サイバーエージェントの歴史

日本を代表するネット企業
Last Updated: | Author: @yusugiura
2001年〜2006年
業績低迷
ネットバブルの崩壊で経営危機。離職率改善が課題
2006年〜2015年
経営改革
技術のサイバーエージェントを宣言
2006年
★★★
アメーバブログを再建
エンジニアの自社雇用を開始
2009年
アメーバブログの黒字化に成功
好調
2010年
技術のサイバーエージェントを宣言
技術
2012年
スマホシフトを宣言
ゲーム事業が急成長
好調
2014年
過去最高収益(純利益147億円)を達成
好調
2016年〜2021年
安定成長
abemaTVで動画配信へ本格参入
2016年
abemaTVを開局

CEOの業績貢献

創業経緯 1998年〜2000年

インターネットの広告代理店を起業

サイバーエージェント - 業績推移

- - 1期(1998年03月〜同年9月) 2期(1998年10月〜翌年9月)
売上高_全社 (億円) 0.19 4.52
売上高_サイバークリック (億円) 0 2.63
売上高_クリックインカム (億円) 0 0.61
売上高_その他(営業代行など) (億円) 0.19 1.27
外注費_オン・ザ・エッヂ向け (億円) 0 0.78
経常利益 (億円) -0.02 -0.35
資本金 (億円) 0.10 1.51
純資産 (億円) 0.07 1.12
自己資本比率 (%) 76% 74%
出所
証券52(5)(614)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2730501/23

1998
サイバーエージェントを設立。営業代行のビジネスを開始

#時代背景

1998年に藤田晋氏が新卒入社して勤務していた人材会社インテリジェンスを退職。同年3月18日東京都港区にてサイバーエージェントを株式会社として設立した。藤田晋氏は、インターネット業界において「営業ができる会社」が少ないことを着目し、技術力のある会社が提供する商品の営業を引き受ける「営業代行」のビジネスを開始した。

まずは、インタリジェンス時代に「採用のネット媒体の営業」で成果を出していたことを実績として掲げて、まずは決済代行であるWebmoneyの営業代行の契約を締結した。

起業当初はwebmoneyの営業代行が主体であったが、顧客周りをする中で「クリック保証型広告」を展開していたバリュークリックジャパンと出会い、同社の営業代行を引き受けた。当時のネット広告はPVや期間がベースであることが一般的であり、クリックを保証する広告は珍しく、営業先での評判も良かった。

そこで、サイバーエージェントはバリュークリックのビジネスを模倣して、クリック保証型広告のシステムを開発することを決めた。このため、バリュークリックジャパンからすれば、取引先であるサイバーエージェントが突如として競合企業になったことを意味する。

システム開発については、サイバーエージェントで学生として働いていたH氏(東京工業大学・出身)が「開発できる」と言って引き受けたものの、実際に完成することはなかった。このため、サイバーエージェントは早々にクリック保証型広告の内製化を諦め、前途多難な船出となった。

yusugiura
コメント
クリック保証型広告の技術はどこが難しいのか?

クリック保証型広告は、静的なwebページ制作(HTML/CSS)ではなく、動的なシステム開発が必要な点で技術的な難易度が高かった。

クリック保証型のシステムでは、(1)広告の配信と、(2)広告のクリック計測という2つの要件が必要になる。

広告の配信については、webページを運営する企業に対して広告バーナーや文字列を管理画面から配信できるように、動的な設定が必要になるためデータベースが欠かせない。どの広告をどの媒体に出稿するべきかを決める必要もあり、設定すべきパラメータも多い。加えて、数億というアクセスに耐えるために、負荷分散の技術も必要であり、技術の素人は出を出せない領域である。バナーとして表示する画像に関しても、負荷がかからないようにサーバーで保持する必要があり、配信の最適化が必須であった。

クリックの集計基盤に関しても技術的な難易度は高い。サイバークリックの場合、30分ごとにバッチ処理を実行してクリック数を集計しており、サーバーに常時負荷がかかる仕組みであった。また、悪意のあるユーザーによるクリックを排除するために、24時間以内に同一IPからの一定期間の連続アクセスをカウントしないと言った細かい要件もある。

恐らく推察だが、H氏のような一般的なエンジニアには手が出せないシステムであり、エンジニアリング(サーバー・DB・負荷分散)に精通した人物でなければ構築できないシステムといえる。裏を返せば、ネットの黎明期にクリック保証型広告において、バリュークリックジャパンとサイバーエージェントしか参入できなかった理由が、技術的な難易度の高さにあったといえよう。

1998
クリック保証型広告のシステム開発をオン・ザ・エッヂに委託

#技術提携
クリック保証型広告の座組み(1999年)
出所
■ データ出所
当時の公開資料(「証券」など)をもとに@yusugiuraが推察のうえ作成

1998年にサイバーエージェントはインターネット広告(クリック保証型広告)に参入することを決め、商品名「サイバークリック」の展開を決定した。

クリック保証広告を支えるシステムについては、複雑なエンジニアリングが要求されることが判明したため、受託会社に委託することを決めた。藤田晋氏はシステム開発のために、インターネット検索でひっかかった受託会社にテレアポをとった。

サイバーエージェントの藤田晋氏は受託開発企業に電話をする中で、オン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)の社長であった堀江貴文氏(通称ホリエモン)と出会い、クリック保証型広告のシステム構築を全て任せることに決めた。この当時、堀江貴文氏は無名の人物であったが、企業ホームページを制作する事業が軌道に乗っており、界隈では知られた存在だったという。

オン・ザ・エッヂはサイバーエージェントに対して見積もりを提示し、2つの案を提示した。1つは完成品の納入によって代金を請求する案、もう一つはクリック保証型広告の売上高からロイヤリティー10%を徴収する案であった。サイバーエージェントの藤田社長は、ロイヤリティーを支払う案で契約を締結した。

1998年9月1日にサイバーエージェントは、オン・ザ・エッヂに対してシステム開発と運用を委託する代わりに、クリック保証型広告の収益に応じてロイヤリティ(広告売上高の10%)を支払う契約を正式締結した。契約期間は1998年10月から2003年8月までの約5年とした。1999年度におけるオン・ザ・エッヂへの支払額は7800万円に及んだ。

また、サイバーエージェントはオン・ザ・エッヂに対して、クリック保証型広告のシステムに関して独占的な利用権を取得し、オン・ザ・エッヂが競合他社にシステムを供与することを防いだ。オン・ザ・エッヂとしても単発受注の開発よりは、サイバーエージェントと継続取引を行うことで資金繰りが安定するため、両社にとってメリットのある提携であったことが推察される。

当時はインターネットバブルの渦中にあったが、技術ドリブンでサービスを展開する企業は限られており、サイバーエージェントはクリック保証型広告をオン・ザ・エッヂと独占契約を締結することで業容を拡大する布陣を整えた。

オン・ザ・エッヂ公表資料(サイバーエージェントとの提携関係について)

「サイバークリック」における技術面のサービス提供は、当社のによるサイバー社(注:サイバーエージェント)からの受託事業であることから、サイバークリックに関する成果物の所有権はサイバー社にあり、同システムを構成するプログラム等の所有権は当社にあります。(略)ただし、サイバー社との契約により、当社はサイバー 社以外に当該プログラム及びシステムを提供することができないことから、サイバークリック及びサイバークリックインカムにおけるシステム開発、改善及び運用などの技術面のサービスはサイバー社からの受託事業または共同事業に限定されております。なお、今後当該契約等の変更・解消があった場合、当社の事業展開および事業に影響を与える可能性があります。

1998
クリック保証型のネット広告「サイバークリック」の販売開始

#新規事業

バークリックのシステム稼働の数ヶ月前から、サイバーエージェントはクリック保証型広告の営業を本格化した。1998年9月のシステム稼働後は「クリック保証型広告」に注力する方針を鮮明にした。

サイバーエージェントがクリック保証型広告において、広告を出稿する顧客に対して設定した手数料は、2000回のクリックの保証に対して14〜18万円(1クリックあたりの定価70〜90円)であった。この根拠は、それまで主流だった郵便はがきを活用したダイレクトメールにおける反応率が10%であったため、2万通のDM送付に相当する費用が100万円(50円 * 2万通)であるのに対して、クリック保証型広告は18万円でも十分効果が得られると判断し、値付けを行った。

また、ヤフーのような大規模サイトに1週間広告を掲載した場合の費用感は100万円以上であり、サイバーエージェントは資金力が十分であはないベンチャー企業(中小企業)をターゲットに「費用を抑えて効果のある広告」としてクリック保証型広告に注力した。ターゲット顧客は中小企業で、設立間もないベンチャー企業に狙いを定めた。

広告出稿の顧客開拓と同時に、サイバーエージェントは広告を掲載する「広告枠(広告主)」の開拓も同時並行で注力。2000年1月までに4,728件の媒体を広告枠として確保した。この結果、サイバーエージェントは「広告を出稿したい人」と「広告を誘致したい人」を、サイバークリックというシステムを介して仲介する広告代理店事業の体制を確立した。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

サイバーエージェントの主力商品はクリック保証型の広告です。実際にバナーやテキストがクリックされた回数で課金するもので、1万クリック保証なら、1万回クリックされるまで、つまり1万人の人がその企業のサイトを訪れるまで広告を掲載します。(略)

これからは成果報酬型の広告に力を入れていこうと考えています。ただ、成果報酬型の広告は、広告代理店にとっては難しいビジネスモデルです。バナーをクリックして企業のサイトに飛んだからといって、その場で商品を購入するとは限りません。購入を決めても、インターネットでの買い物に不安があって、現実の店頭で買う人もいます。効果を確認しにくいのです。

それでも、広告の費用と効果が比例すると言うのは、広告主にとっては理想的な課金の仕組みです。インターネットで物を買うことへの抵抗も薄れてきますし、ぜひともビジネスとして確立させるつもりです。

2000年8月号『国民生活金融公庫調査月報』「インターネット広告は新しい営業チャネル 藤田晋」
yusugiura
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好条件下での上場には「奇跡の連鎖」が不可欠

サイバーエージェントは、オン・ザ・エッヂという受託会社と取引できたことで、競争優位なクリック保証型広告を具現化できたので、両社の技術提携が上場へのブレイクスルーとなったのは間違いない。

裏を返せば、ここまで奇跡的な出会いがなければ、ネットバブルの絶頂期における株式上場を果たせないことが現実として存在しており、なかなかにシビアな世界とも言える。

2000
東証マザーズに株式上場。225億円を調達

#株式上場

サイバーエージェントはクリック保証型広告によって順調に業容を拡大し、広告営業に特化したネット企業として業容を拡大した。営業部隊によるクリック保証型の広告の売り込みによって、2000年時点で中小企業を中心に3000社の顧客を抱えるに至った。

インターネトバブルに夜追い風もけて、サイバーエージェントは創業2年目にあたる2000年に東証マザーズに株式上場を果たす。当時、藤田晋氏は26歳であり、当時としては史上最年少の株式上場として注目を浴びた。

なお、上場によりサイバーエージェントは、赤字決算ながらも約225億円の資金調達に成功しており、ネットベンチャーの象徴的な成功事例とされた。藤田晋氏も莫大な個人資産(株式の含み益)を築いたことで億万長者としてもてはやされた。

調達資金を原資として、2000年にサイバーエージェントは本社を表参道から渋谷に移転し、当時竣工したばかりの渋谷マークシティ(ウエスト21階)に入居した。

業績低迷 2001年〜2006年

ネットバブルの崩壊で経営危機。離職率改善が課題

サイバーエージェント - 業績推移

- - FY2001 FY2002 FY2003 FY2004 FY2005 FY2006
売上高 (億円) 63 108 162 267 432 601
経常利益 (億円) -1.9 -2.5 -0.6 17 27
当期純利益 (億円) -20 -2.9 -24 40 24
従業員数 (名) 172 333 473 767 1184 1493
離職率 (%) - 約30% - - - 約15%
出所

『有価証券報告書』

2001
ネットバブル崩壊で時価総額が70億円に下落。村上ファンドから還元の圧力

#バブル崩壊

2000年の上場時点でサイバーエージェントは時価総額600億円を超えていたものの、ネットバブルの崩壊により時価総額が70億円まで下落した。一方で、サイバーエージェントは株式上場によって225億円の資金調達に成功しており、会社の解散価値よりも時価総額のほうが低いという事態に陥った。

サイバーエージェントの解散価値に着目したのが「モノ言う株主」として席巻しつつあった村上ファンドであった。2001年に同ファンドは運用する投資事業有限責任組合「M&Aコンサルティング」を通じて、サイバーエージェントの株価が暴落した後に、同社の株式を10%取得した上で、藤田社長に面談を申し込んで現預金の還元を要求したという。村上ファンドは、投資先の上場企業に対して株主としての意向が通らない場合、株主総会を通じて社長を解任するアグレッシブなファンドであった。

当時のサイバーエージェントの株主構成比率は、藤田社長が過半数を確保しておらず、株主の意向によっては臨時取締役会にて藤田社長が解任される可能性も否定できなかった。株主構成比率は藤田晋氏(22.6%)、GMO(21.4%)、USEN(13.2%)、M&Aコンサルティング(約10%)であり、サイバーエージェントの時価総額60億円〜100億円を勘案すると、村上ファンドがサイバーエージェントの株式を全取得することは現実的に可能であったと思われる。

藤田社長は楽天の創業者であった三木谷氏に相談をし、楽天がサイバーエージェントの株10%を10億円で取得した。この結果、藤田社長の方針に賛同する「楽天とGMO」の2社の大株主と、藤田社長自身の保有株式によって過半数を確保し、ギリギリのところで社長解任の恐れを回避した。

ただし、これらの経緯について、村上氏はのちに「買い占めてないよ(笑)。あれは、藤田さんが資金調達したのに何に使うかはっきりしないから論理的に説明を求めただけ」(文春オンライン)とも語っており、その真意は不明である。

また、村上ファンドは2006年ライブドアに関連するにニッポン放送株におけるインサイダー取引によって、代表者であった村上世彰氏が逮捕され、資本市場の表舞台から姿を消した。村上ファンドの調達資金は、海外の年金基金(LP)などから賄っていたこともあり、村上代表の信用が失われたことでファンドの存続が極めて困難な事態に陥っている。

藤田晋(サイバーエージェント 創業者)

2001年の株価が安い時に、モノ言う株主として席巻した投資家の方に「今持っている現金で自社株を購入して、株主に戻せ」と言われました。上場当時の株主の方に「戻せ」って言われたのなら気持ちも分かりますが、時価総額100億円を割って、突然、株主になった人に言われても「何であなたに?」って思ってしまいます。その時、目の前のことだけで判断すれば、確かに言っていることは正しいかもしれないけれど、僕ら経営者は中長期の時間軸で考えているわけですから。

2002
離職率30%台に高まる

#組織崩壊

インターネットバブルの崩壊とともに、サイバーエージェントから退職する社員が相次ぎ組織課題が浮き彫りになった。30歳前後の大企業出身者を中途採用して管理職に据えたところ、既存の20代の若手社員と対立が生じて組織の雰囲気も悪化した。

サイバーエージェントの藤田社長は、従業員に対してストックオプションの付与を通じて引き止めようとしたが効果がなく、2002年に離職率は30%に達した。

曽山哲人氏(サイバーエージェント 人事統括)

根本的な原因は、採用の失敗です。会社が拡大期で、平均年齢24~25歳のところに28~29歳ぐらいの人を幹部ポジションとして中途採用していました。大企業出身で優秀で学歴もあるが、ネット業界の経験はない人が多かった

そうすると入社1~2年目の若手が『自分たちの方が知っているのに』と不満に思ったりしながら、経験のない上司の言うことを聞いて結果が出ないか、結果が出たとしても上司の不興を買うかの二択になってしまい、どっちかが辞めてしまうわけです

2003
組織改革のために終身雇用を宣言。既存事業と社員に投資

#組織改革

上場によって調達した225億円について、サイバーエージェントは企業買収ではなく、既存事業と社員に投資をする方針を明確にした。

既存事業の面では、祖業であるインターネット広告の代理店事業を伸ばす方向に注力し、企業買収による新規事業の展開は最小限に抑えた。なお、広告代理店の事業は営業を行う社員の数に比例して収益を生むビジネスであり、社員の定着率の向上がビジネスの継続における鍵を握った。

このため、サイバーエージェント社員に投資する方向性を鮮明にした。2003年に藤田晋社長はサイバーエージェントでは「終身雇用制」を導入することを宣言し、社員が定着する仕組みづくりに着手した。本社のある渋谷駅周辺に賃貸を借りた場合は3万円/月の家賃補助を出す仕組みや、社員によるリファラル採用を行なって紹介した社員が報酬を受け取るなど、様々な施策を打ち出した。

組織での一体感を醸成するために、潤沢な予算を用いた「社員総会」を年2回実施。社員1000名を1箇所のホテルに集めて、貢献のあった社員を表彰するなど、組織における連帯感を強める施策を打ち出した。

これらの特別手当やイベントにかかるコストに関して、藤田社長は中途採用におけるエージェントへの支払い費用(100万円〜/人)と比べると安いと判断して実行した。

また、組織改革にあたっては、営業トップであった曽山氏を人事責任者に抜擢し、組織改革を一任した。曽山氏は2022年の現在に至るまでサイバーエージェントの人事責任者を歴任しており、サイバーエージェントの組織形成に大きく貢献した。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

『株主至上主義』は、高度成長期の日本企業において多くの会社は、会社は従業員のものと当たり前のように考えていました。日本企業は従業員を大切にし、そこで働く人の頑張りが競争力になっていたからです。株価が上がり続けた高度成長期はそれでも良かったのが、バブル崩壊以降、ほとんどの会社の株価が下がり、「会社は株主のものだから株主を重視して経営せよ」という考え方を株主は経営者に突きつけはじめました。

私は経営者デビューの頃からあまりにもこの言葉を聞いていたため、会社は株主のものと言うこんな当たり前のことが何故言われるのが不思議ですらありました。でも上場企業の社長を4年近く経験して改めて思うのは、年中、株式市場の顔色ばかり伺っている経営は、中長期の株主を大切にしているとはいえないということです。社内の優秀な人材に投資したり、仕事をやりやすい環境を整えて従業員のやる気を引き出すことが、結果的に株主にも大きな貢献を生み出すというのが当社の経営においての私の考え方です。

私たちの世代は、高度成長期を支えた日本経済の良かった仕組みを学びつつ、且ついまの時代をまっすぐ見つめた上で、新しい会社が強い組織を築くために真に競争力を産むものは何なのかを、オリジナルで考えなくてはなりません。それは21世紀を代表する企業への成長するために、私たちが避けては通れない道だと思います。

2006
離職率を15%に改善。売上高601億円・経常利益43億円を達成

#組織改革

地道な組織改革によって、サイバーエージェントは離職率の改善に成功して、2006年の離職率は約15%まで改善した。その後も組織作りに注力することによって2022年時点の離職率に抑えており、人材流動性の激しいネット業界においては異例の定着率をキープしている。

また、離職率の改善に合わせて社員の積極採用を実施。2005年度末には1000名を突破し、2006年度末には1400名を超えるなど、急速に組織が拡大した。

サイバーエージェントの広告代理店事業は、営業人員が増えれば増えるほど、収益を確保できるビジネスであったため、社員の増大と定着によって業容を拡大した。2004年度には創業以来初となる黒字を達成。2006年度には売上高601億円に対して経常利益43億円を計上し、ネットバブルの崩壊から立ち直った。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

IT業界は人材が豊富だと言いますが実際には、いい人材をとるのはとても大変です。中途採用市場が以前より流動化してきたとはいえ、それでも優秀な人を採るのは本当に難しい。だからこそ、社内で育ってほしい。新卒を確保したら教育するとともに、辞めさせないように最大の努力をするんです。

2000年のネットバブルの崩壊をきっかけに大量に社員が辞めたことです。当時の潮流だった成果主義や実力主義に私もなびいていました。これらの精度は会社の調子がいい時はよく機能しますが、いったん傾くととても脆い。大量に社員が辞めて社内の雰囲気も悪くなりました。これではやっていけないと思う、2003年から終身雇用制を導入し、社員を辞めさせない体制に移行したのです。

(注:本社周辺に限った家賃補助の効果は)絶大ですね。うちの社員は独身者が多いので3万円の家賃補助があれば、東京郊外にしか住めない人も渋谷近辺に住むことができます。通勤のストレスから解放させて、のびのび働いてもらおうというのが第一の狙いです。通勤が苦痛で会社を辞めたくなる人も多いですから。転職してしまえば当然。ウチの独自の家賃補助はなくなる。同じ給料の会社に転職しても、渋谷近辺には住めなくなるんです。それが転職の障壁になることを狙いました。これは見事に当たりましたね。

2006年11月号「日経ベンチャー」「あの藤田晋が離職率の低下にこだわる理由」
経営改革 2006年〜2015年

技術のサイバーエージェントを宣言

サイバーエージェント - 業績推移

- - FY2006 FY2007 FY2008 FY2009 FY2010 FY2011 FY2012 FY2013 FY2014 FY2015
売上高 (億円) 601 760 870 938 966 1195 1411 1624 2052 2534
営業利益_全社 (億円) 43 55 46 44 93 143 174 103 222 327
営業利益_ゲーム等 (億円) 48 61 21 50 88 187
営業利益_広告等 (億円) 5 20 38 33 78 123
エンジニア比率 (%) 0% - - - - 30%台 51% 53% 47% 45%
出所

『有価証券報告書』

2006
アメーバブログを再建。エンジニアの自社雇用を開始

#技術開発
アメーバブログのシステム構成図の変遷(2004年〜2008年)
出所
■ データ出所
公開資料をもとに@yusugiuraが推察のうえ作成

2004年からサイバーエージェントはブログ事業に参入して、アメーバブログを運営していたものの、アクセス数の増加によってサーバーがダウンするなどサービスの品質に課題があった。このため、サービスは赤字が続いていた。

サイバーエージェントとしては、スケーラビリティーを享受できるブログ事業に注力したい狙いがあり、アメーバブログの赤字は無視できない問題であった。祖業の広告代理店事業は、売上高が広告の営業人員に比例するため収益性に問題があり、藤田社長はビジネスモデルの展開を急ぐ必要があった。

そこで、藤田晋社長はアメーバブログの現状を問題視した上で、トップダウンで事業改革を行うことを宣言した。2006年に藤田社長は「2009年までに黒字化を目指す」方針を掲げて、未達の場合はサイバーエージェントの社長を退く覚悟でアメーバブログの事業にコミットした。藤田社長はアメーバ事業の会議にほぼ全て出席し、自身のリソースの大半をアメーバ事業に投下した。

まず実施したのが、アメーバブログの事業責任者の総入れ替えであった。従来の事業責任者はアメーバブログで成果を残せておらず、藤田社長は人員の入れ替えを断行した。

次に、アメーバブログのシステム開発を外注から内製に切り替えるために、2006年からエンジニアの中途採用を開始した。従来のサイバーエージェントは技術開発をライブドアなどの外部企業に委託しており、自社でエンジニアを雇用するテックカンパニーではなかったが、エンジニアの採用によって技術を重視する方針に切り替えた。

この理由が、アメーバブログの事業展開において、技術面のボトルネックが大きな問題となっていたためである。

具体的には、アクセス数の増大による高負荷対応に技術的な問題があった。2006年時点でアメーバブログは、1日1500万PVの大量アクセスがあるサービスで、ピーク時の1秒間にSQLのクエリが6000回発行される高負荷なサービスであった。特に、アメーバブログは芸能人をブログを取り扱っていたため、人気芸能人が記事を更新した際にアクセスが集中する課題があった。

解決すべき技術課題はバックエンドに存在した。テーブルに適切なインデックスが貼られていなかったり、更新系と参照系のDBサーバーが同一だったことであった。既に運用中のサービスであり、解決すべき課題が多く、サイバーエージェントはエンジニアの自社雇用によって技術改善をスピーディーに実行することを試みた。

なお、アメーバブログの事業開始から事業再建に至るまで、先行投資にかかった費用は約60億円であった。すなわち、黒字化に失敗すれば、60億円の損失を抱えることを意味した。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

ネットビジネスと呼ばれるものがITバブルのころに注目されたのは、収穫逓増モデルで、非常に利益率が高く、コストを低く運営できるというところがあったからです。

一方で広告代理事業は、市場自体は伸びていますが、労働集約型になりやすく、投資家が思っていたような成果を上げられるような商売ではなかった。そこでメディアをやらなければいけないと考え、「cyberclick!」や「melma!」をはじめ、さまざまな事業を立ち上げてきました。が、どれも小振りで、楽天やヤフーのように象徴的なメディアを抱えていないことにずっとコンプレックスを持っていました。

だからブログが出てきた時に、新たにメディアを作れる可能性を感じ、アメーバというブランドでやりきろうと考えました。アメーバブログを会社の成長戦略の中心に据えたので、なんとしても成功させなければいけませんでした。

2009
アメーバブログの黒字化に成功

#技術開発

アメーバブログは芸能人のようなアクセス数が多い執筆者に対応できるサービスとして新しい訴求ポイントが生まれたことで執筆するユーザー数を拡大。アクセス数が増えたことによって広告収入が伸び、2009年9月期(第4四半期)においてアメーバブログの黒字化(+2億円)を達成した。2010年9月期には13億円の営業赤字を見込み、先行投資の回収フェーズに突入した。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

このままでは成功はおぼつかない。そう危惧した私は、2年前に背水の陣を敷きました。アメーバ事業を率いていた経営幹部を外し、私自身が事業のトップに立ったのです。「2009年9月までに結果を出す。ダメなら自分も辞める。だから降りてくれ」---幹部を外す際に、そう言いました。広告代理店事業は部下に任せ、社長質もアメーバ事業のあるビルに移し、この事業だけに専念しました。

株主からは本業に専念すべきだと言う声もあがりました。それに対し、私は「アメーバ事業はサイバーエージェントが長期にわたり成長を続けていくために不可欠なものだ」と忍耐強く説得を続けました。システムも内製化してゼロから作り直しました。現場の会議にはほぼ全て参加し、「この機能を説明するなら、こういう表現に変えてくれ」と細部までこだわって指示しました。私はこれまで、どちらかと言えば、部下に任せると言う経営スタイルをとってきました。しかし、いいものを作るには、自分がやってみせるしかない、経営のやり方も改めねばならないと思ったのです。

進退を賭けて取り組んだ結果、サービスの質は大きく高まりました。アメーバへのアクセス数は国内5指に入るまでに急伸しています。収益も後からついてきて、今年6月以降は単月ベースで黒字を続けています。

2010
技術のサイバーエージェントを宣言

#技術開発

2010年にサイバーエージェントは「技術のサイバーエージェント」を社内外に宣言し、エンジニアリングを重視する方針を鮮明にした。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

負けない体制は既にできています。「Ameba」で暗中模索しながら築き上げてきた「新サービスを次々と生み出す仕組み」が社内にできているからです。新しい市場に参入するとき、「得意なところを買えばいい」と安易な買収計画を立てる企業がありますが、そういうところは大抵、失敗します。当社には「小さく生んで大きく育てる」と言う方針のもと、内製でサービスを作り出す体制がしっかりできています。開発スピードの遅い外注では勝負になりません。自社で企画から開発、運営まで一気通貫で行うための仕組みづくりも万全です。その都度の工程で、優れたルールがしっかりできています。

2012
スマホシフトを宣言。ゲーム事業が急成長

#経営方針

2010年頃から日本でも急速にスマートフォンが普及したことを受けて、サイバーエージェントは経営資源をスマートフォンに集中させる方針を決断した。

スマートフォンのサービスに関しては、従来の広告やブログに加えて、ゲームなど、大量にリリースすることによってビジネスを拡大する方針とした。

特に、スマホゲームがヒット作品を次々と生み出すことによって収益源に育つなど、新規事業も複数立ち上がった。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

サイバーエージェントはまさに今、勝負どころを迎えています。急拡大するスマートフォン市場で他社を圧倒するリーディングカンパニーになるべく、大きな賭けに打って出ました。売上の柱を支えてきた広告代理事業を縮小させるという決断をし、そこにいた優秀な人材をスマートフォン向け新規事業に投入。それこそ、考えられる経営資源をスマートフォン市場につぎ込んで、千載一遇のチャンスをつかみ取ろうとしています。この勝負に勝てば、当社は過去とは比較にならない規模の成長を、一気に遂げることができるでしょう。

創業15年目、これまで平坦な道のりなど1つもありませんでした。多くの失敗も重ねながら、私もサイバーエージェントも成長してきました。それだけに、ネットビジネスにおける勝負勘には自信があります。「ここが勝負どころ」と心底思えることはそうそうありませんが、その時がついに来たと感じています。

時代は既に、従来のフィーチャーフォン、いわゆるガラケーから、スマートフォンへと切り替わりつつあります。この変化は、単なるデバイス(携帯電話機の端末)の変化ではりません。スマートフォンをガラケーの延長線上に捉える人がいますが、それは間違いです。スマートフォンは、利用シーン、提供できるサービスなどが、ガラケーだけでなく、パソコンとも全く違います。スマートフォン市場は、どこの企業もゼロからのスタートになるわけです。だからこそ、中途半端な覚悟では失敗します。スタートダッシュで一気に差をつけなければ、後から追いつくのは至難の業。そこでの勝負に負ければジリ貧が確定します。

2014
過去最高収益(純利益147億円)を達成

#業績好調

2011年からスマホへのシフトを本格化させた結果、スマホ向けサービスを中心とした業容の拡大に成功した。高収益なゲーム事業においてヒットタイトルが続々と生まれたことも追い風となり、2015年度の決算でサイバーエージェントは過去最高収益となる純利益147億円を達成した。

安定成長 2016年〜2021年

abemaTVで動画配信へ本格参入

2016
abemaTVを開局

#新規事業

動画サービスを展開するネットフリックスの日本進出が濃厚になったことを受けて、サイバーエージェントは動画を中心としたメディア事業への参入を決断。2016年にネットテレビ局「AbemaTV」を開局し、スマホやPCからサイバーエージェントが提供するオリジナルコンテンツを無料で視聴できるサービスの提供を開始した。

メディア事業への参入にあたって、サイバーエージェントはコンテンツ制作などを中心に年間180億円規模の先行投資を決断している。このため、同業他社やテレビ会社からは懐疑的な意見が出たが、藤田社長は動画配信の将来性を考えて投資を断行した。

藤田晋氏(サイバーエージェント 創業者)

大きな赤字を出していることは重々認識していますが、メディア事業は先に面白いコンテンツを作らなければ成功しないし、マネタイズできないことは歴史が証明しています。だから、現状はあくまで先行投資と位置付け、とにかくいいコンテンツを継続して作り続けることが大事だと考えています。(中略)我々はAbemaTVを10年がかりで会社の柱に育てていく考えです。広告やゲームといった既存事業との相乗効果はもちろん、AbemaTVを起点にした新事業も出てくるでしょう。AbemaTVを会社の中心に据えて、中長期で会社が潤おうような展開をしていくつもりです。

2018/3/19日経ビジネス「サイバーエージェント・ネットテレビの『賭け』」
159社の歴史を、その日の気分で調べています。