メイテックグループHDの歴史
沿革
1974年に関口房朗氏が名古屋市に設立した名古屋技術センターが起源。
大企業の幹部へのダイレクトメールで技術者派遣に転じ、三菱重工業の航空機設計などへ技術者を送って、技術者を正社員として抱える派遣の形を築いた。社員13,190名のほぼ全員が客先常駐の技術者で、技術者派遣を主力とする。
創業期
1974年〜名古屋技術センターの設立とメイテックへの商号変更
- 名古屋技術センターを設立[1]
- 日本機械設計(ジエクス)設立[1]
- 社名をメイテックに変更[1]
売上高
- 売上高
メイテックグループホールディングス売上高—
成長期
1987年〜名証・東証上場とジャパンアウトソーシングへの再編
- 名古屋証券取引所市場第二部に上場[1]
- メイスタッフ設立[2]
- 名古屋テクノセンター開設[1]
- 名古屋テクノセンターが「'88全国優秀先端事業所賞」を受賞[2]
- 東京本社設置[1]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[1]
- 神戸テクノセンターを開設[1]
- 厚木テクノセンターを開設[1]
- 事業システムを「エンジニアリングアウトソーシング」として再構築[2]
- ジエクスとメイスタッフが合併[1]
- ジャパンアウトソーシングに商号変更[1]
- 本社を港区に移転[1]
- 東京証券取引所市場第一部・名古屋証券取引所市場第一部に指定[1]
- ジャパンキャスト(現メイテックキャスト)を設立[1]
- 国際標準規格ISO9001の認証を取得[2]
- 株式の取得によりアイエムエスを完全子会社化[1]
成熟期
2003年〜上海法人の設立と日本ドレーク・ビーム・モリンの買収・売却
- メイテックグローバルソリューションズを設立[1]
- 上海現地法人の設立[3]
- ドレーク・ビーム・モリン買収[1]
- 株式交換により日本ドレーク・ビーム・モリンを完全子会社化[3]
- 明達科(上海)諮詢を明達科(上海)科技に組織変更[1]
- 第三者割当増資の引受によりアポロ技研を子会社化[4]
- ジャパンアウトソーシングがメイテックフィルダーズに商号変更[1]
- メイテックネクストを設立[2]
- all engineer.jpを設立[1]
- 明達科(成都)科技培訓を設立[1]
- アイエムエスをアポロ技研に吸収合併[1]
- 日本ドレーク・ビーム・モリンの全株式をテンプスタッフへ譲渡[1]
- メイテックグローバルソリューションズを吸収合併[1]
- ビー・エム・オー・エーの清算が結了[1]
- シニアエンジニア特定派遣のメイテックEXを設立[2]
- エンジニア向けものづくり支援サイト「fabcross」を開設[2]
- メイテックCAEを吸収合併[1]
- 「優良派遣事業者」に認定[2]
- 上海阿波馬可科技有限公司の清算が結了[1]
- 明達科(成都)科技培訓有限公司の清算が結了[1]
- 労働者派遣事業許可を取得[2]
- all engineer.jpを吸収合併[1]
- 「Engineering Firm at The Core」を制定[2]
- 東京本社を港区赤坂から台東区上野に移転[2]
- 明達科(上海)科技有限公司などの清算が結了[1]
- 東京証券取引所プライム市場に移行[1]
転換期
2023年〜持株会社体制への移行とメイテックグループHDへの改称
- メイテック分割準備会社を設立[1]
- メイテックグループHDへ改称[1]
- メイテック分割準備会社がメイテックに商号変更[2]
- 会社分割で事業を分割準備会社に承継[5]
- 研修等施設の利用停止を決議[6]