1965年の証券不況が国内の証券会社に打撃を与えたため、野村証券では経営の多角化を志向した。そこで、1966年に子会社として野村総合研究所を設立し、シンクタンクの業務を開始した。
ただし、1970年ごろまでの野村総研の顧客は「野村證券」が主体であり、親会社向けの受託調査によって黒字を確保していた。
このため「親会社野村證券あっての黒字決算」(1976/9/13日経ビジネス)と言われ、順調に業容を拡大したわけではなかった。
1979年に野村総研は、イトーヨーカ堂系列の「セブンイレブン」向けのシステム開発した。当時、セブンイレブンは国内での店舗展開を進めており、POSの導入直前という時期で、店舗網の拡大とともにシステム構築が必要になっていた。
なお、1980年代の日本企業はIBMなどのコンピュータメーカーからの支援を受けつつシステムを自社開発するのが一般的であり、外部企業にシステムの開発と運用を任せるのセブンイレブンは異色の選択をした。
以後、2022年に至るまで、野村総研は「セブンイレブン」と「イトーヨーカ堂」のシステム開発を請け負うことで、同社が大口取引先となった。長年、野村証券の売上高の10%前後がセブンイレブン向けのシステムの販売で占められている。
1988年に旧野村総合研究所と野村コンピュータシステムが合併し、野村総合研究所を新生発足した。なお、合併にあたって、シンクタンク事業が不振に陥ったという噂が流れたが、野村総研はこの噂を否定し、あくまでも「システムとシンクタンク」の相乗効果に狙いがあるとした。
この結果、野村総研の売上高の80%がシステム開発となり「システムを開発を中心としてシンクタンクの業務を行う」という事業ポートフォリオを構成した。
1990年代のバブル崩壊とともに、日本の大企業ではシステムを外部企業に開発することを委託する「アウトソーシング」が進んだ。
この流れを受けて、野村総研は日本の大企業のシステムを受託開発するSIerとして事業を強化した。この成果として、1992年に生命保険会社「第百生命」からのシステムのアウトソーシングの受注に成功し、生保業界では日本初となるアウトソーシングの活用例として注目を浴びた。
1990年代を通じたバブル崩壊により、銀行・証券・保険の各業界が不振に陥り、システム開発そのものも低迷した。
また、大企業のシステムとしてはSAPが提供する「ERP(基幹システム)」が台頭するなど、システム開発におけるトレンドが変化しつつあった。
このため、野村証券は1992年から1995年度までの4期連続で減益決算を計上した。