業界5大生保入り
保有契約高10億円で業界第2位確保
結核予防の剰余金100万円を基金に保生会(後の結核予防会母体)を設立
第一生命館完成
保有契約高100億円到達
本社社屋がGHQ連合国軍総司令部庁舎として接収
保健文化賞を創設
保有契約高1兆円到達
心臓血管研究所を設立
企業年金保険・終身年金保険を発売★★
本社機構の一部を移転
保有契約高10兆円、世界生保ランキングでベストテン入り
ジョン・ハンコック生命と国際団体保険制度で業務提携
「新制度」実施
全国支社オンラインシステム稼働
コーポレートメッセージ「一生涯のパートナー」制定
ライフデザインショップ開設・総資産10兆円超
ライフデザイン研究所を設立
リンカーンナショナル保険に資本参加
総資産20兆円突破
斎藤勝利第一フロンティア生命保険を設立★★
斎藤勝利ベトナムBao Minh CMG Lifeを買収、Dai-ichi Life Vietnamとして子会社化★★
斎藤勝利Star Union Dai-ichi Lifeへ出資
斎藤勝利Tower Australia Groupへ出資・業務提携
渡邉光一郎108年続いた相互会社を解いて株式会社へ、東証一部に上場する加入者のものだった会社を株主のものへ組み替えた選択に、第一生命は何を託したか 詳細を読む★★★
渡邉光一郎TAL Groupを完全子会社化★★
渡邉光一郎上場で得た資本力で、米プロテクティブ生命を完全子会社化する相互会社を解いた5年後、第一生命はなぜ約5,800億円を投じて米プロテクティブ生命を丸ごと買えたのか 詳細を読む★★★
渡邉光一郎稲垣精二氏が社長に就任
渡邉光一郎保険本業を事業子会社に移し、持株会社でグループを束ねる上場で広がったグループを、渡邉光一郎社長はなぜ持株会社体制に組み替えたか 詳細を読む★★★
菊田徹也アイペットHDを株式公開買付けで子会社化
菊田徹也菊田徹也が代表取締役社長CEOに就任
菊田徹也エムスリーの先行TOBに対抗し、福利厚生最大手を買収するなぜ第一生命は、エムスリーが先に仕掛けたTOBに異例の対抗をしてまで、福利厚生代行のベネフィット・ワンを約2,920億円で買収したのか 詳細を読む★★★
菊田徹也経常収益9.87兆円、経常利益7,191億円、純利益4,296億円
出典・参考
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 第一生命ホールディングス 決算説明会(2025年3月期)

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