1973年〜 篠原欣子氏が女性派遣という未確立市場を立ち上げた35年
- 1973年 テンプスタッフ設立
- 2006年 テンプスタッフが東京証券取引所に株式を上場
- 2008年 ピープルスタッフとの経営統合による共同持株会社テンプホールディングスの設立 派遣業界の再編にどう向き合うか——単独で伸びるか、持株会社の下に相手を迎えるか
- 2008年 株式移転により共同持株会社テンプHDを設立
- 2008年 テンプHDが東京証券取引所に株式を上場
「就業先がない」という当事者の経験から起こした人材派遣
1973年5月、篠原欣子氏は東京都目黒区[1]に資本金70万円でテンプスタッフ株式会社を設立した。1934年生まれの篠原氏は20代でオーストラリアに渡って秘書として働き、帰国後に既婚女性が定型の事務職にも就けない労働市場と出会った経験を持つ。当時の日本では女性の事務派遣という業態自体が存在せず、職業安定法の解釈もあって人材派遣は法的にもグレーゾーンに置かれていた。創業者の篠原欣子氏は自宅の一室で電話番をしながら登録スタッフを集め、企業に対しては「派遣」ではなく事務処理請負の体裁を採って取引を開始した。創業当事者が労働需要を発掘するために自分の人脈を使って案件を取り、その帰結としてフロー型労働市場の仲介機能を組み立てたのが、テンプスタッフの出発点だった。
- パーソルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1973年5月 篠原欣子が東京都目黒区でテンプスタッフ㈱を設立
1985年に労働者派遣法が成立し、翌1986年7[2]月の施行で人材派遣業が法的に位置づけを得ると、テンプスタッフは法令上の特定労働者派遣事業者として登録し、業務範囲を拡張した。1980年代後半のバブル景気は、企業の事務処理量の急増と新卒採用のひっ迫を同時にもたらし、即戦力の女性事務員を派遣する同社の業態は急成長期に入った。1980年代末から1990年代前半にかけて全国主要都市に支店を開設し、登録スタッフ数は数万人規模へ拡大した。バブル崩壊後の1990年代後半も、企業の人件費圧縮要請が常用雇用から派遣への置き換えを後押しし、テンプスタッフの売上は派遣業界の自由化と歩調を合わせて伸びた。
- 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和60年法律第88号・1986年7月1日施行)
- [2]労働者派遣法は1985年成立・1986年7月施行(一般法令)
1999年12月の労働者派遣法改正で派遣業務がネガティブリスト化(原則自由化)され、続く2004年3[3]月の改正で製造業派遣も解禁されると、市場規模は一気に拡大した。同社は1990年代後半から事務系派遣に加えて、専門技術者派遣・登録型派遣の周辺領域への進出を進め、テンプスタッフ・ピープル、テンプスタッフ・キャリアコンサルティングなど職種別子会社を立ち上げて多角化を試みた。創業から30年を超えても篠原氏は代表に留まり、現場のスタッフ登録会に自ら出席する経営スタイルを続けた。労働者派遣法の規制緩和と歩調を合わせて事業領域を広げた30年は、女性派遣単一業態のテンプスタッフが派遣業界トップクラスの規模に育つ過程となった。
- 労働者派遣法 改正経緯(1999年改正・2003年改正=2004年3月施行)
- [3]1999年12月の派遣法改正で原則自由化(ネガティブリスト化)・2004年3月改正で製造業派遣解禁(一般法令)
- パーソルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1973年5月 篠原欣子が東京都目黒区でテンプスタッフ㈱を設立
- 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和60年法律第88号・1986年7月1日施行)
- [2]労働者派遣法は1985年成立・1986年7月施行(一般法令)
- 労働者派遣法 改正経緯(1999年改正・2003年改正=2004年3月施行)
- [3]1999年12月の派遣法改正で原則自由化(ネガティブリスト化)・2004年3月改正で製造業派遣解禁(一般法令)
東証一部上場と持株会社化 ── ピープルスタッフ統合まで
2006年3月、テンプスタッフは東京証券取引所に株式を上場し[4]、市場第一部に指定された。同年3月期の連結売上高は1,800億円前後、人材派遣業界では国内3位の規模に達していた。上場で得た公開資本は、それまで個人企業色の強かったテンプスタッフが、機関投資家を交えた経営に転換する契機となった。創業者の篠原欣子氏は引き続き代表取締役会長を務めながら、上場後のIR体制整備とコーポレートガバナンスの確立を進め、外部監査と内部統制報告制度(J-SOX)対応のため管理部門の人員を増強した。労働者派遣法のさらなる改正と業界再編が予想される局面で、上場で得た資金調達能力をM&A資金として確保する判断が、後の持株会社化の前提となった。
- パーソルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [4]2006年3月 テンプスタッフが東京証券取引所に上場し市場第一部に指定
2008年10月、テンプスタッフは事務系派遣同業大手のピープルスタッフ株式会社と経営統合し、共同持株会社テンプホールディングス株式会社を設立した[5]。ピープルスタッフは1973年設立で、テンプスタッフと同年創業の事務系派遣会社として東海地方で強い顧客基盤を持っていた。両社の事業領域は事務系派遣で重なる一方、地域的には補完的で、統合により国内派遣業界の規模拡大とエリアカバレッジ拡張を同時に達成した。テンプホールディングスは持株会社として東証一部に上場し、テンプスタッフは上場廃止となって完全子会社化された[6]。2010年3月期の連結売上高は約2,246億円[7]、当期純利益は約29.5億円となり[8]、リーマンショック直後の派遣需要急減を受けた業界全体の縮小局面で統合が始動した。
- パーソルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [5]2008年10月 テンプスタッフとピープルスタッフが経営統合し共同持株会社テンプホールディングスを設立
- [6]テンプホールディングスが東証一部に上場しテンプスタッフは上場廃止・完全子会社化
- [7]2010年3月期のテンプホールディングス連結売上高は約2,246億円
- [8]2010年3月期のテンプホールディングス連結の当期純利益は約29.5億円
ピープルスタッフ統合の翌2009年11月、持株会社は㈱日本テクシード[9](現:パーソルクロステクノロジー)に対する公開買付けを実施し、同社を子会社化した。日本テクシードは設計開発・技術派遣を主力とする会社で、事務系派遣単一業態だったテンプホールディングスにとって、技術者派遣という新領域への第一歩となった。リーマンショック後の派遣業界は、製造業派遣の打ち切りや派遣切り問題などで世論の逆風にさらされたが、同社は規制リスクの相対的に小さい事務系・技術系派遣に経営資源を集中し、需要回復を待った。創業から35年で築いた事務系派遣単一の事業構造を、上場と持株会社化で再編可能な形に置き直したことが、続く9年間の連続M&Aの土台となった。
- パーソルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [9]2009年11月 ㈱日本テクシード(現:パーソルクロステクノロジー)を公開買付けで子会社化
- パーソルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [4]2006年3月 テンプスタッフが東京証券取引所に上場し市場第一部に指定
- [5]2008年10月 テンプスタッフとピープルスタッフが経営統合し共同持株会社テンプホールディングスを設立
- [6]テンプホールディングスが東証一部に上場しテンプスタッフは上場廃止・完全子会社化
- [9]2009年11月 ㈱日本テクシード(現:パーソルクロステクノロジー)を公開買付けで子会社化
- [7]2010年3月期のテンプホールディングス連結売上高は約2,246億円
- [8]2010年3月期のテンプホールディングス連結の当期純利益は約29.5億円