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メイテックの歴史

技術者の客先常駐の先駆者。名古屋が発祥の地であり自動車関連の大手企業向けに強い

主な損失事案

○顧客・社員・株主に対するネガティブな事案
1993年月
最終赤字に転落。正社員1/2(約3000名)を削減
-3000
人員削減
メイテックの長期業績
1980〜2022

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 証券43(4)(505), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1974
*1
株式会社名古屋技術センターを設立
会社設立

創業者の関口氏は大同機工(配電盤の製造メーカー)を経営していたが、技術開発に失敗して会社を倒産させてしまった。そこで起業家として再起を図るために、1974年に名古屋技術センターを設立。関口氏は「技術開発をしない開発はあり得ない」という信念のもと、技術開発だけに特化したビジネスを志向。企業から開発案件を請け負う受託業をスタートした。

1977 12月
*2
客先常駐に参入。三菱重工と取引開始
新規事業

1977年12月に三菱重工が「航空機プロジェクト」を発足したのに合わせて、メイテックは技術者の客先常駐による派遣ビジネスを開始した。機密性が重要な企業に対して、メイテックの社員を常駐させることで漏洩の問題をクリア。さらに三菱重工との取引が実績となり、大手企業を中心に顧客企業の開拓を進めていった。

関口房朗氏(メイテック・実質創業者)
出所 : コンピュートピア 19(230)
1979 12月
*3
子会社日本機械設計を設立
会社設立

技術的に簡単な設計を扱うための子会社(のちのジエクス)を設立

1980 04月
*4
関西管理本部を新設

全国展開を開始

1982 11月
*5
社員数1000名を突破
業績好調
1982 03月
*6
関東管理本部を新設
1984 12月
*7
商号を株式会社メイテックに変更
Performance
1974〜1986
客先常駐ビジネスで大手企業と取引

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 証券43(4)(505), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1987 03月
*8
名古屋証券取引所第2部に株式上場
株式上場

大手企業の家電・自動車の新製品開発(多品種)が活発化したことでメイテックへの受注が増加。業績向上により1987年に株式を上場

1991
*9
社員用のディスコを名古屋市栄に開設

社内研修施設の一環として設置。若者向けの採用広報と人員定着の目的を兼ねた。この頃のメイテックの社員離職率は5%で低い水準

1991 03月
*10
社員数5000名を突破
業績好調
1992 04月
*11
神戸テクノセンターを新設
100
億円
設備投資額

教育施設として開業

1993
*12
最終赤字に転落。正社員1/2(約3000名)を削減
業績低迷
▲3000
人員削減

バブル崩壊により顧客の製造業は費用削減に舵を切った。メイテックの技術者も契約を打ち切られて大幅な減収へ。固定費削減のために正社員の約半分におよぶ約3000名を削減

西本甲介氏(メイテック・当時社長室)
出所 : SPRING
1996
*13
新卒大量採用を再開。年間2000人規模

景気後転を受けて、理工系の大卒者の採用を強化。数千人規模の大量採用を再開へ

1997
*14
関口社長の社長解任の緊急動議(クーデター)

7月31日の取締役会において、ある取締役が関口氏の代表取締役社長の解任を動議。関口氏(当事者なので決議権なし)以外の全員が賛成。後任の代表取締役社長に元専務の大槻三男氏が就任した。以後、関口氏と経営陣で訴訟問題に至った。

政界21(7)
出所 : 政界21(7)
Performance
1987〜1998
正社員1/2削減とクーデータの二重苦を背負う

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 証券43(4)(505), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1999
*15
名古屋地裁が関口氏の請求を棄却

関口氏は社長解任は無効であるとして提訴したが、名古屋地裁は取締役会の決議は有効であるとして請求を棄却した

1999
*16
代表取締役社長に西本甲介氏が就任

西本氏は関口社長時代の社長室出身。2014年まで社長を歴任。不況期にもリストラをしない会社を目指した

西本甲介氏(メイテック代表取締役社長・当時)
出所 : SPRING
2000
*17
3ヶ年の中期経営計画を策定

新Vision21を策定。製造業向けの派遣事業のフルナインナップを目指す

2004 01月
*18
日本DBMを買収

日本ドレーク・ビーム・モリンを買収。再就職支援とキャリア研修軸に事業展開しており、不況期の収益源になることを期待した

2005
*19
日本DBM関連で約25億円の特別損失
事業失敗
業績低迷

製造業を中心とした日本経済の好調により、逆に再就職支援事業で苦戦。25億円の特別損失を計上

2006 03月
*20
11期連続増収
業績好調

2007年までは製造業の好調により売上を拡大。売掛金ベースの取引先は、パナソニック、三菱重工、セイコーエプソン、デンソー、キヤノンであり、製造業からの引き合いが強かった

2010 03月
*21
最終赤字9億円。非稼動社員2300名
業績低迷

リーマンショックにより顧客の自動車など製造業との契約が縮小して非稼動社員が2300名に。売上の大幅減少により赤字に転落。売上1000億円目標も撤回へ

Performance
1999〜2010
アウトソーシングの波が追い風に

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社四季報, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2011
*22
増収基調に回帰
業績好調

景気回復により非稼動社員が最悪期の2300名から800名へと大幅に減少。増収増益基調に回帰

2016 03月
*23
過去最高収益
業績好調

自動車向けなどが堅調。リーマンショックの最悪期から立ち直る

2016 11月
*24
自己株式の取得
21
億円
自己株式の取得上限
2020 03月
*25
売上高1000億円を突破
業績好調

自動車向けの技術開発の活発化で人員稼動が好調。10年前の2010年の達成目標だった「売上高1000億円」について、10年越しで達成へ

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2021 03月
*26
減収減益へ
業績低迷

コロナの蔓延により非稼動人員が増加。一時的な減収減益へ

2021 10月
*27
自己株式の取得
31
億円
自己株式の取得上限
2022 03月
*28
増収増益に回帰するも採用難に直面
業績好調

理工系人材の採用熱によりメイテックの新卒採用計画は未達へ(計画874名・実績804名)

2022 12月
*29
自己株式の取得
29
億円
自己株式の取得結果
Performance
2011〜2023
不況を乗り越え復調。ただし資産効率に課題

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値