重要な意思決定
196411月

減収減益・販売改革を実施(熱海会議)

背景

三種の神器の普及一巡と家電乱売の常態化

1960年代に入り、白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機の国内普及が一巡した。一方で各家電メーカーは量産工場を新設して増産体制を構築しており、供給過剰が常態化していた。販売現場では値引きと長期手形決済が横行し、後発メーカーの中には経営不振に陥る企業も続出した。家電業界全体が量的拡大の限界に直面していた。

松下電器も例外ではなく、1964年11月期の単体決算は売上高2,071億円・計上利益129億円と減収減益に転じた。1950年代以降、家電普及に合わせて高成長を続けてきた同社にとって、減収決算は大きな転機であった。1961年に会長へ退いていた松下幸之助は営業本部長代行に就任し、自ら販売改革の陣頭指揮を執ることを決断した。

決断

熱海会議で販売構造を再設計

1964年夏、松下幸之助は全国の販売代理店(販社)社長を伊豆・熱海に招集し、通称「熱海会議」を開催した。生産を担う松下電器と販売を担う販社が、家電乱売のもとでの在庫負担や決済条件について落とし所を探る会議であった。会議は日数を定めず、結論が出るまで続けるという異例の形式で組まれた。

議論は紛糾し、販社側からは「松下の指導が悪いから儲からぬ」と非難が噴出した。3日目、松下幸之助は「松下が悪かった」と涙ながらに頭を下げた。この姿勢が転機となり販社側も協力に転じ、「一地域一販社制」「事業部・販社間の直取引」「新月販制度」の導入で合意に至った。

結果

手形乱発の是正と収益重視への転換

熱海会議を契機に長期手形に依存した取引慣行は是正され、販売現場の規律が回復した。一地域一販社制により責任の所在が明確化され、事業部と販社の関係が整理されたことで、在庫・価格・資金繰りを一体的に管理する体制が整った。乱売による数量拡大ではなく、収益を伴う販売への転換が図られた。

減収減益は一時的な後退であったが、販売制度の改革は松下電器の流通構造を再設計する契機となった。高度成長期の量的拡大モデルから統制と収益性を重視する経営への移行が進み、その後の国内外展開を支える基盤が再構築された。