富士通 の歴史

更新:

創業

1935年

創業者

※富士電機製造

創業地

神奈川県川崎市

直近売上高(2026/3)

35,030億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1967年に「通信機」を社名から外し、コンピュータメーカーへ自己を定義し直したのか
A 米IBMが日本市場へ攻めてくるなか、電算機を国産で押さえる国策の圧力が富士電機系の通信機メーカーに向いたためである。欧州由来の通信技術で出発した富士通には1954年のFACOM100という計算機の足場があり、通信投資で稼ぎながら計算機を本業へ据え直す余地があった。1959年に読売新聞がIBMの日本進出計画と国産化への協力を促す論調を伝え、1967年6月に社名から「通信機」を外して自らをコンピュータメーカーと名乗り、1971年には日立と提携して国内シェア3割の連合を組んだ
Q なぜ1974年に独自開発でなく、IBM互換という追随路線を選んだのか
A 独自アーキテクチャを一から開発する重い負担を避け、IBMの生態系に相乗りしてその顧客を直接取り込むほうが、限られた体力で世界大手と戦える現実的な道だったためである。価格ではなくSE集団のサポートで使い続けてもらう読みもあった。1974年に池田敏雄氏が主導して米Amdahlへ出資し互換路線を採ると、独自色を残した日立・NECとはここで分かれた。1980年に国内売上で日本IBMを抜き、1990年の英ICL買収と1997年の米Amdahl完全子会社化で欧州・北米・日本の3極にメインフレームを広げ、IBMに次ぐ世界2位の汎用機メーカーになった
Q なぜ2026年に、IBM互換で世界2位まで上り詰めた祖業のメインフレームを畳む決断をしたのか
A 社会インフラがクラウドへ移り、ハードを自前で抱える流儀の合理性が薄れたためである。半導体・携帯・PCを次々と手放した先に最後まで残っていた祖業のハードまで畳むことで、SIとサービスへ経営資源を集める判断でもあった。2026年1月の決算説明会で富士通は、1954年のFACOM100から続いたメインフレームの販売を2030年度末で終えると示した。価値で売るFujitsu Uvanceや、生成AIのFujitsu KozuchiとカナダCohereへの出資が、ハードを離れた新しい本業を厚くする布石である

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1935年〜 通信機メーカーの出発と電算機事業への参入

富士通の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1935年 富士電機製造の電話部が分離独立し富士通信機製造を設立
  2. 1938年 本店を神奈川県川崎市(中原区)上小田中に移転
  3. 1944年 金岩工作所をグループ会社化
  4. 1949年 東京証券取引所再開と同時に上場
  5. 1951年 電子計算機の製造を開始
  6. 1953年 無線通信機器の製造を開始
  7. 1954年 電子デバイスの製造を開始

富士電機から分かれた通信機メーカーの出発

富士通の事業は、富士電機が1930年に電話機の組立と修理を始めた[1]地点に始まる。母体の富士電機製造は1923年、古河電気工業とドイツのシーメンスの技術提携にもとづいて設立され[2]、各種の電気機器と通信機の輸入や製造販売を手がけていた。通信網の発達で通信機の需要が伸びたのを受け、1935年6月、富士電機は通信機部門を分離独立させ、富士通信機製造株式会社を発足させた[3]。承継したのは電話交換装置・電話機・装荷線輪の三部門で、1937年には搬送通信装置の製造も加えている[4]。1938年11月には本店を神奈川県川崎市上小田中へ移し[5]、1949年5月、東京証券取引所の再開と同時に上場した[6]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968年)「富士通」
    • [1]1930年 富士電機が電話機の組立と修理を開始
    • [2]富士電機製造 1923年 シーメンスとの技術提携にもとづき設立
    • [4]承継した三部門 電話交換装置・電話機・装荷線輪/1937年 搬送通信装置の製造を追加
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [3]1935年6月 富士電機が通信機部門を分離独立させ富士通信機製造株式会社を発足
    • [5]1938年11月 本店を神奈川県川崎市上小田中へ移転
    • [6]1949年5月 東京証券取引所再開と同時に上場

総合通信機・電子機器メーカーとしての形が固まったのは戦後で、その第一歩が1951年5月の電子計算機への進出だった[7]。1952年4月にシーメンスとの技術提携を復活させ、1953年8月に無線通信装置、1954年4月に電子機器部品の製造をそれぞれ始めている[8]。応用分野への踏み込みも早く、1956年11月にはわが国最初の工作機械自動制御装置を完成させた[9]。1964年には国内で唯一の純国産・自社開発技術によるFACOM電算機231をニューヨークの世界博覧会へ出品[10]し、国内外のメーカーとユーザーから高い評価を得ている。1957年6月に新光電気工業をグループ会社とし、1960年12月に大阪証券取引所、1961年10月に名古屋証券取引所へ上場[11]、1962年5月には富士通研究所を設置して開発の担い手を社内に抱えた[12]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968年)「富士通」
    • [7]1951年5月 電子計算機へ進出
    • [8]1952年4月 シーメンスとの技術提携を復活/1953年8月 無線通信装置/1954年4月 電子機器部品
    • [9]1956年11月 わが国最初の工作機械自動制御装置を完成
    • [10]1964年 純国産のFACOM電算機231をニューヨーク世界博覧会へ出品
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1957年6月 新光電気工業をグループ会社化/1960年12月 大阪証券取引所上場/1961年10月 名古屋証券取引所上場
    • [12]1962年5月 富士通研究所を設置
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968年)「富士通」
    • [1]1930年 富士電機が電話機の組立と修理を開始
    • [2]富士電機製造 1923年 シーメンスとの技術提携にもとづき設立
    • [4]承継した三部門 電話交換装置・電話機・装荷線輪/1937年 搬送通信装置の製造を追加
    • [7]1951年5月 電子計算機へ進出
    • [8]1952年4月 シーメンスとの技術提携を復活/1953年8月 無線通信装置/1954年4月 電子機器部品
    • [9]1956年11月 わが国最初の工作機械自動制御装置を完成
    • [10]1964年 純国産のFACOM電算機231をニューヨーク世界博覧会へ出品
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [3]1935年6月 富士電機が通信機部門を分離独立させ富士通信機製造株式会社を発足
    • [5]1938年11月 本店を神奈川県川崎市上小田中へ移転
    • [6]1949年5月 東京証券取引所再開と同時に上場
    • [11]1957年6月 新光電気工業をグループ会社化/1960年12月 大阪証券取引所上場/1961年10月 名古屋証券取引所上場
    • [12]1962年5月 富士通研究所を設置

IBMの日本進出という脅威と国産化の圧力

1959年10月時点で、IBMの日本進出計画についての申請はすでに現実に出ており、国産化へ早急に踏み切るための協力体制づくり[13]が急務となっていた。1960年6月には貿易・為替自由化計画の大綱が決まり、国際社会の一員として自由化の体制へ積極的に順応することが求められる情勢となる[14]。相手の規模は隔絶しており、1962年時点のIBMは従業員7万5000人、前年の売上高16億9496万ドルでアメリカ第22位、全額出資子会社を通じて世界93カ国に支社を持ち、比較できる日本の会社はないと評された[15]。対する日本のメーカー7社の電子計算機部門は総動員しても7000人に届かず[16]、自由化を前に「いったい、どこに活路を求めたらよいか」が問われた[17]

  • 読売新聞「実用化を進める」(1959年10月4日)
    • [13]1959年10月 IBM日本進出計画の申請を受け国産化の協力体制を急ぐ必要性が指摘された
  • 日経 1960年6月24日号「貿易為替・資本自由化計画の大綱決まる」
    • [14]1960年6月 貿易・為替自由化計画の大綱が決定
  • 読売新聞「IBMへ敵情視察」(1962年10月16日)
    • [15]1962年 IBM 従業員7万5000人・前年売上高16億9496万ドル・アメリカ第22位・世界93カ国に支社
    • [16]日本のメーカー7社の電子計算機部門は総動員しても7000人に届かない
    • [17]自由化を前に「いったい、どこに活路を求めたらよいか」と問われた

社長の岡田完二郎氏は、経営の軸を変化への対応力に置いた[18]。「経済界というものは非常に大きな“いきもの”ですね。ですから、積極策もいいのですが、それも波に乗った時にやらないと失敗する。つまり機に応じてカジをとっていくことですね」(経済時代 1963年5月)と語り、「現にフォーチュン誌(中略)をみても、30年前に比べると100位いないにあった会社が50%以上も脱落している。ということは、その変化に応じ切れなかったからである」(同)と続けた。技術の細部を自ら解するのではなく、報告する技術者の声の大きさと目の輝きを手がかりに最終判断を下す型の経営者でもあった[21]。1967年6月、社名を富士通信機から富士通へ変更し[22]、通信機の専業から通信と電子の総合メーカーへ転じた姿を看板に反映させている。1968年3月期の売上構成は交換機・電話機27%と無線伝送装置23%で通信機関係が50%、電子機器27%と電子部品15%で電子関係が42%となり[23]、両者が肩を並べた。 [19][20]

    • [18]岡田完二郎 富士通社長 1963年に変化への対応力を経営の軸として語る
    • [19]岡田完二郎氏の発言「機に応じてカジをとっていくこと」
    • [20]フォーチュン誌の30年前上位100社のうち50%以上が脱落
  • 志を高く(1999年)
    • [21]岡田完二郎氏は技術者の報告の声の大きさと目の輝きをもとに自ら最終判断を下した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968年)「富士通」
    • [22]1967年6月 社名を富士通信機から富士通へ変更
    • [23]1968年3月期 売上構成 交換機・電話機27%/無線伝送装置23%/電子機器27%/電子部品15%

国産電算機メーカーは技術そのものは開発済みとしながらも、当時もっとも進んだ電算機とされたIBM370シリーズが採用されることに脅威を感じていた[24]。国内の布陣もこの圧力のもとで組み替[25]えられる。1971年10月、日立製作所との電算機事業提携が公表された[26]。売上で富士通が1位、日立が2位であり、この1位・2位連合によって国内シェアの3割を占め[27]、国内ではIBMと対抗できる勢力になると報じられた。電算機業界は3年後に控えた資本自由化を前に再編成の機運が急速に高ま[28]っていた。国策で国産電算機を育てる枠組みのなかで、富士通は国内首位の位置を確保した[29]

  • 志を高く(1999年)
    • [24]国産電算機メーカーはIBM370シリーズの採用に脅威を感じていた
  • 読売新聞「電算機・日立・富士通が提携」(1971年10月22日)
    • [25]国内の布陣が自由化圧力のもとで組み替えられた(日立との提携)
    • [26]1971年10月 日立製作所との電算機事業提携を公表
    • [27]富士通1位・日立2位の連合で国内シェア3割
    • [28]電算機業界は3年後の資本自由化を控え再編成機運が高まっていた
  • 読売新聞「富士通ついにIBM追い抜く」(1980年5月28日)
    • [29]国策としての国産電算機育成のもとで富士通が国内首位を確保
  • 読売新聞「実用化を進める」(1959年10月4日)
    • [13]1959年10月 IBM日本進出計画の申請を受け国産化の協力体制を急ぐ必要性が指摘された
  • 日経 1960年6月24日号「貿易為替・資本自由化計画の大綱決まる」
    • [14]1960年6月 貿易・為替自由化計画の大綱が決定
  • 読売新聞「IBMへ敵情視察」(1962年10月16日)
    • [15]1962年 IBM 従業員7万5000人・前年売上高16億9496万ドル・アメリカ第22位・世界93カ国に支社
    • [16]日本のメーカー7社の電子計算機部門は総動員しても7000人に届かない
    • [17]自由化を前に「いったい、どこに活路を求めたらよいか」と問われた
    • [18]岡田完二郎 富士通社長 1963年に変化への対応力を経営の軸として語る
    • [19]岡田完二郎氏の発言「機に応じてカジをとっていくこと」
    • [20]フォーチュン誌の30年前上位100社のうち50%以上が脱落
  • 志を高く(1999年)
    • [21]岡田完二郎氏は技術者の報告の声の大きさと目の輝きをもとに自ら最終判断を下した
    • [24]国産電算機メーカーはIBM370シリーズの採用に脅威を感じていた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968年)「富士通」
    • [22]1967年6月 社名を富士通信機から富士通へ変更
    • [23]1968年3月期 売上構成 交換機・電話機27%/無線伝送装置23%/電子機器27%/電子部品15%
  • 読売新聞「電算機・日立・富士通が提携」(1971年10月22日)
    • [25]国内の布陣が自由化圧力のもとで組み替えられた(日立との提携)
    • [26]1971年10月 日立製作所との電算機事業提携を公表
    • [27]富士通1位・日立2位の連合で国内シェア3割
    • [28]電算機業界は3年後の資本自由化を控え再編成機運が高まっていた
  • 読売新聞「富士通ついにIBM追い抜く」(1980年5月28日)
    • [29]国策としての国産電算機育成のもとで富士通が国内首位を確保

1974年〜 IBM互換路線による首位奪取と、追い抜いた後の空虚

富士通の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1974年 IBM互換路線とシステムエンジニア営業による国内首位奪取 世界を支配するIBMに、独自技術ではなく「互換」で挑む——富士通はどのように日本IBMを追い抜いたか
  2. 1976年 フランクフルト証券取引所に上場(2009年12月上場廃止)
  3. 1980年 富士通の国内売上が日本IBMを上回る
  4. 1981年 ロンドン証券取引所に上場(2014年1月上場廃止)
  5. 1985年 「脱IBM」多角化——通信・AI・パソコンへの新市場攻勢 汎用機でIBMを追い抜いた後、一本足の成功をどう組み替えるか
  6. 1986年 日商岩井との合弁でエヌ・アイ・エフを設立
  7. 1989年 保守部門の一部を分離し富士通カストマエンジニアリングを設立

アムダール出資とシステムエンジニア営業

独自アーキテクチャを自前で開発する道と、IBMと互換の機械で顧客を取り込む道の岐路で、富士通は後者を選んだ[30]。1974年5月、天才技術者と呼ばれた池田敏雄氏の主導で米アムダールへ出資し、IBM互換メインフレームの開発体制と販売網を得ている[31]。出資そのものは1972年に遡り、部品供給や一部機種のOEM生産を通じて取引関係は緊密だった[32]。アーキテクチャ開発の重い負担を避けつつIBMの利用者を直接取り込む構えで、独自色を残した日立製作所や日本電気とは道を分かった[33]。国策で国産電算機を育てた時代に、後発として世界最大手の生態系へ相乗りする賭けである[34]

  • 読売新聞「IBMへ敵情視察」(1962年10月16日)
    • [30]独自アーキテクチャ開発とIBM互換の岐路で互換路線を選択
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
    • [31]1974年5月 池田敏雄氏の主導で米アムダールへ出資しIBM互換メインフレームの開発体制と販売網を獲得
  • 週刊東洋経済 1997年11月8日号「企業戦略 富士通 アムダール買収の成算」
    • [32]アムダールへの出資は1972年に遡り部品供給や一部機種のOEM生産で取引関係が緊密だった
    • [33]日立製作所・日本電気が独自色を残したのに対し富士通は互換路線を徹底
  • 読売新聞「富士通ついにIBM追い抜く」(1980年5月28日)
    • [34]後発として世界最大手の生態系へ相乗りする選択

現場の士気は高く、社長の小林大祐氏は社員を“気違い集団”と呼んだ[35]。新婚旅行も途中で切り上げて仕事に戻る集団が、世界のマンモス企業であるIBMを相手に一歩も退かぬ健闘を見せていると評されている[36](日経ビジネス 1976年8月30日)。小林氏は営業の形も価格ではなくサポートに置き、機械を使って効果を上げてもらうためのアフターサービスこそが重要で、そのためにシステムエンジニアの集団を顧客の要望に応じてすぐ提供できる態勢にしておかねばならないと語った[37]。1980年5月、富士通の国内売上がIBM日本法人を上回ったことが報じられ[38]、国際競争力のあるコンピューター産業の育成というわが国の産業政策の柱が最終段階を迎えたものとして注目された[39]

  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「小林大祐氏が語る“気違い集団”の謎」
    • [35]小林大祐 富士通社長 社員を“気違い集団”と呼ぶ
    • [36]新婚旅行も途中で切り上げて仕事に戻る集団がIBMを相手に一歩も退かぬ健闘を見せた
    • [37]小林大祐氏 システムエンジニア集団を即応させる営業態勢を主張
  • 読売新聞「富士通ついにIBM追い抜く」(1980年5月28日)
    • [38]1980年5月 富士通の国内売上がIBM日本法人を上回ったと報じられる
    • [39]国際競争力のあるコンピューター産業の育成政策が最終段階を迎えたと評された
  • 読売新聞「IBMへ敵情視察」(1962年10月16日)
    • [30]独自アーキテクチャ開発とIBM互換の岐路で互換路線を選択
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
    • [31]1974年5月 池田敏雄氏の主導で米アムダールへ出資しIBM互換メインフレームの開発体制と販売網を獲得
  • 週刊東洋経済 1997年11月8日号「企業戦略 富士通 アムダール買収の成算」
    • [32]アムダールへの出資は1972年に遡り部品供給や一部機種のOEM生産で取引関係が緊密だった
    • [33]日立製作所・日本電気が独自色を残したのに対し富士通は互換路線を徹底
  • 読売新聞「富士通ついにIBM追い抜く」(1980年5月28日)
    • [34]後発として世界最大手の生態系へ相乗りする選択
    • [38]1980年5月 富士通の国内売上がIBM日本法人を上回ったと報じられる
    • [39]国際競争力のあるコンピューター産業の育成政策が最終段階を迎えたと評された
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「小林大祐氏が語る“気違い集団”の謎」
    • [35]小林大祐 富士通社長 社員を“気違い集団”と呼ぶ
    • [36]新婚旅行も途中で切り上げて仕事に戻る集団がIBMを相手に一歩も退かぬ健闘を見せた
    • [37]小林大祐氏 システムエンジニア集団を即応させる営業態勢を主張

追い抜いた後の空虚と「脱IBM」多角化

一国市場とはいえIBMの売上を抜いたことは大事件で、富士通は海外からも特別の評価を受けた[40]。ところが、コンピューターのトップメーカーというだけでは企業イメージが盛り上がらない時代がすでに来ていた[41]。IBM神話の崩壊は経営路線により本質的な問題を投[42]げかける。電算機室に大型コンピューターを据えて情報を集中処理する従来のシステムが、パーソナル・コンピューターなどによる分散処理の普及で揺らぎ始め、IBM機に象徴される汎用コンピューター中心の体制にほころびが見えてきたためである[43]。データ通信の発展で自己完結型のシステムは一層流動化し、コンピューターと通信が一体となってより高度な情報処理を目指す時代が到来した[44]。いずれも、IBM追撃時代にとってきた汎用コンピューターへの過度の傾斜の修正を迫るものだった[45]

  • 日経ビジネス 1982年5月31日号「富士通・IBM打倒後に猛烈企業を襲う“空虚”」
    • [40]IBMの売上を抜いたことは大事件で海外からも特別の評価を受けた
    • [41]トップメーカーというだけでは企業イメージが盛り上がらない時代を迎えた
    • [42]IBM神話の崩壊が経営路線に本質的な問題を投げかけた
    • [43]分散処理の普及で汎用コンピューター中心の体制にほころびが見えた
    • [44]データ通信の発展で自己完結型システムが流動化しコンピューターと通信が一体となる時代が到来
    • [45]IBM追撃時代の汎用コンピューターへの過度の傾斜の修正が迫られた

「C&C」を旗印とする日本電気のような複合企業を標的にすると、ただ猛烈に追いかけるだけでは射程距離が測れず、戦略が必要になる[46]。1985年11月、社長の山本卓眞氏のもとで富士通は「脱IBM」を掲げ、通信機・AI・パソコンといった汎用機以外の新市場へ製品攻勢をかけた[47]。同年6月には流通市場があきれるほどの新製品攻勢としてパソコン戦略が報じら[48]れている。人材面でも厚みがあり、1984年3月に東京大学の電気工学科・電子工学科を出た卒業生の就職先は、日本電気8人を筆頭に東芝と三菱電機が7人、日立製作所と富士通が6人という並びだった[49]。1986年2月には日商岩井との合弁でエヌ・アイ・エフを設立し、後のニフティにつながる事業の芽を置いている[50]。汎用機一本足からの脱却は、3本柱体制の厚みを生むと同時に、通信・コンピュータ・半導体を同時に抱える構造をつくった[51]

  • 日経ビジネス 1982年5月31日号「富士通・IBM打倒後に猛烈企業を襲う“空虚”」
    • [46]「C&C」を掲げる日本電気を標的にすると戦略が必要になると指摘された
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号「富士通“脱IBM”で通信・AIの新市場攻める」
    • [47]1985年11月 山本卓眞社長のもとで「脱IBM」を掲げ通信機・AI・パソコンの新市場へ攻勢
    • [51]汎用機一本足からの脱却が3本柱体制の厚みと同時抱えの構造を生んだ
  • 日経ビジネス 1985年6月24日号「富士通のパソコン戦略“流通市場があきれる新製品攻勢”の胸算用」
    • [48]1985年6月 パソコンの新製品攻勢が報じられた
  • 日経産業新聞「ハイテク・エリート争奪戦」(1984年8月22日)
    • [49]1984年3月 東大電気・電子工学科卒の就職先 日本電気8人/東芝・三菱電機7人/日立・富士通6人
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [50]1986年2月 日商岩井との合弁でエヌ・アイ・エフを設立(後のニフティ)
  • 日経ビジネス 1982年5月31日号「富士通・IBM打倒後に猛烈企業を襲う“空虚”」
    • [40]IBMの売上を抜いたことは大事件で海外からも特別の評価を受けた
    • [41]トップメーカーというだけでは企業イメージが盛り上がらない時代を迎えた
    • [42]IBM神話の崩壊が経営路線に本質的な問題を投げかけた
    • [43]分散処理の普及で汎用コンピューター中心の体制にほころびが見えた
    • [44]データ通信の発展で自己完結型システムが流動化しコンピューターと通信が一体となる時代が到来
    • [45]IBM追撃時代の汎用コンピューターへの過度の傾斜の修正が迫られた
    • [46]「C&C」を掲げる日本電気を標的にすると戦略が必要になると指摘された
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号「富士通“脱IBM”で通信・AIの新市場攻める」
    • [47]1985年11月 山本卓眞社長のもとで「脱IBM」を掲げ通信機・AI・パソコンの新市場へ攻勢
    • [51]汎用機一本足からの脱却が3本柱体制の厚みと同時抱えの構造を生んだ
  • 日経ビジネス 1985年6月24日号「富士通のパソコン戦略“流通市場があきれる新製品攻勢”の胸算用」
    • [48]1985年6月 パソコンの新製品攻勢が報じられた
  • 日経産業新聞「ハイテク・エリート争奪戦」(1984年8月22日)
    • [49]1984年3月 東大電気・電子工学科卒の就職先 日本電気8人/東芝・三菱電機7人/日立・富士通6人
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [50]1986年2月 日商岩井との合弁でエヌ・アイ・エフを設立(後のニフティ)

1990年〜 欧米買収による3極体制の構築と3本柱の同時崩壊

富士通の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1990年 英ICL買収による欧州・北米・日本の3極メインフレーム体制 IBM互換で国内を制した後、富士通はそのニッチを世界規模でどう押さえたか
  2. 1990年 ICL PLCをグループ会社化
  3. 1991年 携帯電話の販売を開始
  4. 1997年 Amdahlを完全子会社化
  5. 1999年 Siemensと合弁でFujitsu Siemens Computersを設立
  6. 2002年 連結最終赤字3,825億円からの再建と黒川博昭氏の構造改革 「絵に描いた餅」と評されたソフト・サービス転換を、赤字の底で誰がどう立て直すか

ICL・アムダール買収による世界2位のSE部隊

1990年10月、富士通は英ICLを出資比率80%で買収し、翌11月にグループ会社とした[52]。ICLはもともと英国の国策会社で、IBM互換路線をとる富士通とは異なり独自仕様のメインフレームを製造していた[53]。買収後はメインフレームの製造から段階的に撤退し、1997年1月にはパソコン等のOEM生産を担っていたメーカー部門「D2D」を売却している[54]。富士通からOEM供給を受けたコンピュータのシステムサービスこそがICLの本業となり、従業員2万人のうち1万人がシステムエンジニアとなった[55]。製造を手放して販売とサービスに徹する型が、ここで先に検証された[56]

  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
    • [52]1990年10月 英ICLを出資比率80%で買収/同年11月にグループ会社化
  • 週刊東洋経済 1997年11月8日号「企業戦略 富士通 アムダール買収の成算」
    • [53]ICLは英国の国策会社で独自仕様のメインフレームを製造していた
    • [54]1997年1月 ICLのメーカー部門「D2D」を売却
    • [55]ICL 従業員2万人のうち1万人がシステムエンジニア
    • [56]製造を手放し販売・サービスに徹する型がICLで先行して検証された

1997年9月20日までに、富士通は42%出資していた米アムダールの全株式を1106億円かけて公開買い付けで取得し、10月に完全子会社とした[57]。買収に伴う約500億円ののれん代を10年間で毎年50億円ずつ償却することになり、有利子負債はアムダール買収資金の見合い分が増えて1兆8000億円を超えた[58]。1985年3月期の890億円以来13期ぶりとなるはずだった最高益更新は見送ら[59]れている。それでも狙いは明確で、アムダールは1995年にカナダDMR、1996年に米トレコムを買収した結果、全従業員1万人のうち6000人がシステムエンジニアとなり、前期売上の67%をシステムサービスが占めるまで姿を変えていた[60]。買収により富士通は国内2万人、欧州1万人、北米6000人の計3万6000人のSEを抱え、世界で約6万人を擁するIBMに次ぐ規模となった[61]

  • 週刊東洋経済 1997年11月8日号「企業戦略 富士通 アムダール買収の成算」
    • [57]1997年9月20日までに米アムダール全株式を1106億円で公開買い付け(出資比率42%からの完全子会社化)
    • [58]のれん代約500億円を10年間で年50億円ずつ償却/有利子負債1兆8000億円超
    • [59]1985年3月期の890億円以来13期ぶりの最高益更新が見送られた
    • [60]アムダール 1995年カナダDMR・1996年米トレコム買収で従業員1万人中6000人がSE/前期売上の67%がシステムサービス
    • [61]国内2万人・欧州1万人・北米6000人の計3万6000人のSE体制でIBM(世界約6万人)に次ぐ世界2位
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
    • [52]1990年10月 英ICLを出資比率80%で買収/同年11月にグループ会社化
  • 週刊東洋経済 1997年11月8日号「企業戦略 富士通 アムダール買収の成算」
    • [53]ICLは英国の国策会社で独自仕様のメインフレームを製造していた
    • [54]1997年1月 ICLのメーカー部門「D2D」を売却
    • [55]ICL 従業員2万人のうち1万人がシステムエンジニア
    • [56]製造を手放し販売・サービスに徹する型がICLで先行して検証された
    • [57]1997年9月20日までに米アムダール全株式を1106億円で公開買い付け(出資比率42%からの完全子会社化)
    • [58]のれん代約500億円を10年間で年50億円ずつ償却/有利子負債1兆8000億円超
    • [59]1985年3月期の890億円以来13期ぶりの最高益更新が見送られた
    • [60]アムダール 1995年カナダDMR・1996年米トレコム買収で従業員1万人中6000人がSE/前期売上の67%がシステムサービス
    • [61]国内2万人・欧州1万人・北米6000人の計3万6000人のSE体制でIBM(世界約6万人)に次ぐ世界2位

汎用機の変調とハード自前主義との決別

富士通は汎用コンピューターとともに成長してきたが、その路線は1990年代初頭に曲がり角を迎えた[62]。売上の7割強を稼ぎ出してきたコンピューター部門の柱である汎用大型機がぐらつき始め、米IBMの赤字転落が象徴するようにダウンサイジングの進展が汎用大型機の地位を揺るがしたためである[63]。1990年に社長へ就いた関澤義氏は現場主義を掲げて5万人を率い[64]、1993年にはコストダウンを設計段階から行う方針とあわせて「ハード自前主義」との決別を明言した[65]。1991年4月には携帯電話の販売を始め、通信の裾野も広げている[66]。汎用機の需要が残るうちにハード中心の文化から素早く離れられるかどうかに、この時期のリストラの成否がかかっていた[67]

  • 日経ビジネス 1993年1月25日号「富士通の活路」
    • [62]富士通は汎用コンピューターとともに成長し1990年代初頭に路線が曲がり角を迎えた
    • [63]売上7割強を稼ぐ汎用大型機がぐらつき始めた/米IBMの赤字転落とダウンサイジングの進展
    • [67]汎用機の需要が残るうちにハード中心の文化から離れられるかにリストラの成否がかかると指摘された
  • 日経ビジネス 1991年4月号「関澤義氏[富士通]登場「現場主義」モットーに5万人率いる」
    • [64]関澤義 1990年 富士通社長就任 現場主義を掲げ5万人を率いた
  • 日経ビジネス 1993年9月号「編集長インタビュー 関澤義氏[富士通社長] コストダウンは設計段階から「ハード自前主義」とも決別」
    • [65]関澤義氏 1993年 設計段階からのコストダウンと「ハード自前主義」との決別を明言
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [66]1991年4月 携帯電話の販売を開始

1998年4月、関澤氏は下馬評どおりソフト部隊出身の秋草直之氏へ社長職を譲った[68]。収益改善と負債軽減が新体制の当面の課題とされ[69]、翌1999年4月には260億円を投じてニフティを買収している[70]。同年10月にはドイツのシーメンスとの合弁でFujitsu Siemens Computersを設立し、欧州の事業基盤を広げた[71]。総合電機5社時代の終焉が語られるなかで、1999年8月には勝ち組として富士通と日立の名が挙がっている[72]。もっとも、この時期の富士通はIBMと比べて有利子負債が多い財務構造を抱えたままだった[73]

  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]富士通 関澤社長交代に見る“潔さ”」
    • [68]1998年4月 関澤義氏からソフト部隊出身の秋草直之氏へ社長交代
  • 週刊東洋経済 1998年7月25日号「[ひと]秋草直之 富士通社長 収益改善、負債軽減へ「腕力」の見せどころ」
    • [69]秋草直之氏は収益改善と負債軽減を当面の課題とした
  • 週刊東洋経済 1999年4月17日号「買収 富士通が260億円で買ったニフティは果たしてお買い得か」
    • [70]1999年4月 260億円でニフティを買収
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [71]1999年10月 ドイツSiemens AGとの合弁でFujitsu Siemens Computersを設立
  • 週刊東洋経済 1999年8月7日号「[特集]2003年勝ち組負け組 総合電機 総合5社時代終焉へ 勝ち組は富士通と日立」
    • [72]1999年8月 総合5社時代終焉のなかで勝ち組として富士通と日立が挙げられた
  • 週刊東洋経済 1999年4月10日号「[特集]キャッシュフロー革命 富士通vsIBM 自己株消却進めるIBM 有利子負債多い富士通」
    • [73]富士通はIBMと比べ有利子負債が多い財務構造を抱えていた
  • 日経ビジネス 1993年1月25日号「富士通の活路」
    • [62]富士通は汎用コンピューターとともに成長し1990年代初頭に路線が曲がり角を迎えた
    • [63]売上7割強を稼ぐ汎用大型機がぐらつき始めた/米IBMの赤字転落とダウンサイジングの進展
    • [67]汎用機の需要が残るうちにハード中心の文化から離れられるかにリストラの成否がかかると指摘された
  • 日経ビジネス 1991年4月号「関澤義氏[富士通]登場「現場主義」モットーに5万人率いる」
    • [64]関澤義 1990年 富士通社長就任 現場主義を掲げ5万人を率いた
  • 日経ビジネス 1993年9月号「編集長インタビュー 関澤義氏[富士通社長] コストダウンは設計段階から「ハード自前主義」とも決別」
    • [65]関澤義氏 1993年 設計段階からのコストダウンと「ハード自前主義」との決別を明言
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [66]1991年4月 携帯電話の販売を開始
    • [71]1999年10月 ドイツSiemens AGとの合弁でFujitsu Siemens Computersを設立
  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]富士通 関澤社長交代に見る“潔さ”」
    • [68]1998年4月 関澤義氏からソフト部隊出身の秋草直之氏へ社長交代
  • 週刊東洋経済 1998年7月25日号「[ひと]秋草直之 富士通社長 収益改善、負債軽減へ「腕力」の見せどころ」
    • [69]秋草直之氏は収益改善と負債軽減を当面の課題とした
  • 週刊東洋経済 1999年4月17日号「買収 富士通が260億円で買ったニフティは果たしてお買い得か」
    • [70]1999年4月 260億円でニフティを買収
  • 週刊東洋経済 1999年8月7日号「[特集]2003年勝ち組負け組 総合電機 総合5社時代終焉へ 勝ち組は富士通と日立」
    • [72]1999年8月 総合5社時代終焉のなかで勝ち組として富士通と日立が挙げられた
  • 週刊東洋経済 1999年4月10日号「[特集]キャッシュフロー革命 富士通vsIBM 自己株消却進めるIBM 有利子負債多い富士通」
    • [73]富士通はIBMと比べ有利子負債が多い財務構造を抱えていた

3000億円のリストラと3,825億円の赤字

2001年8月20日の構造改革計画会見で、秋草氏は「ゼロ成長を前提に、過去のいろんな事業や工場の清算をする。流行の言葉でいえば骨太の改革だ」と述べた。第1四半期に554億円の最終赤字を出し、通期の最終赤字も過去最大の2200億円になる見通しで、3000億円のリストラ特別損失が主因だった[75]。計画では業績悪化の元凶である半導体部門に特損の約半分にあたる1450億円を充て、国内の前工程11ラインのうち3ラインを縮小、後工程は7社のうちアジアの2社を整理した[76]。人員は海外1万1400人・国内5000人の計1万6400人を減らし、営業やシステムエンジニアへ1400人を回すなど4700人の配置転換も実施している[77]。目標は2003年度に営業利益4000億円、ROE10%以上のV字回復であった[78][74]

  • 週刊東洋経済 2001年9月1日号「構造改革 3000億円のリストラで富士通は復活できるのか」
    • [74]2001年8月20日 秋草直之氏が構造改革計画会見で「骨太の改革」と表明
    • [75]第1四半期最終赤字554億円/通期最終赤字見通し過去最大2200億円/リストラ特損3000億円
    • [76]半導体部門に特損の約半分1450億円/前工程11ライン中3ライン縮小/後工程7社中アジア2社を整理
    • [77]人員削減 海外1万1400人・国内5000人の計1万6400人/営業・SEへ1400人/配置転換4700人
    • [78]2003年度に営業利益4000億円・ROE10%以上のV字回復を目標

大胆に見えるリストラ案にも疑問は残り、撤退はデスクトップ用HDD程度にとどまって、米国工場を完全売却せず立ち上げたばかりの国内工場も温存され、フラッシュメモリ事業をあきらめきれない姿が浮き彫りになったためである[79]。情報機器工場も集約はあったが閉鎖や売却には踏み込まず、人員削減も大半が海外だった[80]。10年来掲げてきたハードウェア依存体質を脱してソフトウェア・サービス事業を収益の柱とする事業構造改革が絵に描いた餅にすぎなかったことが、この窮状によって露呈した[81]。2002年3月期、富士通は連結最終赤字3,825億円という未曾有の規模を計上し[82]、一時は産業再生機構送りまでささやかれる苦境に陥っている[83]。2002年4月にはサーバ事業とストレージシステム事業をPFUと共同で会社分割し、富士通ITプロダクツを設立した[84]

  • 週刊東洋経済 2001年9月1日号「構造改革 3000億円のリストラで富士通は復活できるのか」
    • [79]撤退はデスクトップ用HDD程度/米国工場を完全売却せず国内工場も温存
    • [80]情報機器工場は集約のみで閉鎖・売却に踏み込まず人員削減も大半が海外
  • 日経ビジネス 2001年10月8日号「特集・電機全滅の真相」
    • [81]10年来のハード依存脱却とソフト・サービス転換が絵に描いた餅だったと露呈
  • 週刊東洋経済 2006年12月9日号「最高益目前! 富士通“意外な”復活劇」
    • [82]2002年3月期 連結最終赤字3,825億円
    • [83]一時は産業再生機構送りまでささやかれた
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [84]2002年4月 サーバ事業・ストレージシステム事業をPFUと共同で会社分割し富士通ITプロダクツを設立
  • 週刊東洋経済 2001年9月1日号「構造改革 3000億円のリストラで富士通は復活できるのか」
    • [74]2001年8月20日 秋草直之氏が構造改革計画会見で「骨太の改革」と表明
    • [75]第1四半期最終赤字554億円/通期最終赤字見通し過去最大2200億円/リストラ特損3000億円
    • [76]半導体部門に特損の約半分1450億円/前工程11ライン中3ライン縮小/後工程7社中アジア2社を整理
    • [77]人員削減 海外1万1400人・国内5000人の計1万6400人/営業・SEへ1400人/配置転換4700人
    • [78]2003年度に営業利益4000億円・ROE10%以上のV字回復を目標
    • [79]撤退はデスクトップ用HDD程度/米国工場を完全売却せず国内工場も温存
    • [80]情報機器工場は集約のみで閉鎖・売却に踏み込まず人員削減も大半が海外
  • 日経ビジネス 2001年10月8日号「特集・電機全滅の真相」
    • [81]10年来のハード依存脱却とソフト・サービス転換が絵に描いた餅だったと露呈
  • 週刊東洋経済 2006年12月9日号「最高益目前! 富士通“意外な”復活劇」
    • [82]2002年3月期 連結最終赤字3,825億円
    • [83]一時は産業再生機構送りまでささやかれた
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [84]2002年4月 サーバ事業・ストレージシステム事業をPFUと共同で会社分割し富士通ITプロダクツを設立

2003年〜 捨て続けた20年と、残した事業の再定義

富士通の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2008年 LSI事業を会社分割し富士通マイクロエレクトロニクスを設立
  2. 2009年 FY08連結最終赤字1,123億円
  3. 2009年 野副州旦氏が社長を突然退任
  4. 2010年 半導体・携帯・PCを手放した祖業ハードからの連続撤退 FACOM以来のハード自前主義を、富士通はどこまで捨ててサービスに残すか
  5. 2017年 PC事業をレノボと合弁化
  6. 2019年 携帯電話事業をポラリス・キャピタルに譲渡
  7. 2021年 Fujitsu Uvanceによる事業モデル再定義とDX企業への転換 祖業ハードを捨て続けた会社は、残した事業で何を売ると決めたか

不採算案件の退治と利益体質への転換

2003年6月、システムエンジニア出身の黒川博昭氏が秋草氏からバトンを受けた[85]。ハード部門のリストラにめどが立った2004年3月期には、今度は大黒柱であるはずの情報サービス事業でシステム開発の不採算案件が発生し、特別損失600億円を計上している[86]。顧客のシステム投資意欲が冷え込んだ時期に業界各社が小さなパイを採算度外視で奪い合った結果で、富士通は公共団体のシステムを1円で入札した経緯すら持っていた[87]。2004年度にはシステムエンジニア100人以上が参加した大型案件で198億円相当の赤字が見込まれ、開発を遂行するために人を投入し続けた結果コストは最終的に4倍へ膨らんだ[88]。赤字になるほど人手が要り、人手を投入するほど赤字が膨らむ悪循環である[89]

  • 週刊東洋経済 2006年12月9日号「最高益目前! 富士通“意外な”復活劇」
    • [85]2003年6月 SE出身の黒川博昭氏が秋草直之氏から社長を引き継ぐ
    • [86]2004年3月期 情報サービス事業の不採算案件で特別損失600億円
    • [87]IT不況期に採算度外視の受注競争/富士通は公共団体システムを1円で入札した経緯を持つ
    • [88]2004年度 SE100人以上の大型案件で198億円相当の赤字見込み・コストは最終的に4倍へ膨張
    • [89]赤字になるほど人手が要り人手を投入するほど赤字が膨らむ悪循環

手を入れたのは黒川氏直属の特命組織SIアシュアランス本部で、社内の精鋭SEら約50人が数十億円規模の大型案件の進捗を逐一審査した[90]。改善が見込めなければ顧客へ契約辞退を申し出る権限まで与えられ、原価率9割を超える事業は原則受注しない運用が敷かれている[91]。2005年度の不採算案件額は114億円と前年度の3分の1以下に[92]下がった。事業の整理も続き、2005年3月にプラズマディスプレイモジュール事業を日立製作所へ譲渡、翌4月には液晶デバイス事業をシャープへ譲渡する契約を結んでいる[93]。プラズマの価格は2004年5月以降半分まで下がり、日立との合弁会社の2004年度営業損益は100億円近い赤字となる見込みだった[94]。2006年度には純利益890億円という過去最高益に手が届くところまで戻[95]している。

  • 週刊東洋経済 2006年12月9日号「最高益目前! 富士通“意外な”復活劇」
    • [90]SIアシュアランス本部 黒川博昭氏直属の特命組織 精鋭SE約50人が大型案件の進捗を審査
    • [91]契約辞退を申し出る権限を付与/原価率9割超の事業は原則受注しない
    • [92]2005年度の不採算案件額114億円 前年度の3分の1以下
    • [95]2006年度 純利益890億円の過去最高益が目前
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [93]2005年3月 プラズマディスプレイモジュール事業を日立製作所へ譲渡/2005年4月 液晶デバイス事業をシャープへ譲渡する契約を締結
  • 週刊東洋経済 2005年2月19日号「プラズマ、液晶から撤退 富士通の遅すぎた決断」
    • [94]プラズマ価格は2004年5月以降半減/日立との合弁会社の2004年度営業損益は100億円近い赤字見込み
  • 週刊東洋経済 2006年12月9日号「最高益目前! 富士通“意外な”復活劇」
    • [85]2003年6月 SE出身の黒川博昭氏が秋草直之氏から社長を引き継ぐ
    • [86]2004年3月期 情報サービス事業の不採算案件で特別損失600億円
    • [87]IT不況期に採算度外視の受注競争/富士通は公共団体システムを1円で入札した経緯を持つ
    • [88]2004年度 SE100人以上の大型案件で198億円相当の赤字見込み・コストは最終的に4倍へ膨張
    • [89]赤字になるほど人手が要り人手を投入するほど赤字が膨らむ悪循環
    • [90]SIアシュアランス本部 黒川博昭氏直属の特命組織 精鋭SE約50人が大型案件の進捗を審査
    • [91]契約辞退を申し出る権限を付与/原価率9割超の事業は原則受注しない
    • [92]2005年度の不採算案件額114億円 前年度の3分の1以下
    • [95]2006年度 純利益890億円の過去最高益が目前
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [93]2005年3月 プラズマディスプレイモジュール事業を日立製作所へ譲渡/2005年4月 液晶デバイス事業をシャープへ譲渡する契約を締結
  • 週刊東洋経済 2005年2月19日号「プラズマ、液晶から撤退 富士通の遅すぎた決断」
    • [94]プラズマ価格は2004年5月以降半減/日立との合弁会社の2004年度営業損益は100億円近い赤字見込み

社長解任劇が露呈させた統治の空白

2008年6月、黒川氏の後任として野副州旦氏が社長へ就いた[96]。2009年9月25日、野副氏は病気を理由に辞任し、以後いっさい姿を見せずに沈黙を貫いている[97]。ところが辞任から5カ月を経た2010年2月26日、野副氏は取締役と監査役へ辞任取消通知書を送付した[98]。同年9月25日の定例取締役会前に一部役員と面談した際、代表取締役が反社会的勢力という極めてリスクの高いファンドと付き合っていることは重大な問題であり、富士通が上場廃止とならないために辞任を要求すると迫られ、辞任をのまざるをえなかったというのが野副氏の主張である[99]。代理人弁護士のヒアリング調査の結果、指摘された反社会的勢力の関与はまったくないとの判断に至ったことが、通知の直接の根拠となった[100]

  • 週刊東洋経済 2008年6月21日号「このひとに5つの質問 野副州旦 富士通次期社長」
    • [96]2008年6月 黒川博昭氏の後任として野副州旦氏が社長就任
  • 週刊東洋経済 2010年3月20日号「第2特集 富士通の大混迷 「社長解任」全構図」
    • [97]2009年9月25日 野副州旦氏が病気を理由に辞任し以後沈黙
    • [98]2010年2月26日 野副州旦氏が取締役・監査役へ辞任取消通知書を送付
    • [99]野副州旦氏は反社会的勢力との関係を理由に辞任を要求されたと主張
    • [100]代理人弁護士のヒアリング調査で反社会的勢力の関与はまったくないとの判断に至った

富士通は2010年3月6日に臨時取締役会を招集し、通知書の一方的な送付による信頼関係の消失を理由として野副氏の相談役解任を決めた[101]。同日、辞任理由を病気から訂正する長文の開示も行っている[102]。東京証券取引所は2009年9月25日の開示が適切でなかったとして、2010年3月9日に口頭での厳重注意を行った[103]。当時の富士通は従業員18万3508人、売上4兆6929億円に及ぶ日本有数の企業グループで、その統治が深刻な事態に陥っていた[104]。2010年4月1日、執行役員常務だった山本正已氏が社長へ就任し、立て直しを引き受けている[105]

  • 週刊東洋経済 2010年3月20日号「第2特集 富士通の大混迷 「社長解任」全構図」
    • [101]2010年3月6日 臨時取締役会で野副州旦氏の相談役解任を決定(信頼関係消失を理由)
    • [102]2010年3月6日 辞任理由を病気から訂正する開示を実施
    • [103]2010年3月9日 東京証券取引所が口頭で厳重注意
    • [104]当時の富士通 従業員18万3508人・売上4兆6929億円/統治が深刻な事態に陥っていた
    • [105]2010年4月1日 執行役員常務の山本正已氏が社長就任
  • 週刊東洋経済 2008年6月21日号「このひとに5つの質問 野副州旦 富士通次期社長」
    • [96]2008年6月 黒川博昭氏の後任として野副州旦氏が社長就任
  • 週刊東洋経済 2010年3月20日号「第2特集 富士通の大混迷 「社長解任」全構図」
    • [97]2009年9月25日 野副州旦氏が病気を理由に辞任し以後沈黙
    • [98]2010年2月26日 野副州旦氏が取締役・監査役へ辞任取消通知書を送付
    • [99]野副州旦氏は反社会的勢力との関係を理由に辞任を要求されたと主張
    • [100]代理人弁護士のヒアリング調査で反社会的勢力の関与はまったくないとの判断に至った
    • [101]2010年3月6日 臨時取締役会で野副州旦氏の相談役解任を決定(信頼関係消失を理由)
    • [102]2010年3月6日 辞任理由を病気から訂正する開示を実施
    • [103]2010年3月9日 東京証券取引所が口頭で厳重注意
    • [104]当時の富士通 従業員18万3508人・売上4兆6929億円/統治が深刻な事態に陥っていた
    • [105]2010年4月1日 執行役員常務の山本正已氏が社長就任

祖業ハードの切り離しとFujitsu Uvance

半導体は2008年3月にLSI事業を会社分割して富士通マイクロエレクトロニクスを設立し、2010年4月に富士通セミコンダクターへ商号を変更した[106]。2012年8月には富士通セミコンダクターの一部を国内ファウンドリへ売却し[107]、2015年3月にはパナソニックとのシステムLSI事業統合によりソシオネクストが事業を開始している[108]。携帯電話事業は2014年3月に富士通コネクテッドテクノロジーズとして分社し、2019年4月にポラリス・キャピタルへ譲渡して撤退している[109]。パソコン事業は2017年11月にレノボと合弁化し、富士通クライアントコンピューティングとしてレノボが過半を出資する形になった[110]。かつてNTTへ電話交換機を納めて電電ファミリーと呼ばれた富士通と日本電気は、この10年で非中核と判断した事業を次々に切り離し、巨大ITベンダーへ姿を変えた[111]。半導体事業は構造改革の完了に伴い2023年4月に本体へ統合され、祖業に連なるハードの系譜はここで区切りを迎えている[112]

  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
    • [106]2008年3月 LSI事業を会社分割し富士通マイクロエレクトロニクスを設立/2010年4月 富士通セミコンダクターへ商号変更
    • [107]2012年8月 富士通セミコンダクターの一部を国内ファウンドリへ売却
    • [109]2014年3月 携帯電話事業を富士通コネクテッドテクノロジーズとして分社/2019年4月 ポラリス・キャピタルへ譲渡
    • [110]2017年11月 PC事業をレノボと合弁化し富士通クライアントコンピューティングを発足(レノボが過半出資)
    • [112]2023年4月 事業構造改革の完了に伴い富士通セミコンダクターを当社へ統合
  • 富士通「システムLSI事業の統合新会社『株式会社ソシオネクスト』の事業開始について」(2015年3月)
    • [108]2015年3月 パナソニックとのシステムLSI事業統合によりソシオネクストが事業開始
  • 週刊東洋経済 2020年6月20日号「【特集 電機の試練】 人員リストラで復活したが… NEC、富士通を脅かす外敵」
    • [111]電電ファミリーと呼ばれた富士通とNECが10年で非中核事業を切り離し巨大ITベンダーへ転じた

2015年6月に山本正已氏から田中達也氏へ社長が代わり[113]、2019年6月には、システムエンジニア出身として初めて時田隆仁氏が社長へ就いた[114]。時田氏は、デジタル技術を駆使して顧客の課題を解決するには自分たちが変わらねばならないと述べ、上流のコンサルティングを含めた脱受託を掲げている[115]。2020年4月にはDXのコンサルを手がける新会社を設立し、本体の役員へ独SAPや米マイクロソフトの出身者を迎えた[116]。壁として立ちはだかったのは米コンサル大手のアクセンチュアで、日本法人はこの10年で人員が3倍超に増え1万4000人を抱えるまでになっていた[117]。2020年7月には管理職を対象にジョブ型人事制度を本格導入し、Fujitsu Wayを刷新してDX企業への変革を会社の方針に掲げている[118]

  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [113]2015年6月 山本正已氏から田中達也氏へ社長交代
    • [114]2019年6月 SE出身として初めて時田隆仁氏が社長就任
  • 週刊東洋経済 2020年6月20日号「【特集 電機の試練】 人員リストラで復活したが… NEC、富士通を脅かす外敵」
    • [115]時田隆仁氏 デジタル技術で顧客課題を解決するには自分たちが変わる必要があると述べ脱受託を掲げた
    • [116]2020年4月 DXコンサルの新会社を設立/本体役員に独SAP・米マイクロソフト出身者を迎える
    • [117]アクセンチュア日本法人は10年で人員3倍超・1万4000人
  • ITmedia(2022年9月15日)「富士通・時田隆仁社長に聞く『ジョブ型組織への変革』」
    • [118]2020年7月 管理職へジョブ型人事制度を本格導入/Fujitsu Wayを刷新しDX企業への変革を方針化

2021年10月、富士通は業種横断型のオファリング事業の枠組みとしてFujitsu Uvanceを発表した[119]。2022年5月の中期経営計画2025では、Fujitsu Uvanceの2025年度売上7,000億円を中核目標に据えている[120]。組織の組み替えも続き、2020年には国内事業の強化を目的として富士通Japanを新設し、2022年3月には3000人超の人員削減を実施した[121]。もっとも、変化の速さは品質管理に影を落とす[122]。2023年3月以降、富士通Japanが提供するマイナンバーカードを利用した証明書交付システムで別人の証明書が交付されるトラブルが全国の自治体で相次ぎ[123]、2022年に発覚した企業向けインターネットサービスの情報漏洩とあわせて、総務省は2023年6月末に富士通とクラウドサービスを提供する子会社へ行政指導を行った[124]。捨てる判断を重ねた20年ののち、残した事業で何を売るかという問いに答えを出す作業が、富士通の現在地にある[125]

  • 週刊東洋経済 2022年1月22日号「トップに直撃 富士通 社長 時田隆仁 「挑戦も失敗もしていいDX企業に生まれ変わる」」
    • [119]2021年10月 Fujitsu Uvance(業種横断型オファリング)を発表
  • 富士通 中期経営計画2025(2022年5月)
    • [120]2022年5月 中期経営計画2025でFujitsu Uvanceの2025年度売上7,000億円を中核目標に設定
  • 週刊東洋経済 2023年7月29日号「ニュース最前線 マイナ問題で揺らぐ富士通 問われるIT最大手の矜持」
    • [121]2020年 富士通Japanを新設/2022年3月 3000人超の人員削減
    • [122]組織再編の速さが品質管理への優先順位低下を招いたと指摘された
    • [123]2023年3月以降 富士通Japanの証明書交付システムで別人の証明書が交付されるトラブルが全国の自治体で相次いだ
    • [124]2023年6月末 総務省が富士通とクラウドサービス提供子会社へ行政指導(2022年の情報漏洩とあわせて)
    • [125]富士通は残した事業で何を売るかという再定義の途中にある
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
    • [106]2008年3月 LSI事業を会社分割し富士通マイクロエレクトロニクスを設立/2010年4月 富士通セミコンダクターへ商号変更
    • [107]2012年8月 富士通セミコンダクターの一部を国内ファウンドリへ売却
    • [109]2014年3月 携帯電話事業を富士通コネクテッドテクノロジーズとして分社/2019年4月 ポラリス・キャピタルへ譲渡
    • [110]2017年11月 PC事業をレノボと合弁化し富士通クライアントコンピューティングを発足(レノボが過半出資)
    • [112]2023年4月 事業構造改革の完了に伴い富士通セミコンダクターを当社へ統合
  • 富士通「システムLSI事業の統合新会社『株式会社ソシオネクスト』の事業開始について」(2015年3月)
    • [108]2015年3月 パナソニックとのシステムLSI事業統合によりソシオネクストが事業開始
  • 週刊東洋経済 2020年6月20日号「【特集 電機の試練】 人員リストラで復活したが… NEC、富士通を脅かす外敵」
    • [111]電電ファミリーと呼ばれた富士通とNECが10年で非中核事業を切り離し巨大ITベンダーへ転じた
    • [115]時田隆仁氏 デジタル技術で顧客課題を解決するには自分たちが変わる必要があると述べ脱受託を掲げた
    • [116]2020年4月 DXコンサルの新会社を設立/本体役員に独SAP・米マイクロソフト出身者を迎える
    • [117]アクセンチュア日本法人は10年で人員3倍超・1万4000人
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [113]2015年6月 山本正已氏から田中達也氏へ社長交代
    • [114]2019年6月 SE出身として初めて時田隆仁氏が社長就任
  • ITmedia(2022年9月15日)「富士通・時田隆仁社長に聞く『ジョブ型組織への変革』」
    • [118]2020年7月 管理職へジョブ型人事制度を本格導入/Fujitsu Wayを刷新しDX企業への変革を方針化
  • 週刊東洋経済 2022年1月22日号「トップに直撃 富士通 社長 時田隆仁 「挑戦も失敗もしていいDX企業に生まれ変わる」」
    • [119]2021年10月 Fujitsu Uvance(業種横断型オファリング)を発表
  • 富士通 中期経営計画2025(2022年5月)
    • [120]2022年5月 中期経営計画2025でFujitsu Uvanceの2025年度売上7,000億円を中核目標に設定
  • 週刊東洋経済 2023年7月29日号「ニュース最前線 マイナ問題で揺らぐ富士通 問われるIT最大手の矜持」
    • [121]2020年 富士通Japanを新設/2022年3月 3000人超の人員削減
    • [122]組織再編の速さが品質管理への優先順位低下を招いたと指摘された
    • [123]2023年3月以降 富士通Japanの証明書交付システムで別人の証明書が交付されるトラブルが全国の自治体で相次いだ
    • [124]2023年6月末 総務省が富士通とクラウドサービス提供子会社へ行政指導(2022年の情報漏洩とあわせて)
    • [125]富士通は残した事業で何を売るかという再定義の途中にある

富士通の沿革1935〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
富士電機製造の電話部が分離独立し富士通信機製造を設立★★
本店を神奈川県川崎市(中原区)上小田中に移転
金岩工作所をグループ会社化
東京証券取引所再開と同時に上場
電子計算機の製造を開始★★
無線通信機器の製造を開始
電子デバイスの製造を開始
日本初の商用リレー式自動計算機FACOM100を開発
新光電気工業をグループ会社化
岡田完二郎大阪証券取引所に上場
岡田完二郎東京証券取引所第一部に上場
岡田完二郎富士通研究所を新設
岡田完二郎社名を富士通に変更
高羅芳光富士電気化学をグループ会社化(1969年10月東京証券取引所に上場)
清宮博IBM互換路線とシステムエンジニア営業による国内首位奪取世界を支配するIBMに、独自技術ではなく「互換」で挑む——富士通はどのように日本IBMを追い抜いたか 詳細を読む★★★
小林大祐フランクフルト証券取引所に上場(2009年12月上場廃止)
小林大祐富士通の国内売上が日本IBMを上回る
山本卓眞ロンドン証券取引所に上場(2014年1月上場廃止)
山本卓眞「脱IBM」多角化——通信・AI・パソコンへの新市場攻勢汎用機でIBMを追い抜いた後、一本足の成功をどう組み替えるか 詳細を読む★★★
山本卓眞日商岩井との合弁でエヌ・アイ・エフを設立
山本卓眞保守部門の一部を分離し富士通カストマエンジニアリングを設立
関澤義英ICL買収による欧州・北米・日本の3極メインフレーム体制IBM互換で国内を制した後、富士通はそのニッチを世界規模でどう押さえたか 詳細を読む★★★
関澤義ICL PLCをグループ会社化★★
関澤義携帯電話の販売を開始
関澤義Amdahlを完全子会社化★★
秋草直之Siemensと合弁でFujitsu Siemens Computersを設立
秋草直之連結最終赤字3,825億円からの再建と黒川博昭氏の構造改革「絵に描いた餅」と評されたソフト・サービス転換を、赤字の底で誰がどう立て直すか 詳細を読む★★★
野副州旦LSI事業を会社分割し富士通マイクロエレクトロニクスを設立
間塚道義FY08連結最終赤字1,123億円
間塚道義野副州旦氏が社長を突然退任★★
間塚道義山本正已氏が社長に就任
山本正已半導体・携帯・PCを手放した祖業ハードからの連続撤退FACOM以来のハード自前主義を、富士通はどこまで捨ててサービスに残すか 詳細を読む★★★
田中達也田中達也氏が社長に就任
田中達也PC事業をレノボと合弁化★★
時田隆仁携帯電話事業をポラリス・キャピタルに譲渡★★
時田隆仁時田隆仁氏が社長に就任
時田隆仁DX企業への変革方針を表明
時田隆仁Fujitsu Uvanceによる事業モデル再定義とDX企業への転換祖業ハードを捨て続けた会社は、残した事業で何を売ると決めたか 詳細を読む★★★
時田隆仁半導体子会社の新光電気を非継続事業化へ
時田隆仁メインフレーム販売を2030年度末で終了すると発表★★
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968年)「富士通」
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
  • 読売新聞「実用化を進める」(1959年10月4日)
  • 日経 1960年6月24日号「貿易為替・資本自由化計画の大綱決まる」
  • 読売新聞「IBMへ敵情視察」(1962年10月16日)
  • 経済時代(1963年5月)
  • 志を高く(1999年)
  • 読売新聞「電算機・日立・富士通が提携」(1971年10月22日)
  • 読売新聞「富士通ついにIBM追い抜く」(1980年5月28日)
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)
  • 週刊東洋経済 1997年11月8日号「企業戦略 富士通 アムダール買収の成算」
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号「小林大祐氏が語る“気違い集団”の謎」
  • 日経ビジネス 1982年5月31日号「富士通・IBM打倒後に猛烈企業を襲う“空虚”」
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号「富士通“脱IBM”で通信・AIの新市場攻める」
  • 日経ビジネス 1985年6月24日号「富士通のパソコン戦略“流通市場があきれる新製品攻勢”の胸算用」
  • 日経産業新聞「ハイテク・エリート争奪戦」(1984年8月22日)
  • 日経ビジネス 1993年1月25日号「富士通の活路」
  • 日経ビジネス 1991年4月号「関澤義氏[富士通]登場「現場主義」モットーに5万人率いる」
  • 日経ビジネス 1993年9月号「編集長インタビュー 関澤義氏[富士通社長] コストダウンは設計段階から「ハード自前主義」とも決別」
  • 週刊東洋経済 1998年4月11日号「[フラッシュ]富士通 関澤社長交代に見る“潔さ”」
  • 週刊東洋経済 1998年7月25日号「[ひと]秋草直之 富士通社長 収益改善、負債軽減へ「腕力」の見せどころ」
  • 週刊東洋経済 1999年4月17日号「買収 富士通が260億円で買ったニフティは果たしてお買い得か」
  • 週刊東洋経済 1999年8月7日号「[特集]2003年勝ち組負け組 総合電機 総合5社時代終焉へ 勝ち組は富士通と日立」
  • 週刊東洋経済 1999年4月10日号「[特集]キャッシュフロー革命 富士通vsIBM 自己株消却進めるIBM 有利子負債多い富士通」
  • 週刊東洋経済 2001年9月1日号「構造改革 3000億円のリストラで富士通は復活できるのか」
  • 日経ビジネス 2001年10月8日号「特集・電機全滅の真相」
  • 週刊東洋経済 2006年12月9日号「最高益目前! 富士通“意外な”復活劇」
  • 週刊東洋経済 2005年2月19日号「プラズマ、液晶から撤退 富士通の遅すぎた決断」
  • 週刊東洋経済 2008年6月21日号「このひとに5つの質問 野副州旦 富士通次期社長」
  • 週刊東洋経済 2010年3月20日号「第2特集 富士通の大混迷 「社長解任」全構図」
  • 富士通「システムLSI事業の統合新会社『株式会社ソシオネクスト』の事業開始について」(2015年3月)
  • 週刊東洋経済 2020年6月20日号「【特集 電機の試練】 人員リストラで復活したが… NEC、富士通を脅かす外敵」
  • 富士通 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【役員の状況】
  • ITmedia(2022年9月15日)「富士通・時田隆仁社長に聞く『ジョブ型組織への変革』」
  • 週刊東洋経済 2022年1月22日号「トップに直撃 富士通 社長 時田隆仁 「挑戦も失敗もしていいDX企業に生まれ変わる」」
  • 富士通 中期経営計画2025(2022年5月)
  • 週刊東洋経済 2023年7月29日号「ニュース最前線 マイナ問題で揺らぐ富士通 問われるIT最大手の矜持」
  • Business Insider Japan(2025年1月7日)

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