1988年〜 英国流ヘッドハンティングの東京移植と国内ニッチの確立
- 1988年 ジェイ エイ シー ジャパンを設立
- 1993年 大阪支店を開設
- 2000年 人材派遣事業に参入
- 2001年 Emmergarden Holdings Ltdから「JAC Recruitment」の商標権を譲受
- 2002年 求人広告の販売代理を開始
- 2002年 JAC Singapore・JAC Recruitment UK・AGENSI PEKERJAAN JACと業務提携
- 2004年 JAC Personnel Recruitment Ltdと業務提携
ロンドンの田崎グループを母体に千代田区で開業した人材紹介会社
田崎忠良氏は、英国で現地日系企業への人材紹介と在英日本人向けの日本食品販売等を目的に、1974年11月にロンドンで T.TAZAKI & Co Ltd を設立し、後に世界各国へ広がる田崎グループの母体とした。同グループの人材紹介事業を日本国内で担う会社として、1988年3月、東京都千代田区で株式会社ジェイ エイ シー ジャパンが設立された。[1][2]資本金1,000万円で開業し、人材紹介業を事業目的に掲げた。社名の「JAC」は "Japan Agency[3] & Consultancy" の頭文字(J=Japan、A=Agency、C=Consultancy)に由来する。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [1]1988年3月に東京都千代田区で株式会社ジェイ エイ シー ジャパンが設立された
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書 第20期(2006年12月期)表紙
- [2]設立時の社名は株式会社ジェイ エイ シー ジャパンだった
- [3]社名「JAC」=Japan Agency & Consultancy(J=Japan/A=Agency/C=Consultancy)。JAC公式『社名の由来』・JAC Group沿革で確認
開業当時、有料職業紹介事業は職業安定法の規制で取扱職種が制限され、新規参入も少なかった。日系企業がロンドン・ニューヨーク等の現地拠点に派遣する駐在員や、駐在を終えて本社復帰する帰任者の転職市場は、外資系コンサルティング会社の一部が手がけるニッチに止まっていた。創業者の田崎忠良氏がロンドンで掴んだ日系企業の人材ニーズは、この空白を埋める形で東京の本社人事部門と直接結びついた。創業初年度は東京本社1拠点・少人数体制で、英語圏転職案件を専門にする少数派として走り出した。
東京の本社人事部門と海外駐在経験のある転職希望者をつなぐ仲介は、当初から少数精鋭の専門コンサルタント制で運営した。1人のコンサルタントが企業側と求職者側の両面を担当する「両面型」運営で、英国系ヘッドハンティング会社の流儀をそのまま東京に持ち込んだ。日本の人材紹介業界が新卒採用代行や求人広告の販売を中心とする中、JACは中途採用の管理職層に絞った差別化を初手で固めた。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [1]1988年3月に東京都千代田区で株式会社ジェイ エイ シー ジャパンが設立された
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書 第20期(2006年12月期)表紙
- [2]設立時の社名は株式会社ジェイ エイ シー ジャパンだった
- [3]社名「JAC」=Japan Agency & Consultancy(J=Japan/A=Agency/C=Consultancy)。JAC公式『社名の由来』・JAC Group沿革で確認
大阪・京都・横浜・名古屋への支店展開と人材派遣業の追加
1993年11月、大阪市中央区(現在の大阪市北区)に大阪支店を設置[4]し、関西の日系企業本社・支店を取引対象に組み入れた。東京1拠点から大阪へ広げるまでに5年半を要したのは、英語圏特化のニッチ市場が大都市圏の本社機能に偏在していたためで、関西の本社移転・関西支店再編を待っての出店だった。2000年6月には人材派遣事業を新規に追加し[5]、紹介業に依存しない収益基盤の二本柱化に着手した。派遣事業は紹介手数料の年率変動に左右されない安定収入で、紹介事業の景気感応度を補う設計だった。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [4]1993年11月に大阪市中央区(現 大阪市北区)へ大阪支店を設置した
- [5]2000年6月に人材派遣事業を新規追加した
2001年6月、JAC Recruitment[6](ジグソー図)の商標権を英国の Emmergarden Holdings Ltd から譲り受け、日本国内における商標の独占的使用権を確保した。商標統一は後のグループ展開とアジア各国の提携拡大において、ブランド名の同一性を保つための基盤工事となった。2002年1月に京都市下京区へ京都支店[7]、3月に横浜市西区へ横浜支店[8]、同月に求人広告の販売代理業務[9]、2004年6月に名古屋市中村区へ名古屋支店と、4年間で4つの大都市圏拠点を整備した。[10]
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [6]2001年6月に英国 Emmergarden Holdings Ltd から「JAC Recruitment」の商標権を譲り受けた
- [7]2002年1月に京都市下京区へ京都支店を設置した
- [8]2002年3月に横浜市西区へ横浜支店を設置した
- [9]2002年3月に求人広告の販売代理を開始した
- [10]2004年6月に名古屋市中村区へ名古屋支店を設置した
支店展開と並行して、東京本社の人材紹介・求人広告の各事業を組織化し、コンサルタント人員も2000年の30名規模から2005年の100名規模へ増やした。創業時の英国流ハイレイヤー紹介に加え、関西・東海・関東の地場日系企業の中堅管理職案件を取り込み、扱う給与帯と職種の幅を広げた。創業の英国DNAは「英語圏特化」から「日系企業の管理職層全般」へと適用範囲を拡げ、市場規模そのものを自社の取扱対象に組み入れる形で国内人材紹介業の地歩を固めた。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [4]1993年11月に大阪市中央区(現 大阪市北区)へ大阪支店を設置した
- [5]2000年6月に人材派遣事業を新規追加した
- [6]2001年6月に英国 Emmergarden Holdings Ltd から「JAC Recruitment」の商標権を譲り受けた
- [7]2002年1月に京都市下京区へ京都支店を設置した
- [8]2002年3月に横浜市西区へ横浜支店を設置した
- [9]2002年3月に求人広告の販売代理を開始した
- [10]2004年6月に名古屋市中村区へ名古屋支店を設置した
アジア提携網の最初の構築──2002〜2005年の業務提携集中
2002年8月、JAC Singapore Pte Ltd(シンガポール、現 JAC Recruitment Pte Ltd)、JAC Recruitment UK Ltd(英国)、AGENSI PEKERJAAN JAC Sdn Bhd(マレーシア)の3社と業務提携契約を一括締結し[11]、有料職業紹介事業の海外紹介免許を追加取得した。これは創業者・田崎忠良氏が英国時代に蓄積した現地人脈を、東京の人材紹介会社の海外送客チャネルとして組織化する初手だった。日系企業の海外現地法人と本社の双方を扱える供給網が、東京の本社人事部門に対する独自の付加価値となった。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [11]2002年8月にシンガポール・英国・マレーシアの3社と業務提携契約を一括締結し海外紹介免許を追加取得した
2004年11月にタイ(JAC Personnel Recruitment Ltd)[12]、2005年5月にインドネシア(PT. JAC Indonesia)と立て続けに業務提携契約を結び、東南アジア4カ国に紹介免許網を広げた。[13]各国の現地法人は資本関係ではなく業務提携の形で結びつき、JACブランドと案件供給を相互利用する緩やかなネットワークを形成した。資本投下を抑えて拠点網を広げる手法は、後の中国・韓国・ベトナム・インドへの提携拡大でも踏襲された。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [12]2004年11月にタイ(JAC Personnel Recruitment Ltd)と業務提携契約を締結した
- [13]2005年5月にインドネシア(PT. JAC Indonesia)と業務提携契約を締結した
提携拠点の拡大は、東京・大阪・京都・横浜・名古屋の国内5拠点と組み合わせて、日系企業の海外赴任・帰任案件をワンストップで扱える供給体制を整えた。創業期の「ロンドンから日系企業を見ていた英国出身者」の発想は、東京から東南アジアの現地法人人事を見渡す供給体制へと再構築し、ジャスダック上場前夜の事業基盤が固まった。FY07の連結売上高は約50億円、経常利益は約8億円規模で、提携網と国内直販の組み合わせが収益を支える構造が定着していた。
- ジェイエイシーリクルートメント 有価証券報告書【沿革】
- [11]2002年8月にシンガポール・英国・マレーシアの3社と業務提携契約を一括締結し海外紹介免許を追加取得した
- [12]2004年11月にタイ(JAC Personnel Recruitment Ltd)と業務提携契約を締結した
- [13]2005年5月にインドネシア(PT. JAC Indonesia)と業務提携契約を締結した