【筆者所感】 1995年、大和銀行ニューヨーク支店で11億ドルの簿外損失が発覚し、同行は米国市場から撤退した。8年後の2003年5月、繰延税金資産の取り崩しで自己資本が不足したりそなHDに、政府は預金保険法102条に基づく約1兆9,600億円の公的資金を注入した。預金保険法102条の初適用、戦後最大級の銀行救済であり、実質的な国有化である。4大メガバンクと別の道を歩む「第5のメガ」として発足したりそなは、わずか半年で公的資金注入を受ける事態に直面した。会計基準の厳格化と不良債権処理の長期化が、設計図を試運転する間もなく直撃した形だった。日本のリテール銀行が信用不安の中心に立った、平成金融史で他に例のない事例である。
外部から招かれた細谷英二(元JR東日本副社長)は、他メガバンクと袂を分かち「ダントツのリテール銀行」を旗印に掲げた。投資銀行化と国際化を競う他メガとは別の地点に立つ宣言で、関西・首都圏のリテール顧客と中小企業に資源を集める設計だった。2015年6月、12年かけて公的資金を完済し、2025年3月期には親会社株主純利益2,133億円の過去最高益を計上した。マイナス金利下でROAが沈んだリテール特化モデルが、金利正常化で初めて結実した数字である。次期中期経営計画は中長期ROE10%超、OHR40%台への構造改革を掲げる。国内リテール特化と金利正常化、IT投資・インオーガニック投資の組み合わせで、22年前に背負った独自路線が次の段に向かう。
歴史概略
1918年〜1992年大阪野村銀行から協和埼玉銀行まで ── 4系列が並行して走る75年
信託兼営を貫いた野村系都銀という変則ポジション
りそなHDの主源流である大和銀行は、1918年5月に野村徳七が大阪野村銀行として設立した。日本の銀行業界は伝統的に商業銀行と信託銀行が法律と業態で分離されてきた業界で、戦後は4大メガバンクと信託銀行・地銀という3層構造で動く。大和はその枠の外側に位置した稀有な存在である。1925年7月から信託業務を兼営し、戦前の都銀としては珍しい商業銀行と信託の一体運営を始めた。戦後の制度改革で多くの銀行が信託を分離したなかでも、大和は兼営の枠組みを譲らなかった。戦前の大阪経済圏で野村財閥の金融拠点として出発した同行は、株式・投信・有価証券運用機能を内包する変則的な都銀として動き続ける。関西基盤と信託兼営は、のちにりそなが掲げる「バンキング+信託」モデルの出発点である。
1943年、戦時統制下で野村財閥色を薄めるため大和銀行へ改称し、1949年5月に東京・大阪両証取へ上場した。1966年4月の金融制度改正では信託業務の信託銀行分離が進んだが、大和だけは兼営体制を維持して特殊な位置に留まる。商業銀行と信託の一体運営は、後年のりそなHDが看板に据える「バンキング+信託」モデルの原型である。商業銀行業務と信託業務を別法人化せず、1つの組織で運営する設計は、4大財閥系都銀には見られない大和固有の選択だった。投資信託・有価証券運用の機能を商業銀行内部に置く形は、グループ全体の収益源を多様化する効果を持ち、リテール顧客と信託顧客を1つのチャネルで捉える独自モデルへとつながった。
高度成長期、関西圏の個人預金と中小企業融資を主戦場としつつ、信託分野でも他の都銀と異なる存在感を維持した。財閥系都銀が大企業向け融資・国際業務で規模を競った時代に、大和は地盤の関西で個人・中小・信託の3軸を独自運営し続けた。1980年代後半には海外拠点の拡張も進めたが、本業の中心は関西リテールから動かない。この変則的なポジションは、関東で形成された協和・埼玉という別系列のリテール都銀と、将来1つの持株会社の下で結合する素地をつくる。後年のりそなHDが「第5のメガ」として4大グループと別の道を歩む土台は、この時期の大和の独自路線にあった。
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関東リテール都銀の系譜と協和埼玉合併
関東側の源流は協和銀行と埼玉銀行である。協和銀行は戦時統合で誕生した日本貯蓄銀行を前身として1954年4月に発足し、貯蓄銀行由来の個人預金基盤を引き継いだ。埼玉銀行は1969年4月に埼玉県のメインバンクとして発足し、首都圏ベッドタウンを地盤とする県行として歩み出す。両行とも都心部の大企業ではなく、首都圏の個人預金者と中小企業融資を主戦場とする「リテール型都銀」の典型である。財閥系都銀が大企業・国際業務で規模を競う時代にあって、両行は預金者数の厚さと中小融資の深さで別の市場を押さえていた。同じ都銀でも収益源と顧客層が大きく異なり、4大グループとは別カテゴリを形成していた。
1985年、協和銀行と埼玉銀行は相互業務提携を結び、1991年4月に合併して協和埼玉銀行が発足する。1992年9月にあさひ銀行へ改称し、平成金融再編の初期事例として関東リテール都銀の枠を固めた。大和(関西・信託兼営)とあさひ(関東・リテール)という、財閥系都銀より一段小さく地銀より大きい同じ階層の2行が、東西で並走する体制がこの時点で成立する。両行とも顧客基盤の主軸は個人預金者と中小企業で、大企業向け融資と国際業務に依存する4大とは収益構造そのものが違っていた。並走の事実そのものが、のちに同じ持株会社の下へ集まる際の現実味を支える前提となっていく。
協和・埼玉という別個の個性を持つ銀行があさひに統合され、その先で大和と束ねられてりそなへ続く連鎖が、ここから動き出した。1990年代の都銀再編は4大メガ体制への集約として描かれがちだが、関東のリテール都銀同士の合併と、関西の信託兼営都銀との将来統合という、4大とは別軸の再編もこの時点で輪郭を見せている。あさひ銀行の発足は、後年りそなHDが選ぶ「第5のメガ」路線の関東側の柱を準備する動きだった。リテール特化を地で運営してきた銀行同士が、将来1つの持株会社の下に集まる前提条件は、1992年のあさひ発足の時点でほぼ整っていた。残された課題は、関西の大和と関東のあさひをどのように1つの傘の下にまとめるか、その制度設計の詰めだけになっていた。
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11億ドルの簿外損失が決めた米国市場からの撤退
1995年9月、大和銀行ニューヨーク支店で行員による無断債券取引と損失隠蔽が発覚した。簿外損失は約11億ドル。米国司法省から刑事告発を受け、FRBとニューヨーク州銀行局は業務停止命令を出す。同行は1996年2月、米国市場から全面撤退した。事件発覚から撤退決定まで半年弱、1990年代の邦銀海外業務史で最大規模の事案である。1980年代後半に積み上げた海外拠点を、リスク管理・米当局対応・コンプライアンスの3面で同時に失う結果となった。日本の銀行業界全体の海外業務における管理体制の脆さを露呈する事件であり、邦銀の海外戦略を見直しの俎上に載せる契機にもなった。大和の戦略転換は単なる一行の問題に留まらず、業界全体の海外進出の検証を迫る出来事でもあった。
この事件は大和銀行の経営方針を国内リテール中心に振り直す決定打となった。海外投資銀行業務から退き、関西を地盤とするリテール・中小企業融資・信託業務に資源を集める設計が、ここから動き始める。2000年代に4大メガバンクが海外拡大と投資銀行化を進めるなかで、りそなグループは国内リテール特化という独自路線を維持した。後年「ダントツのリテール銀行」と呼ばれる戦略の根は、1995年のニューヨーク事件にある。海外で戦う選択肢を物理的に持たないことが、結果として国内特化の徹底度を上げる効果を持った。海外を捨てた銀行が国内に深く根を張るしかなくなる、その必然性が後年の独自ポジションを支える土台となる。
撤退の代償は大きい。同時に副産物もあった。海外エクスポージャーを切り捨てた結果、2008年のリーマン・ショックによる海外損失を相対的に低く抑える形となる。ニューヨーク事件はりそなのポジションに30年経っても影を落とし続けると同時に、4大メガと異質の立ち位置を物理的に固定する役割を果たした。後発のリテール銀行として勝負する以外に道がない、という設計の前提条件は、この事件で確定したと言ってよい。1995年の傷が、後年の独自競争力を支える地盤に変わるまでには、20年以上の年月が必要だった。撤退と特化のあいだで失われた時間と、それと引き換えに得られた集中度が、この30年の経営史を貫く軸となっていく。
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1993年〜2013年りそなホールディングス発足と2003年の公的資金注入
4系列を束ねた「第5のメガ」の発足
2001年12月、大和銀行と近畿大阪銀行を傘下に持つ大和銀行ホールディングスが発足した。2002年3月にはあさひ銀行が加わり、協和・埼玉・大和・近畿大阪の4系列が1つの持株会社の下に集結する。同年10月、商号をりそなホールディングスへ改めた。2003年3月には傘下の大和銀行とあさひ銀行を合併してりそな銀行が発足し、同時に埼玉県内の事業を分離して埼玉りそな銀行を立ち上げる。複数の銀行を持株会社の下にぶら下げる設計は、関東と関西の地盤を1つの本社で運営する珍しい型である。各銀行が自らの顧客基盤と看板を失わないまま結集した点で、4大メガの完全合併型とは異なる組み立てだった。地域ごとの個性を残す多銀行体制は、4大とは違う統合のあり方を示す事例となる。
4大メガバンクとは別の「第5のメガ」として、大阪・関西圏と首都圏・埼玉圏を両輪に据えるスーパーリージョナルバンクの輪郭がここで定まった。ところが発足直後、りそなは戦後最大級の経営危機に直面する。2002年度末、会計監査人との協議で繰延税金資産の一部を取り崩した結果、自己資本が短期間で目減りした。バブル崩壊後の不良債権処理の長期化と、会計基準の厳格化という2つの流れが、設計図を試運転する間もなく同時に直撃した形である。第5のメガを名乗ったばかりのグループが、半年で実質国有化寸前まで追い込まれる展開となる。設計図が試運転に入る前に、想定外の制度的圧力で組み直しを迫られる展開だった。
危機の発端は単なる業績悪化ではなく、繰延税金資産の計上可能額を巡る監査側との見解相違だった。将来の課税所得を前提とする繰延税金資産は、銀行の自己資本を支える主要な構成要素の1つである。その計上額を縮減する判断は、自己資本比率を直接押し下げた。半年で国有化寸前まで進んだ事態は、日本の金融制度における会計論点を一気に前面へ押し出す効果を持った。発足の喜びを味わう間もなく、預金保険法102条の適用という前例のない救済枠組みへ直行する展開となる。第5のメガとして出発したりそなにとって、これ以上ないほど過酷な船出だった。
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預金保険法102条初適用と鉄道マンの登板
2003年5月17日、政府は預金保険法102条1号措置に基づき、りそなHDに約1兆9,600億円の公的資金を注入した。同条の初適用、戦後最大級の銀行救済であり、実質的な国有化だった。同月、旧経営陣は退任する。6月、JR東日本副社長の細谷英二が会長として外部から招聘された。メガバンクで初の非銀行出身・外部人材による経営再建である。鉄道会社出身の経営者が金融機関トップに就く異例人事は業界に衝撃を与え、細谷はこの後10年余り、りそな再建の看板として前面に立ち続けた。閉じた金融機関経営の世界に、外部視点を経営トップとして据えた先行事例であり、業界のガバナンスのあり方そのものに影響を与える人事でもあった。
細谷主導の経営改革は、他のメガバンクが海外拡大と投資銀行化に向かうなか、「ダントツのリテール銀行」を旗印に掲げてリテール・中小企業特化を選んだ。同じ業界で正反対の方向を行く宣言でもある。組織改革、クイック決裁、営業時間の延長、ATM手数料の見直しなど、消費者の視点で具体策を次々に打った。2007年3月には公的資金の一部返済が始まる。海外拡大に流れた他メガと異なる再建事例として、業界内外の注目を集める存在となった。投資家からも、リテール特化が長期で成立しうるかという検証対象として見られる立ち位置へ移行する。鉄道会社出身の経営者がリテール銀行のあり方を組み替える、その経過そのものが市場の関心を集めた。
「ダントツのリテール銀行」というスローガンは、りそなの戦略上の選択を端的に示している。投資銀行化と国際化を競う他メガと別の地点に立つ宣言であり、関西・首都圏のリテール顧客と中小企業に経営資源を集中する設計だった。1995年のニューヨーク事件で海外を切り捨てた大和の延長線上にあり、後付けの理屈ではなく、出発点からの一貫性に裏打ちされた選択である。海外で勝負する選択肢を物理的に持たない以上、国内リテールで競争力を作る以外に再建の道はない。再建期の制約条件と、戦略の選択が一致した稀な事例だった。長期の競争優位は、ここから先の20年で形になっていく。
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12年で3.1兆円を返した独自路線の到達点
リーマン・ショック期のFY2008、親会社株主純利益は1,239億円まで落ちた。海外エクスポージャーが限定的だったため、他メガと比べて打撃は浅い水準に留まる。1995年に大和が米国から撤退した代償が、ここで初めて副産物として効いた。2012年6月、東和浩(旧姓・天野克己)が代表執行役社長に就任し、再建期の仕上げを担う。2015年6月、りそなは公的資金を完済した。2003年の注入から12年越し、利息等を含めた総返済額は約3.1兆円である。戦後最大の銀行救済からの自力完済という、平成金融史で他に例のない節目を迎えた。海外撤退と国内特化という選択が、長期の返済過程を支える設計上の前提として機能した。
他メガが海外拡大で利益を伸ばすなか、国内特化のりそなが返済を続けて完済へたどり着いた経緯は、リテール銀行モデルの持続可能性を数字で示す事例となった。細谷時代に掲げた「ダントツのリテール銀行」路線が、ここで1つの完結を見た形である。投資銀行化を選ばないという宣言は、12年の返済過程を経て、選択肢の放棄ではなく経営戦略として成立しうる路線として実証された。海外で勝てない代わりに、国内で競争力を作り、その利益で公的資金を返す。この単線の設計が、危機後の経営に方向性を与え続けた。完済の節目で、りそなは再建期から次の成長段階へ立ち位置を移す。
完済後の2018年4月、関西みらいフィナンシャルグループが発足する。近畿大阪銀行・関西アーバン銀行・みなと銀行を統合した同社は、関西圏地銀再編の中核事例となり、りそなHDの関西ネットワークを厚くした。2021年4月、りそなHDは関西みらいFGを完全子会社化し、関西リテール戦略の一貫体制を整える。大阪・関西圏と首都圏・埼玉圏を両輪に据えるスーパーリージョナル体制がここで完成した。関西の地銀再編の受け皿として機能した時点で、グループは関西圏のリテール銀行として最大級の基盤を抱える集団となる。2003年の国有化を経て、関西圏リテールの中心軸としての地位を固め直した時期だった。
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2014年〜2023年マイナス金利下での忍耐と金利正常化への準備
預金基盤を逆風に変えた5年と南体制の始動
2016年に日銀が導入したマイナス金利政策は、リテール預金を強みとするりそなにとって構造上の逆風だった。粘着性の高い個人預金は本来、資金コストの低さで優位を生む。ところが運用利回りがゼロ近辺まで落ちたため、預金スプレッドは縮小し、ROAは沈み続けた。2017年3月期から2022年3月期にかけて、親会社株主純利益は1,000〜1,500億円台で推移する。リテール特化モデルの収益力が、5年余りにわたって抑え込まれた。預金基盤の厚さが収益の重しに反転する、想定とは逆の状態に立たされた格好である。海外収益で補完できない国内特化モデルの脆さが、最も鮮明に出た時期となる。再建を完了した直後に、ビジネスモデルそのものの真価が問われる試練の入口だった。
ただし、ここで収益構造を保ったことが、後の金利正常化での反転余地を残す。海外収益で穴埋めできる他メガと違い、りそなは国内預金基盤だけで5年を凌ぐ必要があった。経費削減、フィー収益の積み増し、政策保有株の見直しなど、内側からできる改善で利益水準を維持する。1,000〜1,500億円台の純利益を5年連続で確保した事実は、リテール特化モデルが金利ゼロでも自立しうる設計であることを実地で検証した形でもある。リテール特化を選んだ代償が最も重く現れた時期であり、同時に、その代償を払えるかが「ダントツのリテール銀行」路線の持続性を決める試練の5年だった。
2019年6月、南昌宏が代表執行役社長兼グループCEOに就任する。南は個人向けスマートフォンアプリの拡張、住宅ローン申込から実行までのデジタル化、法人向けコンサルティング型営業の深化を進めた。個人アプリのダウンロード数は1,000万を超え、法人メインバンク先は6.8万先に達する。南は「リアルとデジタルを高次元で融合させることが重要」(日刊工業新聞 2025/1)と語り、対面営業を捨てる選択ではなく両輪で進める方針を経営の柱に据えた。マイナス金利下の収益が抑え込まれた時期に、次の段階で勝負するためのデジタル基盤を整えていく時期となる。後年の生成AI標準装備計画やIT投資300億円計画は、ここで敷いた路線の延長線上にある。
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- 決算説明会 FY2024-2Q
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18兆円の日銀預け金をどう動かすか
2022年3月末時点で、りそなの預貸率+預証率は77%まで沈んでいた。残る23%相当は日銀当座預金として滞留していた格好で、運用機会の乏しい状態が続いた結果である。同期間、5年で預金は約10兆円も増加し、運用先のないままバランスシートに積み上がる状態が続いた。2022年後半、イールドカーブのスティープ化が進み始めると、りそなは「能動的BSマネジメント」を本格化させる。約18兆円ある日銀預け金を貸出金・有価証券へ振り替え、ROAを引き上げる方針に舵を切った。マイナス金利下では選びえなかった、預け金を主力運用先から外す判断である。預金が積み上がる構造そのものを、収益機会へ転換する設計の組み直しが始まった。
政策保有株式の削減も同時に進めた。2024年4月から2030年3月末までに簿価の3分の2以上を削減する計画を出し、ガバナンス改革と資本効率の改善を同じ枠組みで動かす設計を示す。前期には債券ポートフォリオの入れ替えで260億円の損失を計上し、将来のPL改善に資する先手の処理を済ませた。日銀の政策金利引き上げが本格化する場面を見据えた体制整備である。マイナス金利時代に縛られていた運用方針を全面的に見直し、貸出・有価証券・株式・債券の4つのポートフォリオを同時に組み替える複合作業となった。資本側と運用側の両面で、金利のある世界で機能する銀行へ作り直す動きが連動した。
マイナス金利時代に固まっていたバランスシートを柔軟に組み替え、金利正常化で広がるスプレッドを受け止める器を作る作業だった。預け金の振替、政策株の削減、債券入れ替えの3点が同時に動いた結果、ガバナンスと資本効率の双方で次の段階に進む準備が整う。粘着性の高いリテール預金は、政策金利の上昇に対して追随率が低い性質を持つ。預金の調達コストが上がりにくい一方で、貸出と有価証券の利回りは政策金利と連動して上がる。この非対称性が、リテール特化銀行の収益にどう効くかは、ここでどこまで仕込めたかが直接効く構造だった。仕込みの密度が、後の収益反転の規模を決めることになる。
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- 決算説明会 FY2024-2Q
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22年越しに数字で示されたリテール特化の正当性
2025年3月期、りそなHDは親会社株主純利益2,133億円、経常収益1兆1,174億円、経常利益2,921億円の過去最高益を計上した。2024年3月期の1,589億円から500億円超の増益である。フィー収益は3年前の2,086億円から約220億円増え、4期連続で過去最高を更新した。普通預金の政策金利0.25%上昇に対する追随率は40%にとどまる。預金コストが政策金利の上昇に追随しない一方で、貸出・有価証券利回りは上がるため、スプレッドが広がる。粘着性の高いリテール預金基盤がスプレッド拡大に直結する構図が、数字としてはっきり現れた。マイナス金利時代の長い忍耐が、金利正常化で一気に収益へ転換する形となる。リテール特化モデルの収益力が、5年余りの抑え込みを経て再び表に出た瞬間でもあった。
南CEOは2025年3月期決算説明会で、「経営の意思として、50%を切るような非常に生産性の高いリテールビジネスを目指していく」(決算説明会 FY2024)と述べ、OHR40%台を経営の数値目標に据える姿勢を示した。他メガと別の路線を選んだ結果が利益で出たこと、そしてそれをさらに押し上げる余地がコスト構造側にあることを、投資家向けの説明で打ち出した場面である。リテール特化モデルが収益力を見せる段階に入ったうえで、コスト構造の改革余地を次の経営課題に据え直す姿勢を、数字に紐づけて示した。利益の伸びを構造改革の梃子に転換する設計が、ここで明確に提示された格好となる。
同時期、中計期間中のインオーガニック投資枠1,000億円を設定し、りそなリース(旧・リース会社2社の統合)の100%子会社化、デジタルガレージとの資本業務提携強化、NTTデータソフィアへの追加出資の3案件を実行した。2025年1月にはみなと銀行の事務・システム統合が完了し、関西みらいFG傘下3行のシステム統合によるグループ内のシナジーが効き始める。2003年の公的資金注入から22年、「ダントツのリテール銀行」路線の正当性が数字で示された瞬間となった。1995年のニューヨーク事件で決まった海外撤退の選択が、30年後に独自の競争力として収益面に結晶した形である。海外からの撤退、国内特化、リテール集中という3つの選択が長期で重なり合い、ようやく数字として結実した格好だ。
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- 決算説明会 FY2024-2Q
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直近の動向と展望
22.9億株を縮減する資本運営とDOE導入
2025年5月、りそなHDは株主還元方針を改め、従来の総還元性向50%程度に加えてDOE目標(2029年度3%程度)を新たに導入した。期間損益に左右されない安定配当と、利益上振れ時の自社株買いを両立させる設計である。南CEOは発行済株式数22.9億株について、できるだけ早い時期に20億株を切る運営が現実的との考えを示し、公的資金時代の増資で膨らんだ株式数を縮減する意思を明示した。2003年の公的資金注入と同時に行った株式増発でバランスシートを補強した経緯がある。金利正常化の場面では、株式数そのものを適正化する方向に資本運営の軸を寄せる設計となった。期間損益の振れに依存しない安定配当の枠組みを示すことで、リテール銀行モデルの持続性を投資家へ提示する意図が読み取れる。
金庫株は発行済株式数の5%程度を上限に保有する方針を打ち出し、M&Aや株式交換による案件への機動性を確保する。インオーガニック投資枠1,000億円のうち、実績は約200億円弱に留まる。残り800億円超について南CEOは「2003年以降、バンキング業務により傾注してきた歴史のなかで、不足感のある機能の補完等は選択肢として検討している」(決算説明会 FY2024)と述べ、IT・決済分野での新たな座組形成への関心を示した。銀行本体の運営と、インオーガニックな機能拡張を並行で動かす姿勢である。公的資金完済後のりそなは、バンキング一本足から複合金融サービス業への組み替えを順に進めている。金庫株の活用余地を広げた設計は、その選択肢の幅を支える土台となる。
- 決算説明会 FY2024
- 決算説明会 FY2025-2Q
- 日本経済新聞 2025/5/27
ROE10%超・OHR40%台・生成AI標準装備の次期中計
2025年11月の2026年3月期中間決算説明会では、次期中期経営計画の検討が佳境に入っていることが示された。「リテールNo.1」という基本方針を維持した上で、ROE目標は政策金利0.75%で10%程度、1%ならさらに上の水準、OHRは5年で40%台という数字を提示する。トップライン9,600〜9,800億円・経費4,800億円程度への構造改革が達成パスである。高コスト体質からの脱却を経営の最重要課題に置く構成だ。政策金利の水準ごとにROE目標を場合分けで示す姿勢は、他メガには見られない説明スタイルで、金利感応度を投資家に明示する形となっている。国内特化のリテール銀行として、4大メガと別の立ち位置を維持したまま経費構造をゼロベースで見直す設計が動く。
南CEOは「今後3年間でIT分野に300億円投資」(日本経済新聞 2025/5/27)、「当社はこれまで非常に古い業務インフラを使ってきたが、今期中にすべて刷新し、その際に全従業員に生成AIを標準装備させる」(決算説明会 FY2025-2Q)と述べ、デジタル変革の具体的なコミットメントを示した。金融デジタルプラットフォームを通じた地銀連携収益は2028年度までに累計200億円規模を目指す。デジタルガレージとの協業によるBaaSや次世代決済ソリューションの展開も進む。1995年のニューヨーク事件で海外業務から退いた大和銀行の系譜は、30年後、国内リテール・デジタル・インオーガニックという3本柱で成長軸を組み直す段に入った。金利正常化が追い風となる構造のうちに、コストとIT基盤の再設計をどこまで仕上げられるかが、次の中計期間の試金石である。
- 決算説明会 FY2024
- 決算説明会 FY2025-2Q
- 日本経済新聞 2025/5/27