安川電機に低賃金で勤務していた三井孝昭氏は、待遇改善のために独立し、1949年に三井工作所を創業。金型の製造販売に従事。福岡県北九州市八幡西区黒崎5丁目に拠点を構えた。

安川電機に低賃金で勤務していた三井孝昭氏は、待遇改善のために独立し、1949年に三井工作所を創業。金型の製造販売に従事。福岡県北九州市八幡西区黒崎5丁目に拠点を構えた。
安川電機時代に習得した技術を生かし、モーター向けの金型生産に特化。日本における電気製品の普及が追い風となり発展
業容拡大のために株式会社に改組。資本金150万円
1億枚の打ち抜きに対応できるタングステン・カーバイドによる金型を開発。珪素鋼板からモーター鉄心の打ち抜きに成功。既に家電製品が普及していたアメリカ市場に着目し、モーターの鉄心部品を輸出により採用することで業容を拡大
1971年12月のニクソンショックによる円高ドル安を受けて、北米輸出向けのリードフレームの量産コストを下げるために東南アジアに進出した。
モーターコアの生産時における「計量・ひねり・積層・結束」の作業を自動化。世界各国で特許を取得。年間1億円の特許収入を確保した。
1973年10月のオイルショックを受けて設備投資がストップ。三井ハイテックも打撃を受け、創業以来初となる赤字に転落した。
1980年代までに三井ハイテックはリードフレームにおいて、トップシェアを握る企業に発展した。取引先の企業は、三菱電機、東芝、日立製作所、テキサスインスツルメンツ、モトローラ、フェアチャイルドなど、当時、世界を代表した半導体メーカーにリードフレームを納入した。
また、三井ハイテックは本社を九州に構えており、1980年代を通じて九州に半導体産業が集積して「シリコンアイランド」として発展する際に、リードフレームの供給を担うことで産業集積の一翼をに担うことになった。この経緯により、1980年代の三井ハイテックの売上高のうち、25%は九州地区向けの出荷で占められていた。
FY1984における売上高は290億円(前年比+70.8%)・営業利益48億円(利益率16.8%)を計上。業績も好調に推移した。
赤字経営に陥っていた三井ハイテックの経営改革に着手。赤字の原因となっていた半導体リードフレームに次ぐ事業として、既に育ちつつあった「車載向けコアモーター」への集中投資を開始
(北米の自動車メーカーに対するアプローチを開始したと推察される)
ドイツの自動車メーカーに対し、コアモーターの売り込みを本格化
車載向けコアモーターの量産を図るため、岐阜県可児市に新工場を新設。生産準備に103億円の設備投資(FY2017)。電機部品事業の売上高79億円を大きく凌駕する投資であり、かなり思い切った決断
コアモーターについて、三井ハイテックは「厚板を薄くした上で金型を打つ技術的な優位性」により、競合参入や内製化の脅威から防衛しているという。2022年時点で世界シェア60〜70%を確保