【筆者所感】 2009年3月期、NECは2966億円の最終赤字を計上した。リーマンショックで電機業界全体が沈んだ年ではあるが、上場後最大となったこの赤字は単なる一過性の落ち込みではなく、半導体・携帯電話・PCなど祖業の周辺で長年にわたって抱え続けた赤字事業の清算コストが一度に噴き出した結果だった。総合電機は事業部ごとに自己完結しやすく、不採算領域からの退出判断が遅れるほど損失が雪だるま式に膨らむ構造を抱える産業である。森田隆之は後に倒産するかもしれないほどの経営危機だったと振り返っており、1980年代以降の多角化の重みが、ここでまとめて精算を迫られる形となり、以後10年以上続く構造改革の起点となった。
そこから10年以上にわたって、NECは「何を捨てるか」の繰り返しで身軽になった。2010年にはNECエレクトロニクスをルネサスへ統合し、2013年にはスマートフォン事業から撤退、2014年にはBIGLOBEを売却、2025年には従来型の5G基地局事業を終息させた。代わりに残した国内IT・セキュリティ・防衛の3領域に対して、2023年から本格始動したBluStellar戦略で収益上積みを仕掛け、2025年3月期には連結営業利益2565億円と、過去最高水準の数字を記録した。同年10月には米CSG社を約4417億円で買収する攻めの一手に転じ、長らく続いた「捨て続ける」フェーズから海外を買いに行くフェーズへと軸足を移した。1999年の過去最大1500億円赤字、2009年の2966億円赤字という二度の大赤字を経て、ようやく収益性の高い事業ポートフォリオに作り替わった局面である。
歴史概略
1899年〜1999年通信機メーカーから総合電機へ、多角化100年の道のり
外資合弁で出発した通信機メーカーの基盤形成
NECは1899年7月、米国ウェスタン・エレクトリック社(W.E.社)との合弁により日本電気株式会社として設立された。日本初の外資系合弁メーカーであり、設立当初の主力事業は電話交換機と通信機だった。通信機産業は大量生産のノウハウと特許網が事業基盤を決める装置産業であり、国内に量産技術の蓄積が乏しかった当時、欧米資本と提携して技術を取り込む選択は合理的だった。1918年にはW.E.社の海外投資部門が分離してI.W.E.社が当社株式を承継し、1925年にはI.W.E.社がITTに買収されインターナショナル・スタンダード・エレクトリック(ISE社)と改称した。NECは発足当初から欧米資本の一部として通信機事業を育てた。
1932年6月、ISE社は当社の経営を住友本社に委託した。これが後の住友グループとの関係の起点である。1941年12月、ISE社所有の当社株式が敵国資産として処分され資本提携が解消、1943年に社名を住友通信工業株式会社へ変更した。敗戦後の1945年11月に日本電気株式会社へ戻し、1949年5月に東京証券取引所へ上場、1951年11月にISE社との資本提携を復活した。後年、小林宏治は業界状況を「電気通信分野の技術と業界の実情は(中略)特許の面では、9割までが外国特許であった。関連する素材、部品産業は、甚だ貧弱で存在しないにも等しい状況であった」(経済同友 1966/6)と振り返り、国産技術で追いつくために払った努力を語った。戦時下に外資との関係を一度断ち切り、戦後すぐ再接続する異例の経緯を持つ会社として、国際ネットワーク事業の基盤を欧米資本との継続的な関係のうえに置いた。
- 有価証券報告書
- 経済同友 1966/6
- 日経産業新聞 1980/12/3
- 構想と決断 1989
- 日経ビジネス 1990/6/18
- 強さの研究・日本電気 1983/12/26
- 日経新聞 1999/2/20
C&C思想が加速した多角化と半導体・PC事業
1961年4月、NECは事業部制を導入し、通信機・電波機器・電子機器・電子部品・商品・海外の6事業部制に切り替えた。同年10月には東京証券取引所第一部へ移行、1963年1月には米国にニッポン・エレクトリック・ニューヨーク社(現NEC Corporation of America)を設立し、海外展開を本格化させた。1975年9月には中央研究所を完成させ、1970年代から半導体・コンピュータ領域への投資を継続的に拡大した。通信機単品のメーカーから、情報処理と通信を横断する総合電機メーカーへ事業領域を広げる助走期である。1966年には小林がソフトウェアの将来を「今から10年くらい前の電子計算機は、お得意さんに機械を供給すると、お得意さんが使いこなしていた。これが、最近ではコンピューターにソフト・ウェアをつけてお得意さんにこれも供給して満足を受けるように、ソフト・ウェアの業務がハードと統合されている」(経済同友 1966/6)と捉えていた。
1978年、小林宏治会長はインテルコム'78で「C&C(Computers & Communications)」の融合というコンセプトを提唱した。後に小林は「私はC&Cを提唱し、事業領域間の相乗効果を生かすべきだとしたのである」(構想と決断 1989)と、単独領域で世界と戦うには資源が足りないから領域間の相乗効果で対抗するしかなかった事情を明かしている。1982年10月発売のPC-9800シリーズは1990年代前半まで国内PC市場で圧倒的シェアを握り、1980年代にはDRAMで世界シェア首位を取った。1983年の業界誌は「日本電気は、ただのハイテク企業ではない」「『C&C』の提案に象徴されるように、巧みな時代感覚で『夢』をぶち上げる」「1981年からは『万年1位』の日立製作所を蹴落として3年連続1位となった」(強さの研究・日本電気 1983/12/26)とブランド上昇を評した。
- 有価証券報告書
- 経済同友 1966/6
- 日経産業新聞 1980/12/3
- 構想と決断 1989
- 日経ビジネス 1990/6/18
- 強さの研究・日本電気 1983/12/26
- 日経新聞 1999/2/20
多角化の重みが競争力分散として表面化した1990年代末
多角化は成長の装置であると同時に、競争力の分散装置でもあった。1990年代後半には韓国・台湾勢の台頭でDRAM事業の採算が悪化し、PC領域でもIBM互換機(DOS/V)の普及でPC-9800の独自規格の優位性が失われていった。通信機事業は国内市場では強かったものの、海外では北米・欧州のシーメンス・アルカテル・ノーテルなどに対して相対的な弱さを抱え、規模の経済で戦えない構造の弱点がじわじわと表面化した。1990年、社長の関本忠弘は「最高のソフトは理念なんです。私はいま、企業理念、企業文化は第5の経営資源であるという言い方をしています」(日経ビジネス 1990/6/18)と述べ、ソフトと理念で差別化する路線を打ち出していたが、DRAMとPCのハードウェア価格下落の圧力を覆すには至らなかった。C&C思想のもとで広げた事業領域の一つひとつが、世界市場の再編のなかで採算の取りにくい位置へ押し込まれ始めた。
1999年2月、日経新聞は「1999年3月期の連結最終損益が過去最大の1500億円の赤字に転落する」「世界で従業員の約10%にあたる1.5万人を今後3年間で削減」「国内だけで9000人を対象」(日経新聞 1999/2/20)と大型リストラを報じた。2000年4月の社内カンパニー制導入は、3本柱を独立採算で運営して責任の所在をはっきりさせる試みだった。しかし同じ時期、半導体メモリ市場の価格崩壊で事業ポートフォリオの見直しは待ったなしになり、2002年11月には半導体事業を分社化してNECエレクトロニクスを設立した。祖業の一翼を本体から切り離す最初の大手術である。2003年4月に事業ライン制、2004年4月にビジネスユニット制と短期間で組織を入れ替え続けた事実は、最適な形を見つけられずにいた当時の迷走を物語っており、多角化の遺産を処理する組織設計が定まらないままDRAMの価格崩壊という外部環境の変化に直面した。
- 有価証券報告書
- 経済同友 1966/6
- 日経産業新聞 1980/12/3
- 構想と決断 1989
- 日経ビジネス 1990/6/18
- 強さの研究・日本電気 1983/12/26
- 日経新聞 1999/2/20
2000年〜2015年2966億円の赤字を起点とした「捨て続けた10年」
2966億円の赤字が浮かび上がらせた祖業周辺の処理コスト
2000年代前半のNECは、半導体事業を分社化しつつも、PC・携帯電話・通信インフラ・システムインテグレーションを並行して抱えていた。2005年6月にはNECソフトとNECシステムテクノロジーを完全子会社化(後のNECソリューションイノベータ)、2006年5月にはNECインフロンティア(現NECプラットフォームズ)を完全子会社化し、SI系の統合を進めた。しかし半導体・PCの価格下落と海外通信機事業の不振は止まらず、収益構造は脆弱なままだった。事業ポートフォリオの入れ替えは進めていたものの、退出判断の遅れが赤字事業の延命コストを累積させ、決算を外部環境の変化に極めて弱い状態にしていた。
2008年秋のリーマンショックが決定打になった。2009年3月期、NECは売上高4兆2156億円・営業損失62億円を計上し、連結最終赤字は2966億円に達した。上場後最大となったこの赤字は、半導体・携帯・海外通信事業などの構造改革費用が一度に積み上がった結果であり、単なる市況の悪化ではなかった。森田隆之は後のインタビューで「最も大きな理由は、NECが倒産するかもしれないほどの経営危機に直面したことでした」(東洋経済オンライン 2024/3)と振り返っている。2009年6月に矢野薫から遠藤信博へ社長が交代し、経営危機下で構造改革を主導する陣容に切り替わった。赤字は祖業周辺の清算コストの可視化であり、以後10年間の出発点となる分水嶺だった。
- 有価証券報告書
- 東洋経済オンライン 2024/3
半導体・携帯・BIGLOBEの整理と売上2500億円減の構造改革
経営危機後の5年間、NECは次々と事業を切り離した。2010年4月、NECエレクトロニクスがルネサステクノロジと経営統合してルネサスエレクトロニクスが発足し、祖業の半導体事業から実質的に撤退した。2011年3月期は最終赤字125億円、2012年3月期は米子会社NEC Corporation of Americaののれん減損などの影響で最終赤字1103億円と、赤字が連続した。海外事業の成長期待を織り込んだ多額ののれんが短期間で評価減を迫られ、海外M&Aへの過度な依存が抱える弱点がここでも表面化した。祖業の一翼を切り離しながら海外子会社の減損処理を続ける二正面作戦を強いられ、過去の多角化の後始末に本体の体力が削られ続けた。
2013年7月、NECカシオモバイルコミュニケーションズがスマートフォン新機種の開発から撤退し、スマホ事業を畳んだ。国内電機メーカーのスマホ撤退の象徴となった出来事である。2014年4月にはインターネットサービス事業のBIGLOBEをKKR系ファンドへ約700億円で売却し、非コア事業の整理をさらに進めた。2014年6月に遠藤信博から新野隆へ社長が交代した。売上が縮んでも赤字を止めることが優先され、FY12(2013年3月期)の売上高3兆716億円、FY15(2016年3月期)の売上高2兆8212億円と、2500億円規模の売上減を甘受しての構造改革だった。規模の縮小を起点にして収益構造の立て直しを図るという、多角化路線とは逆方向の舵取りである。
- 有価証券報告書
- 東洋経済オンライン 2024/3
国内IT事業への重心移動と稼ぐ力への回帰
祖業の周辺事業を次々と手放す一方で、国内IT事業は相対的な存在感を増した。FY13(2014年3月期)に導入された新セグメントではパブリック・エンタープライズ・テレコムキャリア・システムプラットフォームの4本柱となり、パブリック(官公庁・自治体向け)が安定した利益を出した。FY14(2015年3月期)の連結営業利益は1281億円と、FY08の赤字から一転して正常化した。半導体や海外通信機といった収益変動の大きい領域を手放し、国内IT中心のポートフォリオへ重心を移した構造改革の効果がここで利益面に表れた。1980年代に小林が描いた「C&C」の両輪のうち、海外通信機という片輪を手放した後の、国内IT中心の痩せたバランスシートだった。ただし売上規模は縮んだままで、新しい成長軸はまだ見えていなかった。
ただし成長ドライバーは依然として見えなかった。国内IT市場は成熟しており、SI事業の価格競争は激しい。海外事業は通信機器分野でノキア・エリクソンに対して劣位にあり、規模の経済で戦えない構造が続いていた。売上高の縮小を止めるには、従来の事業区分とは別の軸で事業モデルそのものを再定義する必要があった。2016年6月には新野隆が社長CEOに就き、2018年1月に国内2170名の人員削減を発表して、構造改革をさらに一段深める舵を切った。単純な赤字事業の切り離しは一通り済み、次に求められたのは残った事業の収益力そのものを引き上げる施策であり、本社機能を含めた筋肉質な体制への移行という、より踏み込んだ改革だった。
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- 東洋経済オンライン 2024/3
2016年〜2025年BluStellarで再定義された事業モデルと過去最高益
市場に懐疑された2025中期経営計画の出発点
2020年6月、新野隆から森田隆之へ社長が交代した。森田はNECの海外事業や企業戦略を長く担当してきた人物で、残された構造改革を完遂しつつ、新しい成長軸を探す役回りを期待された人事である。2021年4月、森田体制は2025中期経営計画を発表した。内容は従来型の構造改革の継続と、DX・AI・セキュリティ等への先行投資の両立であり、守りと攻めを同時に走らせる設計だった。祖業の清算と新事業への投資を同時に進める二段構えの計画で、発表の時点では国内ITの利益率も依然として低く、中計の実現性は数字の上ではまだ証明されていなかった。20年以上中期経営計画を立てては下方修正してきた会社が、また新しい計画を出したという構図である。
発表翌日、NECの株価は14%下落した。市場はまたも先行投資で目先の利益が削られると判断した格好である。森田自身が後の決算説明会でこの14%下落に言及し「2021年に2025中計を発表した翌日に株価が14%下落しましたが、挫けずにしっかりと構造改革と先行投資を実施したのが現在に活きている」(決算説明会 FY24)と述懐している。当時の市場の懐疑には、それなりに合理的な裏付けがあった。NECは2009年以来、何度も「次の成長戦略」を掲げてはその都度赤字や下方修正に見舞われてきた前科があり、投資家の信認は薄かった。1999年2月に日経新聞が報じた過去最大1500億円の赤字と1.5万人削減から20年以上経っても、市場は「また同じことを言っている」と見たのだった。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY24
- 決算説明会 FY25-2Q
- IR Day 2025
BluStellar戦略によるシナリオ型への転換と利益率差別化
2023年4月、NECはBluStellar戦略を本格始動した。核となる発想は、個別商材の売り切りビジネスから「シナリオ・オファリング型」ビジネスへの転換である。従来1万点あった製品を500商材にまとめ、業種共通の30シナリオに整理し直した。顧客にはシナリオ単位で課題解決パッケージを提案し、吉崎敏文は「BluStellarでは、コンサルティングから保守サービス運用を含むマネージドサービスまでを統合的に提供する」(IR Day 2025)と説明した。この設計でTCV(Total Contract Value)を最大化する仕組みであり、商材単価と利益率を同時に引き上げる。SI企業が抱えがちな受注ごとの個別最適の累積から、業種横断の再利用性を前提にした事業モデルへ軸足を移す試みだった。
BluStellar事業とそれ以外(Non-BluStellar事業)のあいだでは利益率に2〜3%ポイント、シナリオ型とそれ以外の商材のあいだでは3〜5%ポイントの差があるとNECは説明している(IR Day 2025)。BluStellarの売上高目標1兆円・利益率20%を次期中計期間中の3〜4年で達成する方針を掲げ、現中計期間中からその片鱗をはっきりと見せ始めた。2022年4月には公開買付によってNECフィールディングを完全子会社化し、2023年6月には指名委員会等設置会社へ移行してガバナンス体制も合わせて刷新した。事業モデルの転換と、資本・ガバナンス面の再設計を同時進行させ、事業構造と意思決定構造の両輪によって中計の実現性を高めようとする統合的な再設計となった。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY24
- 決算説明会 FY25-2Q
- IR Day 2025
2025中計完走と過去最高益、CSG買収で転じた攻めのフェーズ
結果として2025中計期間の後半にかけて、NECの業績は大きく向上した。FY23(2024年3月期)は連結売上収益3兆4772億円・営業利益1880億円、FY24(2025年3月期)は売上収益3兆4234億円・営業利益2565億円と、過去最高水準の営業利益を計上した。BluStellarの利益率改善は前年比2.1ポイント、国内ITサービスの有効受注残は16%増と、数字そのものが2021年時点の計画を正当化する形となり、発表直後の14%下落を織り込んでいた市場の懐疑に対する事後的な回答となった。構造改革と先行投資を組み合わせた二段構えの設計が、4年越しで収益面に結実した。2009年赤字から16年を経て、ようやく国内IT中心のポートフォリオに見合う利益率を実現した。
2025年3月にはNECネッツエスアイを完全子会社化し、グループ再編の流れをさらに進めた。2025年10月29日には、米CSG Systems International(1994年設立)を買収総額約29億米ドル/約4417億円で買収すると発表した。前日終値からのプレミアムは17.38%、想定EV/EBITDA倍率は10.3倍で、CSGのFY24業績は売上約1197百万米ドル・調整後EBITDA比率23%と、安定した収益基盤を持つ会社である。米国子会社Netcrackerとの補完関係によって、テレコム/BB向けソフトウェア事業の事業基盤をさらに強化する狙いがあった。NECが10年以上続けてきた「捨て続けた」フェーズから「北米で買う」フェーズへと軸足を移す一手であり、2012年のNEC Corporation of Americaののれん減損で痛手を負った海外M&Aを、別のカテゴリで再開する判断だった。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY24
- 決算説明会 FY25-2Q
- IR Day 2025
直近の動向と展望
基地局事業の終息と航空宇宙・防衛事業への軸足移動
2025年11月、NECは従来型の専用ハードウェアベース5G基地局販売(RU・CU)を2025年度末で終息すると発表した。営業損益で年間50億円強の継続的な改善が見込まれる見通しである。過去2年で人的リソースをANS事業(航空宇宙・防衛)や他事業へ振り替えており、追加の構造改革費用は想定していないとしている(決算説明会 FY25-3Q)。通信機メーカーとして1899年から続いてきた事業の一角がまた一つ整理される形となり、祖業周辺の退出判断を最後までやり切る姿勢が示された。守りの構造改革の最終盤で、撤退の判断を先送りしない路線が徹底されている。1978年に小林が描いたC&Cの「Communications」側の自社ハードウェア事業は、ここでほぼ終わりを迎えた。
航空宇宙・防衛事業は、2020年代後半の成長エンジンとして据えられている領域である。衛星コンステレーション領域ではJAXA基金を獲得し、2027〜28年の実ビジネス化を見据えた先行投資を続けている。海底ケーブル事業については旧契約形態の長期プロジェクトが残存しており、FY25 3Qで約20億円、4Qで最大50億円のリスクを抱えているものの、2023年秋以降の新契約にはリスクを織り込み、数年後の黒字化を見込んでいる。藤川修CFOは「もし海洋のリスクが最大値で発生したとしても、航空宇宙防衛の増分で十分に吸収できます」(決算説明会 FY25-3Q)と述べ、旧来型の通信機関連事業から、防衛・宇宙という国策に近い領域への重心移動が明示的に語られるようになった。
- 決算説明会 FY25-3Q
- IR Day 2025
次期中計に向けたBluStellar 1兆円目標とAI・セキュリティの役割分担
2025年11月のIR Dayで、NECはBluStellar事業の売上高1兆円・利益率20%を次期中期経営計画期間中の3〜4年で達成する方針を示した。AI領域では業務・業種特化型の推論エンジン領域に経営資源を注ぎ、ファンデーションモデルは外部最先端を活用するという役割分担を打ち出している。セキュリティは「日本を守る・業界を守る」を軸としてグローバルSOCを拡充する方針で、国内IT・海外ソフトウェア・防衛の3領域でそれぞれ独自の立ち位置を取る設計である。多角化の重みに苦しんだ過去と異なり、領域間の役割分担をあらかじめ設計しておく姿勢が、BluStellar以降の戦略設計に貫かれている。1990年に関本が述べた「最高のソフトは理念」(日経ビジネス 1990/6/18)という言葉は、35年後にシナリオ型事業の設計思想として具体化した。
BluStellar for Academyは既に540社・4万人に活用されており、顧客企業のIT内製化を促しながら、NEC自身はシナリオ・オファリング提供者として上位レイヤーに移っていく構図が見え始めた。国内IT市場の年率14%成長を追い風にして、自治体DXプラットフォームを前提とした新アプリ・サービスビジネスが、2026年度以降の有望な成長機会として扱われている。CSG社の買収と合わせて、国内IT・海外ソフトウェア・防衛の3本柱で次期中計を描く構えで、2021年に市場から懐疑された森田体制の戦略は、株価下落から4年を経て数字の上でも事業設計の上でも一つの到達点に近づきつつある。1899年に外資合弁でスタートした通信機メーカーが、祖業の通信機ハードを手放して国内IT・防衛・海外ソフトウェアの3本柱に組み替わった姿は、多角化一周の完遂でもある。
- 決算説明会 FY25-3Q
- IR Day 2025