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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "なぜ祖業を手放しながら過去最高益へ辿り着いたのか（筆者所感）",
      "text": "NECの126年は、欧米資本との接続を起点に通信機事業を立ち上げ、領域を広げては絞り直すことの繰り返しであった。1899年7月、米ウェスタン・エレクトリック社との合弁で日本電気が発足し、電話交換機と通信機を主力にした。国内に量産技術と特許網が乏しい当時、装置産業を立ち上げる前提として外資との提携は合理的な選択であった。1941年の敵国資産処分で資本提携が解消されて住友通信工業へ改称、戦後1949年に東証上場、1951年に資本提携を復活する経緯を辿り、戦時下に切れた関係を戦後すぐ繋ぎ直した。\n\nこうして得た技術基盤を、戦後のNECは横へ広げ続けた。1961年の事業部制導入、1963年の米国子会社設立、1975年の中央研究所完成を経て、1978年に小林宏治会長が「C&C」を提唱、半導体・PC・通信を横断する総合電機へ拡張した。1982年発売のPC-9800シリーズは国内PC市場で圧倒的シェアを握り、1980年代にはDRAMで世界シェア首位を取った。1983年の業界誌は「『万年1位』の日立製作所を蹴落として3年連続1位となった」（強さの研究 1983/12/26）と評し、領域を広げるほど稼げる時代を象徴した。\n\nだが広げて稼ぐ型は1990年代に前提を失った。韓国・台湾勢の台頭でDRAM採算が悪化し、DOS/V普及でPC-9800の独自規格優位が崩れ、海外通信機では欧米勢に対し規模で戦えない構造が表面化した。1999年3月期の当時最大1,500億円赤字と1.5万人削減を受け、2000年の社内カンパニー制から2004年のビジネスユニット制まで組織を入れ替えたが、最適な形は定まらなかった。2009年3月期にリーマン直撃で上場後最大2,966億円の最終赤字を計上、2010年に半導体をルネサスへ統合、2013年にスマホ撤退、2014年にBIGLOBEを約700億円で売却、3年で売上を2,500億円縮めた。\n\nそして痩せた事業ポートフォリオを、業態転換で稼げる形に組み替えた。2020年6月就任の森田隆之社長は、2021年4月の2025中計発表翌日の株価14%下落を受けても先行投資を続け、2023年4月のBluStellar戦略で1万点あった製品を500商材・30シナリオへ集約した。SI受注の個別最適から業種横断の再利用性へ舵を切った設計で、BluStellarと非BluStellarの間に利益率2〜3ポイントの差が生じた。FY24は営業利益2,565億円と過去最高水準に到達し、2025年10月には米CSG Systems Internationalを約4,417億円で買収すると発表した。",
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