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リクルートの歴史

1960
*1
江副浩正が大学新聞広告社を創業
創業

リクルートの歴史は、1960年に江副浩正が大学新聞広告社を創業したことに始まる。リクルートの創業者である江副浩正は、東京大学で学生向けの新聞を発行した経験から、就職に関する情報にニーズがあることを考えて起業家に転身した。

創業時のリクルートは就職情報誌が主力事業であったが、1976年にはオイルショックによる経済不況を乗り切るために住宅情報誌「suumo」を創刊。情報誌を軸とした多角化を開始した。1980年代には女性が働く時代になること見越して「とらばーゆ」を創刊している。

いずれも、リクルートは「人生の節目に個人と企業をマッチングするための情報誌を提供する」ことを事業の主軸に据え、営業担当者が企業に対して広告営業を行うというビジネスモデルを確立した。

好調な業績を受けて、1981年には東京銀座に本社ビル(旧日軽金ビル)を土地付きで購入するなど、リクルートの躍進に注目が集まった。

1988
*2
リクルート事件の発覚により経営危機へ

1980年代のバブル期を通じて、リクルートは不動産投資を積極化して、東京銀座における本社ビル・土地の取得や、子会社のリクルートコスモスを通じてマンションなどへの投資を進めた。

だが、株式上場することが期待された子会社のリクルートコスモスの未公開株式について、政治家に賄賂として提供したことが発覚し、日本の政財界を揺るがすスキャンダルに発展した。

この結果、リクルートは社会的な非難を受けて、リクルートの創業者である江副浩正は責任をとる形で社長を辞任した。加えて、リクルートに対する信頼が失墜し、リクルートの業績が低迷する原因となった。

なお、リクルートの創業者である江副浩正は2003年に執行猶予付きの有罪判決を受け、リクルート事件以降に同社の経営に関わることはなかった。

1994
*3
リクルートらしさを重視し、本業の情報誌に回帰

リクルート事件による社会的な信頼の喪失に加えて、バブル崩壊による不動産事業の頓挫によって、リクルートは経営危機に陥った。リクルートはダイエーからの出資による支援を受けつつ経営再建に着手し、財務体質悪化の原因となった不動産事業や、新規事業として推し進めていたコンピュータネットワーク投資の中止を決定し、財務体質の悪化を食い止めた。

一方で、リクルートは本業である情報誌に回帰する方針を決め、職業紹介や住生活に関する情報誌への投資を進める方針を決めた。1993年には結婚関連情報誌のゼクシィ、2000年にはライフスタイル情報を提供するホットペッパー(Hot Pepper)を創刊するなど、情報誌に経営資源を集中することによって経営再建を目論んだ。

この結果、1990年代から2000年代にかけてのリクルートは情報誌の部数拡大に伴う、広告収入の増大によって業容を拡大した。特に、2000年代以降は情報誌をインターネットコンテンツとしても展開することによって、紙媒体の需要減少の影響を最小限に抑えることにも成功している。

2012
*4
HR分野でグローバルトップを目指す方針を発表。Indeedなどの企業買収を積極化
海外展開

2000年代までのリクルートは「ゼクシィ」のような紙媒体による情報誌や、「SUUMO」や「リクナビ」のようにインターネットでも活用できるサービスによって業容を拡大していた。しかし、2010年代を通じてスマートフォンの普及や、データベースに蓄積された大量のレコードを活用することが可能になった結果、紙媒体による情報誌や、データ活用を前提としないインターネットサービスのニーズが低下することが予想された。

そこで、2012年にリクルートHDのCEOに就任した峰岸真は「HR分野でグローバルのトップ企業になる」という戦略を掲げた。まず、創業以来日上場だったリクルートHDの株式を上場することで資金調達を行い、調達資金を海外企業の買収に投資することでグローバルカンパニーへの転身を目論んだ。そして、2012年に米国のHRテック企業のIndeedを1130億円で買収することを決断した。

この結果、リクルートは企業買収を通じてテクノロジーを中心とするHR分野を強化し、テックカンパニーとしての色彩を濃くした。2020年から2021年にかけて、コロナウイルスの蔓延によってリクルートHDの売上収益は低迷したものの、indeedを中心とするテックカンパニーとしての期待感から時価総額が9兆円を突破するなど、投資家から一定の評価を得ている。