1945年の日本の敗戦によって、寿スピリッツの創業者である河越庄市氏は、台湾から故郷の兵庫県美方郡温泉町に復員した。復員直後は生活のために肥料の取引に携わるものの、詐欺に巻き込まれて巨額負債を抱えた。取引先との交渉のために河越庄市氏は、何度も大阪に出向いて金策に奔走するとともに、旅費を稼ぐために大阪で出会った飴売りの老齢な女性から水飴の製造を学んだという。
これらの経緯から、アメ製造の技術を体得し、1946年11月に鳥取県で作業場を開設して、6名を雇用してイモアメの製造を開始した。従業員は河越氏と同じような境遇の引揚者を雇用したという。