パナソニック

の歴史

創業

1918年

創業者

松下幸之助

創業地

大阪市福島区

直近売上高(2026/3)

80,487億円

パナソニックの長期業績と経営の転換点売上高・利益率・経営トップ
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ無名のメーカーだった松下電器は、1932年に「水道哲学」を掲げて廉価大量供給を旗印にしたのか
A 生活に欠かせない物資を安く大量に供給できれば、無名でも数の力で問屋や小売店を動かせる。9歳で丁稚奉公に出て大阪電灯で配線工事に従事した松下幸之助氏は、安く役立つ物が広く売れる現場を体で知っていた。1923年の砲弾型電池式ランプは無名ゆえ問屋に相手にされず、全国の小売店へ無償配布して性能を示すことで販路を開いた。1927年に統一商標「ナショナル」を制定して新製品ごとに既存の信頼を転用し、1932年に「水道哲学」を公表して、廉価大量供給を組織全体の合言葉に据えた
Q なぜ松下幸之助は1964年の熱海会談で、全国の零細電器店を系列の販売網に束ねたのか
A メーカーが製品を量産しても、売場が乱売で消耗すれば代金が回収できず量産の利益が販売段階で消える。1964年7月の熱海会談で松下幸之助氏は、家電の乱売競争で全国の販売会社・代理店が手形取引と流通在庫に苦しみ赤字に陥っている実情を突きつけられた。すでに会長へ退いていた幸之助みずから取引慣行の是正と現金決済への移行を求め、一地区一販社制へ再編して「共存共栄」を掲げた。零細な電器店をメーカー系列の販売網として組織化したことで、量産した製品を確実に客へ届ける販売の仕組みが制度として固まった
Q なぜ家電の量産で築いたパナソニックは、2022年以降にBtoB主体へ事業を絞り込んでいるのか
A 価格競争に巻き込まれやすい消費者向け家電に依存する限り量産しても利益率が伸びず、30年にわたり連結売上は伸び悩んだ。2009年の三洋買収で得たリチウムイオン電池はテスラ向け車載電池へ育ち、2021年にはサプライチェーンソフトのブルーヨンダーを8633億円で取得した。2022年の持株会社移行で事業を切り分け、2024年に車載インフォテインメントのパナソニックオートモーティブシステムズを譲渡、2025年には楠見雄規社長が約1万人規模の人員削減を発表し、安定取引の見込めるBtoBへ事業構成を寄せている

1918年〜 電気器具製作所から「ナショナル」ブランド家電最大手への展開

  1. 1918年松下幸之助が松下電気器具製作所を設立創業
  2. 1923年砲弾型電池式ランプを考案発売
  3. 1927年「ナショナル」の商標を制定
  4. 1933年門真に本店を移転、事業部制を採用
  5. 1935年松下電器産業株式会社に改組
  6. 1952年フィリップス社との技術提携で松下電子工業を設立
  7. 1964年熱海会談を開き、新販売制度で系列販売網を刷新

パナソニックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

資金200円の土間工場から始まった配線器具メーカー

創業者の松下幸之助氏は1894年に和歌山県に生まれ、家計の困窮から9歳で大阪の自転車店に丁稚奉公に出された。15歳で電力会社の大阪電灯に就職して配線工事に従事し、丁寧な仕事ぶりで22歳にして検査員に昇格した。しかし実働2〜3時間の安定した職に物足りなさを感じ、在職中に研究していた新型ソケットの事業化を志して1917年に退職した。「よし会社を辞めよう。7年間の努力も惜しいが」(私の履歴書 経済人1 1980/6)。退職金と知人からの借入を合わせた約200円を元手に、自宅の二間を土間に改装して妻の弟である井植歳男氏とともに配線器具の製造を開始した。当初はソケットの販路がまったく開けず質屋に財産を入れる日々が続いたが、1917年末に扇風機向けの碍盤を受注して黒字化の糸口を掴み、1918年3月に松下電気器具製作所を正式に創業した。 [1][2][3][4]

  • 日本経済新聞(1989年4月27日)
    • [1]松下幸之助は1894年に和歌山県に生まれた
    • [2]松下幸之助は1917年に大阪電灯を退職し配線器具の製造を開始
    • [3]妻の弟である井植歳男とともに配線器具の製造を開始した
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1918年3月 松下電気器具製作所を設立創業し配線器具の製造を開始

1923年、松下氏は丁稚奉公時代に自転車店で体感した夜間走行の不便さに着目し、砲弾型の電池式ランプを開発した。従来品の寿命2〜3時間に対して30〜50時間の持続を達成したが、無名メーカーに問屋は関心を示さなかった。松下氏は全国の小売店にランプを無償で配布して店頭で点灯させ性能を証明する販促策で販路を切り開いた。このランプはのちに改良されて「ナショナルランプ」として売り出され、乾電池工業の飛躍の基となった。1927年には統一商標「ナショナル」を制定し、以後「マネシタ電器」と揶揄されながらも新製品投入のたびに既存の信頼を転用できるブランドの仕組みを作った。1932年5月5日には全店員を集めて第1回創業記念式を行ない、その席で「水道哲学」を打ち出した。後年松下氏は「生活に必要な物資を、水道の水のように安く、無尽蔵に提供する。そうすれば、この世の中から貧乏人はなくなる」(読売新聞 1982/07/30)と語っている。翌1933年に門真へ本店を移転して製品別の事業部制を採用した。体が弱く一人の力には限界があると自覚した松下氏が、若い従業員に仕事を任せた経験がこの制度を生んだ。 [5][6][7][8][9][10]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1923年 砲弾型電池式ランプを考案発売
    • [7]1927年 統一商標「ナショナル」を制定
    • [9]翌1933年 門真へ本店を移転し事業部制を採用
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [6]砲弾型電池式ランプはのちに改良され「ナショナルランプ」として売り出され、わが国乾電池工業の一大飛躍の基となった
    • [8]1932年5月5日 第1回創業記念式で松下幸之助が「水道哲学」を打ち出した
    • [10]事業部制は、体が弱く自分一人の力には限界があると自覚した松下幸之助が若い従業員に責任ある仕事を任せる行き方を学びとった経験から生まれた
  • 日本経済新聞(1989年4月27日)
    • [1]松下幸之助は1894年に和歌山県に生まれた
    • [2]松下幸之助は1917年に大阪電灯を退職し配線器具の製造を開始
    • [3]妻の弟である井植歳男とともに配線器具の製造を開始した
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1918年3月 松下電気器具製作所を設立創業し配線器具の製造を開始
    • [5]1923年 砲弾型電池式ランプを考案発売
    • [7]1927年 統一商標「ナショナル」を制定
    • [9]翌1933年 門真へ本店を移転し事業部制を採用
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [6]砲弾型電池式ランプはのちに改良され「ナショナルランプ」として売り出され、わが国乾電池工業の一大飛躍の基となった
    • [8]1932年5月5日 第1回創業記念式で松下幸之助が「水道哲学」を打ち出した
    • [10]事業部制は、体が弱く自分一人の力には限界があると自覚した松下幸之助が若い従業員に責任ある仕事を任せる行き方を学びとった経験から生まれた

三種の神器とナショナル店会が築いた国内販売網

日本の総合電機産業は明治期の重電国産化に始まり、戦後は家電・重電・半導体・通信のあらゆる分野を手がける「総合」モデルが成長の原動力となった。日立製作所・東芝・三菱電機・ソニーとともに「電機5社」と呼ばれたパナソニックはその家電領域の中核企業に位置し、1951年に洗濯機の製造を開始、翌1952年にはオランダのフィリップス社との技術提携でブラウン管技術を導入して白黒テレビを発売した。さらに1953年には資本提携した中川機械(のちの松下冷機)を通じて冷蔵庫にも参入し、わずか3年で洗濯機・テレビ・冷蔵庫の「三種の神器」を全て網羅した。配線器具メーカーから総合家電メーカーへの転換を果たし、1954年には日本ビクターと資本提携して映像音響領域の製品基盤も拡充した。 [11][12]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1952年 オランダのフィリップス社との技術提携で松下電子工業を設立しブラウン管技術を導入
    • [12]1954年 日本ビクターと資本提携

販売面では1957年にナショナル店会を発足させ、全国各地の零細な電器店をメーカー系列の販売網として組織化する独自の体制を整えた。1964年には家電の乱売競争による減収減益を受けて、すでに会長に退いていた松下幸之助氏が全国の販社社長を伊豆の熱海に招集し、長期手形に依存した取引慣行の是正と現金決済への移行を強く求めた。この「熱海会議」をきっかけに一地域一販社制への再編が進み、メーカーと販売店が利益を分け合う共存共栄の構造が制度として確立された。国内の販売基盤を固めた松下電器は海外展開にも乗り出し、1959年にアメリカ松下電器を設立して以降各地に製造販売拠点を設け、1971年にはニューヨーク証券取引所に上場して国際的な資金調達基盤と企業認知度を獲得した。 [13][14]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1959年 アメリカ松下電器を設立し海外展開を開始
    • [14]1971年 ニューヨーク証券取引所に株式を上場
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1952年 オランダのフィリップス社との技術提携で松下電子工業を設立しブラウン管技術を導入
    • [12]1954年 日本ビクターと資本提携
    • [13]1959年 アメリカ松下電器を設立し海外展開を開始
    • [14]1971年 ニューヨーク証券取引所に株式を上場

フィリップス提携と子会社群の拡大が生んだ垂直統合体制

1952年のフィリップスとの技術提携は、松下氏が「貴社のロイヤリティと松下の経営力は対等に評価すべきである」(プレジデント 1973/10)と交渉した結果、イニシャル・ペイメントを支払う代わりに対等な関係を勝ち取った内容だった。1961年の業界誌は「泥くさい松下が、『量から質への転換』をしたのは外資との提携のためである」「テレビ、トランジスタブーム時代に、断然他者を圧倒する基礎となった」(実業の世界 1961/01)と評価している。松下電器は電子部品の内製化を進め、ブラウン管・コンデンサ・抵抗器といった主要部品の自社製造と組立加工までを自社グループ内で完結させる垂直統合体制へ移行した。1976年に松下電子部品を設立して電子部品製造部門を分離し、翌1977年には松下住設機器と松下産業機器を設立、1979年には松下電池工業を設立して電池製造部門を本体から切り出した。各子会社は事業部制の延長として独立採算で運営された。 [15][16][17][18]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1952年 フィリップスとの技術提携(イニシャル・ペイメント支払と対等な関係)
    • [16]1976年 松下電子部品を設立して電子部品製造部門を分離
    • [17]1977年 松下住設機器と松下産業機器を設立
    • [18]1979年 松下電池工業を設立して電池製造部門を分離

この体制は1970年代後半の規格戦争で真価を発揮した。傘下の日本ビクターが開発した家庭用ビデオの規格VHS方式を松下電器が量産力と全国の販売網で強力に後押しし、ソニーのベータマックスとの競争を制して事実上の標準規格に押し上げた。各子会社が部品供給と最終組立の両面で規模の経済を追求する構造は、アナログ技術の時代における競争優位の源泉となった。1977年には創業家以外から山下俊彦氏が社長に就任し、「山下跳び」と呼ばれた抜擢人事で世代交代が進んだ。日経ビジネスは1974年の時点で「日本の家庭電化が大勢としてほぼ一巡したことでもある。松下電器の生みの親であり、育ての親でもある松下幸之助氏が、昨年7月に会長から相談役に名実ともに第一線を退いたのは、象徴的である」(日経ビジネス 1974/10/28)と節目を評していた。 [19][20]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]日本ビクターが開発したVHS方式を松下電器が後押ししソニーのベータマックスとの規格競争を制した
    • [20]1977年 創業家以外から山下俊彦が社長に就任(「山下跳び」)
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1952年 フィリップスとの技術提携(イニシャル・ペイメント支払と対等な関係)
    • [16]1976年 松下電子部品を設立して電子部品製造部門を分離
    • [17]1977年 松下住設機器と松下産業機器を設立
    • [18]1979年 松下電池工業を設立して電池製造部門を分離
    • [19]日本ビクターが開発したVHS方式を松下電器が後押ししソニーのベータマックスとの規格競争を制した
    • [20]1977年 創業家以外から山下俊彦が社長に就任(「山下跳び」)

1977年〜 MCA買収の挫折からプラズマ7500億円損失、三洋統合へ

  1. 1977年山下俊彦が取締役社長に就任
  2. 1979年松下電池工業を設立し電池部門を分離
  3. 1990年米国の大手エンターテインメント企業MCA社を買収
  4. 1993年事業本部を廃止し、社長直轄の事業部制へ回帰(森下改革)
  5. 2000年中村邦夫が取締役社長に就任
  6. 2009年三洋電機を連結子会社化
  7. 2013年プラズマテレビ事業からの撤退を正式表明

パナソニックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

7800億円のハリウッド買収とわずか5年での実質撤退

1986年に社長に就任した谷井昭雄氏のもとで、松下電器はバブル経済期の潤沢な資金で積極的な多角化投資に乗り出した。1989年4月に創業者の松下幸之助氏が94歳で逝去した。日経新聞は訃報で「事業部制の採用、実物宣伝、保証付き販売、直販制などは、後年、『経営の神様』の異名をとるにふさわしい先見性だった」(日経新聞 1989/04/27)と足跡をまとめた。松下電器の精神的支柱であり続けた創業者の不在は、経営判断の座標軸に影響を与えた。翌1990年12月、松下電器は米国のエンターテインメント企業MCA社を約61億ドル(約7800億円)で買収した。MCA社はユニバーサル・スタジオの親会社であり、「ハードとソフトの融合」を掲げたこの買収は、同時期のソニーによるコロンビア・ピクチャーズ買収と並んで日本企業のハリウッド進出として世界的な注目を集めた。 [21][22][23][24]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [21]1986年 谷井昭雄が社長に就任
    • [22]1989年4月 創業者の松下幸之助が94歳で逝去
    • [23]1990年12月 米国MCA社を約61億ドル(約7800億円)で買収
    • [24]MCA社はユニバーサル・スタジオの親会社

しかしMCA社の経営陣との関係は当初から軋轢を抱え、映画コンテンツと家電製品の間に期待されたシナジー効果は結局のところ実現しなかった。松下電器側はコンテンツ事業の経営ノウハウを持たず、MCA社側は日本企業の傘下に入ることへの抵抗感を隠さなかった。1993年に社長に就任した森下洋一氏はMCA事業の整理に着手し、1995年6月にはMCA社持分の80%をカナダのシーグラム社へ譲渡して事実上の撤退に踏み切った。買収からわずか5年での撤退で、投資額の大半を毀損した。残余の株式についても2006年にビベンディ・ユニバーサル社へ全て処分し、16年にわたるエンターテインメント事業の試みは幕を閉じた。この経験は本業から遠い分野での7800億円規模の買収が抱えるリスクを松下電器に刻み込んだ。 [25][26][27]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [25]1993年 森下洋一が社長に就任
    • [26]1995年6月 MCA社持分の80%をカナダのシーグラム社へ譲渡し事実上撤退
    • [27]2006年 残余の旧MCA株式をビベンディ・ユニバーサル社へ全て処分
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [21]1986年 谷井昭雄が社長に就任
    • [22]1989年4月 創業者の松下幸之助が94歳で逝去
    • [23]1990年12月 米国MCA社を約61億ドル(約7800億円)で買収
    • [24]MCA社はユニバーサル・スタジオの親会社
    • [25]1993年 森下洋一が社長に就任
    • [26]1995年6月 MCA社持分の80%をカナダのシーグラム社へ譲渡し事実上撤退
    • [27]2006年 残余の旧MCA株式をビベンディ・ユニバーサル社へ全て処分

中村改革のブランド統一とプラズマへの5000億円の集中投資

2000年6月に社長に就任した中村邦夫氏は「破壊と創造」を掲げて松下電器の構造転換に着手し、高度成長期以来増殖した子会社群を本体合併と株式交換による完全子会社化で整理した。2001年に松下電子工業を本体に合併し、2002年には松下通信工業をはじめとする主要子会社5社を株式交換で完全子会社化した。2003年にはグローバルブランドを「Panasonic」に統一し、国内で長年親しまれた「ナショナル」ブランドを順次廃止する決断を下した。さらに2004年には松下電工とパナホームを連結子会社化して住宅設備・照明領域をグループに取り込み、BtoB分野の事業基盤を強化した。中村氏が主導したこの改革は子会社群の統合とブランドの一元化という2つの柱で松下電器の組織構造を根底から変え、創業者の時代から続いた分散型の子会社経営の枠組みを塗り替えた。 [28][29][30][31][32]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [28]2000年6月 中村邦夫が社長に就任(「破壊と創造」)
    • [29]2001年 松下電子工業を本体に合併
    • [30]2002年 松下通信工業ほか主要子会社5社を株式交換で完全子会社化
    • [31]2003年 グローバルブランドを「Panasonic」に統一し「ナショナル」を順次廃止
    • [32]2004年 松下電工とパナホームを連結子会社化

一方で中村氏は次世代テレビの主力としてプラズマディスプレイパネルに経営資源を集中させ、兵庫県尼崎市に専用工場を建設する投資を実行した。2000年代半ばまでにプラズマ事業へ累計5000億円以上の設備投資を投じたが、液晶テレビの画面サイズ拡大と低価格化が想定を上回るペースで進行し、プラズマの画質面での優位性はコスト競争力の差によって相殺された。2006年に社長を引き継いだ大坪文雄氏はプラズマ投資を継続する判断を下したが、2008年のリーマン・ショックで連結売上高が前年比で1兆1000億円以上も減少し、純損失3790億円と松下電器の創業以来初となる3790億円規模の赤字を計上し、プラズマへの集中投資が経営全体を揺るがした。 [33][34]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [33]2006年 大坪文雄が社長に就任
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第103期(2010年3月期)【経理の状況】
    • [34]2008年(2009年3月期)リーマン・ショックで連結売上高が前年比1兆1000億円以上減少し純損失3790億円を計上(創業以来初の赤字)
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [28]2000年6月 中村邦夫が社長に就任(「破壊と創造」)
    • [29]2001年 松下電子工業を本体に合併
    • [30]2002年 松下通信工業ほか主要子会社5社を株式交換で完全子会社化
    • [31]2003年 グローバルブランドを「Panasonic」に統一し「ナショナル」を順次廃止
    • [32]2004年 松下電工とパナホームを連結子会社化
    • [33]2006年 大坪文雄が社長に就任
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第103期(2010年3月期)【経理の状況】
    • [34]2008年(2009年3月期)リーマン・ショックで連結売上高が前年比1兆1000億円以上減少し純損失3790億円を計上(創業以来初の赤字)

三洋電機4000億円買収と2期連続の7500億円超赤字

リーマン・ショック後の2009年12月、パナソニックは約4000億円を投じて三洋電機の議決権過半数を取得し連結子会社化した。三洋電機が長年蓄積したリチウムイオン電池と太陽電池の技術基盤を取り込むことで、エネルギー分野を軸とした事業構造の転換を図る戦略的な買収だった。2011年4月にはパナソニック電工とともに三洋電機を株式交換で完全子会社化し、グループ一体経営の基盤を整えた。しかし統合に伴う組織再編やシステム統合のコストは当初の想定を上回り、プラズマ事業で多額の減損損失が発生したことも重なって、2012年3月期に純損失7722億円、翌2013年3月期にも純損失7543億円と2期連続で7500億円を超える赤字を計上する深刻な経営危機に陥った。 [35][36][37]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2009年12月 約4000億円を投じて三洋電機の議決権過半数を取得し連結子会社化
    • [36]2011年4月 パナソニック電工とともに三洋電機を株式交換で完全子会社化
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第106期(2013年3月期)【経理の状況】
    • [37]2012年3月期に純損失7722億円、2013年3月期に純損失7543億円と2期連続で7500億円超の赤字

2012年6月に社長に就任した津賀一宏氏は、この危機的状況のなかで不採算事業の整理を断行した。2013年4月にはドメイン制を廃止して事業部制に回帰し、各事業部が自律的に損益責任を負う体制へ転換するとともにニューヨーク証券取引所の上場も廃止した。プラズマテレビ事業は2013年度に生産を終了し、一時は1000億円を超えていた同事業の赤字に終止符を打った。2014年3月には三洋電機から引き継いだヘルスケア事業を外部に売却し、同年6月には半導体事業を分社化して後に全株式を譲渡した。津賀体制の初期2年間はバブル期以来膨らみ続けた事業ポートフォリオの縮小と財務体質の改善に費やされ、有利子負債は2013年3月期の1兆1434億円から2014年3月期には6421億円へと圧縮された。 [38][39][40][41][42]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [38]2012年6月 津賀一宏が社長に就任
    • [39]2013年4月 ドメイン制を廃止して事業部制に回帰しNYSE上場も廃止
    • [40]2014年3月 三洋から引き継いだヘルスケア事業を外部に売却
    • [41]2014年6月 半導体事業を分社化(後に全株式譲渡)
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第108期(2014年3月期)【経理の状況】
    • [42]有利子負債は2013年3月期の1兆1434億円から2014年3月期に6421億円へ圧縮
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2009年12月 約4000億円を投じて三洋電機の議決権過半数を取得し連結子会社化
    • [36]2011年4月 パナソニック電工とともに三洋電機を株式交換で完全子会社化
    • [38]2012年6月 津賀一宏が社長に就任
    • [39]2013年4月 ドメイン制を廃止して事業部制に回帰しNYSE上場も廃止
    • [40]2014年3月 三洋から引き継いだヘルスケア事業を外部に売却
    • [41]2014年6月 半導体事業を分社化(後に全株式譲渡)
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第106期(2013年3月期)【経理の状況】
    • [37]2012年3月期に純損失7722億円、2013年3月期に純損失7543億円と2期連続で7500億円超の赤字
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第108期(2014年3月期)【経理の状況】
    • [42]有利子負債は2013年3月期の1兆1434億円から2014年3月期に6421億円へ圧縮

2014年〜 車載電池とBtoB転換、持株会社体制の模索

  1. 2014年テスラとギガファクトリー建設で合意、車載電池へ製造機能ごと参画
  2. 2014年パナソニックヘルスケアの全株式を譲渡
  3. 2014年半導体事業を分社化
  4. 2020年トヨタと街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズを設立
  5. 2020年トヨタと車載用角形電池合弁会社PPESを設立
  6. 2022年持株会社体制に移行、パナソニックHDに社名変更
  7. 2024年パナソニックオートモーティブシステムズの全株式を譲渡

パナソニックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

テスラとトヨタとの電池協業がもたらしたBtoB転換

津賀体制の後半は、家電に依存した収益構造からBtoB事業を中心とした事業構成への転換が経営の最重要テーマとなった。パナソニックは2009年にテスラ・モーターズと円筒形リチウムイオン電池の供給契約を締結しており、三洋電機買収で獲得した電池技術がこの協業の技術的な基盤となっていた。テスラ側もパナソニックの電池技術力を公式に評価する声明を2011年10月に発表しており、両社の協業は技術連携の象徴となった。2014年にはネバダ州においてテスラとの共同運営によるギガファクトリーの建設が決定し、車載用リチウムイオン電池はパナソニックの事業成長を牽引する中核領域となった。 [43]

2020年4月にはトヨタ自動車と車載用角形電池の合弁会社プライムプラネットエナジー&ソリューションズを設立し、テスラ向けの円筒形電池とトヨタ向けの角形電池という2系統で車載電池事業を展開する体制が整った。同年1月にはトヨタとの街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズも設立し、パナソニックホームズの株式をこの合弁に移管して住宅事業の再編を行っている。家電メーカーとして出発した松下電器が車載電池と住宅というBtoB領域へ主力を移す構造的な転換は、2009年の三洋電機買収で獲得したリチウムイオン電池の技術基盤と、トヨタ自動車との長期的な協業関係が起点である。 [44][45]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]2020年4月 トヨタと車載用角形電池の合弁会社プライムプラネットエナジー&ソリューションズを設立
    • [45]2020年1月 トヨタとの街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズを設立しパナソニックホームズ株式を移管
    • [43]2011年10月 テスラがパナソニックの電池技術力を評価する声明を発表
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]2020年4月 トヨタと車載用角形電池の合弁会社プライムプラネットエナジー&ソリューションズを設立
    • [45]2020年1月 トヨタとの街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズを設立しパナソニックホームズ株式を移管

8633億円のブルーヨンダー買収と持株会社への移行

2021年6月に社長に就任した楠見雄規氏は、就任直後の同年9月にサプライチェーン管理ソフトウェアの米大手ブルーヨンダーの完全子会社化を実行した。2020年7月に取得済みの20%株式を追加取得する形で、取得対価の総額は約78.9億ドル(8633億円)に達した。サプライチェーン領域のソフトウェア企業を取り込むことでハードウェア中心の事業構造からデジタルソリューション領域への本格的な転換を図る狙いがあった。1990年のMCA買収以来となる海外買収案件であったが、かつてのエンターテインメント事業への進出とは異なり製造業のサプライチェーンという本業の現場と直結する事業領域を選んだ点で、事業上の接続性と相乗効果の実現可能性が重視された買収だった。 [46][47][48]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [46]2021年6月 楠見雄規が社長に就任
    • [47]2021年9月 ブルーヨンダーを完全子会社化(2020年7月取得の20%株式を追加取得)
  • パナソニックニュースリリース(2021年9月)
    • [48]ブルーヨンダー取得対価の総額は約78.9億ドル(8633億円)

2022年4月、パナソニックは各事業を吸収分割により事業会社を含む9社に承継して持株会社体制に移行し、社名をパナソニックホールディングスに変更した。楠見雄規氏(社長)は事業会社が中心となる形を事業会社制と呼び、自主責任経営の徹底を狙いに据えて、38ある事業の責任者に権限を委譲し自律的に判断する体制を整えた。1935年の法人設立以来最大の組織変革であり、松下幸之助氏が1933年に導入した事業部制の自律経営の思想を、持株会社という現代的な経営形態に置き換える試みだった。グループ全体の戦略立案を持株会社が担い、個別事業の執行を事業会社に委ねるという二層構造で意思決定の迅速化と各事業の競争力強化を図っている。 [49][50]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [49]2022年4月 各事業を吸収分割で事業会社含む9社に承継し持株会社体制へ移行、社名をパナソニックホールディングスに変更
    • [50]1935年の法人設立、松下幸之助が1933年に事業部制を導入
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [46]2021年6月 楠見雄規が社長に就任
    • [47]2021年9月 ブルーヨンダーを完全子会社化(2020年7月取得の20%株式を追加取得)
    • [49]2022年4月 各事業を吸収分割で事業会社含む9社に承継し持株会社体制へ移行、社名をパナソニックホールディングスに変更
    • [50]1935年の法人設立、松下幸之助が1933年に事業部制を導入
  • パナソニックニュースリリース(2021年9月)
    • [48]ブルーヨンダー取得対価の総額は約78.9億ドル(8633億円)

営業利益率5%の壁に直面する約1万人規模の構造改革

持株会社体制へ移行して3年が経過したが、パナソニックHDの連結売上高は8兆円台で横ばいに推移する一方で、営業利益率は4〜5%の水準にとどまっている。2024年3月期は売上高8兆4964億円に対して営業利益3610億円で利益率4.2%、翌2025年3月期は売上高8兆4582億円に対して営業利益4265億円で利益率5.0%と改善の兆しがみられる。同じ総合電機の出自を持ちながら構造改革を経て収益力の回復を果たした日立製作所やソニーグループが営業利益率8〜12%の水準にあるのと比べると、パナソニックの収益性には明確な差がある。週刊東洋経済は2016年時点で、日本の家電産業が韓国・中国勢に敗れ、松下電器産業も往時の勢いを失い経営再建に取り組んでいると指摘した。ブルーヨンダー買収で無形資産は約2兆円規模にまで膨張している。 [51]

  • 週刊東洋経済(2016年9月3日)
    • [51]週刊東洋経済2016年時点で日本の家電産業が韓国・中国勢に敗れ松下電器産業も経営再建に取り組むと指摘

楠見雄規氏(社長)は「手を打たねばいずれ滅ぶ」と繰り返し危機感を発信している。2024年12月にはパナソニックオートモーティブシステムズの全株式を外部に譲渡して車載インフォテインメント事業をグループから切り出し、さらに2025年には約1万人規模の人員削減を含む構造改革を発表した。失われたものを取り戻し、商店主の気概を全社員に取り戻すという掲げ方は、松下幸之助氏の創業精神への回帰を意識した経営方針である。くらし事業・コネクト・インダストリー・エナジーの4事業領域にまたがるグループの収益体質を転換し、各事業会社の自律経営を機能させるには、なお相当の時間と追加施策が必要な状況にある。 [52][53]

  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [52]2024年12月 パナソニックオートモーティブシステムズの全株式を外部に譲渡
    • [53]2025年に約1万人規模の人員削減を含む構造改革を発表
  • 週刊東洋経済(2016年9月3日)
    • [51]週刊東洋経済2016年時点で日本の家電産業が韓国・中国勢に敗れ松下電器産業も経営再建に取り組むと指摘
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
    • [52]2024年12月 パナソニックオートモーティブシステムズの全株式を外部に譲渡
    • [53]2025年に約1万人規模の人員削減を含む構造改革を発表

パナソニックの沿革1918〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
松下幸之助が松下電気器具製作所を設立創業★★★
砲弾型電池式ランプを考案発売★★
「ナショナル」の商標を制定★★
門真に本店を移転、事業部制を採用★★★
松下電器貿易を設立
松下電器産業株式会社に改組★★
東証・大証に株式上場
名古屋証券取引所に株式上場
中川機械と資本提携★★
フィリップス社との技術提携で松下電子工業を設立★★★
中央研究所を設立★★
日本ビクターと資本提携★★
九州松下電器を設立
大阪電気精器を設立
松下通信工業を設立し通信機器部門を分離
アメリカ松下電器を設立し海外展開を開始★★
松下正治が取締役社長に就任★★
東方電機と資本提携
熱海会談を開き、新販売制度で系列販売網を刷新★★★
松下寿電子工業を設立
ニューヨーク証券取引所に株式上場
米貨建転換社債1億ドルを発行
松下電子部品を設立し電子部品部門を分離
松下住設機器・松下産業機器を設立し2部門を分離
山下俊彦が取締役社長に就任★★★
松下電池工業を設立し電池部門を分離★★
米国に金融子会社を設立
半導体基礎研究所を設立
谷井昭雄が取締役社長に就任★★
松下電器貿易を合併
創業者松下幸之助が逝去★★
米国の大手エンターテインメント企業MCA社を買収★★★
大坪文雄森下洋一が取締役社長に就任★★
大坪文雄フィリップス社との松下電子工業に関する合弁契約を解消★★
大坪文雄事業本部を廃止し、社長直轄の事業部制へ回帰(森下改革)★★★
大坪文雄松下住設機器を合併
大坪文雄MCA社持分の80%をシーグラム社へ譲渡★★
大坪文雄自己株式50百万株の消却を実施
大坪文雄松下冷機を完全子会社化
大坪文雄中村邦夫が取締役社長に就任★★★
大坪文雄松下電子工業を合併★★
大坪文雄東芝と液晶事業合弁会社を設立
大坪文雄松下通信工業ほか5社を完全子会社化★★
大坪文雄事業再編により事業ドメイン別経営管理に移行★★
大坪文雄グローバルブランドを「Panasonic」に統一★★
大坪文雄松下電工・パナホーム及び傘下子会社を連結子会社化★★
大坪文雄ユニバーサルスタジオ関連会社株式の全てを譲渡★★
大坪文雄大坪文雄が取締役社長に就任★★
大坪文雄日本ビクターを持分法適用会社に変更★★
大坪文雄松下冷機を合併
大坪文雄社名を松下電器産業からパナソニックに変更★★
大坪文雄初の純損失を計上★★
大坪文雄三洋電機を連結子会社化★★★
津賀一宏パナソニック電工・三洋電機を完全子会社化★★
津賀一宏パナソニック電工を合併し9ドメイン体制へ移行★★
津賀一宏2期連続の巨額純損失★★
津賀一宏津賀一宏が取締役社長に就任★★
津賀一宏コーポレート戦略本社を設置
津賀一宏3期連続の純損失★★
津賀一宏ドメインを解消し事業部制に回帰★★
津賀一宏プラズマテレビ事業からの撤退を正式表明★★★
津賀一宏パナソニックヘルスケアの全株式を譲渡★★
津賀一宏半導体事業を分社化★★
津賀一宏テスラとギガファクトリー建設で合意、車載電池へ製造機能ごと参画★★★
楠見雄規トヨタと街づくり合弁会社プライムライフテクノロジーズを設立★★
楠見雄規トヨタと車載用角形電池合弁会社PPESを設立★★
楠見雄規楠見雄規が代表取締役社長に就任★★
楠見雄規Blue Yonderを完全子会社化★★
楠見雄規事業会社制への移行に向け新体制をスタート★★
楠見雄規持株会社体制に移行、パナソニックHDに社名変更★★★
楠見雄規パナソニックオートモーティブシステムズの全株式を譲渡★★★
出典・参考
  • 日本経済新聞(1989年4月27日)
  • 私の履歴書 経済人1(日本経済新聞社, 1980)
  • パナソニックホールディングス 有価証券報告書 第118期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第103期(2010年3月期)【経理の状況】
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第106期(2013年3月期)【経理の状況】
  • パナソニック株式会社 有価証券報告書 第108期(2014年3月期)【経理の状況】
  • パナソニックニュースリリース(2011年10月11日)
  • パナソニックニュースリリース(2021年9月)
  • 週刊東洋経済(2016年9月3日)
  • MONOist(2025年5月15日)

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