1879年〜 海運国家の損保として生まれ、ロンドンで一度折れる
- 1879年 東京海上保険会社を創業
- 1884年 船舶保険の営業開始
- 1891年 明治火災保険を設立
- 1914年 火災・運送・自動車の各保険の営業開始
- 1918年 東京海上火災保険に商号変更
- 1923年 関東大震災・地震免責条項問題
- 1944年 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で発足
渋沢栄一氏の主唱で生まれた日本初の保険会社
1878年12月、わが国最初の保険会社として東京海上保険会社が設立[1]され、翌1879年8月から貨物海上保険の引き受けを目的に営業を開始[2]した。近代海運業が勃興する時期の創業であり、渋沢栄一氏の主唱により、岩崎弥太郎氏をはじめとする旧藩主らが出資[3]した。資金の出どころは廃藩置県で旧藩主が受け取った金禄公債[4]で、当初は鉄道への投資が検討されたものの、鉄道は政府が担うと決まり、渋沢栄一氏が海上保険を勧めた[5]。社名は創業地の地名から取り、初代頭取には華族出身の政治家・蜂須賀茂韶氏が就いた[6]。頭取の座はその後も旧藩主が継ぎ、2代目は宇和島藩主の伊達宗城氏、3代目は岡山藩主の池田茂政氏[7]だった。
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [1]1878年12月 わが国最初の保険会社として設立
- [3]渋沢栄一の主唱・岩崎弥太郎ら旧藩主の出資
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [2]1879年8月 貨物海上保険の引き受けを目的に営業開始
- [6]初代頭取 蜂須賀茂韶(華族出身の政治家)
- 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
- [4]創業資金の出どころ 廃藩置県で旧藩主が受け取った金禄公債
- [5]鉄道投資案の断念と渋沢栄一の海上保険提案
- [7]2代目頭取 伊達宗城(宇和島藩主)・3代目頭取 池田茂政(岡山藩主)
創業の翌年には欧米へも営業網を広げ[8]、1884年2月には船舶保険の引き受けを開始[9]した。当初は順調に推移したものの、1890年以降のイギリスでの営業が巨額の損失を招いた[10]。現地の引き受けをブローカーに任せきりにしていた[11]ため、危険を選別して悪いリスクを断る仕組みを欠いたままロンドン市場に出ていた。立て直しののち、1899年以降はロンドン総代理店を開設[12]し、その子会社に火災保険の特約再保険取引を全面的に委託した。同社が創業から敗戦までに数えた経営危機は3度あり[13]、この英国での損失が最初のものだった。
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [8]創業翌年からの欧米への営業網拡大
- [9]1884年2月 船舶保険の引き受け開始
- [10]1890年以降 イギリスでの営業が巨額の損失
- 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
- [11]英国営業を現地ブローカーへ委ねた引受体制
- [13]創業から敗戦までの経営危機 3度(英国の損失・関東大震災・第2次大戦)
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [12]1899年以降 ロンドン総代理店の開設と火災保険特約再保険の全面委託
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [1]1878年12月 わが国最初の保険会社として設立
- [3]渋沢栄一の主唱・岩崎弥太郎ら旧藩主の出資
- [12]1899年以降 ロンドン総代理店の開設と火災保険特約再保険の全面委託
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [2]1879年8月 貨物海上保険の引き受けを目的に営業開始
- [6]初代頭取 蜂須賀茂韶(華族出身の政治家)
- [8]創業翌年からの欧米への営業網拡大
- [9]1884年2月 船舶保険の引き受け開始
- [10]1890年以降 イギリスでの営業が巨額の損失
- 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
- [4]創業資金の出どころ 廃藩置県で旧藩主が受け取った金禄公債
- [5]鉄道投資案の断念と渋沢栄一の海上保険提案
- [7]2代目頭取 伊達宗城(宇和島藩主)・3代目頭取 池田茂政(岡山藩主)
- [11]英国営業を現地ブローカーへ委ねた引受体制
- [13]創業から敗戦までの経営危機 3度(英国の損失・関東大震災・第2次大戦)
26歳の各務鎌吉氏をロンドンへ送った立て直し
1894年7月、東京海上は当時26歳の各務鎌吉氏をロンドンへ派遣[14]した。各務鎌吉氏は現地で契約内容を精査して引き受け方針を見直し[15]、会計方式の切り替えと半額減資を柱とする業務改革を献策[16]して、同社は窮地を脱した。あわせて日本で引き受けた貨物保険と船舶保険の特約再保険をロンドン市場で締結[17]し、国内で抱えた危険を英国市場へ移す道をつくった。割の合わない契約を断ることの重みは、ノーをいかにうまく言って断るかという教え[18]として後年の社員にまで伝わった。このころ考案されたロンドン・カバーと呼ばれる再保険特約は高い引受能力を可能にし[19]、その後のわが国海運界の発展に寄与した。
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [14]1894年7月 当時26歳の各務鎌吉をロンドンへ派遣
- [16]会計方式の切り替えと半額減資を柱とする業務改革
- [19]ロンドン・カバー(再保険特約)の考案と引受能力の拡大
- 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
- [15]契約内容の精査と引き受け方針の見直し
- [17]日本で引き受けた貨物保険・船舶保険の特約再保険をロンドン市場で締結
- 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
- [18]危険の選別を説いた各務鎌吉の教え「ノーをいかにうまく言って断るか」
各務鎌吉氏はのちに専務から会長へ進み[20]、業界団体の側からも保険制度の設計にあたった。1923年9月の関東大震災では、火災保険に付された地震免責条項の是非が政治問題となった[21]。当時大日本連合火災保険協会長の職にあった各務鎌吉専務の尽力で決着[22]したものの、損保各社は契約上支払う義務のない見舞金として保険金の1割を負担した[23]。住宅を対象に政府の再保険が付く地震保険の仕組みが整うのは戦後[24]であり、震災当時にその備えはなかった。この支出は各社の重荷として戦後まで尾を引き[25]、同社にとって2度目の経営危機となった。
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [20]各務鎌吉 のちに専務から会長へ
- [21]1923年 関東大震災で火災保険の地震免責条項が政治問題化
- [22]大日本連合火災保険協会長 各務鎌吉専務の尽力で決着
- 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
- [23]関東大震災で支払い義務のない見舞金として保険金の1割を負担
- [24]震災当時は住宅対象の政府再保険(地震保険)の仕組みがなかった
- [25]震災の見舞金負担が戦後まで尾を引いた(2度目の経営危機)
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [14]1894年7月 当時26歳の各務鎌吉をロンドンへ派遣
- [16]会計方式の切り替えと半額減資を柱とする業務改革
- [19]ロンドン・カバー(再保険特約)の考案と引受能力の拡大
- [20]各務鎌吉 のちに専務から会長へ
- [21]1923年 関東大震災で火災保険の地震免責条項が政治問題化
- [22]大日本連合火災保険協会長 各務鎌吉専務の尽力で決着
- 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
- [15]契約内容の精査と引き受け方針の見直し
- [17]日本で引き受けた貨物保険・船舶保険の特約再保険をロンドン市場で締結
- 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
- [18]危険の選別を説いた各務鎌吉の教え「ノーをいかにうまく言って断るか」
- [23]関東大震災で支払い義務のない見舞金として保険金の1割を負担
- [24]震災当時は住宅対象の政府再保険(地震保険)の仕組みがなかった
- [25]震災の見舞金負担が戦後まで尾を引いた(2度目の経営危機)
わが国初の自動車保険と1944年の3社合併
1914年、東京海上は火災・運送・自動車の各保険の営業を開始した[26]。自動車保険はわが国で初めての引き受け[27]であり、以後も各種の保険へ進出した。海上保険は第1次大戦を機に飛躍的に伸び、1918年には東京海上火災保険株式会社へ改称[28]した。海外では1911年にアメリカで本格的な営業を始め、イギリスとイタリアの保険会社と提携[29]して世界各地で営業した。新種保険でも1936年に航空保険、1938年に風水害保険の業務を開始[30]し、他社に先んじた。
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [26]1914年 火災・運送・自動車の各保険の営業開始(自動車保険はわが国初)
- [27]自動車保険はわが国初の引き受け
- [28]第1次大戦を機に海上保険が飛躍的発展・1918年 東京海上火災保険株式会社へ改称
- [29]1911年 アメリカで本格営業を開始・英伊の保険会社と提携
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [30]1936年 航空保険・1938年 風水害保険の業務開始
1944年3月、旧東京海上、明治火災、三菱海上の3社が合併し[31]、資本金6200万円で新生の東京海上火災保険株式会社が設立[32]された。明治火災は1891年に資本金15万円で設立された火災保険の専業会社[33]で、1929年まで火災保険だけを扱い[34]、1915年に旧東京海上が株式の90%を取得して傘下に入った[35]。合併時、旧東京海上は明治火災株の98%を所有している[36]。三菱海上は1913年に三菱合資会社内へ設けられた保険課を源流とし、1919年3月にこれを分離独立させて資本金500万円で設立[37]されたもので、旧東京海上が総発行株数の99.4%を握っていた[38]。太平洋戦争の開戦後は欧米での営業活動が全面的に停止[39]し、第2次大戦でその海外営業網を一挙に失った。
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [31]1944年3月 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で東京海上火災保険が設立
- [32]3社合併時の資本金 6200万円
- [33]明治火災 1891年設立・資本金15万円の火災保険専業会社
- [35]1915年 旧東京海上が明治火災株の90%を取得・合併時は98%を所有
- [36]合併時 旧東京海上の明治火災株保有比率 98%
- [37]三菱海上 1913年設置の三菱合資会社保険課を源流とし1919年3月に分離独立・資本金500万円
- [38]旧東京海上が保有した三菱海上の総発行株数比率 99.4%
- [39]太平洋戦争開戦後の欧米営業停止と第2次大戦での海外営業網の喪失
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [34]明治火災は1929年まで火災保険専業
- 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [26]1914年 火災・運送・自動車の各保険の営業開始(自動車保険はわが国初)
- [27]自動車保険はわが国初の引き受け
- [28]第1次大戦を機に海上保険が飛躍的発展・1918年 東京海上火災保険株式会社へ改称
- [29]1911年 アメリカで本格営業を開始・英伊の保険会社と提携
- [34]明治火災は1929年まで火災保険専業
- 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
- [30]1936年 航空保険・1938年 風水害保険の業務開始
- [31]1944年3月 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で東京海上火災保険が設立
- [32]3社合併時の資本金 6200万円
- [33]明治火災 1891年設立・資本金15万円の火災保険専業会社
- [35]1915年 旧東京海上が明治火災株の90%を取得・合併時は98%を所有
- [36]合併時 旧東京海上の明治火災株保有比率 98%
- [37]三菱海上 1913年設置の三菱合資会社保険課を源流とし1919年3月に分離独立・資本金500万円
- [38]旧東京海上が保有した三菱海上の総発行株数比率 99.4%
- [39]太平洋戦争開戦後の欧米営業停止と第2次大戦での海外営業網の喪失