三井ハイテック の歴史

更新:

1949年、三井孝昭氏が北九州・八幡で金型の製造販売を開始。タングステンカーバイド金型とモーターコア、ICリードフレーム、取締役会改革までの沿革と経緯を執筆。

創業

1949年

創業者

三井孝昭

創業地

北九州市八幡

直近売上高(2026/1)

2,183億円

長期業績と転換点(2002/1〜2026/1)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1949年創業の金型メーカーが、モーター鉄心を打ち抜く精度に賭けたのか
A 金型そのものは安く、価値を生むのはそれが打ち抜く部品の精度と耐久だった。エアコンや冷蔵庫のモーター鉄心は珪素鋼板を寸分たがわず大量に抜き続ける必要があり、わずかな金型の摩耗が不良率を押し上げる。そこへ精度を売る余地があった。三井孝昭は安川電機で身につけたモーター向け金型の技術を持って1949年に福岡県八幡市で独立し、八幡製鐵所のおひざ元という鋼材の集積地に拠った。1958年には1億枚の打抜きに耐えるタングステンカーバイド金型を開発し、戦後の家電普及で膨らむ鉄心需要を精度で取りにいった
Q なぜ1972年に、量産化したICリードフレームを国内ではなく米国TIへ売り込んだのか
A 国内の半導体メーカーが、年商20億円に満たない中小企業の部品を採るリスクを取りたがらなかったためである。三井孝昭は、薬品で削るエッチングが主流だったリードフレームをプレスで打ち抜く方向に賭け、量産コストを10分の1に下げていた。その価格優位を評価する買い手は、ICの量産に先行して急成長していた米国市場にいた。1969年にリードフレームの製造販売を始め、1972年に米国イリノイ州へ現地法人を設け、TIから約10億円の大量受注を獲得した。これを足がかりに三菱電機や東芝など国内大手にも採用が広がった
Q なぜ2010年代後半に、リードフレームではなくEV駆動モーターコアへ売上を超える設備投資を集中させたのか
A 主力のリードフレームは中国勢の台頭で価格が下がり、家電・産業用モーターも成熟して伸びにくくなっていた。一方、創業以来の『珪素鋼板を金型で精密に打ち抜く』技術は、HV・EVの駆動モーター鉄心という新しい出口にそのまま効いた。三井ハイテックはモーターコアで世界シェア6割超を握り、トヨタ自動車などへ供給する立場にあった。そこで2018年に岐阜県可児市へ100億円超を投じて車載コア量産拠点を新設し、当時の電機部品事業の売上を超える額を、需要拡大が見込めるEVへ振り向けた

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1949年〜 北九州八幡での創業から株式公開までの基盤形成期

三井ハイテックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1949年 創業者三井孝昭が金型の製造販売業を開始
  2. 1958年 タングステンカーバイド金型(ノッチング型)を開発
  3. 1959年 モーターコア用タングステンカーバイド精密順送り金型の製造販売を開始
  4. 1969年 ICリードフレームの製造販売を開始
  5. 1974年 MACシステム(積層鉄芯金型内自動結束装置)を開発
  6. 1979年 ICリードフレームのめっき事業に参入
  7. 1984年 IC組立事業に参入

創業者・三井孝昭氏の独立と「金型」への集中──安川電機からの脱出

三井孝昭氏は安川電機に入社後、金型製造部門に配属されたが[1]、労働条件が厳しく非常に精緻な仕事だったため、当初は金型の仕事を好まなかった。だが軍隊に召集され、戦場で敵国の兵器を目にした際、それがすべて金型によるプレス加工で製造されていることに気づいた。日本軍の兵器は切削加工で1個仕上げるのに数分から1時間を要したのに対し、プレス加工なら当時でも1分間に60個もの均一な製品を生産できるという彼我の差を目の当たりにし、金型の重要性に開眼した。[2]この経験が、終戦・帰国後に金型一筋の道を選ぶ原点となった。

1949年1月、安川電機に勤務していた三井孝昭氏が[3]、低賃金の待遇からの脱却を目的に独立し[4]、福岡県八幡市(現北九州市八幡西区黒崎)で金型の製造販売業を個人事業として始めた。[5]八幡製鐵所のおひざ元という製鉄業の集積地で、安川電機時代に習得したモーター向け金型の技術を生かす方針である。戦後復興期の電気製品の家庭普及が需要側を押し上げ、モーター鉄心の打抜き金型という限定領域で精度を競う事業基盤が固まった。三井孝昭氏は技術志向の経営者で、金型という製造業の裏方に集中する戦略を貫いた。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [3]1949年1月 三井孝昭が福岡県八幡市で金型の製造販売業を個人創業
    • [4]創業者は三井孝昭(安川電機からの独立)
    • [5]創業地は北九州市八幡西区黒崎

1954年3月、熱処理後総研削仕上げ金型1号機を納入し[6]、量産用金型の精度水準を引き上げた。1957年4月に資本金150万円で株式会社三井工作所を設立し[7]、個人事業から法人化を完了した[8]。1958年12月にはタングステンカーバイド金型(ノッチング型)を開発[9]、1億枚の打抜きに対応する超硬合金金型への参入を果たした。当時すでに家電が普及していたアメリカ市場に着目し、珪素鋼板から打ち抜いたモーター鉄心の輸出で業容を広げた経緯である。1959年5月、モーターコア用タングステンカーバイド精密順送り金型の製造販売を開始した[10]。エアコン・冷蔵庫等の家電用モーター・自動車部品用モーターの鉄芯(コア)を打抜くための精密金型の供給で、後年の主力事業の起点となる。創業時の1949年に50万円だった売上高は、オール研磨仕上げ金型の開発により毎年40〜50%の成長を続け、33年(1958年)に5,000万円、創業10周年の34年(1959年)には1億円に達した。[11]

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [6]1954年3月 熱処理後総研削仕上げ金型1号機を納入
    • [7]1957年4月 資本金150万円で株式会社三井工作所を設立(法人化)
    • [8]設立時資本金150万円
    • [9]1958年12月 タングステンカーバイド金型(ノッチング型)を開発
    • [10]1959年5月 モーターコア用タングステンカーバイド精密順送り金型の製造販売を開始
    • [11]創業時(昭和24年)売上高50万円が、毎年40〜50%成長し昭和33年に5,000万円、創業10周年の昭和34年に1億円に到達
    • [1]三井孝昭氏は安川電機の金型製造部門に配属されたが、当初は労働条件の厳しさから金型の仕事を好まなかった
    • [2]出征中に敵国兵器がすべて金型プレス加工で作られていることを知り、金型の重要性に開眼した
    • [11]創業時(昭和24年)売上高50万円が、毎年40〜50%成長し昭和33年に5,000万円、創業10周年の昭和34年に1億円に到達
  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [3]1949年1月 三井孝昭が福岡県八幡市で金型の製造販売業を個人創業
    • [4]創業者は三井孝昭(安川電機からの独立)
    • [5]創業地は北九州市八幡西区黒崎
    • [6]1954年3月 熱処理後総研削仕上げ金型1号機を納入
    • [7]1957年4月 資本金150万円で株式会社三井工作所を設立(法人化)
    • [8]設立時資本金150万円
    • [9]1958年12月 タングステンカーバイド金型(ノッチング型)を開発
    • [10]1959年5月 モーターコア用タングステンカーバイド精密順送り金型の製造販売を開始

ICリードフレームのプレス加工量産──業界常識の転覆

1960年10月、北九州市八幡西区小嶺に小嶺工場(現本社・八幡事業所)を新設し[12]、生産能力を引き上げた。1961年4月には平面研削盤の量産化体制を整え外販を開始[13]、自社の生産技術を外販する工作機械事業の起点を築いた。1966年5月、三井孝昭氏はICリードフレームに着目[14]した。1960年代当時、IC(集積回路)は世界で実用化されたばかりの最先端技術で、リードフレームはエッチング方式で製造するのが業界の主流だった。エッチングは薬品を使うため量産コストが高く、半導体メーカーの量産化のボトルネックでもあった。三井孝昭氏はプレス加工で量産する方向に賭けて研究開発を進め、量産コストを1/10に削減することに成功する。同年8月には米国イリノイ州にシカゴ事務所を開設し[15]、初の海外拠点を設置した。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [12]1960年10月 小嶺工場(現本社・八幡事業所)を新設
    • [13]1961年4月 平面研削盤の量産化体制を整え外販を開始
    • [14]1966年 ICリードフレームに着目(試作金型開発)
    • [15]1966年8月 米国イリノイ州にシカゴ事務所を開設(初の海外拠点)

1969年6月、ICリードフレームの製造販売を開始[16]した。金型・モーターコアに続く3本目の柱となる事業領域への参入だが、量産化に成功しても国内に販路はなかった。当時の三井ハイテックは年商20億円未満の中小企業で、国内半導体メーカーはICの量産に乗り出しておらず、中小発の部品を採用するリスクを取りたがらなかった。三井孝昭氏は販路をアメリカに求め、1972年4月に米国イリノイ州でインターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立、急成長期だった米国TI(テキサスインスツルメンツ)から約10億円の大量受注を獲得した。[17]この受注を足がかりに日本の半導体メーカーからもリードフレームの採用が広がり、リードフレーム事業の量産体制が整った。1972年12月のシンガポール進出(ミツイ・マニュファクチュアリング(シンガポール)、現ミツイ・ハイテック(シンガポール)設立)は[18]、1971年12月のニクソンショックによる円高ドル安に対応するもので、北米輸出向けリードフレームの量産コスト低減を狙った拠点である。1974年8月にはモーターコアの金型自動結束システム(MAC)を開発した[19]。モーターコア生産の『計量・ひねり・積層・結束』を自動化する装置で、世界各国で特許を取得し、年間約1億円の特許収入を生んだ。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [16]1969年6月 ICリードフレームの製造販売を開始
    • [17]1972年4月 米国イリノイ州にインターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立
    • [18]1972年12月 シンガポールにミツイ・マニュファクチュアリング(シンガポール)(現ミツイ・ハイテック(シンガポール))を設立
    • [19]1974年8月 モーターコアの金型自動結束システム(MAC)を開発
  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [12]1960年10月 小嶺工場(現本社・八幡事業所)を新設
    • [13]1961年4月 平面研削盤の量産化体制を整え外販を開始
    • [14]1966年 ICリードフレームに着目(試作金型開発)
    • [15]1966年8月 米国イリノイ州にシカゴ事務所を開設(初の海外拠点)
    • [16]1969年6月 ICリードフレームの製造販売を開始
    • [17]1972年4月 米国イリノイ州にインターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立
    • [18]1972年12月 シンガポールにミツイ・マニュファクチュアリング(シンガポール)(現ミツイ・ハイテック(シンガポール))を設立
    • [19]1974年8月 モーターコアの金型自動結束システム(MAC)を開発

「三井ハイテック」への社名変更と九州シリコンアイランド連動

1975年、三井ハイテックは創業以来初の赤字に転落した。1973年10月のオイルショックで取引先の設備投資が止まり、リードフレームとモーターコアの両方の需要が同時に縮んだ局面である。1979年10月にICリードフレームのめっき事業(自動連続スポット[20]めっき装置)を開発、1980年代に入って業績は回復に向かった。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [20]1979年10月 ICリードフレームのめっき事業(自動連続スポットめっき装置)を開発

1984年5月、商号を株式会社三井ハイテックに変更[21]した。金型・モーターコア・リードフレームの3本柱を持つ精密加工メーカーとしての自己定義の転換である。同年7月にIC組立事業を開始(2018年10月に清算)、[22]9月に福岡証券取引所に株式を上場した[23]。FY1984の売上は290億円(前年比+70.8%)・営業利益48億円(利益率16.8%)に達し、当時のリードフレームではトップシェアを握り、取引先には三菱電機・東芝・日立・TI・モトローラ・フェアチャイルドなど世界の半導体大手が並んだ。1980年代の九州はシリコンアイランドとして半導体産業の集積が進み、三井ハイテックの売上の25%は九州地区向けで占められた。本社を九州に構える地の利が、産業集積の一翼を担うかたちで業容を後押しした期間である。1985年9月には東京証券取引所市場第二部に上場[24]、1991年7月には東証一部に昇格した[25]。創業から42年で個人事業から東証一部上場企業[26]へ成長した経緯である。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [21]1984年5月 商号を株式会社三井ハイテックに変更
    • [22]1984年7月 IC組立事業を開始(2018年10月清算)
    • [23]1984年9月 福岡証券取引所に株式を上場
    • [24]1985年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [25]1991年7月 東京証券取引所市場第一部に昇格
    • [26]創業(1949年)から42年で東証一部上場(1991年)

1987年1月のマレーシア進出[27]、1993年12月の中国北京事務所開設[28]、1994年7月の中国天津現法(三井高科技(天津)有限公司)設立[29]、1996年3月の上海現法設立[30]、1997年1月のシンガポール統括会社(ミツイ・アジア・ヘッドクォーターズ)設立と[31]、東南アジア・中国の主要地域に拠点を設けた。1990年代後半までに、世界の主要半導体パッケージ需要地(米国・東南アジア・中国)に物理的に拠点を持つ体制が整った。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [27]1987年1月 マレーシアにミツイ・ハイテック(マレーシア)を設立(マレーシア進出)
    • [28]1993年12月 中国北京事務所開設
    • [29]1994年7月 中国に三井高科技(天津)有限公司を設立
    • [30]1996年3月 中国に三井高科技(上海)有限公司を設立
    • [31]1997年1月 シンガポールにミツイ・アジア・ヘッドクォーターズ(アジア統括拠点)を設立
  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [20]1979年10月 ICリードフレームのめっき事業(自動連続スポットめっき装置)を開発
    • [21]1984年5月 商号を株式会社三井ハイテックに変更
    • [22]1984年7月 IC組立事業を開始(2018年10月清算)
    • [23]1984年9月 福岡証券取引所に株式を上場
    • [24]1985年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [25]1991年7月 東京証券取引所市場第一部に昇格
    • [26]創業(1949年)から42年で東証一部上場(1991年)
    • [27]1987年1月 マレーシアにミツイ・ハイテック(マレーシア)を設立(マレーシア進出)
    • [28]1993年12月 中国北京事務所開設
    • [29]1994年7月 中国に三井高科技(天津)有限公司を設立
    • [30]1996年3月 中国に三井高科技(上海)有限公司を設立
    • [31]1997年1月 シンガポールにミツイ・アジア・ヘッドクォーターズ(アジア統括拠点)を設立

1992年〜 リーマンショック直撃と業績低迷の長期化

三井ハイテックの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1994年 型破りな社外監査役を招いた取締役会改革 オーナー企業が、なぜ「耳に痛い」社外監査役に自社を律させたのか
  2. 1994年 取締役会改革に着手
  3. 1994年 荒川勇二氏を社外監査役に招聘
  4. 1994年 三井高科技(天津)有限公司を設立
  5. 2002年 三井高科技(広東)有限公司を設立
  6. 2003年 三井スタンピングを設立
  7. 2007年 門司税関から特定輸出業者として認定

中国・東南アジアの量産拠点拡張

1998年10月の台湾現法(ミツイ・ハイテック(タイワン))設立[32]、1999年6月のイタリアミラノ事務所開設[33]、12月のタイ現法(ミツイ・ハイテック(タイランド))設立[34]と、半導体パッケージのアジア生産拠点の急拡張期に同社も拠点網を広げた。2002年9月の中国広東現法(三井高科技(広東)有限公司)設立で[35]、中国南部の電子製造拠点(深圳・東莞・恵州等)の半導体需要を取り込む布石を打った。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [32]1998年10月 台湾にミツイ・ハイテック(タイワン)を設立
    • [33]1999年6月 イタリアにミラノ事務所を開設
    • [34]1999年12月 タイにミツイ・ハイテック(タイランド)を設立
    • [35]2002年9月 中国に三井高科技(広東)有限公司を設立(中国南部)

1990年代後半からの東南アジア・中国拠点の連続新設は、半導体パッケージのアジアシフトに合わせた現地供給体制の構築であった。米国・東南アジア・中国の3極に物理的拠点を持つ体制が2000年代前半までに完成し、ICリードフレーム・モーターコアの世界向け供給網が地理的に整った。三井ハイテックが創業以来築いてきた金型・モーターコア・リードフレームの3本柱は、この時期に国内一極依存から脱却し、半導体パッケージ需要地に近接する位置に台湾・タイ・中国広東の量産ラインを並べる形になった。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [32]1998年10月 台湾にミツイ・ハイテック(タイワン)を設立
    • [33]1999年6月 イタリアにミラノ事務所を開設
    • [34]1999年12月 タイにミツイ・ハイテック(タイランド)を設立
    • [35]2002年9月 中国に三井高科技(広東)有限公司を設立(中国南部)

リーマンショック・東日本大震災・業績低迷の連鎖

2008年秋のリーマンショックで三井ハイテックは直撃を受けた。FY07の売上629億円・純利益17億円から、FY08は売上504億円・純損失42億円、FY09は売上379億円・純損失50億円、FY10は売上501億円・純損失28億円、FY11は売上508億円・純損失16億円と、4期連続赤字の長期低迷期に入った。半導体需要の急減と中国・東南アジアでの過剰生産能力、円高による海外売上の円換算減少が同時に襲う環境だった。

2010年4月、坂上隆紀社長から三井康誠[36]が代表取締役社長を承継した。三井家3代目として1968年11月生、三井ハイテック入社の生え抜き。リーマン直後の業績悪化と長期低迷の中で経営の舵を引き継ぐ難しい船出となった。FY12(2013年1月期)に売上546億円・純利益22億円とようやく黒字回復、FY13-FY15は売上規模600〜650億円の停滞期を続けた。半導体パッケージのリードフレーム需要は中国勢の台頭で価格圧力が強まり、モーターコア需要は家電・産業用モーターの成熟化で伸びを期待しにくい状況が続いた。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [36]2010年4月 坂上隆紀社長から三井康誠氏へ社長承継
  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [36]2010年4月 坂上隆紀社長から三井康誠氏へ社長承継

2015年〜 EV駆動モーターコア需要の波と「ヴィジョン2030」

三井ハイテックの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 ミツイ・ハイテックを設立
  2. 2017年 三井電器を吸収合併し阿蘇事業所に商号変更
  3. 2018年 ポーランドにミツイ・ハイテック(ヨーロッパ)を設立
  4. 2018年 岐阜事業所を開設
  5. 2022年 東京証券取引所プライム市場へ移行
  6. 2023年 ミツイ・ハイテック ノースアメリカを設立
  7. 2024年 ミツイ・ハイテック ドイチュランドを設立

北米・欧州EV市場への布石と岐阜事業所103億円投資

2015年1月、カナダにミツイ・ハイテック(カナダ)を設立し、北米EV[37]需要を見据えた拠点を整えた。2018年9月にはポーランドにミツイ・ハイテック(ヨーロッパ)を設立し、欧州EV[38]需要への布石を置いた。同年11月に岐阜県可児市の岐阜事業所を新設、車載コアモーター[39]の量産拠点として稼働させた。FY2017の設備投資103億円を投じた新設で、当時の電機部品事業の売上79億円を超える額である。事業規模に対しては売上超の投資判断で、半導体リードフレームの中国勢台頭による価格圧力と、家電・産業用モーターの成熟化に直面していた三井ハイテックが、車載コアモーターへ集中投資する経営判断を体現した一手であった。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [37]2015年1月 カナダにミツイ・ハイテック(カナダ)を設立(北米EV拠点)
    • [38]2018年9月 ポーランドにミツイ・ハイテック(ヨーロッパ)を設立(欧州EV拠点)
    • [39]2018年11月 岐阜県可児市に岐阜事業所を新設(車載コアモーター量産拠点)

EV駆動モーター用モーターコアは、ハイブリッド車(HEV)・電気自動車(EV)の駆動モーターの鉄芯を構成する精密積層部品で、トヨタ自動車・テスラ・ホンダ・日産自動車・現代自動車・フォルクスワーゲン等の主要自動車メーカーが大量に消費する。創業以来65年の金型精度の蓄積が、EV駆動モーターという出口で結びついた経緯である。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [37]2015年1月 カナダにミツイ・ハイテック(カナダ)を設立(北米EV拠点)
    • [38]2018年9月 ポーランドにミツイ・ハイテック(ヨーロッパ)を設立(欧州EV拠点)
    • [39]2018年11月 岐阜県可児市に岐阜事業所を新設(車載コアモーター量産拠点)

EV需要急増による業績拡大とFY25の急ブレーキ

FY20(2021年1月期)の売上974億円・営業利益38億円から、FY21の売上1,394億円・営業利益150億円、FY22の売上1,746億円・営業利益226億円、FY23の売上1,959億円・営業利益181億円、FY24の売上2,149億円・営業利益160億円と、4年間で売上は約2.2倍・営業利益は約4.2倍に拡大した。EV駆動モーター用モーターコアの世界的な需要拡大を、北米・欧州・国内の生産拠点拡充で取り込んだ結果である。2022年4月の東京証券取引所プライム市場移行を経て[40]、2023年8月にはアメリカにミツイ・ハイテック ノースアメリカを設立[41]し北米EV需要への増強、2024年12月にはドイツにミツイ・ハイテック[42] ドイチュランドを設立し欧州EV需要への増強と、地域別の生産能力拡張を急ピッチで行った。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [40]2022年4月 東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [41]2023年8月 アメリカにミツイ・ハイテック ノースアメリカを設立
    • [42]2024年12月 ドイツにミツイ・ハイテック ドイチュランドを設立

ただしFY25(2026年1月期)には急ブレーキがかかった。売上2,183億円と前期比約1.6%増にとどまり、営業利益127億円と前期比約21%減、純利益31億円と前期比約74%減に縮小した。EV需要の伸び鈍化、過剰生産設備の減損74億円(特別損失内)、円安効果の剥落が同時に響いた局面である。

創業から77年を経た同社は[43]、北九州八幡の個人事業から世界トップシェアのEV駆動モーター用モーターコアメーカーへ転換した。三井康誠社長の長期政権下で、『中期経営計画ヴィジョン2030』を掲げ、熊本県大津町・福岡県嘉麻市・米州・中国を含むグローバル生産能力増強を進めつつ、EV需要拡大期に合わせた設備投資を主導している。創業家3代として家族経営の連続性を保ちつつ、社外取締役(弁護士・公認会計士・元日本銀行)の招聘でコーポレートガバナンスを強化し、上場企業としての透明性を高めた経営フェーズに入っている。EV需要鈍化・地政学変動・半導体パッケージ需要のサイクルという3つの外部要因に直面しながら、3本柱の収益基盤を維持できるかが、次の10年の経営課題となる。

  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [43]創業(1949年)から77年を経た
  • 株式会社三井ハイテック 有価証券報告書(【沿革】)
    • [40]2022年4月 東京証券取引所プライム市場へ移行
    • [41]2023年8月 アメリカにミツイ・ハイテック ノースアメリカを設立
    • [42]2024年12月 ドイツにミツイ・ハイテック ドイチュランドを設立
    • [43]創業(1949年)から77年を経た

三井ハイテックの沿革1949〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
創業者三井孝昭が金型の製造販売業を開始★★
熱処理後総研削仕上げ金型1号機を納入
三井工作所を設立
タングステンカーバイド金型(ノッチング型)を開発★★
モーターコア用タングステンカーバイド精密順送り金型の製造販売を開始★★
小嶺工場を新設
平面研削盤の量産化体制を整え外販を開始
ICリードフレーム打抜き用のタングステンカーバイド試作金型を開発
シカゴ事務所を開設
ICリードフレームの製造販売を開始★★
インターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立
ミツイ・マニュファクチュアリングを設立
ミツイ・マニュファクチュアリング(ホンコン)を設立
MACシステム(積層鉄芯金型内自動結束装置)を開発★★
ICリードフレームのめっき事業に参入★★
インターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立
商号を三井ハイテックに変更
IC組立事業に参入★★
福岡証券取引所に株式を上場
金型部品の外販を開始
三井電器を子会社化
型破りな社外監査役を招いた取締役会改革オーナー企業が、なぜ「耳に痛い」社外監査役に自社を律させたのか 詳細を読む★★★
荒川勇二氏を社外監査役に招聘
取締役会改革に着手★★
三井高科技(天津)有限公司を設立
三井高科技(広東)有限公司を設立
三井スタンピングを設立
坂上隆紀門司税関から特定輸出業者として認定
三井康誠Magnet Mold®の商標登録
三井康誠ミツイ・ハイテックを設立
三井康誠三井電器を吸収合併し阿蘇事業所に商号変更
三井康誠ポーランドにミツイ・ハイテック(ヨーロッパ)を設立
三井康誠岐阜事業所を開設
三井康誠東京証券取引所プライム市場へ移行
三井康誠ミツイ・ハイテック ノースアメリカを設立
三井康誠ミツイ・ハイテック ドイチュランドを設立
出典・参考

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