サイバーエージェントの歴史
日本を代表するネット企業。広告の営業会社だったが内製化を推し進め、エンジニアリングが主体のテックカンパニーに転身。ただしガバナンスに課題あり
Author: @yusugiura
日本を代表するネット企業。広告の営業会社だったが内製化を推し進め、エンジニアリングが主体のテックカンパニーに転身。ただしガバナンスに課題あり
1998年に藤田晋氏が新卒入社して勤務していた人材会社インテリジェンスを退職。同年3月18日東京都港区にてサイバーエージェントを株式会社として設立した。藤田晋氏は、インターネット業界において「営業ができる会社」が少ないことを着目し、技術力のある会社が提供する商品の営業を引き受ける「営業代行」のビジネスを開始した。
まずは、インタリジェンス時代に「採用のネット媒体の営業」で成果を出していたことを実績として掲げて、まずは決済代行であるWebmoneyの営業代行の契約を締結した。
起業当初はwebmoneyの営業代行が主体であったが、顧客周りをする中で「クリック保証型広告」を展開していたバリュークリックジャパンと出会い、同社の営業代行を引き受けた。当時のネット広告はPVや期間がベースであることが一般的であり、クリックを保証する広告は珍しく、営業先での評判も良かった。
そこで、サイバーエージェントはバリュークリックのビジネスを模倣して、クリック保証型広告のシステムを開発することを決めた。このため、バリュークリックジャパンからすれば、取引先であるサイバーエージェントが突如として競合企業になったことを意味する。
システム開発については、サイバーエージェントで学生として働いていたH氏(東京工業大学・出身)が「開発できる」と言って引き受けたものの、実際に完成することはなかった。このため、サイバーエージェントは早々にクリック保証型広告の内製化を諦め、前途多難な船出となった。
クリック保証広告を支えるシステムについては、複雑なエンジニアリングが要求されることが判明したため、受託会社に委託することを決めた。藤田晋氏はシステム開発のために、インターネット検索でひっかかった受託会社にテレアポをとった。
サイバーエージェントの藤田晋氏は受託開発企業に電話をする中で、オン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)の社長であった堀江貴文氏(通称ホリエモン)と出会い、クリック保証型広告のシステム構築を全て任せることに決めた。この当時、堀江貴文氏は無名の人物であったが、企業ホームページを制作する事業が軌道に乗っており、界隈では知られた存在だったという。
オン・ザ・エッヂはサイバーエージェントに対して見積もりを提示し、2つの案を提示した。1つは完成品の納入によって代金を請求する案、もう一つはクリック保証型広告の売上高からロイヤリティー10%を徴収する案であった。サイバーエージェントの藤田社長は、ロイヤリティーを支払う案で契約を締結した。
1998年9月1日にサイバーエージェントは、オン・ザ・エッヂに対してシステム開発と運用を委託する代わりに、クリック保証型広告の収益に応じてロイヤリティ(広告売上高の10%)を支払う契約を正式締結した。契約期間は1998年10月から2003年8月までの約5年とした。1999年度におけるオン・ザ・エッヂへの支払額は7800万円に及んだ。
また、サイバーエージェントはオン・ザ・エッヂに対して、クリック保証型広告のシステムに関して独占的な利用権を取得し、オン・ザ・エッヂが競合他社にシステムを供与することを防いだ。オン・ザ・エッヂとしても単発受注の開発よりは、サイバーエージェントと継続取引を行うことで資金繰りが安定するため、両社にとってメリットのある提携であったことが推察される。
当時はインターネットバブルの渦中にあったが、技術ドリブンでサービスを展開する企業は限られており、サイバーエージェントはクリック保証型広告をオン・ザ・エッヂと独占契約を締結することで業容を拡大する布陣を整えた。
バークリックのシステム稼働の数ヶ月前から、サイバーエージェントはクリック保証型広告の営業を本格化した。1998年9月のシステム稼働後は「クリック保証型広告」に注力する方針を鮮明にした。
サイバーエージェントがクリック保証型広告において、広告を出稿する顧客に対して設定した手数料は、2000回のクリックの保証に対して14〜18万円(1クリックあたりの定価70〜90円)であった。この根拠は、それまで主流だった郵便はがきを活用したダイレクトメールにおける反応率が10%であったため、2万通のDM送付に相当する費用が100万円(50円 * 2万通)であるのに対して、クリック保証型広告は18万円でも十分効果が得られると判断し、値付けを行った。
また、ヤフーのような大規模サイトに1週間広告を掲載した場合の費用感は100万円以上であり、サイバーエージェントは資金力が十分であはないベンチャー企業(中小企業)をターゲットに「費用を抑えて効果のある広告」としてクリック保証型広告に注力した。ターゲット顧客は中小企業で、設立間もないベンチャー企業に狙いを定めた。
広告出稿の顧客開拓と同時に、サイバーエージェントは広告を掲載する「広告枠(広告主)」の開拓も同時並行で注力。2000年1月までに4,728件の媒体を広告枠として確保した。この結果、サイバーエージェントは「広告を出稿したい人」と「広告を誘致したい人」を、サイバークリックというシステムを介して仲介する広告代理店事業の体制を確立した。
サイバーエージェントの主力商品はクリック保証型の広告です。実際にバナーやテキストがクリックされた回数で課金するもので、1万クリック保証なら、1万回クリックされるまで、つまり1万人の人がその企業のサイトを訪れるまで広告を掲載します。(略)
これからは成果報酬型の広告に力を入れていこうと考えています。ただ、成果報酬型の広告は、広告代理店にとっては難しいビジネスモデルです。バナーをクリックして企業のサイトに飛んだからといって、その場で商品を購入するとは限りません。購入を決めても、インターネットでの買い物に不安があって、現実の店頭で買う人もいます。効果を確認しにくいのです。
それでも、広告の費用と効果が比例すると言うのは、広告主にとっては理想的な課金の仕組みです。インターネットで物を買うことへの抵抗も薄れてきますし、ぜひともビジネスとして確立させるつもりです。
2001年に投資事業有限責任組合M&Aコンサルティング(通称村上ファンド)はサイバージェントの株式を10%取得。藤田社長に面談を申し込んで現預金の還元を要求。これに対して、藤田社長は還元要求を退けたため、大株主と対立する結果となる。村上ファンドは、投資先の上場企業に対して株主としての意向が通らない場合、株主総会を通じて社長を解任するアグレッシブなファンドであった。
当時のサイバーエージェントの株主構成比率は、藤田社長が過半数を確保しておらず、株主の意向によっては臨時取締役会にて藤田社長が解任される可能性も否定できなかった。株主構成比率は藤田晋氏(22.6%)、GMO(21.4%)、USEN(13.2%)、M&Aコンサルティング(約10%)であり、サイバーエージェントの時価総額60億円〜100億円を勘案すると、村上ファンドがサイバーエージェントの株式を全取得することは現実的に可能であったと思われる。
藤田社長は楽天の創業者であった三木谷氏に相談をし、楽天がサイバーエージェントの株10%を10億円で取得した。この結果、藤田社長の方針に賛同する「楽天とGMO」の2社の大株主と、藤田社長自身の保有株式によって過半数を確保し、ギリギリのところで社長解任の恐れを回避した。
ただし、これらの経緯について、村上氏はのちに「買い占めてないよ(笑)。あれは、藤田さんが資金調達したのに何に使うかはっきりしないから論理的に説明を求めただけ」(文春オンライン)とも語っており、その真意は不明である。
また、村上ファンドは2006年ライブドアに関連するにニッポン放送株におけるインサイダー取引によって、代表者であった村上世彰氏が逮捕され、資本市場の表舞台から姿を消した。村上ファンドの調達資金は、海外の年金基金(LP)などから賄っていたこともあり、村上代表の信用が失われたことでファンドの存続が極めて困難な事態に陥っている。
2001年の株価が安い時に、モノ言う株主として席巻した投資家の方に「今持っている現金で自社株を購入して、株主に戻せ」と言われました。上場当時の株主の方に「戻せ」って言われたのなら気持ちも分かりますが、時価総額100億円を割って、突然、株主になった人に言われても「何であなたに?」って思ってしまいます。その時、目の前のことだけで判断すれば、確かに言っていることは正しいかもしれないけれど、僕ら経営者は中長期の時間軸で考えているわけですから。
上場によって調達した225億円について、サイバーエージェントは企業買収ではなく、既存事業と社員に投資をする方針を明確にした。
既存事業の面では、祖業であるインターネット広告の代理店事業を伸ばす方向に注力し、企業買収による新規事業の展開は最小限に抑えた。なお、広告代理店の事業は営業を行う社員の数に比例して収益を生むビジネスであり、社員の定着率の向上がビジネスの継続における鍵を握った。
このため、サイバーエージェント社員に投資する方向性を鮮明にした。2003年に藤田晋社長はサイバーエージェントでは「終身雇用制」を導入することを宣言し、社員が定着する仕組みづくりに着手した。本社のある渋谷駅周辺に賃貸を借りた場合は3万円/月の家賃補助を出す仕組みや、社員によるリファラル採用を行なって紹介した社員が報酬を受け取るなど、様々な施策を打ち出した。
組織での一体感を醸成するために、潤沢な予算を用いた「社員総会」を年2回実施。社員1000名を1箇所のホテルに集めて、貢献のあった社員を表彰するなど、組織における連帯感を強める施策を打ち出した。
これらの特別手当やイベントにかかるコストに関して、藤田社長は中途採用におけるエージェントへの支払い費用(100万円〜/人)と比べると安いと判断して実行した。
また、組織改革にあたっては、営業トップであった曽山氏を人事責任者に抜擢し、組織改革を一任した。曽山氏は2022年の現在に至るまでサイバーエージェントの人事責任者を歴任しており、サイバーエージェントの組織形成に大きく貢献した。
『株主至上主義』は、高度成長期の日本企業において多くの会社は、会社は従業員のものと当たり前のように考えていました。日本企業は従業員を大切にし、そこで働く人の頑張りが競争力になっていたからです。株価が上がり続けた高度成長期はそれでも良かったのが、バブル崩壊以降、ほとんどの会社の株価が下がり、「会社は株主のものだから株主を重視して経営せよ」という考え方を株主は経営者に突きつけはじめました。
私は経営者デビューの頃からあまりにもこの言葉を聞いていたため、会社は株主のものと言うこんな当たり前のことが何故言われるのが不思議ですらありました。でも上場企業の社長を4年近く経験して改めて思うのは、年中、株式市場の顔色ばかり伺っている経営は、中長期の株主を大切にしているとはいえないということです。社内の優秀な人材に投資したり、仕事をやりやすい環境を整えて従業員のやる気を引き出すことが、結果的に株主にも大きな貢献を生み出すというのが当社の経営においての私の考え方です。
私たちの世代は、高度成長期を支えた日本経済の良かった仕組みを学びつつ、且ついまの時代をまっすぐ見つめた上で、新しい会社が強い組織を築くために真に競争力を産むものは何なのかを、オリジナルで考えなくてはなりません。それは21世紀を代表する企業への成長するために、私たちが避けては通れない道だと思います。
2004年からサイバーエージェントはブログ事業に参入して、アメーバブログを運営していたものの、アクセス数の増加によってサーバーがダウンするなどサービスの品質に課題があった。このため、サービスは赤字が続いていた。
サイバーエージェントとしては、スケーラビリティーを享受できるブログ事業に注力したい狙いがあり、アメーバブログの赤字は無視できない問題であった。祖業の広告代理店事業は、売上高が広告の営業人員に比例するため収益性に問題があり、藤田社長はビジネスモデルの展開を急ぐ必要があった。
そこで、藤田晋社長はアメーバブログの現状を問題視した上で、トップダウンで事業改革を行うことを宣言した。2006年に藤田社長は「2009年までに黒字化を目指す」方針を掲げて、未達の場合はサイバーエージェントの社長を退く覚悟でアメーバブログの事業にコミットした。藤田社長はアメーバ事業の会議にほぼ全て出席し、自身のリソースの大半をアメーバ事業に投下した。
まず実施したのが、アメーバブログの事業責任者の総入れ替えであった。従来の事業責任者はアメーバブログで成果を残せておらず、藤田社長は人員の入れ替えを断行した。
次に、アメーバブログのシステム開発を外注から内製に切り替えるために、2006年からエンジニアの中途採用を開始した。従来のサイバーエージェントは技術開発をライブドアなどの外部企業に委託しており、自社でエンジニアを雇用するテックカンパニーではなかったが、エンジニアの採用によって技術を重視する方針に切り替えた。
この理由が、アメーバブログの事業展開において、技術面のボトルネックが大きな問題となっていたためである。
具体的には、アクセス数の増大による高負荷対応に技術的な問題があった。2006年時点でアメーバブログは、1日1500万PVの大量アクセスがあるサービスで、ピーク時の1秒間にSQLのクエリが6000回発行される高負荷なサービスであった。特に、アメーバブログは芸能人をブログを取り扱っていたため、人気芸能人が記事を更新した際にアクセスが集中する課題があった。
解決すべき技術課題はバックエンドに存在した。テーブルに適切なインデックスが貼られていなかったり、更新系と参照系のDBサーバーが同一だったことであった。既に運用中のサービスであり、解決すべき課題が多く、サイバーエージェントはエンジニアの自社雇用によって技術改善をスピーディーに実行することを試みた。
なお、アメーバブログの事業開始から事業再建に至るまで、先行投資にかかった費用は約60億円であった。すなわち、黒字化に失敗すれば、60億円の損失を抱えることを意味した。
ネットビジネスと呼ばれるものがITバブルのころに注目されたのは、収穫逓増モデルで、非常に利益率が高く、コストを低く運営できるというところがあったからです。
一方で広告代理事業は、市場自体は伸びていますが、労働集約型になりやすく、投資家が思っていたような成果を上げられるような商売ではなかった。そこでメディアをやらなければいけないと考え、「cyberclick!」や「melma!」をはじめ、さまざまな事業を立ち上げてきました。が、どれも小振りで、楽天やヤフーのように象徴的なメディアを抱えていないことにずっとコンプレックスを持っていました。
だからブログが出てきた時に、新たにメディアを作れる可能性を感じ、アメーバというブランドでやりきろうと考えました。アメーバブログを会社の成長戦略の中心に据えたので、なんとしても成功させなければいけませんでした。
2010年頃から日本でも急速にスマートフォンが普及したことを受けて、サイバーエージェントは経営資源をスマートフォンに集中させる方針を決断した。
スマートフォンのサービスに関しては、従来の広告やブログに加えて、ゲームなど、大量にリリースすることによってビジネスを拡大する方針とした。
特に、スマホゲームがヒット作品を次々と生み出すことによって収益源に育つなど、新規事業も複数立ち上がった。
サイバーエージェントはまさに今、勝負どころを迎えています。急拡大するスマートフォン市場で他社を圧倒するリーディングカンパニーになるべく、大きな賭けに打って出ました。売上の柱を支えてきた広告代理事業を縮小させるという決断をし、そこにいた優秀な人材をスマートフォン向け新規事業に投入。それこそ、考えられる経営資源をスマートフォン市場につぎ込んで、千載一遇のチャンスをつかみ取ろうとしています。この勝負に勝てば、当社は過去とは比較にならない規模の成長を、一気に遂げることができるでしょう。
創業15年目、これまで平坦な道のりなど1つもありませんでした。多くの失敗も重ねながら、私もサイバーエージェントも成長してきました。それだけに、ネットビジネスにおける勝負勘には自信があります。「ここが勝負どころ」と心底思えることはそうそうありませんが、その時がついに来たと感じています。
時代は既に、従来のフィーチャーフォン、いわゆるガラケーから、スマートフォンへと切り替わりつつあります。この変化は、単なるデバイス(携帯電話機の端末)の変化ではりません。スマートフォンをガラケーの延長線上に捉える人がいますが、それは間違いです。スマートフォンは、利用シーン、提供できるサービスなどが、ガラケーだけでなく、パソコンとも全く違います。スマートフォン市場は、どこの企業もゼロからのスタートになるわけです。だからこそ、中途半端な覚悟では失敗します。スタートダッシュで一気に差をつけなければ、後から追いつくのは至難の業。そこでの勝負に負ければジリ貧が確定します。