manufacturing

ソニーの歴史

戦後日本を代表する急成長企業。多角化で「家電」から「ゲーム・金融」に業態転換。製造はCMOSなど一部のみ残存
ソニーの長期業績
1946〜2022

■ 半期売上高: 百万円※

■単体 | ■連結

■ 半期売上高_営業利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1946 05月
*1
東京通信工業株式会社(現在のソニー)を設立
会社設立

元海軍の技術者であった井深大氏(当時38歳)は、終戦直後に失職したため東京通信工業を創業した。海軍時代の知り合いであった盛田昭夫氏と2名で共同創業。盛田氏の父親(酒造会社経営)は創業資金を出資し、ソニーの借金を個人保証。創業時は空襲で焼け落ちていた日本橋白木屋に本社を構え、NHKの放送設備の修理などに従事した。

1947
*2
経済界の大物が創業を支援
創業

万代氏(帝国銀行=三井銀行の元頭取)が相談役に就任。前田多門氏(元日本政府・文部大臣)が形式上の初代社長に就任。これら経済界の重鎮がソニー創業期の取締役として販売先の紹介、政界へのロビー活動、金融支援によって経営を支えた

1947 02月
*3
本社工場を東京都品川区大崎に移転

工場が完成。祝賀パーティーを開催したが、その費用がかさみ、給料の遅配へ

1950
*4
高周波バイアス法の特許を取得

井深大氏はNHKで見かけたテープレコーダに着目して事業化を決意。製造に必須の特許を安立電気(現アンリツ)と日本電気(NEC)から25万円で買収。特許買収によって開発期間1年でテープレコーダーG型を発売できた。1960年までこの特許の存在によってソニーは、大手電機メーカーのテープレコーダーへの参入を防止した。創業期のソニーにおける最重要特許

1950
*5
テープレコーダーG型を発売
1950
*6
従業員数100名を突破
業績好調

ソニー創業期の従業員数推移:FY1946:41名→FY1950:114名→FY1955:439名→FY1960:3651名

1951
*7
録音機の生産開発に注力

1951年にソニーの部長会議において「全社を挙げて録音機製造にあたる」方針を決定。テープレコーダーの製造販売に経営資源を投下した。販売先は新聞社・官公庁・教育機関など。東京地区の代理店は八雲産業。

1952 03月
*9
井深大氏が単身渡米
Performance
1946〜1953
井深大氏と盛田昭夫氏が創業。経済界の大物が創業支援

■ 半期売上高: 百万円※

■単体 | ■連結

■ 半期売上高_営業利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1954 02月
*10
WE社とトランジスタ製造の特許実施権契約を締結

井深大氏は1948年にベル研究所(米)で発明されたトランジスタに注目。製造特許を持つウェスタンエレクトリック(WE)社からの技術導入を決め「半導体素子に関する特許実施権許諾」を締結。1954年2月2日から期間は10年。特許料は900万円(現在換算1億円以上)に加えて、売上高に応じて2%であり、ソニーとしては巨額投資であった。ラジオへの応用を目論む

1957 01月
*12
2億円増資
1958 09月
*13
本社工場の増設

トランジスタラジオの増産に備えて、大崎の本社工場を増設。設備投資額は14億円を予定。1961年に8階建ての大規模な本社工場を竣工

1958
*14
商号をソニー株式会社に変更
1958 01月
*15
主力製品で高シェアを持続

売上高の50%をトランジスタラジオが占めた。トランジスタラジオの売上高のうち約40%が輸出。主力製品の国内シェアは次の通り。テープレコーダー国内シェア54%、録音テープ国内シェア50%、トランジスタラジオ国内シェア14%。出所は経済展望30(11)

1958
*16
東京証券取引所に株式上場
株式上場
1959 04月
*18
大賀典雄氏が入社

大賀典雄氏の経歴

1957年ベルリン国立芸術大学卒業(声楽)

1959年ソニー入社

1964年ソニー取締役(当時34歳)

1982年ソニー代表取締役社長

Performance
1954〜1959
トランジスタラジオで急成長。独自ブランド「SONY」で世界展開

■ 半期売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 半期売上高_営業利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1960
*17
SONY Corporation of America(SCA)を設立
会社設立
1960
*20
神奈川県に厚木工場を新設
1960
*21
小型白黒テレビ「TV8-301」を発売

ラジオに次ぐ新製品としてテレビの開発を開始。日本国内では後発参入。トランジスタテレビを開発するが生産コストが高く普及せず

1960
*19
交流バイアス法の特許期限が失効
1961 06月
*22
米国にてADRを発行

日本企業としてADRを戦後初めて発行。主幹事はスミスバーニーと野村証券。公募は200万株(20万ADR)で、公募価格は17.5ドル/1ADR。申し込みが殺到し、募集開始から即座に公募は売り切れ。倍率10倍

1961
*23
本社工場で72時間ストライキが発生
1962
*24
完全子会社ソニーケミカルを設立
会社設立
完全子会社
1963
*25
小型白黒テレビ「TV5-303」を発売
1965
*26
世界初の家庭用VTR・ビデオレコーダー「CV-2000」を発売
1966
*27
銀座数寄屋橋に「ソニービル」を開業

トリニトロンのカラーテレビの販売促進のために、ソニーは東京銀座の一等地である数寄屋橋に自社ビルを建設。ソニー商品を紹介するショールームを新設して話題を振りまいた。

1968
*28
トリニトロンカラーテレビ「KV-1310」を発売

カラーテレビに参入。日本国内はカラーテレビが普及途上にあり、KV-1310の販売が順調に推移。テレビ事業がトランジスタラジオに次ぐ第2の柱に育つ

1968
*29
愛知県に稲沢工場を新設(カラーテレビ)
1968 03月
*30
米国CBSと合弁でソニーレコード株式会社(現SME)を設立
会社設立

音楽の版権ビジネスに参入。合弁設立当初は折半出資(ソニー50%:CBS50%)。1988年にSONYが完全子会社化で100%出資へ

1970 09月
*31
ニューヨーク証券取引所に株式上場
株式上場

日本企業として初のNY上場。海外からの資金調達を本格化。1970年時点でソニーの大株主における海外投資家比率は32%

1972
*32
北米サンディエゴ工場を稼働

カラーテレビの北米現地生産を開始。深刻化しつつあった日米貿易摩擦に対する配慮

Performance
1960〜1974
カラーテレビ・オーディオ・VHSへと多角化

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1975
*33
家庭用ビデオカセットレコーダー・ベータマックス「SL-6300」発売

ラジオ、カラーテレビに次ぐ期待の電機製品として「ビデオ」の開発を推し進め、ベータマックスの規格を発表した。ソニーは競合他社にもベータマックス規格の採用を申し出るが、松下電器とその子会社である日本ビクターは「VHS」方式を提唱して、ビデオ規格は2つの流派が入り乱れる形となった。

この結果、1980年代を通じてソニーと日本ビクターの間で熾烈な「ビデオ戦争」が勃発したが、ファミリー作りに成功した日本ビクターのVSHが優勢となった。1988年ごろににソニーはVHSの併売を決めてビデオ戦争で敗北を喫した。

ベータマックスの規格策定失敗という経緯から、ソニーはハードウェアでの競争だけではなく、ソフト面(映像コンテンツ)も競争の軸として加えるようになった。これが、1989年のコロムビア買収の布石となる。

1979
*34
携帯型ステレオカセットプレーヤー・ウォークマン「TPS-L2」発売
1979 08月
*35
ソニー・プルーデンシャル生命保険(現ソニー生命)を合弁設立

金融事業に参入。合弁設立当初は折半出資(ソニー50%:The Prudential Insurance Co. of America50%)。1996年にSONYが完全子会社化で100%出資。2007年に東証一部上場(ソニーの株式保有は約60%に定価)。2020年にTOBで完全子会社化

1979
*36
CCDイメージセンサーを開発。半導体事業を本格化
1982
*37
世界初のコンパクトディスクプレーヤー「CDP-101」を発売
1987 03月
*38
創業以来初の営業赤字に転落
創業
業績低迷

ベータマックスでの苦戦を受けて業績が悪化。

1988 01月
*39
CBS Records Inc.を買収
1989 11月
*40
Columbia Pictures Entertainment, Inc.を買収

米国の映画会社コロムビアを約34億ドルで買収。肩代わりする借金を含めると合計約48億ドル(6720億円)の出費

1990
*41
井深大が会長退任(名誉会長就任)

ソニーの共同創業者である井深大がソニーの名誉会長に就任し、経営の一線から退いた。なお、1997年に井深大は89歳で逝去し、ソニーと共に歩んだ人生に幕を閉じた。

1992 09月
*42
リチウムイオン電池を実用化

VTR向けリチウムイオン電池を実用化。競合の旭化成に対する宣戦布告

Performance
1975〜1993
ベータマックスで完敗。成長神話に陰り

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1994
*43
盛田昭夫が会長退任(名誉会長就任)

1993年に盛田昭夫は病気のために経営の復帰が困難となり、1994年に名誉会長に就任する形で経営を退いた。なお、1999年に盛田昭夫は78歳で逝去し、その生涯に幕を閉じた。

1994
*45
家庭用ゲーム機PlayStationを国内発売

当時のゲーム機業界は任天堂の1強であったが、ソニーは任天堂に宣戦布告する形でテレビゲーム市場に後発参入した。任天堂がハードウェアの性能を「必要最低限」に抑えたのに対し、ソニーはハードウェアの性能を「最大限」に高めることで差別化を図り、コアなゲーム好きな層をを獲得することでゲーム事業を発展させた。

なお、ゲーム事業の発展の立役者は久夛良木健氏とされており、「プレーステーションの父」と呼ばれるらしい。

1994 09月
*46
コロムビア買収に関する損失2652億円を計上
業績低迷

1994年9月に映画部門で2652億円の営業権を償却。1988年に買収したコロムビアの業績低迷は要因

1994 04月
*44
事業本部制を廃止。カンパニー制を導入
1995 04月
*47
出井伸之氏が代表取締役社長に就任

出井伸之氏の経歴:1995年代表取締役社長→2000年代表取締役会長兼CEO→2005年:最高顧問(-2007年まで), 2022年逝去(84歳)

1997 06月
*48
執行役員制度を導入

日本企業としてかなり早い段階でガバナンス改革を開始。社外取締役の起用などで注目を浴びた

2000 01月
*49
上場子会社3社を完全子会社化。グループ再編へ
完全子会社
2001
*50
ソニー銀行を設立
会社設立
2003 06月
*51
委員会等設置会社に移行
2003
*52
ソニーショック(株価下落)

2001年にソニーは「減収減益」の決算を発表し、市場関係者を動揺させ株式市場が一時的に暴落してソニーショックと形容された。長年、ソニーといえば先進的なイメージがとりまとっていたが、ソニーショックを経て同社の限界が露呈する形となり、経済メディア上にソニー批判が目立つようになった。

2005 06月
*53
中鉢良治氏が代表取締役社長に就任
2009 01月
*54
構造改革を発表。1.6万名の人員削減
2009 04月
*55
ハワード・ストリンガー氏が代表取締役社長に就任
2011 03月
*56
最終赤字2595億円を計上
業績低迷
Performance
1994〜2011
家電・エレクトロニクスが壊滅。大規模リストラへ

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_税引前利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2012 02月
*57
エリクソンから合弁会社ソニーエリクソンの株式50%を取得
2012 04月
*59
平井一夫氏が代表取締役社長に就任
2012 04月
*60
人員削減を決定。国内で2000名の早期退職者を募集
2012 10月
*61
ソニーケミカル(現デクセリアルズ)を日本政策投資銀行に売却
2012 03月
*58
4期連続赤字。最終赤字4566億円を計上
業績低迷

リーマンショック後もソニーは経営不振を挽回できず。赤字の理由は主に米国事業の業績悪化。FY2011には繰延税金資産に約3000億円の引当金を計上

2013 02月
*62
自社ビル「ソニーシティー大崎」を約1111億円で売却
2013 03月
*63
米国本社ビル(NY)を約987億円で売却
2013 03月
*64
美濃加茂の製造拠点を閉鎖

携帯電話やカメラレンズを製造。工場は食品会社のミツカンに売却

2013 04月
*65
オリンパスと業務資本提携を締結

不正会計に経営危機に陥ったオリンパスの救済。ソニーは株式11%を約500億円で取得

2014 05月
*66
PC事業「VAIO」を日本産業パートナーズに譲渡
2014 07月
*67
テレビ事業を分社化。ジャパンディスプレイに譲渡
2015 03月
*68
中期経営計画FY2012-2015計画未達
計画未達

ROEと売上高営業利益率で目標未達

2017 04月
*69
電池事業(社員約8500名)を村田製作所に譲渡

撤退によりFY2017に減損損失423億円を計上

Performance
2012〜2017
事業の絞り込みを本格化。製造領域を大幅に縮小

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2018 03月
*70
映像事業で1121億円の減損損失
事業失敗
業績低迷
2018 03月
*71
エムスリーの株式を一部売却(売却益372億円)
2018 03月
*72
大幅増益
業績好調

FY2016純利益732億円→FY2017純利益4807億円。主要事業の増収と為替による影響

2018 04月
*73
吉田憲一郎氏が代表取締役社長に就任
2019 03月
*74
過去最高益9162億円を計上
業績好調

選択と集中が進み、不採算事業が縮小したことによって過去最高益を達成

2020 04月
*75
ソニーフィナンシャルを完全子会社化(4000億円)
完全子会社

上場子会社ソニーフィナンシャル(SONY持分65%)の株式45%をTOBで全取得。取得額は約4000億円

2020 11月
*76
PlayStation5を発売
2021 04月
*77
ソニーグループに商号変更
商号変更
2022 05月
*78
イメージセンサーCMOSに約9000億円投資

スマホ向けCMOSの好調を受けて、イメージセンサーへの傾斜投資を継続。FY2021〜FY2023で累計約9000億円の投資。長崎にCMOSの製造棟新設を決定

Performance
2018〜2023
事業整理が一巡。絞り込んだ事業への集中投資を継続

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値