- [1]1905年 三菱合資会社造船部神戸造船所構内で舶用・鉱山用の電気機械器具製造を創始
- [2]1908年 神戸造船所で国産第一号のタービン発電機を完成
- [15]1935年 英レイロール社と技術提携
- [54]1954年 静岡工場、1956年 家庭電器工場に続き重電・電子・家庭電器の各分野で設備を拡充
- [55]1960年 鎌倉製作所、1962年 京都製作所・相模製作所を建設
- [62]1968年3月期 売上高1321億円・利益36億円・受注1500億円でいずれも創業以来最高
会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955年)「三菱電機」の項
- [3]1921年1月15日 電気機械部門を継承し資本金1500万円で設立
- [4]設立事情は欧州大戦直後の疲弊による輸入難と電気機械製造事業の有望性
- [5]発足時の施設は神戸工場のみ、本店は名古屋
- [6]1921年10月 神戸工場を神戸製作所と改称、1922年1月 本店を東京へ移転
- [7]1923年 長崎造船所電機工場を1年の委託経営後に吸収し長崎製作所とする
- [10]1923年11月 米ウエスチングハウス社と技術提携契約を締結
- [11]1924年9月 ウエスチングハウスエヤーブレーキ社とも技術提携
- [12]両提携は戦時中の中絶期間を除き戦後も継続し製品の質的向上に寄与
- [13]昭和5〜6年の不況後、満州事変勃発を機に三製作所の整備拡張期へ
- [14]1935年 一期の販売高1200万円
- [16]1940年12月 尼崎に12万坪を購入し大阪工場を建設、研究所を開設
- [17]大阪工場はのちに伊丹製作所と改称し主力工場の一つとなる
- [18]1937年・1940年の倍額増資を経て1943年8月に資本金1億2000万円
- [20]1942年4月 世田谷工場を開設
- [24]終戦時は4製作所8工場1研究所を擁し日立・東芝と並ぶ三大メーカーの一つ
- [25]空襲被害は原爆を受けた長崎製作所をはじめ全施設の31%
- [26]制限会社指定・賠償指定・特別経理会社・過度経済力集中排除法指定が復旧の制約
- [27]三菱商事の解散で従来の販売機関を一挙に喪失
- [28]1946〜1949年に大阪・名古屋・福岡・札幌・仙台・富山・広島等へ営業所を設置
- [36]大正期に締結した米ウエスチングハウス社との技術提携は戦時中に中絶
- [49]1955年3月期 利益4億4000万円・1割8分へ減配
三菱電機 有価証券報告書 第154期(2025年3月期)【沿革】
- [8]1923年11月 長崎工場でタービン発電機・船舶用直流機等の大型重電機器を手がける
- [9]1924年9月 名古屋製作所を新設し標準電機品・家庭用電気機器を手がける
- [19]1940年12月 大阪工場を新設し神戸製作所より無線機・精機工場を移転
- [21]1943年2月 福山工場・中津川工場、同年4月 郡山工場、6月 和歌山工場を新設
- [22]1944年2月 姫路工場を新設
- [23]1944年 本店研究部を研究所とする
- [30]1949年5月 東京証券取引所に株式を上場
- [47]1953年10月 無線機製作所を新設
- [48]1954年4月 民需用冷機の専門工場として静岡工場を新設
- [50]1959年8月 半導体量産専門工場として北伊丹工場を新設
- [60]1963年3月 菱電機器を吸収合併し群馬製作所と改称
- [61]1964年 昇降機の専門工場として稲沢製作所を新設
- [73]1975年6月 営業本部を新設
- [74]1977年6月 事業本部制を導入し重電・電子・機器・商品の4事業本部を新設
- [91]1981年 北伊丹製作所福岡半導体工場を新設
- [92]1983年10月 事業本部を機電・商品・電子システム・電子計算機・電子デバイス・海外の6事業本部に再編
- [105]1989年6月 自動車機器事業本部を新設
- [107]1993年6月 9事業本部へ再編し生産システム本部を新設
- [139]1999年4月 電力工業システム事業本部と社会システム事業本部を社会インフラ統括事業本部へ統合しビルシステム事業本部を新設
- [140]1999年 家電業界初のリサイクルプラントが稼働
- [141]2000年 映像情報事業本部と住環境事業本部をリビング・デジタルメディア事業本部へ統合
- [142]2001年 コーポレートステートメント「Changes for the Better」を制定
- [143]2003年6月 委員会等設置会社(現指名委員会等設置会社)へ移行
- [144]2003年 東芝と製造業プラント向け電機設備事業の合弁会社 東芝三菱電機産業システムを設立
- [148]2003年 半導体事業本部を半導体・デバイス事業本部へ改称し汎用メモリからパワー半導体・高周波/光デバイス中心へ移行
- [153]2010年9月 インド、2011年6月 ベトナム、2012年9月 ブラジル、同年12月 インドネシア、2013年1月 トルコ、2014年10月 ロシアに総合販売会社を設立
- [155]2016年2月 イタリアの業務用空調事業会社デルクリマ社を完全子会社化
- [169]1921年の創立以来、製作所単位の縦割り運営が続いていた
- [176]2022年4月 インフラ・インダストリー/モビリティ・ライフ・ビジネスプラットフォームの4ビジネスエリアを設定
- [177]2022年4月 ビルシステム事業を承継し三菱電機ビルソリューションズ、ソフトウエア設計子会社6社を統合し三菱電機ソフトウエアを発足
- [178]2023年4月 ビジネスプラットフォームBAを分割し半導体・デバイス事業本部を分離、電子システム事業本部を防衛・宇宙システム事業本部へ改称
- [184]2024年4月 自動車機器事業を会社分割により分社化し三菱電機モビリティを設立
- [185]2024年4月 三菱重工業と発電機事業の合弁会社 三菱ジェネレーターを設立
- [29]1949年5月 10%の人員整理と10%の賃金引き下げを発表し業界合理化の口火
- [32]電気機械の生産額は1950年238億円から1951年533億円へ急増
- [33]戦時中の停滞で国内の重電技術が欧米に後れる
- [34]欧米は14万5000キロワット級タービンを実用化
- [35]1952年完成の築上発電所向け国産設備は3万5000キロワット
- [43]外資法制定を機に富士電機=ジーメンス、東芝=GEが関係を復活
- [44]1953年 日立製作所がGEから火力プラント技術を導入
- [31]1950年3月期 8分の低率で配当を復活
- [41]ロイヤリティは1年目25万ドル・2年目30万ドル・3年目40万ドル・4年目以降売上の3%
私の履歴書 経済人8「高杉晋一」(日本経済新聞社, 1980年)
- [37]WH社は三菱電機が分割され商号を失えば技術契約は結べないと通告
- [38]1950年4月 高杉晋一社長が三井・住友代表とともに吉田茂首相へ陳情、5月末に一年延期
- [39]1952年4月28日の講和条約発効で商号使用の禁止令が消滅
日本経済新聞「私の履歴書」進藤貞和(1986年7月)
- [40]1951年4月 米ウエスチングハウス社との技術提携を復活
- [46]水素冷却発電機の開発で長崎製作所の今北孝次試験課長をWH社へ派遣、同製作所員の海外出張は戦後初
- [56]1959年ごろ 関義長社長が米WH社から一センチ角ほどのICの試作品を持ち帰る
- [57]ICの試作品の話が新聞記事になり三菱電機の株価が一時暴騰
- [58]1961年 中央研究所が製法を考案し「モレクトロン」として商品化
- [59]モレクトロンは国産IC第一号で、開発の早さから1970年ごろまで国産メーカーの首位
- [67]1970年ごろから日本の十倍規模で生産する米国メーカーの販売攻勢で国産各社が赤字
- [68]1972年4月 半導体事業部を設置し生産・販売を強化
- [69]初代事業部長のマレーシア工場案を進藤社長が言葉の違いと自動化の進展を理由に却下
- [93]1983年 米国に半導体工場を設立
- [94]米国工場の設立は日米摩擦の緩和を意図したもの
- [96]1984年 西条工場(愛媛県)を一部完成、1985年 高知工場に着工
- [97]西条の塩害を懸念する社内の反対を進藤貞和社長が押し切る
株式会社年鑑 昭和31年版
- [42]1955年9月時点でWH社が発行済4800万株のうち200万株を保有し筆頭株主
会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955年)「新三菱重工業」の項
- [45]1952年2月 新三菱重工業が蒸気タービン製作で米WH社と技術提携
- [51]電力各社は1958年度から1963年まで5年間で1000万キロワット近い電源開発を計画
- [52]1959年 売上高が前年同期比16%増・利益金35%増で創業以来の最高
- [53]1959年 証券市場で成長株と呼ばれる
- [63]1963〜1964年を境に電化ブームが終わり1965年9月期は利益剰余金取り崩しで無配転落を回避
- [64]同不況で富士電機・安川電機は無配、明電舎は住友グループへ身売り
証券アナリストジャーナル 1973年 第11巻第2号「三菱電機」(進藤貞和・三菱電機社長)
- [65]1971年9月期 為替差損5億3700万円で6%減益・2分減配
- [66]全社総点検運動「101作戦」を開始し進藤貞和社長は量から質への転換を基本方針とする
- [70]1958年から事業部制を導入し手直しを重ねる
- [71]1972年末には10事業部
日経ビジネス 1977年12月5日号「ヒット商品が生まれるのも人間しだい 進藤貞和氏(三菱電機社長)が語る"脱トノサマ商法"」
- [72]従来の事業部編成は生産志向型で客を単位にしていなかった
- [75]進藤貞和社長は機構改革の狙いを「全体的に販売志向型にしよう」と説明
- [76]研究本部を開発本部へ改称
- [77]4事業本部長は技術的エキスパートを条件とせず4人が協力できることを大前提に選任
証券アナリストジャーナル 1977年 第15巻第5号「三菱電機」(八塚茂治・三菱電機副社長)
- [78]攻めのSP76作戦と守りのVA350作戦を実施
- [79]原価低減は目標350億円に対し実績410億円
- [80]操業度は1975年度上期76%から1976年度上期95%へ回復
- [83]1976年度の輸出受注1700億円(前年度比69.7%増)でうち3分の2がプラント輸出
- [84]イラク電力庁向け発電プラント約250億円・イラン電力庁向け変電プラント約260億円を受注
三菱電機 会社年鑑(1986年版・単体業績)
- [81]1977年3月期 単体売上高6962億円・経常利益145億円・当期純利益85億円
- [82]1977年3月期の経常利益は前期61億円の2倍超
週刊東洋経済 1977年10月15日号「雌伏50年!三菱電機ブーム」
- [85]1977年10月 日立・東芝の停滞をよそに単独増益を続け「雌伏50年」のブームと評される
- [86]売る相手の定まらないエレクトロニクス部門の弱さが指摘される
- [87]1977年10月時点の半導体売上高は年間約400億円でうち20%が社内向け
- [88]民生用か産業用かの方針がなく業界シェアも低いと指摘される
日経ビジネス 1980年6月16日号「三菱電機 京都製作所に学ぶ"開き直り蘇生術" 逆境に捨て身の設備投資 同時に意識革命、ヒット生む」
- [89]赤字の京都製作所で大森淳夫所長が購買部長・営業部長を兼務し3年で一人当たり生産高2.26倍
- [90]買い替え需要を読んだシステムテレビとVTRのピクチャーサーチを商品化
日本経済新聞(1984年7月31日)「今年、IC生産2兆円に」
- [95]1984年 国内のIC生産額は2兆円に達する見通し
- [98]1985年の不況で半導体生産はピーク比三割強の落ち込み、原因はメモリー市況の崩壊
- [99]1986年7月 日米両政府が日米半導体協定の締結に合意
- [100]公正市場価格(FMV)の導入で価格引き下げによる量産効果狙いの戦略が封じられる
- [106]4メガDRAMで韓国の三星電子が世界最大とみられメモリー中心の経営が行き詰まる
証券アナリストジャーナル 1989年27巻7号「三菱電機」(天野順介 常務取締役 講演要旨)
- [101]1989年6月 天野順介常務取締役が1メガDRAMで業界第二位・4メガ/16メガも量産可能と講演
- [102]重電の工場を半導体の工場へ転換
- [103]1988年度単独決算 売上高2兆2301億円(14.1%増)・経常利益931億円(122.7%増)・当期利益324億円(63.9%増)
- [104]経常利益と当期利益の伸び率の差は体質改善のための半導体の有税償却が主因
日経ビジネス 1994年7月11日号「三菱電機、即効追わぬ改革。社内公募制、事業本部再編…『変化に縁遠い大企業』の風土が変わり始めた」
- [108]1994年3月期 情報通信システム・電子デバイス部門が177億円の営業損失
- [109]同部門は連結売上高の31%を占める最大部門
- [112]三菱電機は「最も変化に縁遠い大企業の1つ」と評され業績の振幅が小さかった
- [114]1993年の9事業本部再編で投資枠を1億円から5億円へ広げ常務会の案件が6割減
- [118]北岡社長は米国流の激しいリストラをとらず「じわじわ効く漢方薬方式がベスト」と述べ雇用を守る立場
日経ビジネス 1998年8月17日号「敗軍の将、兵を語る 北岡隆氏[三菱電機前社長、現取締役常任相談役] 投資判断誤り1000億円赤字 改革途上で無念の辞任」
- [110]1992年 半導体部門出身の北岡隆氏が社長に就任、重電出身でない初の社長
- [111]北岡社長は「万年3位に安住する三菱電機を業界トップにしよう」と改革に着手
- [116]日立・東芝に先んじて年功的な人事・報酬制度を廃し社内公募制を導入
- [117]北岡社長は社員との対話集会「社長フォーラム」を約70回開催
- [122]1994〜1996年の半導体投資は連結で約3000億円
- [125]1997年 米マイクロン社の安値攻勢でDRAM市況が急落
- [128]1998年3月期は上場以来初の無配
- [132]北岡社長は「脱DRAMを推し進められなかった」ことを最大のミスと認める
- [133]1998年3月 北岡社長が辞任を表明し後任に谷口一郎専務を指名
日経ビジネス 1994年3月21日号「編集長インタビュー 北岡隆氏[三菱電機社長] トップが動かねば変革できぬ 成長の芽は関係会社にある」
- [113]北岡社長はGEのジャック・ウェルチ会長流の選択と集中を経営の指針に掲げる
- [115]売上高2兆5000億円に対し従業員5万人は過剰として本社人員を毎年10%削減する方針
- [119]社内には重電が本流でコンピューター等を手がけると出世できないという意識があった
- [120]北岡社長は不採算事業を子会社化して稼ぐ体質への転換を図る
三菱電機グループの実態1995年版(アイアールシー)
- [121]1995年1月 赤井電機の経営権をセミ=テックグループへ譲渡
週刊東洋経済 1998年5月23日号「三菱電機/脱・三菱重工の失敗 再生か、解体か? 問われる存在意義」
- [123]1995年度以降はDRAM中心に半導体投資を年1000億円以上へ拡大
- [124]1995年度の単独経常利益は1000億円を突破し過去最高益1363億円に肉薄
- [126]1997年度の半導体事業の赤字は約900億円、家電事業の赤字も350億円程度
三菱電機 会社年鑑(連結業績)
- [127]1998年3月期 連結売上高3兆8013億円・経常損益525億円の赤字・当期純損益1059億円の赤字
日本経済新聞(1998年2月17日)「汎用DRAM事業、三菱電・沖電気撤退へ」
- [129]1998年2月 沖電気工業と同時に汎用DRAM事業からの撤退を決定
- [130]市況悪化での撤退は初めてで両社ともシステムLSIへ特化する方針
- [131]日本の半導体産業が得意分野に的を絞る「選択の時代」に入ったと論評
週刊東洋経済 1999年8月7日号「編集長インタビュー 谷口一郎 三菱電機社長 もはや独立独歩では生き残れない」
- [134]谷口一郎社長は就任1年で資材調達・営業拠点の見直し等により約400億円のコストダウンを実現
- [135]進藤貞和元社長以来の歴代社長がエレクトロニクス・情報通信事業の強化を掲げてきた
- [136]基幹事業も同時に増強された結果、NEC・富士通など専業企業に比べ経営資源が分散
- [137]谷口社長は「もはや独立独歩では生き残れない」と述べ選択と集中を不可欠とした
- [138]戦略事業をITビジネスに置き情報・通信・映像各事業の拡大と融合を見込む
日立製作所・三菱電機 ニュースリリース(2002年10月3日)「日立製作所と三菱電機が半導体新会社 ルネサス テクノロジの設立について基本合意」
- [145]2003年4月 日立製作所とシステムLSI事業を統合しルネサステクノロジを設立
日立製作所・三菱電機 ニュースリリース(2002年12月26日)「半導体新会社『ルネサス テクノロジ』の合弁契約を締結」
- [146]ルネサステクノロジの資本金500億円・出資比率は日立製作所55%と三菱電機45%
- [147]統合対象からDRAMは除外
週刊東洋経済 2016年10月15日号「この人に聞く 三菱電機 社長 柵山正樹 為替で実力を見誤ったが 投資刈り取り収益向上へ」
- [149]DRAMはエルピーダメモリ、システムLSI・マイコンはルネサステクノロジへ分社
- [150]柵山正樹社長は変動の大きい事業を整理したためリーマン・ショック下でも赤字に落ちなかったと説明
- [157]2020年度までに売上高5兆円・営業利益率8%超の目標に対し営業利益率で2ポイント以上の差
- [158]柵山社長は1ドル100〜105円で営業利益率6%を割るとして実力を見誤ったと反省
- [159]毎年一つ以上の事業から撤退し2016年4月に携帯電話販売会社を事業譲渡
- [160]撤退の判断基準は現状の損益と将来の展望・全社での相乗効果
三菱電機 有価証券報告書 第139期(2010年3月期)【連結損益計算書】
- [151]2010年3月期の連結営業利益943億円
三菱電機 有価証券報告書 第143期(2014年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [152]2014年3月期の連結売上高4兆543億円
三菱電機 有価証券報告書 第144期(2015年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [154]2015年3月期 IFRSで連結売上高4兆3230億円・営業利益3229億円
週刊東洋経済 2019年6月22日号「企業リポート 実は鉄道メーカー国内2位 三菱電機「全方位戦略」の強み」
- [156]2019年時点で鉄道車両向け電機品の国内シェア約6割、鉄道関連売上高は約2000億円
週刊東洋経済 2020年6月20日号「特集 電機の試練 産業メカトロニクスへの集中が裏目に “優等生”三菱電機の誤算」
- [161]2021年3月期の営業利益は前期比半減以下の1200億円の見通し
- [162]営業利益率は前期5.8%から2.9%へ低下し中期経営計画の8%以上に未達
- [163]不振の原因はコロナ禍と産業メカトロニクス部門への傾注が裏目に出たこと
- [164]直近5年間の累計設備投資額の約4割を産業メカトロニクスが占め4200億円超を投じた
- [165]産業メカトロニクス部門の営業利益は2018年3月期1908億円から2021年3月期130億円へ急減
- [166]大手電機8社で唯一リーマン・ショック以降赤字なしだが事業・工場ごとの独立性が強く横の連携が少ない
日本経済新聞(2021年6月29日)「三菱電機、鉄道車両空調で『不適切』検査 30年以上か」
- [167]長崎製作所の鉄道車両向け空調装置で顧客指定と異なる検査や架空の成績書作成が1980年代から30年以上継続
MONOist(2021年7月1日)「三菱電機の鉄道車両用空調装置で不適切検査が発覚、『全社再点検』をすり抜け」
- [168]過去に実施した「全社再点検」でも不正を確認できず自浄機能が働かなかった
オートメーション新聞(2021年7月28日)「三菱電機、執行役体制を一新。新社長に漆間氏」
- [170]2021年7月2日 杉山武史社長が引責辞任を表明、同月28日に事務系出身で1982年入社の専務 漆間啓氏が執行役社長・CEOへ昇格
- [171]漆間社長は不正の原因を「組織として品質に対する誠実さがなかった」ことに置いた
- [172]漆間社長は「上から変わることが重要だ」と述べた
日本経済新聞(2021年12月23日)「三菱電機、品質不正で漆間社長ら処分 新旧役員12人」
- [173]2021年12月 品質不正の経営責任として新旧役員12人を処分
MONOist(2022年10月21日)「三菱電機が品質不正の調査を終了、総数197件に上り柵山前会長も課長時代に関与」
- [174]2022年10月の最終報告で品質不適切行為は合計197件、柵山正樹前会長も課長時代の関与が認定
三菱電機「品質不適切行為に関する調査状況」(公式)
- [175]2021年10月 社長直轄の品質改革推進本部を新設し全製作所に品質保証監理部を設置
三菱電機 ニュースリリース(2023年3月14日)「三菱電機 SiCパワー半導体の生産体制強化に向け新工場棟を建設」
- [179]2023年3月 パワーデバイス事業の2021〜2025年度累計設備投資を約1300億円から約2600億円へ倍増
- [180]SiCウエハに約1000億円を投じ熊本県菊池市に8インチウエハ対応の新工場棟を建設
時事ドットコム(2026年3月17日)「車機器子会社、出資受け入れ検討 企業価値向上へ―三菱電機」
- [181]自動車機器事業は収益改善が課題で赤字が続いていた
三菱電機「(経過開示)自動車機器事業の構造改革に伴う会社分割(簡易吸収分割)による分社化に関するお知らせ」(2023年10月31日)
- [182]2023年3月期の自動車機器事業売上高6218億円は三菱電機単独売上高2兆7121億円の22.9%
三菱電機「自動車機器事業の構造改革について」(2023年4月24日)
- [183]2023年4月24日の執行役会議で自動車機器事業の構造改革を決議
三菱電機「鴻海精密工業と自動車機器事業の共同運営を通じた戦略的提携の検討開始に合意」(2026年4月24日)
- [186]2026年4月24日 鴻海精密工業と覚書を締結し三菱電機モビリティへの50%出資受け入れも視野に共同運営の検討を開始
三菱電機 IR Day 2025(2025年5月28日)
- [187]2025年5月のIR Dayで売上1兆9000億円規模の事業を価値再獲得事業と分類
- [188]価値再獲得事業のうち約0.3兆円は原則2027年度中に終息、約0.8兆円は2025年度中に判断、残る約0.8兆円は継続検討中
三菱電機 2026年3月期 第3四半期決算説明会 質疑応答(2026年2月3日)
- [189]ネクストステージ支援制度特別措置に三菱電機単独で2378人が応募
- [190]ネクストステージ支援制度の費用は国内関係会社を含め合計約1000億円の見込み
三菱電機 有価証券報告書 第154期(2025年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [191]2025年3月期 連結売上高5兆5217億円
三菱電機 有価証券報告書 第154期(2025年3月期)【連結損益計算書】
- [192]2025年3月期 連結営業利益3918億円で過去最高