東京海上ホールディングス の歴史

更新:

創業

1879年

創業者

※東京海上火災保険+日動火災海上保険

創業地

東京都千代田区

直近売上高(2025/3)

84,401億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1894年に、26歳の各務鎌吉氏をロンドンへ送って立て直したのか
A 邦資本初の海上保険会社が陥った危機の根は、英系保険会社が長年かけて蓄えた統計とブローカー網であり、外から条件を交渉するだけでは解けず、運営手法そのものを現地で内部に取り込むほかなかった。1890年以降のイギリス事業で多額の損失を出し、創業から十年余で存続が危ぶまれた東京海上は、1894年7月に26歳の各務鎌吉氏を派遣し、会計方式の切り替えと半額減資で窮地を脱した。海外市場の壁に現地で学び直して応えるこの型が、後年のロンドン・ニューヨーク網の復旧や2000年代以降のM&Aにも引き継がれている
Q なぜ2004年に総合金融グループ構想を畳み、2008年から海外M&Aへ振り直したのか
A 生損保を束ねる総合金融グループの枠組みを整えたものの中身が揃わず、国内市場の成熟が見えるなかでは、業態を広げる代わりに地理を広げるほかに成長余地が残されていなかった。共栄火災と朝日生命がミレア構想から離脱し、2004年10月に東京海上日動火災保険へ統合して損保特化へ縮退した東京海上は、2008年12月の米フィラデルフィア約47億ドル、2015年10月の米HCC約75億ドルと、米国で異なる商品領域を一つずつ補完する買収を積み上げた。海外保険事業の利益は国内損保に肩を並べる規模へ伸びた
Q なぜ2024年に政策保有株式の全売却と自己株式取得へ踏み込んだのか
A 損保各社が企業向け保険料を事前に調整していた問題で、金融庁は株式の持ち合いを通じた取引先とのもたれ合いが不正の温床になったとみて、政策保有株が公正な競争をゆがめたと指摘した。2023年12月の業務改善命令を受け、2024年2月には政策保有株の売却加速も求められるなか、東京海上は2024年5月に政策保有株のゼロ化を掲げ、3.5兆円規模を2030年3月末までに売り切る方針を示した。売却で生む資金は機動的な自己株式取得に充て、買収で膨らんだ資本を規律ある配分で株主へ戻す経営へ移した

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1879年〜 海運国家の損保として生まれ、ロンドンで一度折れる

  1. 1879年 東京海上保険会社を創業
  2. 1884年 船舶保険の営業開始
  3. 1891年 明治火災保険を設立
  4. 1914年 火災・運送・自動車の各保険の営業開始
  5. 1918年 東京海上火災保険に商号変更
  6. 1923年 関東大震災・地震免責条項問題
  7. 1944年 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で発足

渋沢栄一氏の主唱で生まれた日本初の保険会社

1878年12月、わが国最初の保険会社として東京海上保険会社が設立[1]され、翌1879年8月から貨物海上保険の引き受けを目的に営業を開始[2]した。近代海運業が勃興する時期の創業であり、渋沢栄一氏の主唱により、岩崎弥太郎氏をはじめとする旧藩主らが出資[3]した。資金の出どころは廃藩置県で旧藩主が受け取った金禄公債[4]で、当初は鉄道への投資が検討されたものの、鉄道は政府が担うと決まり、渋沢栄一氏が海上保険を勧めた[5]。社名は創業地の地名から取り、初代頭取には華族出身の政治家・蜂須賀茂韶氏が就いた[6]。頭取の座はその後も旧藩主が継ぎ、2代目は宇和島藩主の伊達宗城氏、3代目は岡山藩主の池田茂政氏[7]だった。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1878年12月 わが国最初の保険会社として設立
    • [3]渋沢栄一の主唱・岩崎弥太郎ら旧藩主の出資
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [2]1879年8月 貨物海上保険の引き受けを目的に営業開始
    • [6]初代頭取 蜂須賀茂韶(華族出身の政治家)
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [4]創業資金の出どころ 廃藩置県で旧藩主が受け取った金禄公債
    • [5]鉄道投資案の断念と渋沢栄一の海上保険提案
    • [7]2代目頭取 伊達宗城(宇和島藩主)・3代目頭取 池田茂政(岡山藩主)

創業の翌年には欧米へも営業網を広げ[8]、1884年2月には船舶保険の引き受けを開始[9]した。当初は順調に推移したものの、1890年以降のイギリスでの営業が巨額の損失を招いた[10]。現地の引き受けをブローカーに任せきりにしていた[11]ため、危険を選別して悪いリスクを断る仕組みを欠いたままロンドン市場に出ていた。立て直しののち、1899年以降はロンドン総代理店を開設[12]し、その子会社に火災保険の特約再保険取引を全面的に委託した。同社が創業から敗戦までに数えた経営危機は3度あり[13]、この英国での損失が最初のものだった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [8]創業翌年からの欧米への営業網拡大
    • [9]1884年2月 船舶保険の引き受け開始
    • [10]1890年以降 イギリスでの営業が巨額の損失
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [11]英国営業を現地ブローカーへ委ねた引受体制
    • [13]創業から敗戦までの経営危機 3度(英国の損失・関東大震災・第2次大戦)
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]1899年以降 ロンドン総代理店の開設と火災保険特約再保険の全面委託
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]1878年12月 わが国最初の保険会社として設立
    • [3]渋沢栄一の主唱・岩崎弥太郎ら旧藩主の出資
    • [12]1899年以降 ロンドン総代理店の開設と火災保険特約再保険の全面委託
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [2]1879年8月 貨物海上保険の引き受けを目的に営業開始
    • [6]初代頭取 蜂須賀茂韶(華族出身の政治家)
    • [8]創業翌年からの欧米への営業網拡大
    • [9]1884年2月 船舶保険の引き受け開始
    • [10]1890年以降 イギリスでの営業が巨額の損失
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [4]創業資金の出どころ 廃藩置県で旧藩主が受け取った金禄公債
    • [5]鉄道投資案の断念と渋沢栄一の海上保険提案
    • [7]2代目頭取 伊達宗城(宇和島藩主)・3代目頭取 池田茂政(岡山藩主)
    • [11]英国営業を現地ブローカーへ委ねた引受体制
    • [13]創業から敗戦までの経営危機 3度(英国の損失・関東大震災・第2次大戦)

26歳の各務鎌吉氏をロンドンへ送った立て直し

1894年7月、東京海上は当時26歳の各務鎌吉氏をロンドンへ派遣[14]した。各務鎌吉氏は現地で契約内容を精査して引き受け方針を見直し[15]、会計方式の切り替えと半額減資を柱とする業務改革を献策[16]して、同社は窮地を脱した。あわせて日本で引き受けた貨物保険と船舶保険の特約再保険をロンドン市場で締結[17]し、国内で抱えた危険を英国市場へ移す道をつくった。割の合わない契約を断ることの重みは、ノーをいかにうまく言って断るかという教え[18]として後年の社員にまで伝わった。このころ考案されたロンドン・カバーと呼ばれる再保険特約は高い引受能力を可能にし[19]、その後のわが国海運界の発展に寄与した。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [14]1894年7月 当時26歳の各務鎌吉をロンドンへ派遣
    • [16]会計方式の切り替えと半額減資を柱とする業務改革
    • [19]ロンドン・カバー(再保険特約)の考案と引受能力の拡大
  • 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
    • [15]契約内容の精査と引き受け方針の見直し
    • [17]日本で引き受けた貨物保険・船舶保険の特約再保険をロンドン市場で締結
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [18]危険の選別を説いた各務鎌吉の教え「ノーをいかにうまく言って断るか」

各務鎌吉氏はのちに専務から会長へ進み[20]、業界団体の側からも保険制度の設計にあたった。1923年9月の関東大震災では、火災保険に付された地震免責条項の是非が政治問題となった[21]。当時大日本連合火災保険協会長の職にあった各務鎌吉専務の尽力で決着[22]したものの、損保各社は契約上支払う義務のない見舞金として保険金の1割を負担した[23]。住宅を対象に政府の再保険が付く地震保険の仕組みが整うのは戦後[24]であり、震災当時にその備えはなかった。この支出は各社の重荷として戦後まで尾を引き[25]、同社にとって2度目の経営危機となった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [20]各務鎌吉 のちに専務から会長へ
    • [21]1923年 関東大震災で火災保険の地震免責条項が政治問題化
    • [22]大日本連合火災保険協会長 各務鎌吉専務の尽力で決着
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [23]関東大震災で支払い義務のない見舞金として保険金の1割を負担
    • [24]震災当時は住宅対象の政府再保険(地震保険)の仕組みがなかった
    • [25]震災の見舞金負担が戦後まで尾を引いた(2度目の経営危機)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [14]1894年7月 当時26歳の各務鎌吉をロンドンへ派遣
    • [16]会計方式の切り替えと半額減資を柱とする業務改革
    • [19]ロンドン・カバー(再保険特約)の考案と引受能力の拡大
    • [20]各務鎌吉 のちに専務から会長へ
    • [21]1923年 関東大震災で火災保険の地震免責条項が政治問題化
    • [22]大日本連合火災保険協会長 各務鎌吉専務の尽力で決着
  • 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
    • [15]契約内容の精査と引き受け方針の見直し
    • [17]日本で引き受けた貨物保険・船舶保険の特約再保険をロンドン市場で締結
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [18]危険の選別を説いた各務鎌吉の教え「ノーをいかにうまく言って断るか」
    • [23]関東大震災で支払い義務のない見舞金として保険金の1割を負担
    • [24]震災当時は住宅対象の政府再保険(地震保険)の仕組みがなかった
    • [25]震災の見舞金負担が戦後まで尾を引いた(2度目の経営危機)

わが国初の自動車保険と1944年の3社合併

1914年、東京海上は火災・運送・自動車の各保険の営業を開始した[26]。自動車保険はわが国で初めての引き受け[27]であり、以後も各種の保険へ進出した。海上保険は第1次大戦を機に飛躍的に伸び、1918年には東京海上火災保険株式会社へ改称[28]した。海外では1911年にアメリカで本格的な営業を始め、イギリスとイタリアの保険会社と提携[29]して世界各地で営業した。新種保険でも1936年に航空保険、1938年に風水害保険の業務を開始[30]し、他社に先んじた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [26]1914年 火災・運送・自動車の各保険の営業開始(自動車保険はわが国初)
    • [27]自動車保険はわが国初の引き受け
    • [28]第1次大戦を機に海上保険が飛躍的発展・1918年 東京海上火災保険株式会社へ改称
    • [29]1911年 アメリカで本格営業を開始・英伊の保険会社と提携
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [30]1936年 航空保険・1938年 風水害保険の業務開始

1944年3月、旧東京海上、明治火災、三菱海上の3社が合併し[31]、資本金6200万円で新生の東京海上火災保険株式会社が設立[32]された。明治火災は1891年に資本金15万円で設立された火災保険の専業会社[33]で、1929年まで火災保険だけを扱い[34]、1915年に旧東京海上が株式の90%を取得して傘下に入った[35]。合併時、旧東京海上は明治火災株の98%を所有している[36]。三菱海上は1913年に三菱合資会社内へ設けられた保険課を源流とし、1919年3月にこれを分離独立させて資本金500万円で設立[37]されたもので、旧東京海上が総発行株数の99.4%を握っていた[38]。太平洋戦争の開戦後は欧米での営業活動が全面的に停止[39]し、第2次大戦でその海外営業網を一挙に失った。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [31]1944年3月 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で東京海上火災保険が設立
    • [32]3社合併時の資本金 6200万円
    • [33]明治火災 1891年設立・資本金15万円の火災保険専業会社
    • [35]1915年 旧東京海上が明治火災株の90%を取得・合併時は98%を所有
    • [36]合併時 旧東京海上の明治火災株保有比率 98%
    • [37]三菱海上 1913年設置の三菱合資会社保険課を源流とし1919年3月に分離独立・資本金500万円
    • [38]旧東京海上が保有した三菱海上の総発行株数比率 99.4%
    • [39]太平洋戦争開戦後の欧米営業停止と第2次大戦での海外営業網の喪失
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [34]明治火災は1929年まで火災保険専業
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [26]1914年 火災・運送・自動車の各保険の営業開始(自動車保険はわが国初)
    • [27]自動車保険はわが国初の引き受け
    • [28]第1次大戦を機に海上保険が飛躍的発展・1918年 東京海上火災保険株式会社へ改称
    • [29]1911年 アメリカで本格営業を開始・英伊の保険会社と提携
    • [34]明治火災は1929年まで火災保険専業
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [30]1936年 航空保険・1938年 風水害保険の業務開始
    • [31]1944年3月 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で東京海上火災保険が設立
    • [32]3社合併時の資本金 6200万円
    • [33]明治火災 1891年設立・資本金15万円の火災保険専業会社
    • [35]1915年 旧東京海上が明治火災株の90%を取得・合併時は98%を所有
    • [36]合併時 旧東京海上の明治火災株保有比率 98%
    • [37]三菱海上 1913年設置の三菱合資会社保険課を源流とし1919年3月に分離独立・資本金500万円
    • [38]旧東京海上が保有した三菱海上の総発行株数比率 99.4%
    • [39]太平洋戦争開戦後の欧米営業停止と第2次大戦での海外営業網の喪失

1944年〜 海外網ゼロからの再出発と護送船団下の独走

東京海上ホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1944年 旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で発足
  2. 1945年 終戦により海外営業網と在外資産を一切喪失
  3. 1949年 東京証券取引所に株式を上場
  4. 1955年 自賠責保険の営業開始
  5. 1956年 米国元受営業を再開(欧州は5月)
  6. 1969年 積立保険(長期総合保険)の発売
  7. 1974年 業界初の自動車保険オンラインシステム稼働

在外資産の喪失と戦後のゼロからの再出発

1944年3月に発足した新会社にとって、1945年8月の終戦がもたらした打撃[40]はきわめて大きく、契約の激減と損害率の悪化に加え、在外資産の喪失、本社ビルの接収、公職追放、優良持株の放出が重なった[41]。戦前の同社は資産を米国・英国・日本へ3分の1ずつ分けて置いていたが、当時の価格で50億円ほどあった英米の財産は没収[42]され、戻らなかった。合併時の資本金6200万円に対し失われた資産はその大半にあたり、戦後はゼロからの再出発となった[43]。1947年には火災保険料率が引き上げられ[44]、経済復興を背景に業績は次第に好転した。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [40]1945年8月 第2次大戦の終結により一切の在外資産・海外営業網を喪失
    • [41]戦争による打撃 契約の激減・損害率の悪化・在外資産の喪失・本社ビルの接収・公職追放・優良持株の放出
    • [44]1947年 火災保険料率の引き上げ
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [42]戦前の資産配置 米国・英国・日本へ3分の1ずつ/没収された英米の財産 当時の価格で約50億円
    • [43]資産の大半を失い戦後はゼロから再スタート

1949年5月、東京証券取引所に株式を上場[45]した。1950年4月には外貨建貨物海上保険の営業を再開し、ロンドンとニューヨーク市場との再保険取引が復活[46]した。元受の海外営業が戻るのはさらに遅く、米国は1956年1月、欧州は同年5月だった[47]。戦前に築いた海外の営業網を組み直すには10年以上を要している[48]。国内では信用保険、労災保険、賠償責任保険といった新種保険の分野を相次いで開発[49]し、1959年に導入した電子計算機システムで事務の合理化を進めた[50]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [45]1949年5月 東京証券取引所に株式を上場
    • [46]1950年4月 外貨建貨物海上保険の営業再開とロンドン・ニューヨーク市場との再保険取引の復活
    • [47]1956年1月 米国元受営業を再開(欧州は同年5月)
    • [48]戦後10年以上を要した海外営業網の再建
    • [49]新種保険での信用保険・労災保険・賠償責任保険の開発
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [50]1959年 電子計算機システムの導入による事務合理化
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [40]1945年8月 第2次大戦の終結により一切の在外資産・海外営業網を喪失
    • [41]戦争による打撃 契約の激減・損害率の悪化・在外資産の喪失・本社ビルの接収・公職追放・優良持株の放出
    • [44]1947年 火災保険料率の引き上げ
    • [45]1949年5月 東京証券取引所に株式を上場
    • [46]1950年4月 外貨建貨物海上保険の営業再開とロンドン・ニューヨーク市場との再保険取引の復活
    • [47]1956年1月 米国元受営業を再開(欧州は同年5月)
    • [48]戦後10年以上を要した海外営業網の再建
    • [49]新種保険での信用保険・労災保険・賠償責任保険の開発
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [42]戦前の資産配置 米国・英国・日本へ3分の1ずつ/没収された英米の財産 当時の価格で約50億円
    • [43]資産の大半を失い戦後はゼロから再スタート
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [50]1959年 電子計算機システムの導入による事務合理化

海上49%・火災42%から自動車・自賠責へ

1955年12月、強制保険である自賠責保険の営業を開始[51]した。高度成長期に入った1955年度から1970年度にかけて、元受保険料収入は99億円から1640億円へ、15年間で16.6倍に伸びている[52]。種目別の構成比は1955年度の海上49%・火災42%から、1970年度には自賠責30%・自動車23%へ入れ替わった[53]。モータリゼーションの進展とともに自賠責と任意の自動車保険が急速に増え[54]、主力種目は海から陸へ移った。反面、この2種目はいずれも高い損害率に悩まされた[55]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [51]1955年12月 自賠責保険(強制保険)の営業開始
    • [52]元受保険料収入 1955年度99億円→1970年度1640億円(15年で16.6倍)
    • [53]種目別構成比 1955年度 海上49%・火災42%/1970年度 自賠責30%・自動車23%
    • [54]モータリゼーションの進展による自賠責・任意自動車保険の急増と高い損害率
    • [55]両保険が抱えた高い損害率

交通事故の増加は引き受けの現場を直撃し、1967年には、かさむ保険金の支払いに耐えかねて任意の自動車保険の引き受けを断る保険会社が業界で相次いだ[56]。東京海上は1969年4月に補償へ貯蓄性を加えた長期保険である積立保険(長期総合保険)を発売[57]し、1974年2月には業界初の自動車保険オンライン・システムを実施[58]した。業況の伸びに合わせて新商品の開発と事務の機械化が進み、海外営業でも再保険取引に加えて元受営業が欧米や東南アジアで軌道に乗り始めた[59]。1960年代末の元受保険料収入は771億円に達し、元受ベースの市場占有率は20%を超えている[60]

  • 読売新聞 1967年6月22日「自動車保険はごめん・損保業界」
    • [56]1967年 交通戦争の激化で任意自動車保険の引き受けを断る損保が相次ぐ
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [57]1969年4月 積立保険(長期総合保険)の発売
    • [58]1974年2月 業界初の自動車保険オンライン・システムを実施
    • [59]新商品開発・事務機械化の進展と欧米・東南アジアでの元受営業の軌道化
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [60]1960年代末の元受保険料収入 771億円・元受ベースの市場占有率20%超
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [51]1955年12月 自賠責保険(強制保険)の営業開始
    • [52]元受保険料収入 1955年度99億円→1970年度1640億円(15年で16.6倍)
    • [53]種目別構成比 1955年度 海上49%・火災42%/1970年度 自賠責30%・自動車23%
    • [54]モータリゼーションの進展による自賠責・任意自動車保険の急増と高い損害率
    • [55]両保険が抱えた高い損害率
    • [57]1969年4月 積立保険(長期総合保険)の発売
    • [58]1974年2月 業界初の自動車保険オンライン・システムを実施
    • [59]新商品開発・事務機械化の進展と欧米・東南アジアでの元受営業の軌道化
  • 読売新聞 1967年6月22日「自動車保険はごめん・損保業界」
    • [56]1967年 交通戦争の激化で任意自動車保険の引き受けを断る損保が相次ぐ
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [60]1960年代末の元受保険料収入 771億円・元受ベースの市場占有率20%超

護送船団行政が支えた独走と、大衆保険という弱点

1974年度の正味保険料は東京海上が2326億円、第2位の安田火災海上保険が1734億円、第3位の大正海上火災保険が1165億円[61]で、下位2社を合わせてようやく東京海上に並ぶ規模だった。差は利益でさらに開き、同年度の利益金は東京海上145億円に対して安田54億円・大正49億円[62]、総資産は5725億円に対して3785億円・2603億円[63]である。もっとも正味保険料の業界シェアで見ると1959年度の16.8%から1974年度の15.6%へ1ポイント低下[64]しており、規模の格差ほどには動いていない。損害保険業界には1位はあっても2、3位はないと言われた序列[65]は、10年近く変わらなかった。

  • 日経ビジネス 1975年12月22日号「東京海上火災保険 保護行政にあった独走の秘密」(日経BP)
    • [61]1974年度の正味保険料 東京海上2326億円・安田火災1734億円・大正海上1165億円
    • [62]1974年度の利益金 東京海上145億円・安田54億円・大正49億円
    • [63]1974年度の総資産 東京海上5725億円・安田3785億円・大正2603億円
    • [64]正味保険料の業界シェア 1959年度16.8%→1974年度15.6%
    • [65]業界での序列を語った言葉「1位はあっても2、3位はない」

独走を支えた条件のひとつが大蔵省の保護行政で、保険業は大蔵大臣の免許事業であり、過去25年にわたって新規参入は一切認められなかった[66]。保険料率は損害保険料率算定会などが算定して大蔵大臣の認可を受け、体力の劣る会社でもやっていける水準[67]に置かれた。船舶保険や航空保険では会社間の協定が認められ、共同保険や保険プールによる危険分散が可能で、プールの配分は各社の保険料収入シェアに応じて決まるため、上位ほど自動的に多くの保険を獲得[68]できた。業界団体である日本損害保険協会の会長職も、1986年に上位4社の輪番制になるまでの38年間のうち28年を東京海上が務めている[69]

  • 日経ビジネス 1975年12月22日号「東京海上火災保険 保護行政にあった独走の秘密」(日経BP)
    • [66]保険業は大蔵大臣の免許事業・過去25年にわたり新規参入を認めず
    • [67]保険料率は算定会が算定し大蔵大臣が認可・体力の劣る会社に合わせた水準
    • [68]共同保険・保険プールの配分がシェア比例で決まり上位ほど有利
  • 日経ビジネス 1990年9月24日号「東京海上火災保険 中小地盤まで食い荒らす、王者に焦り?」(日経BP)
    • [69]日本損害保険協会の会長職 輪番制になる1986年までの38年間のうち28年を東京海上が担当

強さの裏で弱点は大衆保険にあり、企業保険では1件あたりの契約が大きく経費率で有利に立てるのに対し、個人向けの大衆保険は1件が小さくコストがかかった[70]。東京海上の社員はエリート然として大衆相手の商売に向かないとしばしば指摘され[71]、この体質を改めない限り成長分野で苦戦は避けられないとみられていた。1974年度の正味保険料の構成比は自動車27.1%、火災24.1%、船舶・積み荷運送23.2%、自賠責と新種が各12.8%[72]で、大衆向けの種目はすでに過半を占めている。菊池稔社長は新商品の開発を大いに進め、何でも保険で応じる形で大衆のニーズに応えたい[73]と述べた。

  • 日経ビジネス 1975年12月22日号「東京海上火災保険 保護行政にあった独走の秘密」(日経BP)
    • [70]企業保険は1件あたりのロットが大きく経費率で有利・大衆保険は1件が小さくコスト増
    • [71]大衆保険での苦戦を招くとされたエリート体質
    • [72]1974年度の正味保険料構成比 自動車27.1%・火災24.1%・船舶積み荷運送23.2%・自賠責12.8%・新種12.8%
    • [73]菊池稔社長の方針 新商品開発による大衆ニーズへの対応
  • 日経ビジネス 1975年12月22日号「東京海上火災保険 保護行政にあった独走の秘密」(日経BP)
    • [61]1974年度の正味保険料 東京海上2326億円・安田火災1734億円・大正海上1165億円
    • [62]1974年度の利益金 東京海上145億円・安田54億円・大正49億円
    • [63]1974年度の総資産 東京海上5725億円・安田3785億円・大正2603億円
    • [64]正味保険料の業界シェア 1959年度16.8%→1974年度15.6%
    • [65]業界での序列を語った言葉「1位はあっても2、3位はない」
    • [66]保険業は大蔵大臣の免許事業・過去25年にわたり新規参入を認めず
    • [67]保険料率は算定会が算定し大蔵大臣が認可・体力の劣る会社に合わせた水準
    • [68]共同保険・保険プールの配分がシェア比例で決まり上位ほど有利
    • [70]企業保険は1件あたりのロットが大きく経費率で有利・大衆保険は1件が小さくコスト増
    • [71]大衆保険での苦戦を招くとされたエリート体質
    • [72]1974年度の正味保険料構成比 自動車27.1%・火災24.1%・船舶積み荷運送23.2%・自賠責12.8%・新種12.8%
    • [73]菊池稔社長の方針 新商品開発による大衆ニーズへの対応
  • 日経ビジネス 1990年9月24日号「東京海上火災保険 中小地盤まで食い荒らす、王者に焦り?」(日経BP)
    • [69]日本損害保険協会の会長職 輪番制になる1986年までの38年間のうち28年を東京海上が担当

1975年〜 創業100年の世界一構想と、料率自由化への対応

東京海上ホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1979年 創業100周年。保険料収入5500億円達成
  2. 1985年 「積立特約」の認可取得
  3. 1986年 保険料ベースで世界ベストスリー入り
  4. 1988年 第3次オンラインの本格稼働
  5. 1995年 新中期経営計画IC-95開始
  6. 1998年 料率完全自由化への対応と「代理店との共存」 護送船団行政のもとで約8万の代理店網を築いた業界首位の東京海上は、1998年の料率完全自由化にどう身構えたか
  7. 2002年 東京海上火災と日動火災の経営統合とミレアホールディングス設立(2002年成立・国内初の上場保険持株会社) なぜ生損保を束ねる総合金融グループ構想は縮退し、国内初の上場保険持株会社が生まれたのか?

渡辺文夫氏が掲げたワールドマリン

1977年から1979年にかけて経営体質強化計画を進め、創業100周年にあたる1979年度に保険料収入5500億円とマーケットシェア1ポイント上積みの目標を達成[74]した。1977年4月にはGoGo作戦と名づけた社内運動[75]を始めている。1978年に社長へ就いた渡辺文夫氏は14代目[76]にあたり、1977年度の実績で保険料は米オールステートを首位とする世界6位、純資産は米ステートファームに次ぐ世界2位[77]だと数え上げた。渡辺文夫氏は保険料だけでなく質と純資産でも世界一を目指すと語り、名実ともに世界一になるのは西暦2000年ごろだと見通している[78]。1979年10月時点の資産は1兆円に達し、海外は30カ国48カ所に拠点を構えて駐在員60〜70人と現地採用900人[79]を抱えていた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [74]1977〜79年 経営体質強化計画/1979年度 保険料収入5500億円・シェア1%アップの目標達成
    • [75]1977年4月 GoGo作戦の開始
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [76]1978年 社長就任の渡辺文夫は14代目
    • [77]1977年度実績 保険料は世界6位(首位は米オールステート)・純資産は世界2位(首位は米ステートファーム)
    • [78]渡辺文夫の目標 保険料・質・純資産での世界一/達成時期は西暦2000年ごろ
    • [79]1979年10月時点の資産1兆円/海外30カ国48カ所・駐在員60〜70人・現地採用900人

1980年、1985年、1990年と3回にわたって3〜5年の中期経営計画を実施し、1982年からは経営体質改善のための社内運動[80]を続けた。商品では1969年4月に発売した積立保険が伸び、1985年9月に認可を取得した積立特約が積立分野の決定版として注目を集めた[81]。積立保険は補償に貯蓄性を加えた長期保険であり、個人資産の増大とともに急成長している[82]。1990年度の元受保険料は1兆5501億円と20年間で9.5倍になり、構成比は積立30%・自動車28%[83]へ変わった。保険料ベースの国際比較では1986年以来、世界のベストスリーに数えられた[84]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [80]1980・85・90年の中期経営計画と1982年以降の社内運動
    • [81]1985年9月 積立特約の認可取得(積立分野の決定版として注目)
    • [82]積立保険は補償に貯蓄性を加えた長期保険で個人資産の増大とともに急成長
    • [83]1990年度の元受保険料1兆5501億円(20年で9.5倍)・構成比は積立30%/自動車28%
    • [84]1986年以来 保険料ベースで世界のベストスリー
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [74]1977〜79年 経営体質強化計画/1979年度 保険料収入5500億円・シェア1%アップの目標達成
    • [75]1977年4月 GoGo作戦の開始
    • [80]1980・85・90年の中期経営計画と1982年以降の社内運動
    • [81]1985年9月 積立特約の認可取得(積立分野の決定版として注目)
    • [82]積立保険は補償に貯蓄性を加えた長期保険で個人資産の増大とともに急成長
    • [83]1990年度の元受保険料1兆5501億円(20年で9.5倍)・構成比は積立30%/自動車28%
    • [84]1986年以来 保険料ベースで世界のベストスリー
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
    • [76]1978年 社長就任の渡辺文夫は14代目
    • [77]1977年度実績 保険料は世界6位(首位は米オールステート)・純資産は世界2位(首位は米ステートファーム)
    • [78]渡辺文夫の目標 保険料・質・純資産での世界一/達成時期は西暦2000年ごろ
    • [79]1979年10月時点の資産1兆円/海外30カ国48カ所・駐在員60〜70人・現地採用900人

首都圏リテールの弱さと代理店網の膨張

1990年3月末の総資産は4兆1556億円で、第2位の安田火災の3兆1674億円[85]を引き離していた。正味収入保険料は9246億円対6820億円、元受正味保険料の市場占有率は18.3%対14.7%[86]である。ところが個人・家計分野に限ると両社のシェアは拮抗し、1990年3月末の県別リテール順位で東京は3位、千葉と埼玉は2位、神奈川も2位[87]と、最も重要な首都圏で首位を取れていなかった。26県で首位を確保しながら、残る県では2位か3位[88]にとどまっている。1988年上半期には海上部門を除く保険料で安田火災に抜かれ、通年では僅差で首位を守った[89]

  • 日経ビジネス 1990年9月24日号「東京海上火災保険 中小地盤まで食い荒らす、王者に焦り?」(日経BP)
    • [85]1990年3月末の総資産 東京海上4兆1556億円・安田火災3兆1674億円
    • [86]正味収入保険料 東京海上9246億円・安田火災6820億円/元受正味保険料の市場占有率18.3%対14.7%
    • [87]1990年3月末の県別リテールシェア順位 東京3位・千葉2位・埼玉2位・神奈川2位
    • [88]26県で首位・残る県では2〜3位
    • [89]1988年上半期 海上部門を除く保険料で安田火災に首位を奪われ通年では僅差で維持

積立型保険の伸びで保険料収入に占める個人・家計分野の割合が9割近くに達し[90]、リテールの弱さは放置できなくなった。東京海上は1990年6月1日に5年ぶりの機構改革を実施し、県本部制を敷いて市場規模の大きい12支店を本部へ格上げし、本社内に東京本部を新設[91]した。県本部長の裁量で認められる保険金の支払額は従来の3倍強へ引き上げられ[92]、個人契約はほとんどの場合、本社に相談しなくても県本部で決められるようになった。代理店の数でも競争は激しく、1983年に1万店以上あった安田火災との差は1986年に逆転され、1989年時点で東京海上75,143店・安田火災75,726店[93]と並んでいる。両社とも毎年6000〜7000店のペースで代理店を増やし続けた[94]

  • 日経ビジネス 1990年9月24日号「東京海上火災保険 中小地盤まで食い荒らす、王者に焦り?」(日経BP)
    • [90]積立型保険の伸びで保険料収入に占める個人・家計分野の割合が9割近くへ
    • [91]1990年6月1日 5年ぶりの機構改革・県本部制・12支店の本部格上げ・東京本部の新設
    • [92]県本部長裁量の保険金支払額を従来の3倍強へ拡大
    • [93]代理店数 1989年時点 東京海上75,143店・安田火災75,726店/1986年に逆転
    • [94]両社の代理店増設ペース 毎年6000〜7000店
  • 日経ビジネス 1990年9月24日号「東京海上火災保険 中小地盤まで食い荒らす、王者に焦り?」(日経BP)
    • [85]1990年3月末の総資産 東京海上4兆1556億円・安田火災3兆1674億円
    • [86]正味収入保険料 東京海上9246億円・安田火災6820億円/元受正味保険料の市場占有率18.3%対14.7%
    • [87]1990年3月末の県別リテールシェア順位 東京3位・千葉2位・埼玉2位・神奈川2位
    • [88]26県で首位・残る県では2〜3位
    • [89]1988年上半期 海上部門を除く保険料で安田火災に首位を奪われ通年では僅差で維持
    • [90]積立型保険の伸びで保険料収入に占める個人・家計分野の割合が9割近くへ
    • [91]1990年6月1日 5年ぶりの機構改革・県本部制・12支店の本部格上げ・東京本部の新設
    • [92]県本部長裁量の保険金支払額を従来の3倍強へ拡大
    • [93]代理店数 1989年時点 東京海上75,143店・安田火災75,726店/1986年に逆転
    • [94]両社の代理店増設ペース 毎年6000〜7000店

料率自由化と国内初の上場保険持株会社

1993年4月、新中期経営計画IC-95を開始[95]した。1995年時点で正味保険料の業界シェアは18%に達し、海上保険をはじめとする企業保険に強みを持つ三菱系損保として首位[96]を占めている。同年7月現在の海外駐在は世界49都市137人[97]だった。1995年6月に改正保険業法が公布[98]され、事業環境の変化が予測されるなかで計画は最終年度を迎えた。1996年5月には米AIUが傷害保険の料率改定について根拠が不透明だとして蔵相へ異議を申し立て[99]、護送船団行政に正面から異を唱えた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [95]1993年4月 新中期経営計画IC-95の開始
    • [96]1995年時点の正味保険料シェア18%・企業保険に強みを持つ三菱系損保の首位
    • [97]1995年7月現在の海外駐在 世界49都市137人
    • [98]1995年6月 改正保険業法の公布
  • 日本経済新聞 1996年5月29日「米AIU、異議申し立て」
    • [99]1996年5月 米AIUが傷害保険の料率改定へ異議申し立て

1996年12月、日米保険協議が決着し、損害保険料率を1998年7月までに完全自由化する方針が決まった[100]。1998年1月には企業向け保険が全面自由化されて大蔵省の事前認可が原則不要になり、同年7月から個人向けでも料率算定会料率の使用義務[101]がなくなった。先立つ1997年9月にはリスク細分型自動車保険が解禁され、米アメリカンホームが参入して条件次第で保険料が3割近く安くなっている[102]。規制の恩恵を最も受けてきた最大手ほど打撃は重く、1万4000人という業界最大の社員数が重荷になりかねなかった[103]樋口公啓社長は「東京海上だけで約8万もの代理店ができました」と語り、外資の通信販売と料率自由化のもとでこの販売網が弱みに転じかねないと認めたうえで、直販に走らず代理店との共存を選んだ[104]

  • 日本経済新聞 1996年12月15日「日米保険協議が決着」
    • [100]1996年12月 日米保険協議の決着・1998年7月までの料率完全自由化
  • 日経ビジネス 1998年3月16日号 No.932「東京海上火災保険 眠れる巨人が動き出した」(日経BP)
    • [101]1998年1月 企業向け保険の全面自由化(事前認可が原則不要)・同年7月 個人向けで料率算定会料率の使用義務が廃止
    • [102]1997年9月 リスク細分型自動車保険の解禁と米アメリカンホームの参入(保険料は条件次第で3割近く安い)
    • [103]業界最大の社員数1万4000人が自由化下の重荷になりかねなかった
  • 日経ビジネス 1998年8月3日号 No.952「直販はせず代理店と共存していく」(日経BP)
    • [104]樋口公啓社長の発言 約8万の代理店網が弱みに転じかねない/直販せず代理店との共存を選択

1996年、生損保の相互参入の解禁を受け、資本金300億円で東京海上あんしん生命保険を設立[105]した。2000年9月には東京海上・日動火災・朝日生命の3社が生損保を束ねる総合保険グループ構想を発表[106]し、2001年1月11日に新グループの名称をミレア保険グループと決めたと公表[107]している。ところが朝日生命との生命保険事業の統合は営業権の算定で折り合えず、2002年1月31日に見送りが発表された[108]。2002年4月、東京海上火災保険と日動火災海上保険は共同株式移転で完全親会社ミレアホールディングスを設立し、東京証券取引所と大阪証券取引所の各市場第一部に上場[109]した。国内初の上場保険持株会社であり、初代社長には東京海上出身の石原邦夫[110]が就いた。

  • 日経ビジネス 1998年3月16日号 No.932「東京海上火災保険 眠れる巨人が動き出した」(日経BP)
    • [105]1996年 資本金300億円で東京海上あんしん生命保険を設立(生損保相互参入の解禁)
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号 No.1128「朝日生命との統合見送り、なぜ? 混乱招いた東京海上の失態」(日経BP)
    • [106]2000年9月 東京海上・日動火災・朝日生命の3社が総合保険グループ構想を発表
    • [108]2002年1月31日 朝日生命との生命保険事業統合の見送りを発表(営業権の算定で不調)
    • [110]ミレアホールディングス初代社長 石原邦夫(東京海上出身)
  • Impress Watch 2001年1月11日「名称は『ミレア保険グループ』~経営統合の東京海上、朝日生命、日動火災」
    • [107]2001年1月11日 新グループ名称を「ミレア保険グループ」と公表
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2002年4月 共同株式移転で完全親会社ミレアホールディングスを設立・東証および大証の各市場第一部へ上場
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [95]1993年4月 新中期経営計画IC-95の開始
    • [96]1995年時点の正味保険料シェア18%・企業保険に強みを持つ三菱系損保の首位
    • [97]1995年7月現在の海外駐在 世界49都市137人
    • [98]1995年6月 改正保険業法の公布
  • 日本経済新聞 1996年5月29日「米AIU、異議申し立て」
    • [99]1996年5月 米AIUが傷害保険の料率改定へ異議申し立て
  • 日本経済新聞 1996年12月15日「日米保険協議が決着」
    • [100]1996年12月 日米保険協議の決着・1998年7月までの料率完全自由化
  • 日経ビジネス 1998年3月16日号 No.932「東京海上火災保険 眠れる巨人が動き出した」(日経BP)
    • [101]1998年1月 企業向け保険の全面自由化(事前認可が原則不要)・同年7月 個人向けで料率算定会料率の使用義務が廃止
    • [102]1997年9月 リスク細分型自動車保険の解禁と米アメリカンホームの参入(保険料は条件次第で3割近く安い)
    • [103]業界最大の社員数1万4000人が自由化下の重荷になりかねなかった
    • [105]1996年 資本金300億円で東京海上あんしん生命保険を設立(生損保相互参入の解禁)
  • 日経ビジネス 1998年8月3日号 No.952「直販はせず代理店と共存していく」(日経BP)
    • [104]樋口公啓社長の発言 約8万の代理店網が弱みに転じかねない/直販せず代理店との共存を選択
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号 No.1128「朝日生命との統合見送り、なぜ? 混乱招いた東京海上の失態」(日経BP)
    • [106]2000年9月 東京海上・日動火災・朝日生命の3社が総合保険グループ構想を発表
    • [108]2002年1月31日 朝日生命との生命保険事業統合の見送りを発表(営業権の算定で不調)
    • [110]ミレアホールディングス初代社長 石原邦夫(東京海上出身)
  • Impress Watch 2001年1月11日「名称は『ミレア保険グループ』~経営統合の東京海上、朝日生命、日動火災」
    • [107]2001年1月11日 新グループ名称を「ミレア保険グループ」と公表
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2002年4月 共同株式移転で完全親会社ミレアホールディングスを設立・東証および大証の各市場第一部へ上場

2002年〜 損保に絞ったグローバル化と、政策保有株ゼロへ

東京海上ホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2002年 東京海上火災と日動火災の経営統合とミレアホールディングス設立(2002年成立・国内初の上場保険持株会社) なぜ生損保を束ねる総合金融グループ構想は縮退し、国内初の上場保険持株会社が生まれたのか?
  2. 2004年 東京海上と日動火災が合併し東京海上日動火災保険が発足
  3. 2008年 Kiln Ltdを買収
  4. 2008年 東京海上HDに商号変更
  5. 2008年 Philadelphia Consolidated Holdingを買収
  6. 2015年 連続する海外M&Aと「海外で稼ぐ」グローバル損保への転換 国内損保市場が成熟するなか、成長をどこに求めたのか——リーマン危機下のフィラデルフィアから、過去最大級のHCC買収まで
  7. 2024年 政策保有株ゼロへ ── 損保の持ち合いを解く資本政策の転換 積年の持ち合いを、なぜ数年でゼロにするのか——カルテル問題を触媒にした資本政策の組み替え

縮退した構想、東京海上日動の発足、そして抜本改革

石原邦夫社長は就任後、朝日生命保険とのミレア統合を見送り、共栄火災海上保険のグループ入りも白紙撤回[111]した。生損保を束ねる総合保険グループの構想は2年で解け、ミレアは損保2社の統合の受け皿にとどまった[112]。2002年3月末の自己資本はミレアで2兆2800億円あったものの、株価下落で1年前より2480億円削られ[113]、M&Aに回せる余力は他律的に低下していた。グループ戦略を担当した森昭彦副社長は、AIGのようにとまではいかなくとも海外事業のウエートを高めることが課題だと述べ、同年にアジアへ中間持株会社を設立して中国・インド・ASEANへの進出を加速[114]した。

  • 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
    • [111]石原邦夫社長による朝日生命とのミレア統合見送りと共栄火災のグループ入り白紙撤回
  • 週刊東洋経済 2002年6月22日号「損害保険自由化時代への期待しぼみ 足元の基盤再強化に集中するミレアホールディングス」
    • [112]朝日生命との統合は実質破談とみなされ、ミレアは損保2社の枠組みへ縮退
    • [113]2002年3月末のミレアの自己資本2兆2800億円・1年前より2480億円減
    • [114]森昭彦副社長の発言 海外事業のウエートを高めることが課題/2002年のアジア中間持株会社設立と中国・インド・ASEANへの進出加速

2003年10月、子会社の東京海上あんしん生命保険と日動生命保険が合併し、東京海上日動あんしん生命保険へ商号を変更[115]した。2004年2月にはスカンディア生命保険の発行済全株式を取得し、同年4月に東京海上日動フィナンシャル生命保険へ商号を変更[116]している。2004年10月、東京海上火災保険と日動火災海上保険が合併して東京海上日動火災保険株式会社が発足[117]した。合併に先立つ2003年度には、4社が合併して生まれた損保ジャパンに自動車保険で初めて首位を明け渡した[118]。2006年4月には会社分割で日新火災海上保険の管理営業を承継し、同年9月に株式交換で同社を完全子会社[119]としている。

  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [115]2003年10月 東京海上あんしん生命と日動生命の合併・東京海上日動あんしん生命保険へ商号変更
    • [116]2004年2月 スカンディア生命保険の発行済全株式取得・同年4月 東京海上日動フィナンシャル生命保険へ商号変更
    • [117]2004年10月 東京海上火災保険と日動火災海上保険の合併で東京海上日動火災保険が発足
    • [119]2006年4月 会社分割で日新火災海上保険の管理営業を承継・同年9月 株式交換で完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
    • [118]2003年度 自動車保険で損保ジャパン(4社合併)に初めて首位を明け渡す

2003年12月の役員合宿で、ロンドン駐在から帰任してシステム担当役員に就いたばかりの隅修三常務が、事務プロセスとシステムの複雑さが業務を重くしていると訴え[120]、これが全社改革の口火となった。改革の途中で保険金の不払い問題が表面化し、2005年11月に業務改善命令、2007年3月には一部業務停止命令を受けている[121]。勘定系システムの根幹は業界初の全種目オンラインを完成させた1982年に作られたもので、車両保険の特約だけでもこの10年間で2種類から40種類へ[122]増えていた。抜本改革では商品と特約を減らし、保険料の支払い方法や解約方法、告知の仕方など個人向け保険に共通する部分を同じ規約へ一本化して認可を取得し、25年ぶりに勘定系を作り直す開発費用は機器を含まず600億円[123]に上った。代理店と募集人を含めて10万人を超える研修を経て、新代理店システムは2008年5月から本格稼働した[124]

  • 週刊東洋経済 2007年11月17日号「東京海上日動の抜本改革 10万人を巻き込む抜本改革 ゼロから創り直す。東京海上日動の挑戦」
    • [120]2003年12月の役員合宿で隅修三常務が事務プロセスとシステムの複雑さを訴え改革の口火を切る
    • [121]保険金不払い問題で2005年11月に業務改善命令・2007年3月に一部業務停止命令
    • [122]勘定系システムの根幹は業界初の全種目オンラインを完成させた1982年製・車両保険の特約は10年で2種類から40種類へ
    • [123]個人向け保険の共通条項一本化と勘定系再構築の開発費用600億円(機器を除く)
    • [124]代理店・募集人を含む研修対象10万人超・2008年5月 新代理店システムの本格稼働
  • 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
    • [111]石原邦夫社長による朝日生命とのミレア統合見送りと共栄火災のグループ入り白紙撤回
    • [118]2003年度 自動車保険で損保ジャパン(4社合併)に初めて首位を明け渡す
  • 週刊東洋経済 2002年6月22日号「損害保険自由化時代への期待しぼみ 足元の基盤再強化に集中するミレアホールディングス」
    • [112]朝日生命との統合は実質破談とみなされ、ミレアは損保2社の枠組みへ縮退
    • [113]2002年3月末のミレアの自己資本2兆2800億円・1年前より2480億円減
    • [114]森昭彦副社長の発言 海外事業のウエートを高めることが課題/2002年のアジア中間持株会社設立と中国・インド・ASEANへの進出加速
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [115]2003年10月 東京海上あんしん生命と日動生命の合併・東京海上日動あんしん生命保険へ商号変更
    • [116]2004年2月 スカンディア生命保険の発行済全株式取得・同年4月 東京海上日動フィナンシャル生命保険へ商号変更
    • [117]2004年10月 東京海上火災保険と日動火災海上保険の合併で東京海上日動火災保険が発足
    • [119]2006年4月 会社分割で日新火災海上保険の管理営業を承継・同年9月 株式交換で完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2007年11月17日号「東京海上日動の抜本改革 10万人を巻き込む抜本改革 ゼロから創り直す。東京海上日動の挑戦」
    • [120]2003年12月の役員合宿で隅修三常務が事務プロセスとシステムの複雑さを訴え改革の口火を切る
    • [121]保険金不払い問題で2005年11月に業務改善命令・2007年3月に一部業務停止命令
    • [122]勘定系システムの根幹は業界初の全種目オンラインを完成させた1982年製・車両保険の特約は10年で2種類から40種類へ
    • [123]個人向け保険の共通条項一本化と勘定系再構築の開発費用600億円(機器を除く)
    • [124]代理店・募集人を含む研修対象10万人超・2008年5月 新代理店システムの本格稼働

連続買収で進んだ海外で稼ぐ会社への転換

海外事業は2000年代の前半から積み上がり、2001年にサウジアラビアへイスラムの教義に沿ったタカフル事業会社を設立[125]し、2002年には欧州法人がフランスの現地企業向け事業へ進出して、2006年末には現地企業との契約割合が44%に達した[126]。2007年11月にはドバイ国際金融センターへ日本の損害保険会社として初めて現地法人を開設[127]している。修正利益に占める海外保険事業の割合は2004年3月期の4%から2007年3月期には17%へ上がり、2015年度までに20〜25%へ引き上げる計画[128]を掲げた。2008年3月には英ロイズ市場の保険グループKiln Ltdを買収し、ロイズ市場へ参入した。

  • 週刊東洋経済 2007年11月17日号「東京海上日動の抜本改革 海外編 目標は世界トップクラス入り」
    • [125]2001年 サウジアラビアにタカフル事業会社を設立
    • [126]2002年 欧州法人がフランスの現地企業向け事業へ進出・2006年末の現地企業との契約割合44%
    • [127]2007年11月 ドバイ国際金融センターに日本の損保として初の現地法人を開設
    • [128]修正利益に占める海外保険事業の割合 2004年3月期4%→2007年3月期17%/2015年度までに20〜25%を計画

2008年7月、ミレアホールディングスから東京海上ホールディングス株式会社へ商号を変更[129]した。同月23日には米フィラデルフィア・コンソリデーテッドを約47億ドル・4987億円で買収すると発表[130]し、米損保市場へ本格参入している。取得は同年12月に1株61.50ドルで完了[131]した。リーマン・ブラザーズの破綻直後という市況のもとで、2009年3月期の親会社株主に帰属する当期純利益は231億円と前期の1088億円から急減した[132]。それでも隅修三社長は2009年3月の取材で「エネルギーは内向きより外向きに拡大させていく」と述べ[133]、危機のさなかに海外を攻める路線を明示した。

  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [129]2008年7月 ミレアホールディングスから東京海上ホールディングスへ商号変更
  • Bloomberg 2008年7月23日「東京海上:フィラデルフィアを4987億円で買収――米損保に本格参入」
    • [130]2008年7月23日 米フィラデルフィアを約47億ドル・4987億円で買収すると発表
    • [131]2008年12月 1株61.50ドルでフィラデルフィアの取得完了
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書
    • [132]2009年3月期の親会社株主帰属当期純利益231億円(前期1088億円)
  • 週刊東洋経済 2009年3月28日号「エネルギーは内向きより外向きに拡大させていく」
    • [133]隅修三社長の発言「エネルギーは内向きより外向きに拡大させていく」(2009年3月)

2011年12月、米デルファイ・ファイナンシャル・グループを約26億6400万ドル・約2050億円で買収することに合意し、2012年5月に完了した[134]。2015年6月には米HCCインシュアランス・ホールディングスを1株78ドル・75億3000万ドル(約9400億円)で買収すると発表[135]し、同年10月に取得している。円ベースの買収額は日本の金融機関による海外M&Aとして過去最大級であり、米国全州・英国・スペインなどで事業を持つスペシャルティ保険グループが加わった[136]。2019年10月には富裕層向けに特化した米PUREを約31億ドル・約3255億円で取得すると発表し、2020年2月に完了した[137]。2025年3月期の経常収益は日本4兆3520億円に対し米国2兆9948億円、その他1兆6124億円[138]で、海外が国内に迫る規模へ育っている。

  • 日本経済新聞 2011年12月21日「東京海上HD、米保険デルファイを2000億円で買収」
    • [134]2011年12月 米デルファイ・ファイナンシャル・グループを約26億6400万ドル・約2050億円で買収合意(2012年5月完了)
  • 日本経済新聞 2015年6月10日「東京海上、9400億円で米保険を買収 海外事業を強化」
    • [135]2015年6月10日 米HCCを1株78ドル・75億3000万ドル(約9400億円)で買収発表
  • 東京海上ホールディングス「米国スペシャルティ保険グループ HCCインシュアランス・ホールディングス社 買収について」(2015年6月10日, IR説明資料)
    • [136]HCCは米国全州・英国・スペイン等で事業展開するスペシャルティ保険グループ
  • 東京海上ホールディングス「米国保険グループPrivilege Underwriters, Inc.の買収について」(2019年10月3日)
    • [137]2019年10月3日発表・2020年2月完了 米PUREを約31億ドル・約3255億円で取得(富裕層向け)
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [138]2025年3月期の地域別経常収益 日本4兆3520億円・米国2兆9948億円・その他1兆6124億円
  • 週刊東洋経済 2007年11月17日号「東京海上日動の抜本改革 海外編 目標は世界トップクラス入り」
    • [125]2001年 サウジアラビアにタカフル事業会社を設立
    • [126]2002年 欧州法人がフランスの現地企業向け事業へ進出・2006年末の現地企業との契約割合44%
    • [127]2007年11月 ドバイ国際金融センターに日本の損保として初の現地法人を開設
    • [128]修正利益に占める海外保険事業の割合 2004年3月期4%→2007年3月期17%/2015年度までに20〜25%を計画
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [129]2008年7月 ミレアホールディングスから東京海上ホールディングスへ商号変更
  • Bloomberg 2008年7月23日「東京海上:フィラデルフィアを4987億円で買収――米損保に本格参入」
    • [130]2008年7月23日 米フィラデルフィアを約47億ドル・4987億円で買収すると発表
    • [131]2008年12月 1株61.50ドルでフィラデルフィアの取得完了
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書
    • [132]2009年3月期の親会社株主帰属当期純利益231億円(前期1088億円)
  • 週刊東洋経済 2009年3月28日号「エネルギーは内向きより外向きに拡大させていく」
    • [133]隅修三社長の発言「エネルギーは内向きより外向きに拡大させていく」(2009年3月)
  • 日本経済新聞 2011年12月21日「東京海上HD、米保険デルファイを2000億円で買収」
    • [134]2011年12月 米デルファイ・ファイナンシャル・グループを約26億6400万ドル・約2050億円で買収合意(2012年5月完了)
  • 日本経済新聞 2015年6月10日「東京海上、9400億円で米保険を買収 海外事業を強化」
    • [135]2015年6月10日 米HCCを1株78ドル・75億3000万ドル(約9400億円)で買収発表
  • 東京海上ホールディングス「米国スペシャルティ保険グループ HCCインシュアランス・ホールディングス社 買収について」(2015年6月10日, IR説明資料)
    • [136]HCCは米国全州・英国・スペイン等で事業展開するスペシャルティ保険グループ
  • 東京海上ホールディングス「米国保険グループPrivilege Underwriters, Inc.の買収について」(2019年10月3日)
    • [137]2019年10月3日発表・2020年2月完了 米PUREを約31億ドル・約3255億円で取得(富裕層向け)
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [138]2025年3月期の地域別経常収益 日本4兆3520億円・米国2兆9948億円・その他1兆6124億円

自然災害とカルテル、そして政策保有株ゼロ

2018年と2019年、大規模な自然災害が2年続けて国内を襲った[139]。2018年7月の西日本豪雨と同年9月の台風21号では業界全体の自然災害保険金の支払いが1兆5000億円を超え、台風21号だけで1兆678億円に達している。2019年6月に永野毅氏からグループCEOを引き継いだ小宮暁[140]は、異常危険準備金の取り崩しや再保険の活用で業績への影響は軽微だとしつつ、火災保険に限れば異常危険準備金の残高が減っており、リスクを自社で保有するか再保険に出すかを再検討する必要がある[141]と述べた。2019年10月には火災保険料を全体として引き上げ、水害などのリスクに応じて保険料が変動するリスク細分型の火災保険の開発[142]も視野に入れている。

  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「損害保険 東京海上ホールディングス グループCEO 小宮暁 自然災害からは逃げられない」
    • [139]2018年・2019年と2年続いた大規模自然災害
    • [140]2019年6月 永野毅から小宮暁へグループCEO交代
    • [141]小宮暁の説明 異常危険準備金の取り崩しと再保険で影響は軽微/火災保険では残高減少で保有と出再の再検討が必要
    • [142]2019年10月 火災保険料の引き上げとリスク細分型火災保険の開発検討

2023年12月26日、金融庁は企業向け保険の保険料を事前に調整していた問題で、東京海上日動を含む損保大手4社へ業務改善命令を出した[143]。2024年2月には政策保有株の売却加速も求められ、4社合計で延べ5900社・時価6兆5000億円に上る持ち合い[144]が、価格調整をはじめとする不正の温床とみなされた。東京海上日動の政策投資株式は2002年度以降の累計売却額が売却時価ベースで2兆7000億円に達し、2024年3月末の国内政策投資株式の簿価は2002年3月末対比で28%まで減っていた[145]が、なお上場政策株は901銘柄・3兆5615億円を抱えていた[146]

  • 日本経済新聞 2023年12月26日「損保の価格調整問題、4社に業務改善命令 金融庁」
    • [143]2023年12月26日 企業向け保険の保険料事前調整で損保大手4社に業務改善命令
  • 日本経済新聞 2024年2月9日「損保4社に政策株の売却要求 金融庁、価格調整で問題視」
    • [144]2024年2月 金融庁が損保4社へ政策保有株の売却加速を要求(4社合計 延べ5900社・時価6.5兆円)
  • 東京海上ホールディングス 2024年IR資料「政策投資として保有している株式に関する方針等」
    • [145]政策投資株式の2002年度以降の累計売却額2.7兆円(売却時価ベース)・2024年3月末簿価は2002年3月末対比28%
    • [146]2024年3月末の上場政策株 901銘柄・貸借対照表計上額3兆5615億円

2024年5月20日、東京海上ホールディングスは非上場株式や資本業務提携による出資などを除く政策投資株式を2029年度末までに残高ゼロにする方針を決めた[147]。2024年度から始まる中期経営計画の3年間で残高を半減させ、2026年度末には連結純資産に対する比率を20%程度まで下げる[148]計画で、売却で空く資本はリスクポートフォリオを見直したうえで社会課題の解決や成長分野へ振り向ける[149]とした。売却益は業績を押し上げ、2025年3月期の親会社株主に帰属する当期純利益は1兆552億円と、邦損保として初めて1兆円を超えた[150]。2025年6月に社長へ就いた小池昌洋氏は、国内保険事業で事業モデルの変革に取り組む一方、米PURE買収以降は新たな仲間を迎えておらず成長戦略としての次の一手が必要だと述べ[151]、同年5月には建設コンサルティングのID&Eホールディングスをグループへ迎えた[152]

  • 東京海上ホールディングス「政策株式の売却方針について」(2024年5月20日・適時開示)
    • [147]2024年5月20日 政策投資株式を2029年度末までに残高ゼロとする方針を決定
  • 東京海上ホールディングス 2024年IR資料「政策投資として保有している株式に関する方針等」
    • [148]中期経営計画3年で残高半減・2026年度末に連結純資産比20%程度へ
    • [149]政策株売却で空く資本の使途 リスクポートフォリオの見直しと社会課題解決・成長分野への振り向け
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書
    • [150]2025年3月期の親会社株主帰属当期純利益1兆552億円(邦損保初の1兆円超)
  • 週刊東洋経済 2025年8月23日号「変革の損保 トップインタビュー 東京海上ホールディングス 社長 小池昌洋」
    • [151]2025年6月 小池昌洋が社長就任/国内保険事業の事業モデル変革と海外の次の一手
    • [152]2025年5月 建設コンサルティングのID&Eホールディングスをグループへ
  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「損害保険 東京海上ホールディングス グループCEO 小宮暁 自然災害からは逃げられない」
    • [139]2018年・2019年と2年続いた大規模自然災害
    • [140]2019年6月 永野毅から小宮暁へグループCEO交代
    • [141]小宮暁の説明 異常危険準備金の取り崩しと再保険で影響は軽微/火災保険では残高減少で保有と出再の再検討が必要
    • [142]2019年10月 火災保険料の引き上げとリスク細分型火災保険の開発検討
  • 日本経済新聞 2023年12月26日「損保の価格調整問題、4社に業務改善命令 金融庁」
    • [143]2023年12月26日 企業向け保険の保険料事前調整で損保大手4社に業務改善命令
  • 日本経済新聞 2024年2月9日「損保4社に政策株の売却要求 金融庁、価格調整で問題視」
    • [144]2024年2月 金融庁が損保4社へ政策保有株の売却加速を要求(4社合計 延べ5900社・時価6.5兆円)
  • 東京海上ホールディングス 2024年IR資料「政策投資として保有している株式に関する方針等」
    • [145]政策投資株式の2002年度以降の累計売却額2.7兆円(売却時価ベース)・2024年3月末簿価は2002年3月末対比28%
    • [146]2024年3月末の上場政策株 901銘柄・貸借対照表計上額3兆5615億円
    • [148]中期経営計画3年で残高半減・2026年度末に連結純資産比20%程度へ
    • [149]政策株売却で空く資本の使途 リスクポートフォリオの見直しと社会課題解決・成長分野への振り向け
  • 東京海上ホールディングス「政策株式の売却方針について」(2024年5月20日・適時開示)
    • [147]2024年5月20日 政策投資株式を2029年度末までに残高ゼロとする方針を決定
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書
    • [150]2025年3月期の親会社株主帰属当期純利益1兆552億円(邦損保初の1兆円超)
  • 週刊東洋経済 2025年8月23日号「変革の損保 トップインタビュー 東京海上ホールディングス 社長 小池昌洋」
    • [151]2025年6月 小池昌洋が社長就任/国内保険事業の事業モデル変革と海外の次の一手
    • [152]2025年5月 建設コンサルティングのID&Eホールディングスをグループへ

東京海上ホールディングスの沿革1879〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
東京海上保険会社を創業
船舶保険の営業開始
明治火災保険を設立
火災・運送・自動車の各保険の営業開始
東京海上火災保険に商号変更
三菱海上火災保険を設立
関東大震災・地震免責条項問題★★
旧東京海上・明治火災・三菱海上の3社合併で発足★★
終戦により海外営業網と在外資産を一切喪失★★
田中徳次郎東京証券取引所に株式を上場
田中徳次郎自賠責保険の営業開始
田中徳次郎米国元受営業を再開(欧州は5月)
山本源左衛門積立保険(長期総合保険)の発売★★
菊池稔業界初の自動車保険オンラインシステム稼働
渡辺文夫創業100周年。保険料収入5500億円達成
竹田晴夫「積立特約」の認可取得
竹田晴夫保険料ベースで世界ベストスリー入り
竹田晴夫第3次オンラインの本格稼働
河野俊二新中期経営計画IC-95開始
樋口公啓料率完全自由化への対応と「代理店との共存」護送船団行政のもとで約8万の代理店網を築いた業界首位の東京海上は、1998年の料率完全自由化にどう身構えたか 詳細を読む★★★
石原邦夫東京海上火災と日動火災の経営統合とミレアホールディングス設立(2002年成立・国内初の上場保険持株会社)なぜ生損保を束ねる総合金融グループ構想は縮退し、国内初の上場保険持株会社が生まれたのか? 詳細を読む★★★
石原邦夫東京海上と日動火災が合併し東京海上日動火災保険が発足★★
隅修三Kiln Ltdを買収
隅修三東京海上HDに商号変更
隅修三Philadelphia Consolidated Holdingを買収★★
隅修三Delphi Financial Groupを買収
隅修三永野毅氏が社長に就任
永野毅連続する海外M&Aと「海外で稼ぐ」グローバル損保への転換国内損保市場が成熟するなか、成長をどこに求めたのか——リーマン危機下のフィラデルフィアから、過去最大級のHCC買収まで 詳細を読む★★★
永野毅西日本豪雨・台風21号等で大規模保険金支払い
小宮暁小宮暁氏が社長に就任
小宮暁PURE Group買収完了
小宮暁政策保有株ゼロへ ── 損保の持ち合いを解く資本政策の転換積年の持ち合いを、なぜ数年でゼロにするのか——カルテル問題を触媒にした資本政策の組み替え 詳細を読む★★★
小池昌洋FY24親会社株主帰属当期純利益1兆552億円
小池昌洋小池昌洋氏が社長に就任
出典・参考
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号「21世紀には東京マリンからワールドマリンに」(日経BP)
  • 週刊東洋経済 2004年4月24日号「KeyPerson 石原邦夫 ミレアホールディングス社長 生・損保帝国は築けるか」
  • 読売新聞 1967年6月22日「自動車保険はごめん・損保業界」
  • 日経ビジネス 1975年12月22日号「東京海上火災保険 保護行政にあった独走の秘密」(日経BP)
  • 日経ビジネス 1990年9月24日号「東京海上火災保険 中小地盤まで食い荒らす、王者に焦り?」(日経BP)
  • 日本経済新聞 1996年5月29日「米AIU、異議申し立て」
  • 日本経済新聞 1996年12月15日「日米保険協議が決着」
  • 日経ビジネス 1998年3月16日号 No.932「東京海上火災保険 眠れる巨人が動き出した」(日経BP)
  • 日経ビジネス 1998年8月3日号 No.952「直販はせず代理店と共存していく」(日経BP)
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号 No.1128「朝日生命との統合見送り、なぜ? 混乱招いた東京海上の失態」(日経BP)
  • Impress Watch 2001年1月11日「名称は『ミレア保険グループ』~経営統合の東京海上、朝日生命、日動火災」
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 2002年6月22日号「損害保険自由化時代への期待しぼみ 足元の基盤再強化に集中するミレアホールディングス」
  • 週刊東洋経済 2007年11月17日号「東京海上日動の抜本改革 10万人を巻き込む抜本改革 ゼロから創り直す。東京海上日動の挑戦」
  • 週刊東洋経済 2007年11月17日号「東京海上日動の抜本改革 海外編 目標は世界トップクラス入り」
  • Bloomberg 2008年7月23日「東京海上:フィラデルフィアを4987億円で買収――米損保に本格参入」
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書
  • 週刊東洋経済 2009年3月28日号「エネルギーは内向きより外向きに拡大させていく」
  • 日本経済新聞 2011年12月21日「東京海上HD、米保険デルファイを2000億円で買収」
  • 日本経済新聞 2015年6月10日「東京海上、9400億円で米保険を買収 海外事業を強化」
  • 東京海上ホールディングス「米国スペシャルティ保険グループ HCCインシュアランス・ホールディングス社 買収について」(2015年6月10日, IR説明資料)
  • 東京海上ホールディングス「米国保険グループPrivilege Underwriters, Inc.の買収について」(2019年10月3日)
  • 東京海上ホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
  • 週刊東洋経済 2019年12月28日号「損害保険 東京海上ホールディングス グループCEO 小宮暁 自然災害からは逃げられない」
  • 日本経済新聞 2023年12月26日「損保の価格調整問題、4社に業務改善命令 金融庁」
  • 日本経済新聞 2024年2月9日「損保4社に政策株の売却要求 金融庁、価格調整で問題視」
  • 東京海上ホールディングス 2024年IR資料「政策投資として保有している株式に関する方針等」
  • 東京海上ホールディングス「政策株式の売却方針について」(2024年5月20日・適時開示)
  • 週刊東洋経済 2025年8月23日号「変革の損保 トップインタビュー 東京海上ホールディングス 社長 小池昌洋」

免責事項およびポリシー