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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "なぜ看板を架け替え続けても収益体質を組み直せなかったのか（筆者所感）",
      "text": "富士通の90年は、看板を架け替え続けた歴史であった。1935年6月、富士電機製造の電話部が分離独立して富士通信機製造として発足した。母体の富士電機は古河電工とドイツ・シーメンスの合弁で、富士通は欧州由来の通信技術を引き継いだ通信機メーカーとして出発した。戦前・戦中は電話交換機を主力に身を立て、戦後は国内通信インフラ投資の拡大に乗って規模を広げた。古河グループのなかでは軽量級ながら身軽な位置取りが、後の自己定義の書き換えを許容する土壌となった。\n\nこうした下地のうえで、1954年10月のFACOM100開発が転機となった。1961年10月の東証一部上場、1967年6月の社名から「通信機」を外した変更が続き、富士通はコンピュータメーカーへ自己定義を組み替えた。1974年5月の米Amdahl出資以降、池田敏雄氏主導のIBM互換戦略が独自性を作り、独自アーキテクチャの重い負担を避けつつIBMユーザーを直接取り込んだ。小林大祐元社長は社員を「気違い集団」と呼びSE集団を主戦力に据えた。1980年5月に国内売上で日本IBMを抜き、1990年10月の英ICL買収と1997年10月の米Amdahl完全子会社化で欧州・北米・日本の3極体制を組み上げた。\n\nだが2002年3月期、ITバブル崩壊と通信不況のダブル直撃で通信機・コンピュータ・半導体の3本柱が同時に揺らぎ、連結最終赤字3,825億円を引き受けた。秋草直之元社長から黒川博昭元社長への交代から始まった構造改革は、2008年のリーマンショックで再悪化し、2009年の野副州旦元社長突然退任という異例の交代劇も挟みながら長期化した。2010年の半導体事業分社化、2014年の携帯電話事業分社化、2017年のPC事業のレノボ合弁化が続き、売上はピーク時の5兆円台から縮小した。富士通は「何を残したか」ではなく「何を手放したか」で語られる会社のまま、2010年代を過ごした。\n\n2019年6月、SE出身初の時田隆仁社長が業種別SI営業の上に、2021年10月のFujitsu Uvanceで標準オファリングを重ねた。サービスソリューション・リージョンズの調整後営業利益率はFY23 3Qの16.1%からFY24 3Qの19.4%へ3.3ポイント改善した。一方でグローバルソリューション部門は調整後営業利益率5%に留まり、磯部武司CFOは投資継続を明言した。2026年1月、1954年のFACOM100以来72年続いた祖業のメインフレーム販売を2030年度末で終了すると発表した。",
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