第一ライフグループ の歴史

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創業 1902年
創業者 矢野恒太
創業地 東京都千代田区
創業 1902年9月、農商務省の初代保険課長だった矢野恒太氏が、池田謙三氏や岡野敬次郎
1902年9月、農商務省の初代保険課長だった矢野恒太氏が、池田謙三氏や岡野敬次郎氏の後援のもと第一生命保険相互会社を基金20万円で設立した。日本で最初の相互組織による生命保険会社である。矢野氏は1900年の保険業法を立案した当人で、保険金不払いが絶えない業界へ、利益を株主ではなく加入者へ配分する組織と、代理店を置かず営業費を削減する合理的経営という答えを出した。1932年8月には保有契約高10億円で業界第2位となる。ただし1945年9月、日比谷の第一生命館はGHQの庁舎として接収され、再起を迫られた。
決断 会社の形態を組み替えて、買収する力を手に入れてきた。2010年4月、108年続い
会社の形態を組み替えて、買収する力を手に入れてきた。2010年4月、108年続いた相互会社を解いて株式会社へ移り東証一部に上場した。大型買収に要る資本を、株主を持たない相互会社は市場から引けなかったためである。その調達力を最初に行使したのが2015年2月で、約5,750億円を投じて米プロテクティブ生命を完全子会社化し、国内の成熟を海外の収益で補った。形態を替えた代償として、契約者配当ではなく株主資本コストが経営の軸に入り、2030年度に修正ROE14%以上という数字が、次の買収と2027年度以降1.2兆円を超える国内株の売却を同時に迫っている。
現況 国内保険・海外保険と、資産運用を含む非保険事業を持株会社の下に並べる構造である。
国内保険・海外保険と、資産運用を含む非保険事業を持株会社の下に並べる構造である。2016年10月に保険本業を新設の第一生命保険へ移して持株会社となった。2026年3月期の連結経常収益11兆3,082億円のうち日本は7兆5,011億円、残る3分の1は米国2兆1,112億円など海外だ。純利益4,365億円、グループ修正利益約5,500億円で、2030年度に7,000億円へ引き上げるべく5年で1.5兆円の投資枠を置いた。2026年4月には商号を第一ライフグループへ改め、保険料を国内で運用する会社から、米豪の保険会社と福利厚生サービスの利益を取り込む会社へ移った。
競合 競争の焦点を国内の順位争いから外している。死亡保障など伝統的な保障性商品の国内市
競争の焦点を国内の順位争いから外している。死亡保障など伝統的な保障性商品の国内市場は今後も縮小すると自ら見ており、契約高の序列を争う市場そのものが縮んでいる。2010年の株式会社化は大手生保で初だったが、生命保険を中核とする上場持株会社としてはT&Dホールディングスが2004年に先行しており、形の上では後発である。優位を得たのは保険の外だ。2024年、医療情報のエムスリーが先に実施したTOBへ異例の対抗をかけ、約2,920億円で福利厚生代行最大手のベネフィット・ワンを取り込んだ。競う相手は同業の生保より、法人の福利厚生を取りにくる異業種へ移っている。
長期業績の推移 2008〜2026年
第一ライフグループ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
2008年3月期〜2026年3月期

第1章 1902-1937 (気が向いたら執筆します!) 第一生命保険相互会社の設立と地方部の展開、業界5大生保への浮上

第2章 1938-1969 (気が向いたら執筆します!) 第一生命館の完成とGHQによる接収、保健文化賞と心臓血管研究所の設立

第3章 1970-1991 (気が向いたら執筆します!) 保有契約高10兆円と世界生保ベストテン、オンラインシステムとライフデザイン

第4章 1992-2009 (気が向いたら執筆します!) 第一フロンティア生命の設立とベトナム・インド・豪州への出資

第5章 2010-2015 (気が向いたら執筆します!) 相互会社から株式会社への組織変更と上場、TALとProtective Lifeの買収

第6章 2016-2026 (気が向いたら執筆します!) 第一生命HDへの移行とアイペット・ベネフィット・ワンの買収

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歴史年表 1902〜2025年

第一ライフグループの沿革1902〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1902〜1937年第一生命保険相互会社の設立と地方部の展開、業界5大生保への浮上柳沢保恵株式会社の資本調達を捨て、剰余を契約者へ還す形の選択

1902年9月、矢野恒太氏が基金20万円を集めて第一生命保険相互会社を創立し、日本で最初の相互会社形態による保険会社を設立した経営判断。株主を置かず、剰余金は契約者へ配当として還す形を採った。同年10月に東京日本橋新右衛門町で開業し、初代社長には伯爵の柳沢保恵氏が就任し、矢野恒太氏は専務取締役に入った。

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柳沢保恵第一生命保険相互会社を設立★
柳沢保恵地方部(後の支部)の設置を本格化★
業界5大生保入り★
保有契約高10億円で業界第2位確保★
結核予防の剰余金100万円を基金に保生会(後の結核予防会母体)を設立★
1938〜1969年第一生命館の完成とGHQによる接収、保健文化賞と心臓血管研究所の設立第一生命館完成★
保有契約高100億円到達★
本社社屋がGHQ連合国軍総司令部庁舎として接収★
保健文化賞を創設★
保有契約高1兆円到達★
心臓血管研究所を設立★
企業年金保険・終身年金保険を発売★★
本社機構の一部を移転★
1970〜1991年保有契約高10兆円と世界生保ベストテン、オンラインシステムとライフデザイン保有契約高10兆円、世界生保ランキングでベストテン入り★
ジョン・ハンコック生命と国際団体保険制度で業務提携★
「新制度」実施★
全国支社オンラインシステム稼働★
コーポレートメッセージ「一生涯のパートナー」制定★
ライフデザインショップ開設・総資産10兆円超★
ライフデザイン研究所を設立★
リンカーンナショナル保険に資本参加★
総資産20兆円突破★
1992〜2009年第一フロンティア生命の設立とベトナム・インド・豪州への出資斎藤勝利第一フロンティア生命保険を設立★★
斎藤勝利ベトナムBao Minh CMG Lifeを買収、Dai-ichi Life Vietnamとして子会社化★★
斎藤勝利Star Union Dai-ichi Lifeへ出資★
斎藤勝利Tower Australia Groupへ出資・業務提携★
2010〜2015年相互会社から株式会社への組織変更と上場、TALとProtective Lifeの買収渡邉光一郎108年続いた相互会社の解体と、株式会社への組織変更

2010年4月1日、第一生命保険は保険業法に基づく組織変更を行い、1902年の設立から108年続いた相互会社の形態を解いて株式会社となった。同じ日に東京証券取引所市場第一部へ上場し、初値は160,000円をつけた。 組織変更計画は2009年6月30日の第108回定時総代会で承認されたもので、この総代会では組織変更後の取締役・監査役もあわせて決めている。発行済株式総数1,000万株、資本金と資本準備金は各2,102億円で発足した。

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★★★
渡邉光一郎TAL Groupを完全子会社化★★
渡邉光一郎上場で得た資本力を投じた、米生保大手の完全子会社化

2015年2月、第一生命保険が米上場生保プロテクティブ社(Protective Life Corporation)を5,750億円で完全子会社化した。企業結合日に受け入れた資産は8兆3,048億円にのぼり、2010年の株式会社化が開いた調達力を行使した経営判断であった。

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★★★
2016〜2026年第一生命HDへの移行とアイペット・ベネフィット・ワンの買収渡邉光一郎保険本業の事業子会社への移管と、持株会社によるグループの統括

2016年10月1日、第一生命保険は商号を第一生命ホールディングスへ改め、持株会社となった。国内生命保険事業は吸収分割で子会社へ承継させ、事業目的をグループ会社の経営管理等に変えている。 移行を決めたのは2015年10月30日の取締役会で、吸収分割と定款変更は2016年6月24日の第6期定時株主総会で承認された。同じ総会で監査等委員会設置会社にも移っている。渡邉光一郎社長のもとで決めた統治構造の再編である。

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★★★
稲垣精二稲垣精二氏が社長に就任★
稲垣精二アイペットHDを株式公開買付けで子会社化★
菊田徹也菊田徹也が代表取締役社長CEOに就任★
菊田徹也先行TOBへの対抗による、福利厚生代行最大手の取り込み

2024年、第一生命ホールディングスが福利厚生代行で国内最大手のベネフィット・ワンを株式公開買付けで買収し完全子会社化した案件。医療情報のエムスリーが先行して1株1,600円でTOBを進めていたところへ、第一生命が2,173円で対抗し、争奪戦を制した。取得原価は2,920億56百万円であった。

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★★★
菊田徹也経常収益9.87兆円、経常利益7,191億円、純利益4,296億円★
出典・参考

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